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憎悪の檻

大天幕の中、上座にノーザンが。

そして長テーブルの長辺を囲むように軍団長達が二列になって座る。

ノーザン側から最も近くにクリシェとグランメルドが座り、後のものは軍団の番号順に更に四人席へ着いた。

ノーザンは初戦の相手――クラレ=マルケルスの配下であった軍団長を一人傘下に加え、第五軍団を新設しているのだ。


大量の補充兵――それを各軍団にどう振り分けるかは悩みどころであった。

クリシェの4000を除けば、総勢3万3000。

各軍団を7000程度にまで増強し、ノーザンが5000を指揮するという案もあるにはあったが、とはいえ基本的に軍団の人員増加というのは数字ほどの効果をもたらさない。


一軍団5000――それは長年の歴史によって手探りに組み上げられた定数だった。

時代によって増減しながらも最も効率的な一軍団の人員はと模索され続け決められた数字であり、そして軍団の基本的な動き、戦術は5000の兵を前提として組み立てられている。

人員増加は指揮の乱れを生み、統制の困難さを加速度的に増大させ――結果として全体としての結束を乱し能力低下を引き起こす可能性が多分にある。

それを飲み込み容易に操る実力が備わっていなければむしろ、増加した人員は軍団を弱くする。


特にノーザンは東部へ将軍として赴任し間がなく、熟成期間もない状態で今回の内戦へ参加している。

指揮官、兵士共に練度という点で若干の不安が残っており、そのためノーザンはクラレの敗残兵をある程度固め、新設という形で取り込んだほうが良いと考えたのだ。


元敗残兵も、そうして独立した形で組み込まれれば気持ちが違う。

実力と忠誠さえ見せればこの将軍はかつて敵対した相手であっても受け入れ、指揮官へと任ずる度量の深さを持つ――そう思わせることさえ出来れば彼等の士気も自ずと高まると踏んだのだ。

事実新設の軍団員の士気はそれなりのもので、確かな兵力として十分に運用出来ると手応えを感じている。


ノーザンは第五軍団長に目をやった。

姿勢正しく、とはいえ緊張しているというわけでもなく。

元々熟練の軍団長だけあって、決戦を間近にしたこの場でも落ち着きを見せていた。


悪くない、と頷き、クリシェを見る。


「準備は整ったようだ。……クリシェ様、よろしいでしょうか?」

「はい、クリシェは構いません」


エルヴェナに紅茶を淹れてもらっていたクリシェは頷く。

ノーザンは軍人としてよりも、一貴族としてクリシュタンドに忠誠を捧げる。

立場上ノーザンは将軍で、クリシェは単なる軍団長――彼がこの軍における全ての決定権を握ってはいるが、彼女は忠義を向けるべき相手。

王族へそうするように、ノーザンはまず彼女に確認を取った。


そこには彼女の立場を周知する意味合いもある。

その幼い見た目と彼女にまつわる噂の数々――それらの多くはあまり好意的なものとは言いがたいもので、だからこそここでの彼女がどういう立ち位置かと示しておかねばならないのだ。

――彼女は噂がどうであれ、この場の最高指揮官であるノーザン=ヴェルライヒが忠誠を捧げる相手であるのだと。


自分がまず彼女に了解を取ることで『クリシェ=クリシュタンドへの無礼は許さない』と暗に示す。

これならば、仮に彼女へ不満や悪感情を向けるものがあったとしても表には出せない。

わざわざこの場であからさまな態度を見せたのは、場を潤滑に進めるための牽制であり、ポーズであった。


特にそうした面に関して一切無関心なクリシェであるからこそ、そんな些細な言葉一つが重要となる。

彼女は戦士としては最強――並ぶもの無き天才であるが、軍人として見た場合に危うい点が多く残されており、そしてそのフォローをするのはこの場にあるノーザンに課せられた役割であった。


