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小春日和  作者: 氷月涼
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2001年3月発行の会員制小説サークル「迷夢」VOL.15に書いた作品を加筆修正したもの。以前投稿した「壁の上」と対をなすお話です。全7話。

引用短歌は本文とは別に入れたかったので作者がガラスペンで書いて、写真の形をとりました。携帯では見れないですが、あとがきでまた引用短歌だけ、私流の現代語訳と合わせて載せます。また、PCでは、写真はなぜか横向きになってしまい、修正できません。字も下手なうえに更にお見苦しくて申し訳ないです。

 深咲へ


 突然いなくなってごめんね。飲酒後の母の様子がますますひどくなってきたので、祖母の家に避難することになりました。夜逃げならぬ朝逃げです。ここにいるよりマシかなと思って、行くことにした。いじめからも逃れられるし。でも、転校先でまたいじめられないか不安。

 深咲、学校でお昼食べるの一人になっちゃうね、ごめんね。

 落ち着いたらまた手紙書くね。

 今は電車の中。とにかく深咲に伝えたくて。駅に着いたらポストを探して投函するつもり。電話にしたらよかったんだけど、なんとなく手紙にしたくて。

 じゃあ、またね。


                  *

挿絵(By みてみん)


 庭の山茶花が桃色のつぼみをたくさんつけていた。咲いていくのを待ちわびている。今朝、庭に出て、やっと半分ほど開いた花を見つけた。薄桃色の八重の花弁。その内側は透き通るように白い。天鵞絨のようになめらかな花びらに光る朝露。一粒の水滴。梅の木が落とした枯葉を熊手で集めるその手を休めて、しばらく見入っていた。朝の庭掃除を怠って、いつまでも眺めていたいほどだった。

 表から私の名を呼ぶ兄の声が聞こえた。もう来たのか。思っていた時刻より早い。

 兄は数日前に突然電話で連絡してきて、娘をしばらく預かってほしいと言ってきた。

 数年前から兄嫁はアルコール依存で、この頃はいっそうひどくなり、それが原因で娘との関係が悪化したという。母親と離れて暮らすのが娘のためになるので預かってほしいと、早口でまくしたてた。この十年、まったくこの家に近寄らなかったのに、調子よく頼み込もうとするのが、いかにも兄らしい。

 孫のためならと父母は快く了承した。私に異存があるわけなかった。

 もう一度、表から私の名を呼ぶ大きな声が聞こえて、私は通り庭を駆けて玄関へと急いだ。格子戸を開けると、見ないうちに顔を髭だらけにした兄の後ろで、おさげ髪の少女が顔をのぞかせていた。

「おはようさん。律ちゃん? うちのこと覚えてる?」

 姪の律子が以前、この家に来たのは、まだ彼女が小学生になる前のこと。よほど印象深くないかぎり覚えていないだろう。案の定、律子は首を横に振る。

「ほな、わしはこれで。仕事があるさかい。よろしゅう頼むわな」

 兄は律子を私に託すとすぐに去っていった。

「お父はんやお母はんにあいさつもせんと……」

 ため息をつき、思わずひとりごちていた。

 玄関に残された律子はボストンバックひとつを手荷物に、深々と頭を下げた。ちいさなふるえるような声でお世話になりますとあいさつした。

 常にうつむき加減で、少女らしい溌剌さに欠け、能面のように動かない表情。兄からの電話の後、律子が学校でいじめを受けていると父母から聞いたが、それも頷けるようなかよわさを感じた。

 律子を家に招き入れると、物珍しそうに走り庭(台所のある土間)の天井の高い梁を見上げていた。

「めずらしい? 昔の台所は換気扇なんかあらへんかったから、通気をよくするためにこれだけの高さが必要やったんやで」

 靴を脱ぎ、段差の大きい上がり框を上がる。次の間を通って、箱階段の前で立ち止まり、振り向く。律子はちゃんと後をついてきていた。急勾配の階段を上がって二階へ行く。

「二階が律子ちゃんの部屋。うちの道具も置いてあって狭うて堪忍な。一階はお母はんの内職用具と私の織物の道具でいっぱいやから、こんな部屋で申し訳ないけど、好きに使てな」

 二階は天井が低く、一階に比べて少し暗い。窓は虫籠窓。後からガラス窓を取りつけて、冬に風が入り込まないようにしてある。窓からは柔らかい光が部屋に差し込んで格子状に影を作っていた。

