(7)
深咲へ
通学路にある桜のつぼみもふくらんできて、春もすぐそこまで来ていると感じるこの頃です。
お久しぶりです。元気ですか? 以前にお便りしたのは夏頃だったね。年々あっというまに月日が過ぎていくように感じます。
昨日で高校も卒業。深咲のところも同じ日なのかな?
三年間は本当に早かった。何か見つけたくていろんなことをしたけど、全部中途半端で終わってしまったと反省しているところです。極めたいと思うのに続かない。料理に興味があるからと料理クラブに入ってみたり、本を読むのは好きだから図書委員をしてみたり、夏休みにはボランティアで高齢者の施設に行ったりしてみたんだ。でも、どれも続けたいと思えなくて。文太くんがやってる織物も教えてもらって少しやってみて、その時は面白いと思うのだけど、どこか気持ちが冷めている。本当にやりたいことなのかどうか自問自答して、出てくる答えはいつも、これではない他の何か。でも、まだそれは見つかっていない。就職はするけど、それもやりたいことではないような気がするんだ。
文太くんは相変わらず目標に向かって猛進している。美術大学に行くために必要だけど今までやってこなかった美術の勉強に必死で取り組んで、見事、大学に合格した。織物だけでなく、別の勉強もしたからこそ、視野の狭さに気づいたと笑っていた。これからはもっと幅広くいろんなことに興味をもって勉強していきたいって。
本当にすごいと思う。うらやましくて仕方がない。
深咲も四月から大学生なんだよね。心理学部っていうのはちょっと意外だったけれど、学びたいことに巡り合えたのはよかったね。
あたしだけ……という焦りがないわけでもないけどね。
みんな、それぞれの道を行くんだなあ。みんな同じような気持ちでいられるのは高校生くらいまでだね。それも本当はそう見えているだけで、違っているんだろうな。違っていてあたりまえ。そんなことわかっているのに、同じじゃないと不安なんだ。変だよね。
あたしと深咲は家庭の事情が複雑だけど、似ているようで同じじゃない。共感はするけど、本当にお互いの痛みを感じているわけじゃない。でも感じようとしてる。
もう、昔のことなのにまだ残っている。消えてくれない。でも、今は大丈夫。誰もあたしをからかったり、無視したりしない。
家族とは離れてからうまくやれている気がするんだ。不思議だね。月に一度、家族三人での食事は結構楽しいものだったよ。普段離れていて生の感情がぶつからないからかもしれない。それがいいことなのかどうかはわからないけど、あたしにとっては快い関係だった。
四月からあたしは祖父母の家を出て、会社の寮で暮らすことになる。旅館の仕事が本当にしたいことなのかどうかもよくわからない。でも、とりあえず始めてみようと思う。やりたいことはそのうち見つかるといいな。もしかしたらずっと見つからないかもしれないけど。でも、ずっとアンテナを張りめぐらせて、見つける気持ちだけは持っていたい。それよりも、今は、できること、やらなければいけないことをするので精一杯だけど。
明日、あたしは祖父母の家を出て行く。もう、この家に来る機会はそんなにないだろうと思うと、急に愛おしく感じて、家中を見回してしまう。玄関の格子戸から入ってくる往来の音、表の光。坪庭の翠。奥庭の遅咲きの梅。これから花を咲かせるであろう樹々の芽吹き。元々この家の誰かが使って、あたしも四年と四ヶ月使った古い文机や箪笥。走り庭の天井の梁。土間にあるふゆ子さんの織機。ふゆ子さんが機を織る後ろ姿。機織りの音が心地よかった。あたしを守ってくれた祖父母のあたたかさとふゆ子さんの優しさを想う。この家に来て本当に良かった。おだやかでのびやかな時を過ごせた。
これからあたしは親から離れて一人で自由にやっていく。どんなにつらくてもそれは快い。あたしの選んだ道だから。
ふゆ子さんはあの家で織物を続けながら、恋人からの手紙をこれからもずっと待っているのだろうか。どれもふゆ子さんの選択で、いいんだと最近は思えるようになった。最高の幸せではないかもしれないけど、最悪でもない。いつかふゆ子さんにもおだやかな春の風が吹けばいいと思う。
あたしは北風でも暴風でも風を切って自分の足で歩いていく。そう決めたんだ。
閑散期になったら帰省するから、その時は連絡するね。会えることが今から楽しみでしかたないよ。
律子
*
次第に寒さがやわらいで、庭の樹々の変化もめざましい。遅咲きの梅の枝に鶯が留まる。鳴くのに慣れていなくてたどたどしい鳴き声を可愛らしく思う。いつも春は心が躍るのに、今年の春はすこし複雑な心境だった。早く春が来てほしいと思うのに、来てしまうと寂しい。
律子がこの家に来たのが約四年前。高校を卒業したら家を出ると宣言していた通りに、就職してこの家から出て行く。