ノーザンは各軍団長、そして会議への参加を許されたクリシェの大隊長達を見渡した。

一部は驚きを浮かべつつも、ノーザンの意図を了解したのだろう。

なんでわざわざクリシェに聞いたのでしょう、と不思議そうな少女。

彼等は視線をそんなクリシェに向けつつも、すぐに彼等があるべき、私情を挟まぬ軍人としての顔になる。

その様子にノーザンは満足しながら、今度は全体へ向けて口を開いた。


「まず現在確認されている状況として、王弟殿下の軍は十個軍団で構成されている。副将はフェルワース=キースリトン。その名前は誰もが知っているとは思うが……」


ガイコツよりも少し上の年代の人物であったか――クリシェは記憶を探る。

老将も老将。齢百を超え、王国の将軍としては最高齢となる。

最も、こうして戦場に出てくるのは三十年ぶりではあるが――


「二代前――武王と名高きアルバーザ国王陛下の右腕として一時代を築きあげた武人だ。公式の場を出ないようになって久しいが、老いてなおその頭脳と手腕に陰りはないと聞く。王弟殿下同様、油断ならぬ相手だ」


今よりも苛烈な戦乱の時代――二代前の国王アルバーザは自ら剣を取り、王国の領土を守り抜いた。

フェルワースはその頃に名を馳せた猛将。

一線を引いて久しいが、王国の将兵からは今なお目指すべき武人として彼の名が上がる傑物であり、ギルダンスタインが出せる駒としては考え得る限り最上の指揮官であった。


軍の副将という立ち位置であるが、実質的には独立した二個軍を相手取るようなもの。

場合によれば相手が兵力を分け、有力な将軍による二個軍として独立した動きを取ることも予想される。


「セレネ様の方に向かわなかったことを喜ぶべきだろう。現状ではセレネ様の側ではなく、こちらを主戦と考えていると見て良いと私は思う」


ノーザンはクリシェに視線を送る。

クリシェは頷く。


「現状を見る限り恐らくは。……とはいえ場合により軍を分け、こちらに対し足止めを行なう可能性もあるのでしょうけれど」

「ええ。予定していた決戦の地はドグラ平原――ここにある丘を狙ってはいたが、王弟殿下がそれだけの相手を連れ出してきたとなると懸念がある」


ノーザンは地図――ドグラ平原にある丘を指さし、そこから指先を北に。

現在天幕のある辺りを指さした。

この野営地もなだらかな丘の上に存在している。


「……戦術的優位を失いはするが、これ以上の南下は避けこの場に留まるのが良いと考える。高所に拘れば身動きが取れなくなる」


南へ行けば行くほど、セレネのクリシュタンド軍との距離が開き、敵が軍を分けた場合への対応が難しくなるのは確かだった。

ここから南に入ると若干道も悪くなり、いざというとき機敏に動くことが難しい。

真っ当な判断であった。


両軍の距離が狭まれば、迂回の選択肢も狭まる。

対処が行ないやすくなるという点では悪くない選択肢で、元より敵の規模を見て南へ進むかどうかをここで判断するつもりであった。

口を挟むものはいない。


「伝令、入ります!」


馬のいななきと共に。

声を張り上げ天幕へ入ってきたのは一人の伝令であった。

呼吸は荒く、敬礼を行なうとノーザンに視線で尋ねる。


「なんだ?」

「今朝百二十里ほど南にて、敵は一軍団5000ほどを東に進路変更。こちらを迂回しキールザランへ向けての増援、もしくはキールザランとの補給路分断を目的としていると思われます」

「……一軍団。王弟殿下は?」

「それからしばらく確認を取りましたが、昼前の時点ではキースリトン将軍と共に行動していることを確認しております。分かれた軍団長は旗を見る限りナキルス=フェリザー軍団長かと……」

