起の2
さて今夜だ、あのカラスが言うには、今夜三輪山の社で近隣の主達の集まりが有るらしい
俗っぽい話だけど、簡単に言い表すならただの酒盛りって事だ、大物主主催の飲み会。
あの蛇オヤジは、ご多分に洩れず蛇の性なのか何なのか酒が好きだ、思いついたら吉日と言わんばかりに
いきなり使いを寄越しては、近隣の妖怪や神を呼びつけて酒を飲む。
まぁ妖怪の類でも有る主達も酒好きなので特に不満は無いらしい、というかあのオヤジに呼ばれて
断れるのは、三本足のカラス婆さんか怖いもの知らずのスサノオ爺さんくらいだろうけど。
そして悲しいかな今まで散々無視したり逃げたりしていた俺だけど、今回は不意打ちのうえ
この山の主に任命されたと来たもんだ。ここまでして呼びつけて来るのだから
どうやら今回は逃げる事すら無理なんだろう。無茶苦茶な神様も居たもんだ、だからこそ今回は行くしかないんだろうと、自問自答の堂々巡りでまだ俺の心は憂鬱だ。
そしてそのイライラを目の前の岩にでも一撃入れて晴らしてやろうか、なんて思い、背伸び一つ起き上がると、遠くの山道のふと珍しい物が見えた。正確には珍しい者だ。
それは、もうどれ位もこの山で見る事の無かった人間の姿。
少し年を重ねた様にも見える顔の皺と顎の髭、体格はそれでいて貧相でなく
どちらかと言えばたくましい部類になるだろうし、何よりもその皺が入った顔の二つの目は、老いを
感じさせず、鋭い眼光で何かを探してギョロギョロとせわしなく動いている。
「見覚えのある雰囲気だ」と、口に出して思った。そう、あんな風な人間を俺は知ってる、
あれはきっと猟師だ、しかも俺たちの様なモノを狙う妖怪を狩る猟師だ。
俺を狩りに来たのか?にしては不用心だろうし今の俺は奇しくもこの山の主なのだ。
あの蛇オヤジが勝手に言ったのかどうなのかは知らないが、少なくともカラスの使者が来るって事は、
正式に俺は土地を守る主に名を連ねて居るんだろうし、猟師が主を狩る事は決してない。
彼等は山に入る前には必ずその山の神社に行き、断りを入れてから山に入るからだ、そして山の入り口でも、少なくとも酒の一本はその山の主に供えるのが礼儀だし、それをしない者は妖怪を狩る事が出来ない。 そういう習わしが昔から守られている。それが大昔からの神と人の契約で約束なんだ。
つまりだ、、、、、、
あの人間は俺が居る事を知らずに、俺に断りもなく神の許しもなく、この俺の山に足を踏み入れたのだ。
それはそのまま、俺の好きにしても良いって事になるんだな、これが。
とは言ったものの、雰囲気がそうで有るだけで何もあの人間が妖怪を狩らなきゃ良いだけの話。
ただの猪や鹿狩りかもしれない訳で、そんな人間を手に掛ければ今度はこっちが面倒な事になる。
人と妖怪は神様の仰せのままに、お互いのルールを律儀に守って今日までひっそり生きてきた。
しかし、だ。 俺には分かる、あいつはきっとそんな狩りをしにここに居ない。
あの目は鹿を追う目じゃない、そんな優しい目じゃ決して無い目だ、きっとあいつは。。。
そこでふとその視線の先で、何かがさっと駆け抜けたのを俺の目は捉えた。
薄汚れた銀色の毛皮、ふわりとした毛の尾、そして恐怖で垂れ下がった大きな耳。
「ん?あれって何だ?狐か?」と殴りつけようとして近寄った岩の上に俺は寝そべりながら呟く、珍しい毛並みだな、何てわざとらしい感想を言いながら更に俺はその姿に目を凝らす、ソレは確かに狐だ。
ただし銀の毛並みの狐の妖怪だろう、しかもかなり弱っているのがその汚れた姿から見て取れる。
ここで俺は無意識に口元が緩んで居たのに気づいて頭を一振り、涎とか出てないよな。
でもそれも許して欲しい、つまりあの人間は妖怪を追ってこの山に入ったという事で、つまり俺の許しを得ても居ないのに妖怪をこの山で狩ろうとしている。そして残念なことに俺はこの山の主であり。
今日の俺は偶然にも憂さ晴らしがしたい気分なのだ、ちょうどこの岩を殴りつけたい程度に。
「神様は良い事ばかりを与えてくれるんじゃないけど、たまには気を利かせるんだな。」




