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二話

2


 パキリ、頭蓋の砕ける感触が何度も何度も何度も脳内で再生される。なぜこのような不快感がここまでハッキリと残っているのか、なぜ僕はこんなに“恐怖“を感じているのか。なぜ。


 疑問は底を尽きない。ただ一つ言えるのは、“このままだといけない“。このままあのギルド職員の言う通りに討伐へ向かえば、僕は死ぬか、それよりももっと酷い目に遭うということが、不気味な確信として胸の奥に刻まれていた。

 心臓の音がいやに大きく聞こえる。視界が歪む。血の気が引く。やがて足取りもおぼつかなくなって、壁に手をつき━━━━



「あの、大丈夫ですか?」



 凛とした声が響く。


 僕は憂鬱ながらもゆっくりと顔を動かした。ただ目を合わせるだけ、それだけの動作がひどく重く感じる。


 まず目に入ったのは、一対のツノだ。


 黒く艶のあるソレは多種族国家グラン・テラリウムにおいても珍しいものであり、思わずガッツリ見つめてしまう。

 次に、ツノと同じように艶のある肩口で切り揃えられた黒髪が目に入る。おでこを広く露出したぱっつんヘアー、太く短めの困り眉、目は垂れ気味で瞳は泳ぎ、消え入るような声も相まってかなり繊細で気が弱そうだ。


 ギルド内にいるということは、先輩駆除業者だろうか?

 彼女の装備は手入れが行き届き、やや高級そうなものばかり。しかし全体的に統一感がなく、寄せ集めのような印象を受ける。


「……えと、僕に用ですか?」


 今は、他人の言葉を理解するのも苦痛そのもの。脳はとっくにキャパオーバーし、未だに“あの瞬間“が脳裏から離れてくれない。ハッキリ言って、疲れている。

 そんな事情があるのでどこかぶっきらぼうに言い放ってしまった。僕らしくないと、そう思う。


「い、いや。ものすごく顔色が悪かったので……心配だなーっ、て?」


 そりゃそうだ、自分でもわかる。

 今の僕の顔色はきっと、とんでもないことになっているのだろう。まるで、死人のような。

 

 死人。


 その言葉が、やけに引っかかる。ズクズクと神経が痛みだし、まるで、胸の奥でナニかが暴れているよう。

 痛みとも違う、純粋な不快感。僕は思わず顔をしかめ、右手で胸を押さえてしまう。


 目の前の彼女はあわあわと慌て出す。


「あっ、あの。なんかすみません。そんな怖い顔されるなんて……」


「い、いえいえ。僕の方こそ……ふぅーー……すみません。少し、落ち着きがなくって」


 深呼吸をすれば、多少は落ち着いた。ついでに弁明。

 身体の芯にこびりついて剥がれない僅かな違和感を努めて無視し、やっとこさ目の前の少女にしっかりと目を向ける。


「改めまして……何の用ですか?」


「本当に心配だっただけで。……それに、周りの人たちが見ています」


 見ると、行き交う同業者たちがこちらを怪訝な目で見つめている。そんなにおかしかったのだろうか。


「ぶっちゃけ死にそうな顔してますよ……とりあえず、人のいないところ行きましょ?」





✴︎✴︎✴︎✴︎





 カビ臭い物置のような個室にて。小さな窓から差し込むわずかな陽光と点滅する古いライトのみが僕らを照らす。

 コップに注がれた水を飲み、肺に溜まった空気を吐き出す。冷たさが全身を駆け巡るような爽快な感覚、少しのあいだはさっきのことも忘れられるかもしれない。

 先ほどよりも幾分かリラックスした状態で、僕から切り出した。


「どうも、ありがとうございます」


 目の前のツノの彼女……東錦は、わたわたと手を振り嬉しそうに「いえいえ!」と言っている。何がそんなに嬉しいのかは分からないが、動きが鳥みたいでかわいい。


「失礼なこと考えてません?」

「いえ」


 東錦の怪訝な目を努めて無視し……胸に刻まれたおぞましいほどの恐怖と、僕の心を支配する奇妙な確信について考える。

 ……突然生えてきたようなものだ。頭蓋を砕かれるような極めて不快な感覚と、“中身“の漏れ出して行く極限の恐怖、そして苦痛。まるでそれらはついさっき体験したかのように、ひどく鮮明に浮かび上がってくる。