「……フェリザー」


ノーザンは腕を組み、考える。

剛腕のナキルス=フェリザー。

指揮官として優秀、というわけではないが、勇猛で知られる人物であった。

最前線で自ら刃を振るう事を好む生粋の戦闘狂――そういう点ではグランメルドと似ている。

ギルダンスタイン主導で行なった東部侵攻でその武功を認められ、百人隊長から軍団長までを駆け上がった人物だった。


後方の分断――その線は薄い。

連絡線の遮断というものは高度な戦略的判断と柔軟性を必要とする行動であった。

生粋の武闘派であるナキルスがそうした行動を行えるとは思わない。


「増援と見た方が良いな。セレネ様に伝令を飛ばす。先に準備をさせ、それができ次第こちらに来るよう伝えろ」

「は!」


従兵の一人が敬礼し、走って天幕を出る。


「他には?」

「ありません。引き続き異常あれば他の者が」

「わかった、ご苦労。休んでくれ」

「は!」


そして伝令も同じく退出すると、考え込んでいたクリシェはノーザンに尋ねた。


「……どっちだと思いますか?」

「増援ですね。こちらの意表を突き、迷わせるのが目的でしょう。フェリザーは戦闘に向くが、絡め手は不得手です。遮断もあり得ない話ではありませんが……」


どちらが本命か。

そう思わせる揺さぶりであった。

クリシェは紅茶の水面に視線を落とし、目を細める。


「ヴェルライヒ将軍、今回で輜重を止めましょうか。兵糧は現在20日分、補給の必要を感じません。遮断を掛けてきた場合、現状の護衛では無駄死にです。微々たるものですが以降セレネの兵力として運用してもらいましょう」

「……ふむ。こちらからの援軍は?」

「出さずに行きましょう。輜重に使っていた兵力約2000の増加、それで十分です」


不安がないではなかったが、セレネは敵の攻勢を防ぐだけで良い。

セレネの役割は本来敵の後方攪乱への対処であって、撃破ではない。


「これで敵がセレネに対し向けたのは4万。逆にクリシェ達は大分やりやすくなりました。目的はここで王弟殿下を討ち取ることですから、戦略上問題はありません。あちらはこれで、こちらに対してもう引くことが出来ませんから」


一番怖いと考えていたのは、こちらに対し徹底した遅滞戦術が行なわれ、後方を遮断させられることであった。

そのため軍を二つに分け、こちらはキールザランに残したクリシュタンド軍と南下したヴェルライヒ軍の二軍で事にあたることにしたのだ。

戦えば勝つ――クリシェは自分の能力を疑わない。

相手が4万の大兵力を向こうに向けた以上、ギルダンスタインに後退の選択肢はない。

もしギルダンスタインが後退するならば、こちらは二軍でその4万を始末してしまえるからだ。

こうなればもう考えることは、目の前に立ちはだかるギルダンスタイン軍をどうやって潰すかだけ。


一番の問題はクリシュタンド軍がこちらの勝利まで持ちこたえられるかどうかであるが、エルーガは当然ながら、セレネやその他の軍団長に対してもクリシェはその能力を低く見てはいない。

相手の攻勢を防ぐ――その一点で考えるならばしばらく問題はないと考えた。

増援が来る前に大きな打撃を与えるなら、そのままセレネ達が勝利することもあり得る。

セレネに対して過保護なクリシェに不安がないわけではなかったが、戦場に出る以上避けられないものであり、冷静な面で大丈夫だと判断する。


要は、さっさと終わらせれば良いのだ。


「……確かに、こちらは3万7000に対し、敵は4万5000。兵力差は大きく縮まりました。セレネ様に負担を押しつけることに思わないところがないではないですが、私もその意見に賛成します。……異議があるものはあるか?」

