依頼
「このご夫婦以外、お客様は泊まってないんですよね?」
宿屋の主人は目を丸くする。
燃え盛る炎の中から老婦人を背中に担ぎ、その夫の肩を抱いて飛び出してきたのは一つ目の妖怪だった。
老婦人が頭から被っている青絹は道士の連れが着ていた衣だ。
炎の中を突っ切って来たはずなのに、綻び一つ無い。
「いないんですよね?」
呆然としている宿屋の主人に妖怪は同じ問いを繰り返す。
背後では狐の遠吠えがまだ続いている。
「あ、ああ」
「良かった~」
ほっと胸をなでおろした妖怪は宿屋の主人の前で人の姿に戻った。
~~~~ ~~~~
「娘が妖怪に拐かされそうになっているんです」
そう依頼したのは、宿屋の主だ。
「妻を亡くしてから、男で一つで育ててきました。娘が妖怪なぞに連れ去られたら……うっうっうっ」
どこかで似た話を聞いたような気がしないでもないが。
「して、どのような妖怪で?」
「あれは狐です。ぽうと狐火が周りに浮いてましてな。次の満月の夜に明鈴を嫁にする、と」
(それをわざわざ言いに来た……だけ?)
「礼儀正しいじゃないですか」
黒義と同じことを考えたのだろう。青蓮は、茶には一切手をつけず、菓子のみぱりぽり食べながら、言った。
「どこがですか!!」
「妖怪は普通、気に入ったらそんなまどろっこしい予告はせずに、そのまま攫うことが多い。しかし狐か」
犯行予告など、警備が厳しくなるだけで、妖怪側になんの得があるのだろう。
(絶対捕まらない自信があるのか? 今夜肩透かしを食らわして、別の日に攫うとか?)
今夜中に決着をつけないと、また青蓮を一人次の村へ行かせることになる。
主人の部屋の匂いを嗅ぐと確かに獣の匂いがした。
☆
ほとんどの宿泊客は別の宿屋を紹介して移ってもらうことができたが、問題は一組の老夫婦がどうしても旧館に泊まりたいと言っていることだ。
なんでもこの時期、この宿の同じ部屋で裏の池に映る満月を見るのが二人の楽しみで、毎年泊まっているそうだ。旧館は老朽化のため今年中の取り壊しが決まっているので、最後にどうしても泊まりたいのだとか。
「結婚した当初は無口で怖い男性だと思っていたのです。でも、ここに連れてきて下さって。この池に映る満月を見せてくださるつもりだったそうですけれど、その夜はあいにくの曇りで--」
黒義は説得に行ったのに、黒義的にはどーでもいいご夫人の惚気話を三十分ばかり聞かされて追い返されてしまった。
ちなみに青蓮はというと、先ほどの依頼主の剣幕に驚いたようで、説得の間中黙っていた。
(肝心な時に役に立たない。まあ、明鈴殿の部屋は本館。旧館に影響はないだろう)
今夜は間違いなく美しい満月が見れるだろう。
☆
町と森の境界にある狐を祀った祠は特に荒れている様子もなかった。
「お前は今回、明鈴殿の側にいろ」
よっぽどのことが無い限り黒義は退治屋の仕事を青蓮に手伝わせない。
青蓮の唯一の武器である火球の制御が難しいことと、『妖怪を退治するのは人間』であり、できる限り同士討ちのような真似をさせないという配慮からだ。
が今回の相手は狐だ。
「狐は多彩な術で人を惑わす。夏と殷二つの王朝を滅ぼしたのが、狐狸精だったと言われているくらいだ。そこまで強力なのに当たることは無いだろうが、気をつけてかからないとえらい目に遭う」
「はいっ」
青蓮はいつになく気合を入れて返事をする。
黒義と旅して三年と半。やっと役に立てる日が来たのだ。
「もし明鈴殿が攫われたら、一緒に攫われて、天に火球を放って場所を知らせろ」
いわば狼煙である。言っていることはひどいが、青蓮は黒義の言葉を疑いもせず、しっかり心に刻む。
「いいか。火球を撃つことは許すが、ぜーったい妖怪以外には当てるなよ!」
「は、はいっ」
黒義としては、彼女の張り切りように不安を感じざる得ない。
戦力として数える以上は、火球を放つのを禁じることはできないが、できる限り余計な被害が出ないことを祈る。
「まあ、近づけなければ良いだけだ」




