UFOボーイ
夢を見た。
夢の中には少年がいて、そいつはUFOの帽子を被っていた。
頭には母艦とも言える大きなUFOを載せて、そこから紐で小さなUFOが何個も垂れ下がっている。
少年が手のひらにあるスイッチをカチリと押すと、母艦のUFOが眩い光を放ちだし、色とりどりの光線を出す。ヒュイイィィーーーーーーーーーーーーンと甲高い音が鳴り始め、母艦UFOは高速で回転しだす。紐に繋がれた小型UFOもヒュンヒュンと頭の周りを回転する。
ヒュンヒュンヒュンヒュン、母艦も小型も音と光を撒き散らしながら高速回転。少年は誇らしげに、いたずらが成功した子どものような笑顔を浮かべて僕を見る。
「ねぇ、お兄ちゃん。いいこと教えてあげようか」
少年は僕にそう訊ねる。もちろん、教えてくれ。
「それはねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
僕はそこで目が覚める。
◇
目が覚めると、それはいつも見ている風景だった。
いつもの自分のベッド、そして天井。横にあったスマホを見ると、時刻は11時過ぎだった。いくらなんでも寝過ぎだった。昨日は何時に寝たっけ?
それにしてもおかしな夢だった。なんなんだあの少年は? マジにぶっ飛んでたぜ。ずいぶんイカした帽子を被っていた。ハリウッドの映画に出てたら、一発で観客に覚えてもらえるインパクトがあったね。
あのUFO帽子の特許が欲しいくらいだよ。僕が理系の人間だったらそうしたかもしれない。開発するんだ。でも僕は理系ではないし、面倒くさい。
自室から出てリビングに行くと、Nが遅めの朝食か、早めの昼食を食べていた。目玉焼きとトーストを焼いたもの、簡単なサラダというメニューを見るに、遅めの朝食の可能性があった。
「おはよう」僕が声をかける。
「おはよう」Nはトーストを囓りながら挨拶を返す。
「なぁN、飯を食ってるなら僕の分も一緒に作ってくれればよかったじゃないか」
「朝起きて、開口一番に俺への文句か? 目玉焼きならお前の分は冷蔵庫に入ってるよ。サラダも入れてる。トースト焼いて食べるんだな」
Nくんは僕の分の朝食も作ってくれていた。優しいやつだ。ありがたいね。
Nは僕と一緒にマンションに住んでる同居人で、ルームシェアをしている。もっとも、お互い個室にいることが多いので、そんなにストレスにはならない。僕と同い年であり、金髪。やや肥満の傾向あり。しかし意外に面倒見がよく、気の利くやつで、可愛くて優しそうな彼女さんがいる。最初紹介された時はかなりたまげた。なんだってNと付き合ってるんだ? と思ったよ。
僕とNは地元を離れて一年ほどこっちに住んでるけど、Nはその彼女さんともう九ヶ月も付き合っていた。いまだに仲良くやってるらしい。恐るべき男だった。
「なぁ、夢をみたよ」
僕はトーストを囓りながらNに話しかける。
「夢? なんの夢だ?」
「UFOボーイが出たんだ。で、いいことを教えてくれたよ」
Nはもう飯を食い終わっていてスマホを弄っていた。彼女とLINEでもしてるのかもしれない。
僕はトーストと蜂蜜バターのコラボを楽しみながら、ぼんやりとNを眺める。そして返事を待つ。
はぁ、と小さいため息をつきながらNが答える。
「お前とはさ、短くない付き合いだけど、何考えてるのかわからない時があるよ。UFOボーイってのはなんなんだ?」
「UFOボーイはUFOボーイだよ。夢に出てきたんだ。でもってさ、海行きたいんだけど車出してもらえないかな? ちょっと乗せて送ってってよ。今日は僕も久しぶりに休みだし、Nも休みだろ? それとも用事とかある?」
もしゃもしゃサクサクトーストを食べる。もう二枚目に突入していた。トーストが美味しい。
「急に海に行きたいってのはどういうことなんだ?」
「夢からのお告げってやつだね」
「お前のその夢見がちなところは悪い癖だぜ」Nはそう言いながらまっすぐ僕を見る。「いつまでそんなことを言ってるつもりなんだ? 彼女でも作ってみたらどうなんだ? 知り合いの女の子でよかったら紹介するけどさ」
「ごめんだね、彼女。ごめんだよ。いまは時期が悪い。そんな時期じゃない」
「あのな」と、ゆっくりと、諭すようにNが言う。「お前の時期ってのはいったいいつなんだ? この前もそう言ってたじゃないか。そうやってジジイになるまで時期が悪いって言うのか?」
「彼女が欲しくて、誰かと付き合うってのが嫌なんだよ、僕は」
僕とNの間にしばし沈黙が降りる。そしてNが続ける。
「お前はさ、最初からいろんなものを求めすぎなんだよ。何か、完璧なものを求めてるんだ。いいじゃないか、理由なんてどうだって。なんとなく付き合って、合わなかったら別れればいいんだ。相手がどんな人かなんて、最初から分かりはしないさ。そうやって少しずつ分かっていけばいいじゃないか」
「そうやってさ、合わない、別れる、合わない、別れる、なんてのが嫌だね。今回の人は合わなかった。別れる。今回の人は合わなかった。別れる。そんなこと繰り返してくのが疲れちゃうよ。そりゃさ、なんにも誰とも付き合わないより、ちょっとでも誰かと付き合った方が世界が広がったり、自分にとってもいいことなのはわかるさ。結果だけが全てじゃないしね。その上、相手にも何かいい影響でも与えられたらいいとは思うよ。それに、悪い事態からでも学べることはある。こうやってボーッとしてるよりはいいかもね。でもさ、疲れちゃうよ。僕はなんだか嫌になる。そんな生き方は」
Nと話しているうちに、僕はトーストも目玉焼きもサラダも食べ終わっていた。そしてNもスマホを弄るのをやめていた。なんだか、食べた気がしないよ。
UFOボーイ、助けてくれ。UFOボーイ、どこにいるんだ?
