2話目
――――が、言うまでも無く、話しはそう美味くいかなかった。
何故なら芳美はアニメの主人公ではなく、かと言って映画の主人公でもなく、ただの方向音痴の女子高生なので。
「ワ、ワン公ォ。信じてたのに。信じてたのに~っっ。恩を仇で返すなんて、所詮あんたは野良公だよっ ! 」
背負っていたリュックを胸の前で抱え、ここには居ない犬に悪態を付く。
芳美の居る場所は、右を見ても、左を見ても、初めて見る建物ばかり。余所余所しささえ感じる見知らぬ土地だ。
もう、どの方向から来て、どちらへ進めば良いのかすら皆目見当も付かない。自分の立っている現在地すら見失った。
早い話、恩を売った筈の犬に置いて行かれた訳だ。
方向音痴が。見知らぬ土地で。
先を急ぐ芳美にとって、それは由々しき事態だった。
「どうするよ、私。こんな時は交番か ? でも、交番って・・・・・・・・・・・・どこ ? 」
よてよてと歩く足に疲れを実感して、どこかで少し休もうかと思った瞬間。
――――カシャ、カシャ、カシャ、カシャ、カシャ
「っ !! 」
強烈な感覚。耳の中の違和感が我慢出来ないほどに大きくなった。本当に中で何かが蠢いているようだ。いや、これは確実に居る。何かが。
震える芳美は手の平で耳を押さえ、堪らずその場にしゃがみ込んだ。
そして暫らくそのままの姿勢で固まり、収まるのを待つ。いつもと同じなら、波が引く様に違和感は段々と小さくなってくる筈。
予想通り、時間にすると数分後。蠢くような胎動は少しずつ沈静化していった。
「はぁ、はぁ・・・・。こ、今回は凄かった」
芳美は深く息を吐き強張っていた体の力を抜くと、ゆっくりと顔を上げた。
「あ・・・れ・・・・・」
すると突如、目に艶々とした美しい漆塗りの箱が飛び込んでくる。まったく趣味では無い筈なのに、何故だかそれから目が話せない。見詰め続けていると、ぼんやりと頭に霞が掛かり、思考が緩慢になっていく。まるで眠りに入る直前のような状態。その白む頭に、はっきりとした思考が流れ込む。
ソれ、それ、箱、箱、箱、ハコ、はこ。
どこかで誰かが「あれ」を手に入れろと言っている。
その声に突き動かされるように、芳美は手を伸ばす。そろそろと何かに憑かれたように。
おお、よし。
おお、よし。
ああ、うれし。
心からそれを待ち望んだ。長い時間、ずっと。ずっと。今までこれほど離れていた事は無い。寂しかった。苦しかった。でもそれも、もう終わるノだ。ああ、うれしい。またやっと一つにーーーー・・・・
「----あっ」
無念にも手は、念願の箱を摑む事が出来なかった。無粋なガラスの壁に阻まれたのだ。口惜しい、何だこれは。
苛立ち、透明な壁に手を付いた。するとそこから、冷やりとした冷たい感覚。神経を刺激し、体中に伝わる。そこで芳美は「あれ ? 私、何を考えていた ? 」と、我に返った。
混乱する頭をふるふると振り前を向くと、箱は変わらない姿のままショーウィンドウの中に。
それはそうだ。こんな高価そうな物が道端に落ちている訳が無い。自分は、箱に気を取られていた余り、ショーウィンドウの存在が目に入っていなかったらしい。「でも、何だってこんな箱に・・・・」芳美は腑に落ちない気持ちを抱えたまま立ち上がると、少し後ろへ下がり目の前のショーウィンドウの取り付けられた建物の全体像を眺めた。
そこは店舗の様で、煤けた看板には『緋錆庵』とある。見た感じ、どうやら骨董店らしい。
くすんだ看板。くすんだ塀。赤みを帯びた屋根すらくすんでいる。レトロ感を出すのを狙っているのだろうか。だが芳美にはレトロと言うより、ただ単に古いだけ、手入れをしていないだけの様に見えた。
「今日は、お休みなのかなぁ。んー、それとも廃業してる ? 」
芳美がしゃがみ込んでいた所には、縦に長い破目殺しのガラスがあり、ぼんやりと辺りの風景を写し込んでいる。だが、そこからでは店の中を窺い知る事は出来なかった。中はかなり暗く、窓際に置いてある例の漆の箱位しか形を結ばない。その奥は闇だ。奥行きすら把握できない。
