結の4
白猪と狐は屋敷の奥に消え、山犬は一人
応接部屋に通されかれこれ1時間は待たされている。
いい加減この部屋で待たされるのも飽きてきた、
そう思いながら山犬は目の前の紅茶を啜る。
どうもこの紅茶と言うも物は馴染みが無く、山犬の
眉間にしわが寄る、それでも出されたのだから無下に
するのは失礼だし、何よりそれ位しかやる事がない。
山犬が慣れない紅茶を飲み干し、ふとの外を見ると
応接室の扉が開き、使いの男が入ってきた。
「御主人様が呼んでるらしいぞ、来い。」
何とも態度の悪い召使だ、服装はさっきから見慣れた
燕尾服だが、口には紙巻き煙草を咥え、紫煙を
天井に向けて吐き出している。
「分かった、案内してくれ。」
山犬はそう言って立ち上がる、それと同時に
召使の男は背を向け、口に咥えた煙草を
左手に持ち、煙草で廊下の左を指す。
「案内も何もこの廊下をまっすぐ進んだ先の部屋だ。
迷う事もないさ、見ればすぐ分かる部屋だ。」
そう言うとまた煙草を咥え、掌をヒラヒラさせながら
反対の方向に歩いて行った。
「主人が主人なら。召使もああ成るものなのかねぇ。」
紅茶を飲んだ時以上に眉をひそめ眉間に皺を寄せる山犬。
「さて。こっちか、、、それにしても何とも。」
何とも、この屋敷の中に入って無駄な装飾の多さに
山犬は何度も目かの言葉をこぼす。
扉や窓の装飾に、これでもかと金箔を使い、
足元にはふわふわとした毛足の長い絨毯、
壁にかけられた絵は海向こうの画家の物だろう、
価値は分かりはしないけれど。きっと山犬達が
知らないだけで、価値が有る絵なのだろう。
猪神と言うだけで野蛮で粗暴だと思っていたが、
大和と違いやはり何かが進んでいる。
その扉は確かに一目見て分かった、一際豪華な装飾と
重々しい重厚感がこの扉の奥の主をそのまま表している。
その扉の前に立つと山犬の喉が乾いた音を鳴らす
気配などという曖昧な物では無く、確かに
空気が、空気の質量が重い。
呼吸一つ一つがまるで肺に詰まるようだ。
この扉の向こうの存在がこの空気の元凶で、
この扉の向こうには、確かに神の獣が居る。
「どうした、入って来い。」
扉の向こうから声がした、それだけで
自分の腕が自分の意志ではなく、扉に手をかける。
それはまるで、自分の体が声の主に命令されて、
自分の意思を無視して動くように。
ギイィ。
扉が軋みの声を上げ開く。
「失礼する。」
開かれた扉の向こうで声の主、
この屋敷の主、この山の主が腕を組み、
西洋風の長椅子に座り腕を組んでいる。
「座るがいい。」
立ち上がる事も無く、迎いの椅子を顎で指す。
山犬はゆっくりと進み言われた通りに座る。
山犬が座ると白猪は忌々しげに、
「まずは礼を言ってやる、よくやった。
わしの言った通りに動いただけだろうが、
大和の蛇との事だ、形だけでも礼言ってやろう。」
フンと鼻息一つを最後に付け加える。
山犬は無言で頭を下げる。
そうして頭を下げたまま、
「ところで、白猪どの。私の方からも
二三申し上げる事が御座います。」
頭を下げたままで山犬は口を開く。
その口調は硬質な刃。
その言葉は明確な敵意。
その思いは友の名誉のため。
「まず、今回の件で罪人と言われた。
我が友、山猫の事で御座います。」
山猫、その名を聞いて白猪の表情が曇る。
「まずは一つ。山猫が治める山を、
そちらの手の者が不作法に、許しも無く入山した件。
さらには、その山で争いを起こし。さらにさらに、
恐れ多くも、使いの身分で在りながら、山の主に
刃を向けるその所業。断じて容認出来かねます。
それをかんがみれば、今回の天狐様の件。
山猫の取った行動と、伊吹の者の罪。
双方を天秤に掛けまして、考えれば。
いささか山猫に対する罰が重い。
そうは思いませぬか。」
山犬は一気にまくし立てる。
ここぞとばかりに、今の今まで溜めに溜まった思い。
その全てを白猪にぶつける。
納得などしては居なかった、割り切ってなど
居なかった。ただ役割を果たし、友の首を刎ねた。
悲しかった、苦しかった、それでも。
友は自分に言ったのだ。
「俺の首で手打ちにしてくれ。」
大切な者を思った友は、
大切な者を守るために。
自分に首を刎ねろと言ったのだ。
ならせめて、せめて。
「山猫を許して頂きたいとは言いませぬ。
せめて、今回の天狐殿の件。
山猫の首で大和と伊吹の手打ちとして頂きたい。」
せめて友の願いを叶えてやる。
それ自分の役目なのだと山犬は思ってここまで来たのだ。
せめてこれ以上この嵐が大きく成らぬように。
そして、友の首が無駄に成らぬように。
言い切った山犬が頭を上げ白猪を見る。
しばらく白猪は無言で眼を閉じ。
そうして口を開いた。