四年のうちに律子はすこし大人びた顔つきになった。ここで暮らしはじめた頃のようなかよわさは、今はもうどこにもない。
今日はいよいよ律子の門出の日。ボストンバッグひとつでこの家に来た日を想った。四年間ですこし増えた荷物のほとんどを寮に送ってしまい、結局、この家を出て行く時も荷物はボストンバッグひとつだけ。
文太もやってきて、父と母、私の四人で玄関に立ち、律子を見送る。駅まで送ると行ったのに、律子は玄関でいいと言ってきかなかった。
律子は格子戸を出て、お世話になりましたと深々とお辞儀する。そしてなかなか顔を上げなかった。
母は律子の手を取って、元気でな、と両手で律子の手を包み込むように力を込めて握った。父は立ち尽くしたまま、京都に来る機会があったら連絡せえよと優しく声をかけた。文太は力強く律子の肩を叩き、頑張れよ、俺も頑張るわ、とめいっぱいの笑顔を向ける。
体に気をつけて、無理せんときやと私は月並みな言葉を律子にかけた。本当はいろいろ言いたいことがあるように思えたのに、言葉にならなかった。
じゃあ、と律子は顔を上げた。震える唇を噛み締めて、目には今にもあふれそうな涙を湛えていたが、晴れ晴れしい笑顔だった。
律子は歩き出した。自分で選んだ自由で厳しい己の道を。
私は格子戸を閉めて、また織りはじめる。待ちわびながら。
*
律子がこの家からいなくなって初めて迎える晩秋。また今年も奥庭の山茶花は桃色のきれいな蕾を多くつけていた。薄らいでいく和馬さんとの想い出と、まだわりと新しい律子との想い出。目を閉じて、記憶を引き出して、またそっとしまっておく。
今日はまさに小春日和。表からの明るい光が格子戸越しに入ってきて、光のかたわらにいるとほんのりあたたかい。
表でバイクのエンジン音が聞こえる。郵便配達だろう。やがて差し込まれた郵便物を見て、目を疑った。私宛の葉書。かすかに覚えている和馬さんの手書き文字。葉書の裏面は一ヶ月先に開催される展覧会のお知らせ。和馬さんが日本の、それも京都で個展を開くと記されている。写真は見たことのない和馬さんの織物作品だった。そして裏面の右下に小さく手書きで、待っています、と書かれていた。
涙があふれて止まらなかった。しばらく葉書を手にしたまま、そこを動けないでいた。
遠く離れていても、いつも想っている。作品の中にちゃんと想いをこめて、それを見てほしい。繋がるのは曖昧なもので、お互いの思い込みで幻想だとしても、互いにそうであれば何も問題はないのだ。
*
個展の初日。私はとびきりおめかしして着物姿で個展の会場へと出向く。
着物を着ることは、案内葉書が届いた頃から決めていた。着物は織物を生業とすると決意して独立後しばらくしてから買い求めた。織物に関わる者である以上はきちんとした着物を手元に置いておきたいと思ってのことだった。私の織物の仕事が軌道に乗る前に渡米した和馬さんには私の着物姿を一度も見せたことがない。だからこそ見てほしいと思った。
江戸小紋はくちなし色の角通し柄。くちなし色はくちなしの実で染められた赤みを帯びた黄色。くちなしの花の色は咲きはじめは白いが、やがて黄色そして茶色へと変わっていく。小紋特有の細かい模様は遠くから見ると無地のように見える。それが気に入って訪問着ではなく江戸小紋を選んで背に紋を入れた。帯は生成色の立涌文様。波状の曲線が縦に向かいあい、対称的に繰り返す有識文様。文様の曲線の膨らんだ部分には唐草。どんな季節にも合わせられるような帯にした。外を歩くには寒いので、背の紋を隠すためにも羽織を着ることにした。呉服屋さんで見た瞬間に運命を感じた羽織。暗めの赤紫の地に薄桃色の山茶花が散らしてある。私にとっては一番思い入れのある花、山茶花。
自分の装いに想いを込めた。かつての和馬さんのように。
中学校の二つ上の先輩だった和馬さんに憧れは抱いていたものの、何の関わりもなく時は過ぎていき、私は彼とは違う高校へと進んだ。そのため姿を見かけることもなかったが、同じ中学出身の人から、和馬さんが織物を研究するために東京の美術大学へ進学したという噂を耳にした。だから私は京都にある織物の専門学校へ行く道を選んだ。いつか関わることができるかもしれない。その想いが現実になったのは、彼が京都で開いたグループ展へ足を運んだ時のことだった。精悍な青年へと変貌していた彼は、紺色のアランセーターを着こなして、物静かに佇み、おだやかなようにも見えたが、作品のことを尋られると熱弁をふるっていた。あの時の私はまだ織物については未熟で、作品について穿ったことも言えないからと、話しかけることに気後れしていた。しかし、どうしても話しかけたい一心で、私は彼の着ているアランセーターが素敵だと話しかけた。