青蓮&赤くてしわしわの……
【赤くてしわしわの……】を追加
「ああ、肩が痛い。腹が減った」
やっと大きな町にたどり着いた。
魃はおっかなびっくりと言った感じで黒義の腕にぎゅっとしがみつき、彼の背に隠れながらも、きょときょとと、大きな建物や人々、市場に売られているさまざまな品々を見ている。
無理も無い。彼女が知っているのは、枯れた大地と彼女を追う人々だけなのだから。
迷子になるよりかましとはいえ、こんなに力いっぱい腕を掴まれたら、動きづらいし、肩の痛みが増すし、爪の型が付いてしまう。
「ベールと傘と、雨衣。おっ、包子か。おっさん二つ」
黒義はおっさんから出来立ての包子を受け取ると一つかぶりついて、もう一つを魃に差し出す。
だが、湯気が立っているのが嫌なのか、彼女は顔をしかめて首をぶんぶんと振る。
「おいしいのになぁ」
道中、記憶が無いことと、寝食をほとんど必要としないこと、名前さえ無いことを聞き出した。
いくら寝食を必要としないとは言っても、あまり歩き慣れてはいないようで、魃の顔には疲れが浮かんでいる。
何か、彼女が食べられそうなものは……。
ふと魃が色とりどりの干し果物が山盛りに積まれている屋台をじっと見ていることに気づいた。
「柿に苺に、林檎。杏に、スモモ、ついでに葡萄。遠い南国の鳳梨(パイナップル)まで。おいしい果物なんでも揃っているよ」
店主が変な節の歌を歌って客の呼び込みをしている。
「あれが良いか?」
彼女はためらったような顔をして、軽く頷く。
それを確認して、干し果物屋の店主に声をかける。
「一つ、味見をさせろ」
魃は店主が渡した試食用の小さな端切れを、慎重にちょびりと齧って目を丸くする。
「おい。食べられないなら、無理するな」
黒義の言葉に魃はふるふると首を振る。
青かった顔に、血の気が戻った。
黒義はほっと一息ついて、店主に言った。
「詰め合わせで一袋」
☆
「おい、食べ過ぎると歯が痛くなるぞ」
上機嫌に大事そうにちびちび齧るがいかんせん食べる速度が速い。
二十歩も歩かないうちに、もう二つ目に手を伸ばしている。まるで栗鼠だ。
(名前……。街中で魃って呼ぶのもなぁ)
だが、名前をつけてしまっては、もしもの時に決断が鈍る。
魃は注意されて、わずかばかりの間、食べるのを我慢していたようだが、考え事をしている隙に小さい干し葡萄を手に持っている。
黒義が袋を取り上げた。……ら、魃は背を伸ばして、袋を取り返そうとする。
「そんなにあるのですから、もう一つくらい良いじゃないですかぁ~」
「この調子で食べたら明日には一つも残っていないぞ。こら、くっつくな!」
(いかん。いかん)
菓子袋一つに真剣になる彼女の姿と服越しに伝わる熱に一瞬、くらっとなった。
(こいつに気を許すのはまだ早すぎる。思い出せ。一つ目の恐ろしい姿を)
女妖怪に騙された男も見てきたし、黒義自身妖怪を信じてひどい目に遭った事もある。
……はずなのだが、結局、菓子袋は魃の手に戻った。
☆
「きれい」
傘屋には、編み笠や蓑。雨衣など雑多な雨具が所狭しと置かれていた。
その中でもやはり魃の視線は油紙傘に向かっていた。
美しい油紙傘は彼女の青絹とよく合いそうだが、値が張るし、とても華奢で、長旅には少々不向きだ。
一応、黒義は丈夫そうな編み笠を一つ買っておいて、色とりどりの傘を指差した。
「この中から好きな傘を選べ」
魃は並んでいる傘を真剣に見比べ、水色の油紙に鮮烈な青い蓮が描かれている傘を選んだ。
☆
「お前の名、『青蓮』でどうだろう?」
約束の青の雨衣と面紗も買い揃え、宿屋に向かう途中、黒義は思いついたことを口にした。
先ほど見た青い蓮が頭の中から離れなかった。
彼女に名をつけるなどまだ早すぎるとわかっているのに。
「私は魃ですけれど?」
「街中で、その名を呼ぶのは好ましくない」
魃の顔が曇る。たとえ人間に忌み嫌われる名でも、気づいたら枯れ果てた大地にいた彼女が唯一持っていた大事な『名』だ。
「『魃』は妖怪の種類だ。お前を『魃』って呼ぶことは、お前が俺を『人間』って呼ぶことと同じだ。俺は確かに人間だが、『黒義』って立派な名前があるのに『人間様、干し果物買って』なんて言われたら戸惑う」
魃はやっと納得して、頷いた。
「わかりました。ところでなぜ『青蓮』なんですか?」
「そうか。蓮なぞ見たことないか。その傘に描かれているのが『蓮』だ。嫌なら他の名にしたらいい」
「いえ。こんなきれいな花の名をいただけるなんて、とても嬉しいです。ありがとうございます」
青蓮は鈴のように可愛らしい声で、礼を述べた。
本当に嬉しそうに、それこそ華のような笑顔を浮かべて、彼女は自分の名を呟いた。
「『青蓮』」
☆
「青蓮」
完全に寝入ってしまった妖怪の黒髪を一撫でして彼女の名を呼ぶ。
町にたった一日滞在するだけで、一ヶ月雨が降らないようなら、可哀相だがこの妖怪を始末しなければいけない。
魃は睡眠をさほど必要としないとはいえ、完全に不要では無い。昨夜の野宿の時もうとうとと舟をこいでいたし、今現在も黒義の隣で幸せそうに寝こけている。寝ている隙に、扇で扇げばひとたまりも無いだろう。
青蓮に名を与えたことを後悔するような未来が訪れないよう願いながら、黒義は眠った。
☆赤くてしわしわの……☆
「これも干した果物だ」
青蓮は朝ごはんの席で、真っ赤で小さくてちょっと皺が多い果物が乗った小皿を黒義から渡された。
干した果物と聞いて青蓮はそのまま渡された果物を齧ろうとする。
「ちょっと待て。そのまま齧ってもおいしいが、この果物は飯の上に乗っけて食べると、なおおいしいんだ」
なにやらにやにや笑みを浮かべいる黒義。
青蓮は首をかしげると、ご飯から湯気が出ていないことを確認して食事を始めた。
赤い果実をご飯の上に乗せて、干した果物を食べる感覚で、何の警戒心もなくその赤い果物の端を齧る。
「っ!?」
なんとも言いがたい変な味が口の中に広がった。人間なら水を飲んで味を薄めるところだが、青蓮がそんなことをすれば、体の中から溶けてしまうかもしれない。仕方ないのでご飯を掻き込む。
「ぷっ。ははは!」
「嘘つき」
目の端に涙を溜めた青蓮は噴き出した黒義を睨む。
「嘘は言っていない。それは梅という果物を干したものだ。お前の好きそうな砂糖漬けの梅干もあるが、干し果物を一つ残らず全滅させた罰だ。次からは俺の分も少しくらいは残しとけ」
青蓮は端をほんの少し齧った梅を小皿に戻す。いくら干した果物でももう食べる気はしない。
「おいしいのにもったいない。もらうぞ」
黒義は彼女が食べられなかった梅干を箸でつまみあげると自分の湯漬けの中に放り込んだ。
魃--干した果物が好物。ただし梅は除く。