「海に行くんだったよな」Nはポツリとそう言う。「もう行くのか?」
「いや、できれば日が暮れる頃に行きたいんだ。日暮れの海に行きたい」
「いいよ、いいよ。俺は彼女と会う予定だったけど、急におじゃんになった。どうせ暇だし、お前を乗せて海まで行くよ」
「悪いね、N。君になんであんな可愛い彼女がいるのかよくわかったよ」
「おだてても何も出ないぜ」Nはそう言いながら自室に戻ろうとする。
でもさ、これはまったくの本心だぜ。僕には過ぎた同居人だよ。
「僕もちょっと出かけてくるよ。帰ったら乗せてくれ」
「あいよ」
ばたん、Nの自室のドアが閉まる。
◇
僕は公園に来ていた。自宅マンションからそれほど遠くもない公園で、なかなか広く緑も多い。僕はここに来るのが好きだった。途中コンビニでドリップコーヒーを買ったので、ベンチに座ってそれをゆっくりと飲む。
まだ幾分肌寒かったけど、空は晴れ渡り陽の光が公園に降り注いでいた。暖かな春の昼下がりだった。僕はただのんびりと、頭をからっぽにしてコーヒーを飲む。
正直言って、僕はずいぶん疲れていた。心も体も疲れ切っていた。ここ最近のゴタゴタが僕から活力を奪い去っていた。身体中の細胞という細胞が、疲れの原液のようなものに浸かっていて、僕を構成する何もかもを芯の部分から疲れさせていた。疲れというものが、僕という形を取って存在していたに過ぎなかった。疲れたよ、本当に疲れてたんだ。
結局のところ、そのゴタゴタは僕自身のゴタゴタした部分が引き起こしたにすぎなかった。僕という人間の混乱が、僕の周囲を混乱させていたのだ。でも、もう終わったことだ。
ただ陽の光を浴びる。暖かな、その光を。
僕は日光を浴びていると、よく聖書の一節を思い出した。「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」という一節だ。僕は聖書をきちんと読んでるわけではないが、この一節はなんだか好きだった。
誰かを嫌いになりそうな時、人を信じられなくなった時、この一節のことを考えると、少しだけ寛容な気持ちになれた。神は慈悲深い。別に神を信じてるわけではないけどさ、でもまぁ、平等に降り注ぐ日光のことを考えると、少しだけ僕の偏屈さも和らぐ。
ただ、陽の光だけが暖かかった。僕はコーヒーを飲む。
そうやってボーッとしていると、電話がかかってきた。
ブーブーと、僕のポケットでバイブレーションがなる。画面を見ると、地元の女友達からの電話だった。僕の数少ない友人の一人だ。
「もしもし」僕はそう言う。
「もしもし、元気にしてる?」彼女はそう言う。
「もちろん。元気だよ。僕から元気を取ったら何も残らないくらいだね」
「それはあなたが元から空っぽだからよ。だから何も残らないの」
「そうかもね」僕は笑う。「それで、どうしたの、急に?」
「べつに、ただ電話しようと思っただけ。あなたいつも死にそうだから」
「失礼なもんだよね。僕は元気だって言っただろうに。どうしようもなく元気だよ。今公園でコーヒーを飲んでる。天気もいいよ。暖かな午後のブレイクタイムさ」
「君って、いつまで経っても変わらないわね。十年後もそんなこと言ってるの?」
「それは僕の知るところじゃない。十年後の僕に聞いてくれ」
「そうできたらいいわね」
少しの間、僕も彼女も沈黙する。
そして、彼女が僕に訊く。
「ねぇ、もうあなたがそっちに行って一年が経つわね。悪くない、そっちの生活は?」
「…………悪くないよ、ここでの生活は悪くない。新鮮なものだよ。地元を離れていろいろ学んだこともある。でもさ、その話をしていいかな?」
「どうぞ」
彼女はそう言って、僕が話すのを待つ。少しの間、僕は自分の考えをまとめる。
「僕がこっちに来た時、これから世界はどんどん良くなるんだって思った」