 体験したかのような。


 ぐるぐると考えを巡らせる。何も分からないが、考えていないとおかしくなりそうだった。


「……お水、足ります?」


 東錦が冷水の入ったピッチャーを持ち恐る恐るといった様子で聞いてくる。パーティメンバーが死んだとでも勘違いされているのか、気を遣ってくれているのだろう。なんだか申し訳なくなってくる。

 

「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございますね」


 それを聞いた東錦がほっとしたようににへらと笑う。そのふにゃりとした柔らかい笑顔に姉の影を感じ、すこし心臓がちくちくする。

 思えば姉も事あるごとに僕の心配をしてくれて、反抗的に接する僕に文句も言わず笑いかけてくれた。当時の僕はそれにさらに苛立ってより反抗的に振る舞ったが、今となってはいい思い出だ。


 思い出に浸りながら水を飲む。


「……」


 奇妙な静寂が部屋を支配する。

 点滅するライトの電子音だけが部屋に響き渡り、そのまま長いような、短いような時間が流れる。



「……モロクさん、でしたっけ」



 東錦が、ぽつりと溢す、


「……」


 僕の方を向いたその瞳は迷いに震え、しかし何かを決意したような色も窺えて。

 彼女は何秒か間を置き、短く息を吐いてから、ゆっくりと……まるで、何かを確かめるかのように言う。


「困っていることがあるなら聞きます。あなたの力になりたい」


 ……え、そう言われても。

 優しいとはいえ、ついさっき名前を知ったような赤の他人。申し訳ないやら若干怪しいやらでうまく返答できない。ちょっとびっくりして顔をまじまじと見てしまう。恥ずかしいのですぐ目を逸らした。

 ━━でも、もし本当に協力してくれるのなら。“利用しない手はない“と僕の深層心理が訴えかけている。理由はよくわからないが、彼女をロウニンフクロウの討伐戦に連れて行ったほうが良いかもしれない。

 単純に考えても戦力が増えるのは好ましいことだし。

 

「では……これからモンスター討伐戦に行くんですが、それに協力していただけませんか?報酬は山分けしましょう」


「えっ!いいんですか」


 嬉しそう。金にはがめついな。

 よしっ!とガッツポーズをする彼女を見てやっぱ連れてくのやめとこうかな……と一瞬考えるが、まぁ直感を信じてみよう。


 なんせ、死にたくないしね。


「それにしても……なぜ、そこまで親身になってくれるんです?さっき対面したばっかでしょう」


 受け入れはしたが、引っかかるのは事実だ。

 突然目の色を変え、覚悟を決めたような声色でそんなことを言われたら誰だって訝しむだろう。


 東錦はまた息を吐き、僅かに微笑みながら言う。



「放っておけなくて。

ただ、それだけです」



 優しく微笑み手元のピッチャーに視線を落とす東錦は、うすら幸せを感じているようにも……深い悲しみを携えているようにも見えた。まるで、穏やかに涙を流しているような、矛盾に塗れた不思議な雰囲気。


 僕は何も言えなくなり、とりあえず口を紡ぐしかなくなった。





✴︎✴︎✴︎✴︎





 いつも通りの変わらない廊下。個性豊かすぎる狩人たちの談笑の場にもなっているそこで、ひどく傷ついた仔犬のような存在を見た。


 少年らしいぱっちりとした目は、その歳で感じるべきではない苦痛と恐怖に満ち溢れていて。ふらふらとした足取りは、泥に絡み取られているかのように重そうで。



『姉さまは、憎まないの?』



 あの日の言葉が鮮明に蘇る。

 私の愛しい、あの子の言葉が。


 私は考えるより早く、その言葉を口に出していた。


「あの、大丈夫ですか?」


 あの日言えなかった、ただ“それだけ“のことを。


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