「は。ありませんが、ここに陣を敷くとなれば今晩のうちにある程度防御陣の準備させておきたいところです」


第二軍団長サルダンであった。

ノーザンは少し考え、命じる。


「そうだな。各軍団より兵を出せ。とはいえ疲れさせるな」

「承知しました」


伝令を呼び、部下に命じる声。

それらを聞きながらクリシェは紅茶に口付ける。

明日には決戦。この戦いが、最後。

随分と長かったような気がするが、けれどこれで終わりなのだ。


――今度は逃がさない。

ギルダンスタインの顔を思い出して、無機質な瞳を冷ややかに。


「ヴェルライヒ将軍。わんわんはどこに行ってもらうんですか?」

「……、今のところは王弟殿下の正面に向けるつもりです」


わんわんという呼び名に一瞬何かが込み上げそうになるが、ノーザンは堪えた。

名前の呼ばれたわんわん――グランメルドは上官の妙な間に気付きつつも、努めてそれを無視する。


「クリシェも同行を。これだけ集めたんです、言い換えれば敵は訓練不足。質ではわんわんの兵士に大きく劣ることは間違いないでしょう」

「……となると、目的は」


グランメルドの意識はその罵倒の如き愛称よりも、彼女が告げる内容に向かう。

狼のように、笑みが口の端を吊り上げる。


「いつ戦闘が始まるかによりますが……場が膠着する前に、兵士に疲れが出る前に一気に決めるべきでしょう」


クリシェは紅茶をテーブルに置き、


「――正面突破。可能ならば初日に、王弟殿下の首を取ります」


当然のようにそう告げた。









天頂から日も傾き始め、夕暮れが近づき。

滲むように影が伸びていく時間。


丘に布陣するヴェルライヒ軍3万7000。

それをやや半円を描くように取り囲むのは4万5000のギルダンスタイン軍。

そしてその両軍の狭間――中央には四人の人間があった。


銀翼の甲冑を着込む若き将軍、ノーザン=ヴェルライヒ。

対するは、大柄な体躯を龍を象る兜と鎧で包んだ古将、フェルワース=キースリトン。


「……お久しぶりです、キースリトン将軍」

「うむ、久しいなヴェルライヒ。以前会ったのは――」

「十五年前の戦勝会です」

「そうか。歳を取るとすぐに忘れる。……若さが抜けたな、ボーガンに似た良い面構えになった」


額から眉間を通り、頬へと伸びる刃傷。

深い顔の皺に紛れて、そうした傷が無数にあった。

激戦をくぐり抜けたものだけが得る武勲の傷痕。

長い白髭を弄び、開いているのかいないのか、細い目でノーザンを見る。


「こうして立場を違え向かい合うのは何の因果か。この歳になって困ったものだ。……どうあれ、こうして向かい合った以上手は抜かん」


そして、彼の隣の少女を見る。


「――手を抜けるような相手でもないようだ」


その場にはあと二人。

一人は黒鉄の獅子鎧を身につけ、堂々たる姿を見せる男――


「……竜の顎以来だな、忌み子」


――王弟ギルダンスタイン。

その美麗な顔に悪意を浮かべ、口の端を吊り上げる。


「ええ、お久しぶりです、王弟殿下」


彼の前に立つのはこの場に最も似つかわしくない、鎧も着込まぬ少女であった。

美麗な銀の髪を晒し、華奢な肩のラインを外套が浮かび上がらせる。

両腰に短剣を一本ずつ、護身用と言うべき小ぶりな蛮刀を後ろ腰に提げ――少女は戦場にあるべき姿ではなかったが、彼女がここにいることに対して疑問を浮かべる者は誰もいない。


