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青絹の女  作者: くらげ
青絹の女
15/17

洪龍村

ここからかなり暗くなります。前半だけ青蓮の一人称です。

 洪龍村と言う村の存在を私達が知ったのは、もう五年ほど前--私達が結婚する少し前だった。

 いたち妖怪貂姫てんひめの息子に教えてもらってから毎年この時期にこの村に訪れている。


 この時期、この村は名前の通り龍が洪水を起こしているのではと疑うくらいの豪雨に見舞われる。

 魃である私は同じ所に長く留まるとその土地に旱魃を引き起こしてしまうが、この村なら……

 

「去年は三日後には雨が降ったらしい。今年は三泊して様子をみても良いかもしれないな」


 夫のその言葉にほっと息をつく。

 

 旅は嫌いではないが、やはりたまに一息入れられるところが欲しい。

 彼が熱に倒れた時など、宿の者に十分なお金を渡し、看病を頼んで、一人次の村に向かわなければならなかった。


 ずっとは住めなくても、せめて一週間泊まれるところがあれば……


「川の様子を見てくるから」

「気をつけて」


 夫を見送ったのと入れ替わりに宿屋の主人が茶とお菓子を運んできてくれた。


「部屋が整うまで、ちょっと待っていて下さいな。ご夫人」

「はい」


 丁寧に礼をして、菓子を手に外の景色を眺める。

 雨は苦手だが、雨を見るのは好きだ。

 雨に濡れた草花を見るのが好きだ。

 土の匂いが香ると、“命”が浸み込んだんだと思える。


 悠長に雨景色を眺めるには、まだ少々降りが激しいが、半日もすれば小雨になるはずだ。


「明鈴ちゃんのところのお祝い何にしようかしら」


 明鈴は私とほぼ同じ時期に結婚して、先日三人目の子供が生まれた。

 狐やいたちなどは人間との間に子供ができたと言う話をちらほら聞くが、残念ながら魃は数がいないせいか、古い文献を漁ってもそんな記録はない。


 ぼんやりと雨音を聞いていると、一人の青年が前の席に座る。


 席は、他にもあるのになぜここなんだろう。あまり近づかれると、ベールが透けて一つ目が見えてしまうではないか。


 できる限り伏し目がちに外の景色を眺めていると、ご飯を頼むでもなくこちらを見ていた男が声をかけてきた。


「いつまでそんな重苦しい格好をしているんだ。建物の中なんだから、顔の布ぐらいとったらどうだ?」

「私の生国(しょうごく)では、家族以外の者に顔を見せてはいけない決まりがございまして」


 広い世界には色々な習慣があるらしい。大秦国に行った際には、私と同じような面紗(ベール)を着けている女性をちらほら見かけた。


「別に悪いことをしようって訳じゃない。そんな可愛らしい声の主がどんな顔をしているか興味があるんだ。ほんのちょっと見るだけだからさ」


 男のべたべたと張り付くような声に、顔が引きつってしまう。


 冗談じゃない。からっぱれの時ならまだしも、こんな土砂降りの時に、顔なんか見せたら、大騒ぎになってしまう。


 ああ、さっさと部屋の準備が終わらないか、それがダメなら夫が心配だからと言って外へ出てしまうか。頭の中で考えを巡らせていると……


「いいじゃないか。ちょっとくらい」


 宿屋の主がお気楽そうに笑った。


 って、部屋を整えに行ったんじゃないんですか?


 ほんの少し、意識と視線が宿屋の主に向かった隙に、雨衣が後ろから引っ張られる。

 私は雨衣を引っ張った若者に振り返った。

 水を含んだ雨衣やら、面紗やらが花びらのようにはらはらと落ちる。


 慌てて、顔を隠すがもう遅い。



 若者が青い顔をして「ば、化け物!」と叫ぶ。

 宿屋の主人も驚いて、私たちに近づき、私の顔を見て顔を引きつらせて、外に出て大声で叫んだ。


「みんな妖怪だ! 早く来てくれ」


 青年の叫びと宿屋の主人の叫びに多くの人が集まる。


「こいつが雨を降らせていたのか!」

「俺らを騙しやがって!」


 外に引きずり出される。男達は武器を手に取り囲み、女達は遠巻きに見ている。


 泥の混じった地面に転がされる。土砂降りの雨が容赦なく体を打つ。


 炎を吐いて人々を脅すか。

 でも、この雨の中だ。元から調整がしにくい上に、こんな危機的状況で炎を吐いてしまったら、生存本能に従って、村を丸ごと焼き払ってしまうかもしれない。


 迷っているうちに、雨に命が容赦なく削られていく。

 どろどろに溶け出した自分の指先を見る。



 自分が勝手にどこか行ったら彼は探してしまう。


  

 ああ。黒義様を待っていたいだけなのに。


 ただ


 それだけなのに




 

 ◆



 ◆





 楽 黒義が見たのは、恐ろしい光景だった。


 宿屋の前で人が何かを取り囲んでいる。

 ぐっしょりと濡れ泥に汚れた青絹は間違いなく妻のものだった。中身は無い。


「……青蓮」


 まさか。


 青蓮は、大人しく宿の中で待っているはずだ。


 黒義は人垣を押しのけて輪の中心に行き、青絹をよくよく確認する。このような小さな村にこんな上質な青絹を着た者がいるはずはないが、それでも自分の妻の衣と違うところがないか探す。


「化け物」


 そう囁いたのは、この村では一番親しかった宿屋のあるじだった。


「妻は?」


 宿屋の主人は怯えた様子で一歩下がる。


「なぜっ……」


 彼女が何をした。他の地では迷惑をかけたかもしれないが、毎年洪水に悩まされていたこの村を救ったのは彼女ではないのか。


 黒義の目の前が赤黒く染まる。


「なぜっ!」


 なぜ、逃げなかった? 力を使えば、逃げおおせられたはずなのに。



--いいか。人間に絶対っ、あの力を使うなよ--


 青蓮は……彼女は、黒義と交わした最初の約束を最後まで守ったのだ。


「こんな時に限って、約束を守る必要なんて」


 抱きしめる。


 それ以上、言葉も出ない。


 くわすきを持った村人たちは、一歩踏み込み輪を縮める。


 彼女の命を縮めるような約束を交わした自分もこの村の人々もすべて殺してやりたかったが、それでは、最後まで約束を守った彼女を裏切ることになる。


 黒義は雷水扇を掲げる。


「避けろよ」


 たった一言。


 雨音をかき消す轟音と共に扇に稲妻が落ちる。


 瞬きする間もなく雷は地を這い四方八方に散る。

 避けきれなかった数人が地面に倒れたが、彼らの生死など知ったことではない。



 黒義は、ただ青絹の衣を抱きしめて泣くことしかできなかった。


 まだほんの少しだけ熱が残っている。


 彼女が大事にしていた藍玉の首飾りが服に紛れていた。

 それを取り出そうとして、線香花火のような小さな橙の玉が、衣の中にあることに気づいた。


 大きさはまったく違うが彼女の吐く炎の玉に似ている。

 水を吸った衣の中では、今にも消えてしまいそうだ。


 黒義はその小さな玉が濡れないように、両手で包んだ。


「青蓮。貂姫てんひめの所にすぐに連れて行ってやるから、それまでもう少しの辛抱だ」


 玉は彼を待っていたかのように小さくぱちぱちと光ると、どういうわけか彼の手の平をすり抜け、泥水に落ちた。


 ジューという小さな音が、耳の奥にこびりつく。



 黒義の姿も絶叫も、滝のような雨が隠す。




 雨が弱まる頃には、黒義の姿は消えていた。




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