彼はアランセーターの伝説を私に教えてくれた。十五世紀頃、アラン諸島で誕生したセーターで、海に漁へ出る夫や恋人、父のために女たちが安全を祈願しながら編んだセーター。その編み模様には様々な意味が込められている。出身の村や家によって異なった編み柄だったので、漁師が海で遭難してもセーターの模様で身元を特定できたほどだと言われた。そんな伝説があることを、当時ニットの研究をしていた恋人から聞いたという。その伝説は真実かどうかは疑わしい。実際にはその伝説が嘘だとしても、人々は身にまとう衣服の模様や文様に祈りのような想いを込めていると思いたいのだろう。日本にだって同じような例がある。麻の葉文様は子どもの着物や赤ん坊の産着に用いられたりしているが、麻が強くまっすぐに育つことにちなんでいるからだと熱心に話してくれた。国や時代が違っても、人は同じような想いを抱くものだ、と。だから、元恋人の編んでくれたこの紺色のアランセーターを、彼女と別れたからといって着ないなんて出来ない。大切な人へ心をこめてオーダーメイドのものを作れる幸せ、セーターと共にその想いをもらった。別れたからといって、その時の想いがなくなるわけではない。今後、別の恋人ができてもこのセーターは着続けるだろう。これから自分を好きになってくれる人には迷惑な話かもしれないけれどと言って彼は誇らしげに笑った。彼が私の中で憧れから愛おしい存在へと変わった瞬間だった。私は正直に伝えた。そのセーターは想いをずっと大事にし続ける象徴みたいで、着続けることは素敵だと思います、と。
それをきっかけに彼は私に興味を持ってくれて、やがておつきあいをすることになった。
そんな想いがあったことを、思い返していた。
個展会場であるギャラリーの広いエントランスには、入口から展示室へ、等間隔で天井からタベストリーが吊り下げられている。それぞれが違う素材や織り方で作られ、遠目で見ると連続した文様にも見えるようになっている。端にある送風機が時々作動して、ゆるやかな風が吹く。風にタペストリーが揺れて、ライトに照らされ、色が変化して見える。織り込まれた金糸銀糸がきらりと輝く。吊るされたタペストリーとタペストリーの間は人がひとり入れるくらいで、自由に見て回れるようになっている。間近で織り目を見て楽しむこともできて、裏目も見ることができ、触れて織物の手触りを感じることもできる。
エントランスの壁面には世界各国の織物のパネル展示がある。彼が世界各国を回って現地の織り手に師事して学んだ手法で織られた布、現地での写真、織物の特徴が書かれたパネルがタペストリーを囲むように壁面展示されている。現地の人と一緒に笑顔で写真に写る彼の姿。機に向かっている時の真剣なまなざし。
彼と私の目指す道がけっして重ならなくても、彼の歩んできた軌跡をこんな形で見ることができるのなら、振り返って遠くから眺めることができるなら、それでいい。
展示物を丁寧に見て回り、一通り見終わってから、会場内をぐるりと見回して、彼の姿を探す。スーツ姿の記者と話しているあの後ろ姿。あの紺色のアラン編みのセーター、やはりずっと大切に着ている。彼に間違いない。一歩、また一歩と近づいて、声をかけるかどうかためらって立ち止まる。目の前が涙で滲む。涙のむこうにいる彼が振り返ったなら、最高の笑顔を私に向けてくれているといい。そう願いながら、涙をぬぐってまた一歩、踏み出した。
(終)
最後までお読みいただきありがとうございました。
加筆修正するにあたり、イメージを具体化するためにネットや書籍でたくさん調べ物をしました。あえて参考にしたブログや書籍は載せませんが、ひとつだけは明記しておきます。
作品中のギャラリーでの赤い布のインスタレーションですが、もう20年くらい前になるでしょうか。私が実際に京都のギャラリーで見た麻谷宏さんのものを参考にさせてもらっています。
前書きでも書いたように、「小説を読もう」の仕様上、ケータイでは見れない写真表示に埋め込んだ引用短歌について触れておきます。
(1)の手紙のすぐあと。
樋口一葉作「おもふ事いわねば知らじ口なしの花のいろよきもとのこころも」
想っていることを言わなければ、あなたは知ることはないでしょう。くちなしの花の元の色のように美しい、以前の気持ちも。
もうひとつは(7)の展覧会の案内が届く前。
伊藤左千夫作「かつてみし君がさ庭の山茶花を一枝たばりぬけふ炉を開く」
昔、あなたが見た我が家の庭の山茶花を(花瓶に活けるために)一枝頂戴した。今日から囲炉裏を使う。
現代語訳は私流に作品に合わせて解釈していますので、若干一般的な解釈と異なるところもあるかもしれませんが、ご了承くださいませ。
本当にここまでお読みいただきありがとうございました。