ただそうして立っているだけで、腕に覚えがあるものであれば理解が出来る。

恐れもなく、かと言って油断や驕りもなく。

全てを見通すような冷ややかな紫色。

彼等に去来するのは遠く久しい感情であった。


初めて剣を持ったとき、師に対して感じたような。

自分よりも遥かに強い相手――それを見たときに生じるもの。


少女はただ、微笑を浮かべた。


「お元気なようで何より――」


腰に提げた蛮刀の柄を弄ぶように、


「――約束通り、今回はクリシェが殺してあげます」


クリシェは告げる。


「くく、背筋が粟立つことを言う。俺も、お前がこうしてこの場へ出てきたことを喜んでいるよ。……俺という餌に釣られてな」


ギルダンスタインは嘲るように。

クリシェはその言葉に対し、不快そうに眉を顰めた。


「もうその手には乗りません。……セレネの軍はあなたの寄せ集め相手には十分ですから」

「……面白くないものだな。もう少しからかい甲斐のある娘であったと思ったが」

「クリシェは同じ過ちを犯しません」

「今回のそれが過ちであれば、だがな」


嫌な男――耳障りな声。

クリシェがなるべく考えないようにしている不安。

それをくすぐるような言葉であった。

この男は前回もそうやって言葉を掛け、その結果クリシェはこの男を逃がした。

怖くなって逃げだしたのだ。


先日の自分を思い出し、涙を流したセレネの姿を脳裏に映す。

ただ愉快げに笑う男――クリシェがこれまで出会った中で、これほど不愉快な相手もいない。

クリシェに、そしてその周囲に敵意を向けながら、この男はまだ死んでいない。

こうして今なお、クリシェを嘲るように笑っている。


距離はたったの二間。

叶うことならば黙らせたかった。

――いや、今すぐにでもそうしてやろうか。


思考と同時にクリシェは踏み込み、引き抜いた刃を首元へ――それは一瞬のことだった。

ぴたりと合わせた刃で鎧の隙間をなぞる。

ギルダンスタインは動かなかった。そして、居合わす二人も。

ただ、それを遠目に見ていた兵達だけがざわめく。


「……クリシェの方があなたよりも強いです」


紫色がギルダンスタインの瞳を射抜く。

ギルダンスタインは平然と笑みを浮かべる。


「だろうな。……認めよう、剣で強いのはお前だ」

「余裕ですね。本当にこのまま殺してあげましょうか?」


クリシェは嘘を吐いていない。

本当に、今すぐに、瞬きの間に殺してやれるのだ。

なのにこの男は、恐がりもしない。


「やってみるといい、ここで俺と隣のキースリトンを殺せばお前の勝ちだ。高々と首を掲げて勝利したと叫べばいい、それをやりたいならな」


クリシェは苛立たしげに、瞳を更に冷ややかなものにする。


「……お前は獣だ。人に紛れているだけの」


この場は聖霊協約によって、互いの了解で作られたもの。

ここで殺してしまえば、クリシュタンドの名を取り返しが付かぬほどに汚してしまう。


聖霊協約は軍に深く根付いた、決して切り離せぬルールである。

それを利用し命を奪うことは許されることではなく、そしてそれはクリシェだけではなくクリシェの周囲にもどうしようもないほどの悪影響をもたらすことは確かであった。


「お前がどれだけ強い獣であろうが、所詮は獣。誰もお前を認めない。……お前は歪んだ異常者で、本来人の社会にあってはならないものだ。理解しているんだろう?」

「……クリシェは誰にどう思われようが、どうだっていいです」

「くく、お前が慕うものも皆、それに気付けば離れていくさ。……セレネも、いつぞやの使用人も。お前のことを勘違いしているだけだ」


胸の内で不快感が渦巻いていた。

殺してやりたくて堪らない――それが出来ればどれほど良いか。


「ああ、いや――クレシェンタがいたな。あれに関してはお前の同類だ、安心するといい」


ギルダンスタインは愉快げに笑い、


「……それくらいにしてはどうです、王弟殿下」


そこでノーザンが告げた。


「私からすれば、あなたほどの獣もいない。……まともにやり合ってはクリシェ様に勝てぬと心の内で怯えながら、そうやって挑発し――嘆かわしいものだ」


ノーザンは剣を引き抜き、その切っ先をギルダンスタインに向ける。


「見ずともわかる。あなたのことだ。そのように卑劣な手段で将軍の命を奪ったのでしょうが……これ以上の無様はどうあれ、将軍の名すらを汚す」

「……ほう」

「その薄汚い生に執着し、それ以上の無様を見せるくらいなら――剣を取り私と立ち合うといい。最期ぐらいは武人として、名誉ある死を私が与えてやる」


憎悪に滲んだ瞳を向け、怒りの滲んだ言葉を向ける。

ギルダンスタインは一層愉しげに、頬を吊り上げた。


「俺に勝てると思っているのか、ヴェルライヒ」

「ええ、もちろん。……私はクリシュタンドの剣――あの場に私がいたならば、あなた如きに将軍の命を奪わせるような真似はしなかった。疑うならば、今すぐにでも。この剣にてあなたにそれを見せてやろう」