窓際には文机。部屋の真ん中には新しい布団がたたんで置いてある。壁際には真鍮の取っ手のついた古びた箪笥。元は母のものだが、もう何年も誰も使っていない。

 律子は部屋の隅に荷物を置き、部屋を一通り眺めた。箪笥の上の花瓶の花に目をとめた様子。昨日、蕾のまま活けた山茶花は花弁が開きはじめていた。

「お庭の山茶花が咲きはじめたから活けてみたんやけど。お庭見てみる?」

 律子が頷いたので、階段を下りて奥の間へ案内する。

 無口な子だと思った。挨拶をしたきり、ひとことも喋らない。

 奥の間の障子を開け放ち、縁側に出て庭を見る。咲きはじめたばかりの山茶花が、秋の終わりの寂しい庭を盛り立てていた。

「急に環境が変わってこれから大変やろうけど、家ではのんびりしてな。何も気にせんと自分の家や思てくれたらかまへんのやで」

 律子は頷き、奥の間の畳に腰を下ろし、庭を眺めた。安心したのか表情がすこし和らいでいた。私も隣に座って一緒に庭を眺めた。こんなふうに誰かと一緒に庭を眺めるのはずいぶん久しぶりのことだった。


                  *

 深咲へ


 ようやく落ち着いたよ。ここに来て今日で二日目。この家にはじめて来たとき、薄暗くて古めかしいけど、なんだかホッとしたんだ。自分の家とは違って開放感があるような気がする。廊下があって、小さな庭があって、襖や障子が開け放たれていて。玄関は格子戸で隙間から昼間の光が入ってくる。格子で隠されながらも隙間から外の様子が見えて、音が聞こえて、外の気配が内に入ってくる。開かれている感じが安心できる。家の中の乏しい灯りにも慣れてきて、むしろ落ち着く。

 家には祖父母と叔母が暮らしている。祖母は腰と膝を悪くしていて、杖なしでは外出できない。家の中では伝い歩きがやっと。それでも手は動くからと、若い時からやっていた和傘の内職をしているらしい。祖父は糖尿病を患っていて、腎臓も悪くしてしまい、週に三回、人工透析に通っている。そのため食事にも気をつけねばならず、叔母が祖父のために一人分だけ手作りしてるようだった。叔母はふゆ子さんて言うんだけど、何歳なのか聞けずにいる。父が四十五歳だから、四十歳くらいだとは思うんだけど、独身なんだよね。きれいな人なのに。

 家の玄関の土間に置いてある木製の織機で西陣織を織っているんだって。なんだか大変なお家みたい。

 急なことだったから、まだ転校手続きが済んでなくて一日中家にいるから、ふゆ子さんが機織りしているのを離れたところからたまに見たりする。でも、遠くからだとよくわからないから、すぐに座敷に上がって、ずっと裏庭を眺めている。今、庭はさざんかが花盛り。ひとりでぼんやりと庭を眺めていると落ち着くんだ。

 祖父母やふゆ子さんとはまだあまり話をしていない。食事のときに味はどう? とか、若い頃の父の話を祖父母がしたりするのを聞いているだけ。母親のことも学校でのことも父から聞いているだろうから、話しにくいんだろうな。私も面倒で黙ってる。家族みんなでご飯を食べるって変な感じがする。こそばゆいような面倒くさいような。家ではいつも一人で食べてたから。

 明後日から学校。行きたくないような行ってみたいような。期待もあるけど、不安もある。

 また手紙書くね。

                                 律子



 深咲へ

 

 学校へ行ってきた。またいじめられないかとドキドキした。深咲がいつも言っていたみたいに、顔を上げて胸を張らなくちゃと思ってたんだけど、できなかった。自己紹介の時、足元ばかり見てた。どうしておばあちゃん家に来たのかと訊かれて、答えられなくて黙り込んでしまった。ひそひそと噂するような声が耳について離れない。どうしよう。やっぱりダメだ。どこでもおんなじ。

 放課後、家に帰ってきたら同じ中学校の制服を着た男の子が、土間の上がり框に腰掛けて、親しげにふゆ子さんと話をしていた。その男の子が話しかけてきたので、少しは喋った。同じ学年だけど別のクラスで名前は文太っていう。おじいちゃんが俳優の菅原文太を好きだから付けられた名前だって笑っていた。部活は美術部で将来は織物を活かしたアートをやりたいらしく、たまにふゆ子さんの機織りを見に来て話をしていくらしい。明るくて屈託なく笑って気さくに話をしてくれる、感じのいい男の子だな、と思った。

 翌朝の登校時、ひとりで学校まで歩いている途中で、文太くんからおはようと声をかけられた。それで少し力が湧いてきた。昇降口で同じクラスの人におはようと挨拶したら、おはようと返してくれた。深咲以外の子とおはようのキャッチボールができるなんてね!

 でも、まだあまりしゃべれない。緊張する。やっぱりおしゃべりは苦手。

 深咲はどう? ぜんぜん返事をくれないからちょっと心配。それとも私の手紙のペースが早すぎるのかな? 深咲も手紙書いてね。

                                 律子


 

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