「電気が点いていないって事は人が居ない、閉まっているって事だよね。何だ、つまんないの」
ドアにふらりと近付く。青々とした蔦が触手を伸ばし絡まる寸前のそれは、赤だか茶だか分からない色をしていた。朽ちる一歩手前といった所か。そしてそのドアの取っ手には、OPENの文字の掛かれた看板が無造作に紐で引っ掛けられている。
(ひゃぁー、営業中なの ? これで ?! )
こんな状態で店主はヤル気があるのだろうか。そこいら中、ガタがきている店構えを見ると甚だ疑問だ。もし私がこの店のオーナーなら、もう少し上手くやるのに。勿体無いなぁ。
なんて勝手な事を考え、その場を離れようとすると『カララン・・・・』ドアベルの軽やかな音と共にドアが開く。だが、開いたと言っても精々、握り拳二つ分位の隙間。
その隙間の向こうに人影らしき物は見えず、はて ? と思い、何気に視線を下に下げると、そこに黒猫。闇を切り取ったような墨色の猫が居た。
猫は音も無く、するりとドアの隙間から頭を出して芳美を誘う。
「ナァ~」
こっちへおいで――――と。
「えっとぉ・・・・・・・・今度は、猫、ですかぁ」
金のガラス玉の様な目を上向ける猫を見下ろし、芳美はさっきの恩知らず犬を思い出していた。
今日はやけに動物と縁がある日だ。犬に連れられ、猫に誘われ。これでは本当にアニメの展開ではないか。いや、この場合は童話だろうか。出て来るのは可愛い動物だけだし。
「ナァ」
「え、本当に来いって言ってるの ? この中に ? 」
「ナァ」
もう一度、黒猫が芳美を呼ぶ。
その舌ったらずの泣き声には、どこか無視出来ない愛らしさがあった。動物全般が好きな芳美には抗えそうも無い誘惑。もう既に、あの美しい毛並みに触りたくて仕方が無い手が落ち着かなくなって来ている。わきわきわきっと。
「ナァ」
「まっ、待って」
大人っぽい黒毛には不釣合いなほどの甘い声。まるで何かを企むように響く。
芳美は暗示にでも掛けられたかの様に、ふらふらと黒猫の後に続いた。そして、誘われるがまま店の中に足を踏み入れ。
――――カララン・・・
「わぁ・・・・」
芳美は入って直ぐに首を巡らし、店の中を見回す。
中は真っ暗だとばかり思っていたのだが、置かれている物が何とか確認出来る位には明るさが確保されていた。よくよく見れば、所々に明り取り用の小窓があった。まぁそれも、実用目的の物ではないので、あくまでも気休め程度の光しか入っては来ないようだが。
多少、暗がりに目が慣れてきた芳美は、ぼんやりとした明るさの中、目を凝らし周辺を観察し始めた。
そこかしこに古ぼけた茶碗や、蓄音機、ランプ、豪奢な化粧箱に絵画、それらが足の踏み場も無いくらいに散乱していた。その無造作に置かれた物達に統一感というものはまるで無い。
オルゴールが付いているらしい宝石箱の隣に何故か大振りの、こけし。とか。 白い帽子をかぶる金髪少女の油絵の隣に何故か、漬物石(見た目それにしか見えない)。とか。
この店のコンセプトが分からない。もう少し陳列の仕方を考えるべきだ。これでは物が混沌とし過ぎていて、商品がガラクタにも見える。客として訪れた人は困ってしまうだろう。
芳美は近くにあった陶器製のアヒルの頭をそっとなぞり、表面に付いた埃を落とした。
「・・・・・・・・でもまぁ、骨董屋さんなのには間違いは無いんだよね」
「んーーーおしいっ ! 残念でした、ハズレだよぉ」
「ふへっ ?! 」
呟いた独り言に返事を返され、まさに飛び上がらんばかりに驚いた。もう少しで黄色い悲鳴が飛び出すところを咄嗟に飲み込む。いっきに体が緊張し、束の間、耳の事も忘れた。
「ふふふ」
目を白黒させ心臓をばくばく言わせている芳美に、暗闇の向こうから又も誰かの声が掛かる。
低く艶のある美声。何だか腰の辺りがムズムズしてくる系の。
「よく間違えられるんだけど、ここは骨董屋じゃなくて古道具屋、なんだよねぇ」
なるべく間隔を開けずに更新するために、あまり長くならない様にしようと思います。
ただ今、三人称のお勉強中で御座います。