睨み合う二人を止めたのは大地に響くような、けれど静かな声。


「やめなさい、ヴェルライヒ。……殿下もです」


フェルワースは言って苦笑し、続けた。


「これだけの大軍を率いておきながら、単なる棒振りの良し悪しで決着をつけるつもりかね? 小僧の喧嘩ではあるまいに」


伸びた眉毛に隠されてしまうような、そんな細い目を殊更鋭く。


「卑劣で結構――軍人とはただ勝利のためにあるものだ。少なくともクリシュタンドならばそう言うだろう」


ノーザンが眉間に皺を寄せ、フェルワースは頷いた。

そして続ける。


「信念は異なり、手段も異なる。そして当然、そこに生じる恨みも憎悪も否定しない。だが我らは軍人――そして共に軍を率いる将としてこの場にあるのだ。知恵を絞り、兵を動かし、その重圧の中で――戦場で生じた因縁に決着をつけるならば、そのように戦場の中で……兵を束ねる将として決着をつけるべきではないかね?」


ノーザンに告げるようでありながら、しかしギルダンスタインに向けるようでもある。

しばらくの間があり、そしてフェルワースは再び苦笑する。

私に言えるのはここまでですな、とギルダンスタインに視線を向けた。


「殿下。理由はともかく、こうしてあなたに従い戦場に出た身。あなたのやり方を否定はしませんが……とはいえあまりに見かねれば私にも考えがある。そこまでにされるがよいでしょう」

「……いつになっても口うるさい爺だな、お前は」

「あなたに小言を言えるものはもうどこにもおりませんでな」


私の役目でございましょうと言って、視線をクリシェへ。

未だ剣を下ろしていなかったクリシェは納刀し、冷ややかな目で老人を見返した。


「……一度、赤子の頃にお目に掛かりました。随分と大きくなられましたな」


クリシェは眉間に皺を寄せる。記憶にはない。

とはいえ赤子の頃の視界は不確かであったし、眠っている時間も多かった。

不思議なことでもない。


「立場を違え、こうして刃を向けることをお許しください、第一王女殿下」

「気にしなくて構いませんよ。……邪魔をするなら、あなたも殺すだけです」


普段より一層平坦な声音。

不愉快――クリシェはただ不愉快であった。

胸の内を這い回る不快感をどうにかしたくて堪らない。

この場で二人を殺してしまえればどれだけ良いだろうと、それだけを考えていた。


「はは、単純明快ですな。老人なりに、精々殺されぬよう立ち回るとしましょう」

「……言葉通りなら、手間がなくて何よりです」


クリシェは視線をノーザンに向けた。

これ以上この場にいたくはない。

その意図を読み取った彼もまた、同じことを考えていたのか。

彼女の視線に頷きで返した。


「……一応の礼儀として場を作ったが、無用な時間でした。キースリトン将軍、ご武運を。殿下もこの上恥を晒す真似はしないで頂きたいが」


吐き捨てるように言ってノーザンは踵を返す。

クリシェは最後にもう一度、ギルダンスタインを睨み付けた。

ギルダンスタインは愉快げに笑うだけだった。


日暮れまでそう時間はなく、心は乱れ。

クリシェの精神状態と、戦いが夜にもつれ込みかねないことを懸念したノーザンは今日を流すことに決め、同じくギルダンスタインも守勢を維持。

両者大きく動かずにその日を終えることとなる。


そうして、決戦の火蓋は翌日切られることとなった。

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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
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― 新着の感想 ―
[気になる点] やっかいだな、聖霊協約。 無駄に兵を死に追いやるだけにしか思えない。 作ったのは、自分が死にたくない一心でそれでも軍を率いたような軍師系の人間か?
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