忠義の刃
その王国には、一人の騎士がいた。
名を、レオン・グランツ。
若くして王国騎士団長に上り詰めた男である。
剣の腕は王国随一。
戦場に立てば誰よりも前へ出て、民を守るためなら己の命すら惜しまない。
だが彼が人々から敬われた理由は、強さだけではなかった。
彼は、誰よりも王を信じていた。
この国の王――アルヴァン・レイス。
若くして王位を継いだ彼は、決して完璧な王ではなかった。
迷うこともあった。
失敗することもあった。
時には臣下に厳しい言葉を浴びせられ、夜遅くまで執務室で一人、頭を抱えることもあった。
だが、それでも。
民のために悩み続ける王だった。
「レオン」
ある夜。
王城の高塔にて、アルヴァン王は静かに言った。
窓の外には、王都の灯りが広がっている。
幾千もの家々。
そこに生きる民たちの暮らし。
その全てを背負うように、王は夜の街を見下ろしていた。
「私は、良い王になれているだろうか」
その問いに、レオンは迷わず膝をついた。
「陛下は、誰よりも民を想っておられます」
「想うだけでは足りない」
王は苦笑する。
「税を下げれば軍備が削られる。軍備を整えれば民に負担がかかる。罪人を裁けば家族が泣き、許せば被害者が泣く。王とは……どうしてこうも、誰かを救うたびに誰かを傷つけるのだろうな」
その声には、疲労が滲んでいた。
レオンは顔を上げる。
「それでも陛下は、逃げておられません」
「……逃げていないだけだ」
「それこそが、王の器かと」
王は目を丸くし、それから小さく笑った。
「お前は、本当に私に甘いな」
「私は陛下の騎士です」
「騎士だから、か?」
「いいえ」
レオンは真っ直ぐに王を見た。
「貴方が、私の王だからです」
その言葉に、王はしばし黙った。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「レオン。もし、いつか私が道を誤ったら」
「その時は、この剣でお止めします」
「では、もし私が死んだら?」
冗談めかした声だった。
けれど、レオンは笑わなかった。
「その時は、陛下の志を守ります」
「私の志か」
「はい」
レオンは胸に手を当てた。
「民が笑って暮らせる国を作る。それが陛下の願いならば、私は剣となり、盾となり、たとえこの身が砕けようとも守り抜きます」
アルヴァン王は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「……お前がいてくれて、本当に良かった」
それが。
レオンが聞いた、王の最後の本音だった。
その三日後。
王は、死んだ。
深夜。
王城に悲鳴が響いた。
レオンが駆けつけた時、王の寝室は血に染まっていた。
倒れている王。
胸に深々と突き立てられた短剣。
床に広がる赤。
そして。
その傍らに落ちていたのは、レオンの紋章が刻まれた剣飾りだった。
「騎士団長レオン・グランツ!」
背後から声が響く。
振り返ると、宰相ヴァルドが兵を引き連れて立っていた。
痩せた男だった。
常に冷静で、感情を見せず、王の側近として長く仕えてきた人物。
だがその目には、今まで見たことのない光が宿っていた。
勝利を確信した者の光。
「貴様が……陛下を殺したのか」
「違う!」
レオンは叫んだ。
「私は今来たばかりだ!」
「ならば、その剣飾りは何だ?」
兵たちの視線が床へ向く。
レオンの紋章。
王の血に濡れた証拠。
「これは……!」
「捕らえろ」
ヴァルドが冷たく命じる。
「王殺しの大罪人だ」
兵たちは一瞬ためらった。
彼らにとって、レオンは尊敬すべき騎士団長だった。
戦場で何度も命を救われた者もいる。
彼が王を殺すなど、信じられるはずがない。
だが、王は死んだ。
証拠はある。
そして宰相の命令は絶対だった。
「団長……」
若い騎士が震える声で呟く。
レオンは、王の亡骸を見た。
アルヴァン王は、目を閉じていた。
まるで眠っているようだった。
けれど、もう二度と目覚めない。
もう二度と、民の未来を語らない。
もう二度と、迷いながらも前へ進もうとしない。
その瞬間、レオンの中で何かが崩れた。
怒りではない。
悲しみでもない。
ただ、胸の奥にぽっかりと穴が空いた。
「……陛下」
彼は小さく呟いた。
「申し訳、ございません」
守れなかった。
剣となると誓った。
盾となると誓った。
なのに。
王は、目の前で冷たくなっていた。
「捕らえろ!」
兵たちが動く。
だがその時、レオンは剣を抜いた。
殺すためではない。
逃げるためでもない。
ただ、王の真実を守るために。
「私は陛下を殺していない」
低く、鋭い声だった。
「この罪を着せた者がいる。陛下の命を奪い、王国を欺こうとする者が」
「黙れ、王殺しめ!」
ヴァルドが叫ぶ。
レオンはその目を見た。