沈黙。考えをまとめる。
「地元を離れて、こっちに来て、僕は自由だと思った。なんでも出来ると思った。実際にそうだったよ。僕は自由だったし、やろうと思えばなんだって出来た。でもさ、僕は結局何もやりたくなかったんだ」
沈黙。
「こっちに来れば、何か楽しいものでも見つかると思った。今までとは違う自分になれると思ってた。でも結局、僕は僕でしかなかった。地元にいる時も、こっちに来てからも、僕がやってることなんて大差ないんだ。何も変わらなかったよ」
少しコーヒーを飲む。
「でも、それでも変わったところはあるよ。それに一つ分かったよ。僕はこの先また別のところに行く予定だけどさ、そっちでもこのままじゃ何も変わらない気がする。今ここで楽しいものを見つけられなかったら、別のところでも見つかりそうにないね。それがよく分かったよ。人間、住む場所が変わったくらいじゃ、変わらないものもある。このままじゃ僕は何も変わらないかもしれない」
話はそこで終わる。僕も彼女も、お互い押し黙ったまま、どうしていいかわからずに、言葉を探していた。
「ねぇ、でもさ、よかったよ、君が元気そうで」
彼女がそう言う。
「だから言ったろ? 僕から元気を取ったら何も残らない」
「その通りね。そっちでの生活、うまく行くといいわね」
「そうだね」
「何か素敵なものが見つかればいいと思う」
「探す意思さえあれば見つかるよ。ここの公園は素敵なものの一つだぜ」
「さよなら」彼女がそう言う。
「さよなら」僕もそう言う。
電話が切れた。
◇
日が暮れる頃に帰ると、Nが僕を待っていた。
車に乗って僕もNも出かける。運転はNがする。これはNの車だし、僕は運転をするのは好きじゃない。
目的地の海はここから三十分ほどの場所にある。
僕もNもとくに話をしないままだった。車の中ではラジオの音だけが響いている。DJが、この土地の方言について書かれた本を紹介していた。僕はとくに何もせず、窓の外を見ていた。
三十分すると、車は海の近くに着いた。コンビニの前で降ろしてもらう。ここから三分も歩けば海岸に着く。
Nに一時間後に迎えに来てくれと頼んだら、「いいよ」と言って僕を降ろしてくれた。
「なぁ、海で何するつもりなんだ?」Nは僕にそう訊ねる。
「とにかく海に行けと夢のお告げであったんだよ」
僕がそう言うと、Nは呆れた顔で車を出して行った。
コンビニで飲み物を買って、僕は海辺に向けて歩く。
歩きながらぼんやりと考え事をする。最後に海に来たのはいつだ? たしか、地元にいた時だ。友達の一人と海辺を散歩した。あいつは元気にしてるのか?
波打つ音が聞こえる。もう海辺は近い。防波堤が見えてきた。ちょうどベンチがあったので、僕はそこに座ってペットボトルのお茶を飲む。波の音と、潮の香りがあった。もう日は暮れていて、空には星が輝き出している。
お茶を飲みながら、僕はぼんやりと宙を眺め、その闇を見つめる。
夢の中のUFOボーイは、いいことを教えてくれると言った。「テレパシー」。それが少年が教えてくれたいいことだった。そして海に行け、とも言われた。
波の音が聞こえる。昼は暖かかったのに、陽が落ちると寒いものだった。もう一枚上に着てくればよかった。
UFOボーイ、僕の声が聞こえるか? 君に届いているか? テレパシーってのはあるものなのかい? あんなイカした帽子はどこに売ってるんだい? 素敵だったね、あれは。
取り留めもなく、僕は心の中で呼びかける。
N、N、N。お前は聞いたことあるか? 世界が終わる音ってやつを。僕はたまに聞くよ。パキパキパキパキ、僕の耳元で聞こえてくる。世界が少しずつ終わろうとしている。少しずつ僕を押し潰そうとしている。僕はどこにも行けないんだ。パキパキパキパキ。
そこにはただ、波の音と暗闇だけがあった。