絆される話
使用お題「赤い糸」「神様の悪戯」「囚われたのは王子様」
「横山さん、偶然ですね」
語尾にハートマークやら音符やらが付きそうなくらいに甘い声を出した目の前の女に思わずため息を吐いた。何がどうしてこうなったというのか。
彼女は、別部署にいる仲のいい同期がかつて新人担当として世話をしていた後輩。名前は門田、とかいったような気がする。暗い茶色に染められ、ふんわりとカールする髪に、会社にしてくるにはいささか派手すぎるような気もするメイク。それでも人懐こい性格とそれなりに仕事ができることから、部署では重宝され可愛がられているのだという。方や、俺は入社して以来「生真面目一辺倒」で通っているほどで、そして自分でも十分わかっているほどにきっちりしていないと気が済まない面倒くさくてつまらない男だ。
そんな俺は、なぜかこの門田という女に付きまとわれている。
「お向かい失礼しますね」
食堂で昼休憩をとっていたところ、偶然はちあわせた彼女はなぜか質問ではなく断定の形をとって、二人掛けテーブルの真向かいに座った。
「カツ丼食べてる横山さんってなんかいいですねえ」
「すまん、言っている意味が全くわからないのだが」
「横山さんが好きです」
「あいにくそういう相手はいらない」
ぽやん、と弁当に手もつけずにこちらを見つめる後輩をぶった切る。それに対して彼女は毎回ふてくされたようにぼそりと爆弾を落とす。
「酔っぱらってあたしのことお持ち帰りしちゃったのは誰でしたっけ」
「……その件は忘れてくれと言ったはずだが」
「忘れてくれと言われてはいそうですかと簡単に忘れられるほど単純にできてないです」
苦し紛れの返答にも、彼女は一枚上手を行く。
「あーあ、あの時の横山さんってば……」
「そういうことはここで口にするんじゃない!」
焦ってたしなめて、一瞬静まりかえった食堂の中を把握して、初めて自分の声がかえって大きすぎたのだと自覚する。ああ恥ずかしい。
「……なんだ」
「横山さん、顔赤いですよ?」
「……少し黙っててくれ」
ああ自分ら悪しくない。そう、彼女と会ってから俺は「自分らしくない」。
***
彼女が言った通り、俺は確かに酔っぱらってこの女をお持ち帰りしてしまった。どうしてか、なんてよくわからない。当時の状況は覚えていないし、仮に状況を覚えていたとしても、同じ出来事に対して素面で思うことと酔っぱらって思うことでは雲泥の差があるのだ、少なくとも俺は。
とにかく隣の部署との合同の飲み会の次の日、朝いつもどおり自分のベッドで目を覚まして、ずきずき痛む頭と横ですやすや眠る彼女に内心パニックに陥ったのが2か月前のこと。これは神の悪戯なのか。いやそんなはずはない、混乱しすぎておかしなことを考えながらそっと布団を持ち上げてみると、彼女も俺も何も身に着けていない状態。ゴミ箱に収まるそれを目にして、やっちまったとうなだれた。酔っぱらえば人が変わるというが、まさか自分がこんな風に変わるとは思ってもみなかったので、少なからずショックを受けた。しかも、相手が派手な門田ときた。俺の好みはもっとおとなしくてつつましい女だったはずだ。数時間前どうして俺がこの女を家に連れ込もうと思ったのか、さっぱり思い出せないのだった。
「……あ、おはようございます」
とろん、と寝起きのとろけた顔のまま門田がニコリと笑った。
「……すまん、いや、その」
何と答えたらいいのかわからなくてうろたえていると、「まさか覚えていないんですか?」と苦笑された。
「……すまん」
「そうなんですか、じゃあ横山さん、付き合いましょう」
「待てどうしてそうなった」
あいにく俺は1年前当時の彼女ににこっぴどく振られ、それから彼女がほしいとは思っていないのだ。きっと昨日のことも、少し人恋しくなっただけで、決して彼女がほしいと思ったわけではない、はずなのだ。
「知ってますよ、彼女さんに振られたことも、今誰とも付き合いたくないことも」
なぜか少しさみしそうに目を伏せた彼女は、次の瞬間にはもう笑っていた。
「でも、私は赤い糸だと信じているので! これから十二分にアタックしたいと思います!」
「……勘弁してくれ」
こうして、2か月間、ことあるごとにこの門田という女は俺に付きまとってくる。
***
「いいんじゃねえの、門田」
久しぶりに門田の先輩である同期と飲みに行くと、けらけらと笑われた。
「よくない……」
「あの子かわいいだろ?」
「……俺が好きなのはもっとおとなしいタイプだ」
「知ってる」
でもさ、と岡野はビールをあおった。
「お前そのタイプとは長続きしねえよな」
そういわれては、ぐうの音も出ない。
確かに俺は彼女といる時間よりもむしろ仕事をとる方の人間だとは自覚しているし、おとなしい昔の彼女たちはそれに文句を言うこともなく、ある日突然ほろりと泣き出して「もう限界だ、別れよう」と切り出すことがほとんどだった。あまり恋愛に向いていないのだと思う。
一番最近の彼女は最後の最後に爆発したようで、どこかの男と浮気した挙句「自分よりも仕事が大事な男なんて嫌だ」とわめき、日々の細かい気遣いやら下世話なことまで一つ一つ俺とその彼とを比較して去って行った。あれにはさすがに心が折れそうになった。だから、しばらく彼女はいらない、仕事に集中できればそれでいい。俺はそう思っていた。
「逆に門田みたいにぐいぐい来る方がお前には合ってると俺は思うんだよな」
それにさあ、と岡野はにやにや笑う。
「門田さ、お前のこと狙ってるって豪語してほかの女子牽制して、外堀埋めてるんだよ。というかもう俺とお前の部署、ほとんどのやつがお前らのこと生暖かく見守ってるんだよ」
感謝しやがれ、と笑いながら肩をたたく同期にぎょっとした。
「なんだよそれ聞いたことないぞ」
「あとはお前の返事次第で二部署公認カップルだからな」
「勘弁してくれ……」
「そういいながら横山、おまえあいつのことまんざらでもないだろ」
その言葉にとうとうむせて、ビールを吐きそうになった。鼻とのどが痛い。
「な、おま、」
「だからきっぱり跳ね除けられないんだろ、絆されてるなー」
さしずめ囚われの王子様ってか、と酔った岡野がげらげら笑う。
「横山は酔っぱらうと野獣化するからさ、門田も、お前酔わせて持ち帰ればいいのにな」
もうすでに持ち帰りさせられただなんて、ましてや1年前の決意が揺らぎ始めているだなんて、目の前で出し巻き卵をほおばる同期に言えるはずもなかった。
ああ、明日からどんな顔をして門田に会えばいいというのか。むしろ今までどんな顔で門田と向き合っていたのか。そう考えている自分がすでに「門田に毎日会うことが前提」という刷り込みを受けていることに気付いて、思わずテーブルに突っ伏した。