冷たい目。
焦りを隠した目。
その一瞬で、彼は悟った。
この男だ。
少なくとも、何かを知っている。
「ヴァルド」
レオンは静かに言った。
「貴様だけは、必ず斬る」
次の瞬間、レオンは窓へ向かって走った。
兵たちが叫ぶ。
矢が飛ぶ。
剣が振るわれる。
だが、王国最強の騎士を止められる者はいなかった。
レオンは窓を破り、夜の王城から身を投げた。
背中に矢が一本突き刺さる。
激痛が走った。
それでも彼は落下の途中、城壁の旗を掴み、体勢を変え、地面へ転がるように着地した。
骨が軋む。
血が流れる。
息が詰まる。
それでも、彼は立ち上がった。
王都の鐘が鳴り響く。
王の死を告げる鐘。
そして、王殺しの罪人を追えという鐘。
レオンは振り返った。
夜空にそびえる王城。
そこには、彼が命を懸けて守ると誓った全てがあった。
だが今、その場所は彼を拒んでいた。
「陛下」
血を吐きながら、レオンは誓う。
「必ず……必ず、貴方の無念を晴らします」
その日。
王国最忠の騎士は、王国最大の大罪人となった。
追われる日々が始まった。
レオンの名は地に落ちた。
王を殺した裏切り者。
信頼を盾に王へ近づき、寝首をかいた卑劣漢。
騎士の皮を被った悪魔。
王都の広場には、彼の手配書が貼られた。
賞金は金貨千枚。
生死問わず。
かつて彼に助けられた民でさえ、恐怖と怒りの中で石を投げた。
「王殺し!」
「裏切り者!」
「陛下を返せ!」
レオンは何も言わなかった。
言い訳をすれば、王の名をさらに汚す気がした。
自分が無実だと叫んでも、証拠がなければただの遠吠えだ。
だから彼は逃げた。
泥をすすり、傷を負い、森を越え、山を越え、国境近くの廃村に身を隠した。
傷は深かった。
背中の矢傷は膿み、熱が出た。
何度も意識を失いかけた。
それでも死ねなかった。
死ぬわけにはいかなかった。
王の仇を討つまでは。
「……情けないな」
廃屋の壁にもたれながら、レオンは呟いた。
手には、王から賜った剣がある。
名を、黎明剣。
アルヴァン王が即位した日に、レオンへ授けたものだった。
「お前は私の夜明けだ」
あの日、王は笑ってそう言った。
「私が迷った時、お前が道を照らしてくれ」
その剣を握り締め、レオンは歯を食いしばる。
「照らすどころか……守れもしなかった」
涙は出なかった。
泣く資格など、ないと思った。
そこへ、一人の少女が現れた。
灰色の外套を着た、十代半ばほどの少女だった。
手には薬草と水袋を持っている。
「動かないで」
少女は淡々と言った。
「その傷、放っておいたら死ぬ」
「……誰だ」
「ミラ」
「なぜ助ける」
「助けたいから」
あまりにも単純な答えだった。
レオンは苦笑する。
「私は王殺しだぞ」
「本当に殺した人は、そんな顔しない」
「顔で何が分かる」
「分かるよ」
少女は膝をつき、傷を見た。
「あなた、ずっと誰かに謝ってる顔をしてる」
その言葉に、レオンは息を呑んだ。
ミラは傷口を洗い、薬草を当てた。
痛みで視界が白くなる。
「なぜ、ここにいる」
「この村の生き残り」
「生き残り?」
「三年前、盗賊に襲われた。王国軍が来る前に、みんな死んだ」
少女の声に、感情はなかった。
感情を出し尽くした者の声だった。
「恨んでいるのか、王国を」
「昔はね」
「今は?」
「分からない。でも、アルヴァン王はこの村に慰霊碑を建ててくれた。誰も覚えてなかった村なのに」
ミラは少しだけ目を伏せた。
「だから、あの王様が殺されたって聞いて、悲しかった」
レオンは唇を噛んだ。
王は、そんなことまでしていたのか。
彼は知らなかった。
王は自分にさえ語らず、滅びた村の名を覚え、死者を悼んでいた。
本当に、王だった。
「……私は、陛下を殺していない」
初めて、レオンは誰かにそう言った。
ミラは顔を上げる。
「うん」
「信じるのか」
「信じる」
「なぜ」
「さっき言ったでしょ」
ミラは包帯を結びながら言った。
「あなた、ずっと謝ってる顔をしてる。でも、自分が殺した人に謝ってる顔じゃない。守れなかった人に謝ってる顔だよ」
その瞬間。
レオンの目から、一筋だけ涙が落ちた。
それは、王が死んでから初めて流した涙だった。
「……陛下」
声が震える。
「私は……私は、貴方を……」
守れなかった。
言葉にした瞬間、堰が切れた。
レオンは顔を覆い、声を殺して泣いた。
王国最強の騎士ではなく。
大罪人でもなく。
ただ、大切な主君を失った一人の男として。
ミラは何も言わなかった。
ただ、そばにいた。
それから数日、レオンは廃村で傷を癒した。
ミラは薬を運び、食料を分け、時に王都の噂を集めてきた。
新たな王が即位するという。
アルヴァン王に子はいなかった。
そのため、政務を取り仕切っていた宰相ヴァルドが摂政となり、遠縁の王族を傀儡として立てるらしい。
王都では反対の声もあったが、王殺しの混乱の中、強い統治者を求める声も大きかった。
「急ぎすぎだ」
レオンは呟いた。
「陛下が亡くなってまだ十日も経っていない」
「証拠を消すつもり?」
「おそらくな」
王の暗殺。
レオンへの罪のなすりつけ。
そして権力掌握。
筋書きは見えてきた。
だが証拠がない。
ヴァルドを斬るだけならできる。
だが、それではただの復讐だ。
王殺しの汚名は晴れず、王国は混乱し、民はさらに苦しむ。
それでは、王の志を守ったことにはならない。
「王城に戻る」
レオンは言った。
ミラは目を見開く。
「殺されるよ」
「ああ」
「分かってて行くの?」
「行かなければならない」
レオンは黎明剣を手に取った。
「陛下の無念を晴らす。私が死ぬとしても、真実だけは残す」
「仇討ちって、そういうことなの?」
ミラが静かに問う。
「相手を殺せば、それで終わり?」
レオンは答えられなかった。
ミラは続ける。
「私は、盗賊を殺したいってずっと思ってた。でも、殺したところで村のみんなは帰ってこない。だから分からなくなった。仇を討つって、何なんだろうって」
「……私にも分からない」
レオンは正直に言った。
「ただ、陛下は殺された。志を踏みにじられた。ならば私は、それを許すことはできない」
「それは、あなたの怒り?」
「違う」
レオンは首を振る。
「これは、忠義だ」
ミラはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「だったら、死なないで」
「約束はできない」
「じゃあ、死ぬつもりで行かないで」
少女の声が震えた。
「王様は、あなたに死んでほしいなんて思ってない」
レオンは目を伏せる。
王の声が蘇る。
『お前がいてくれて、本当に良かった』
あの人なら、何と言うだろうか。
復讐に燃えて死ぬことを、喜ぶだろうか。
違う。
きっと、困ったように笑う。
そして言うのだ。
『生きろ、レオン』と。
「……努力する」
レオンは静かに答えた。
ミラは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
王都へ戻る前夜。
レオンは廃村の慰霊碑の前に立った。
苔むした石碑には、村人たちの名が刻まれていた。
その下に、小さく王の名も刻まれている。
――アルヴァン・レイス、この地に眠る民の安寧を祈る。
レオンは膝をついた。
「陛下」
夜風が吹く。
「私はずっと、貴方の仇を討つことだけを考えていました。ヴァルドを斬り、貴方の無念を晴らす。それだけが、私に残された使命だと」
けれど。
「違うのですね」
王が守りたかったのは、己の名誉ではない。
民の明日だった。
ならば、自分が守るべきものも同じだ。
「私は、貴方の剣です」
レオンは黎明剣を抜いた。
月明かりを受け、刀身が白く輝く。
「仇を討ちます。ですが、それは憎しみのためではない。貴方が守ろうとした国を、これ以上汚させないために」
彼は立ち上がった。
「どうか、見ていてください」
そして翌日。
王都に、一人の罪人が戻った。
新王即位の式典。
王城前の広場には、多くの民が集まっていた。
壇上には、幼い王族の少年。
その背後に立つ宰相ヴァルド。
実質的に国を動かすのが誰なのかは、誰の目にも明らかだった。
ヴァルドは民衆を見渡し、重々しく口を開いた。
「我らは深い悲しみの中にある。偉大なるアルヴァン王は、最も信頼していた騎士の裏切りにより命を落とされた」
民衆の間に怒りが広がる。
「だが、王国は倒れぬ。裏切り者に屈することなく、我らは新たな時代へ進むのだ」
その時だった。
「その言葉」
広場の後方から声が響いた。
「陛下の御前で、もう一度言えるか」
民衆が振り返る。
そこにいたのは、黒い外套をまとった男。
痩せていた。
頬はこけ、傷だらけで、片足を引きずっている。
だが、その手には一本の剣があった。
黎明剣。
王より授けられた、忠義の証。
「レオン……!」
誰かが叫んだ。
広場が騒然となる。
「王殺しだ!」
「捕まえろ!」
「殺せ!」
石が飛ぶ。
レオンの額に当たり、血が流れた。
それでも彼は歩いた。
真っ直ぐに、壇上へ。
兵たちが剣を構える。
ヴァルドの顔が歪む。
「愚かな。自ら死にに来たか」
「死にに来たのではない」
レオンは剣を抜いた。
「真実を告げに来た」
「真実だと?」
「アルヴァン王を殺したのは、私ではない」
民衆がざわめく。
ヴァルドは鼻で笑った。
「まだそのような戯言を。証拠はある。王の寝室に貴様の剣飾りが落ちていた」
「ああ。だが、あれは三ヶ月前に盗まれたものだ」
「何?」
「騎士団の記録庫に届けを出してある。私の剣飾りが紛失したと」
ヴァルドの眉がわずかに動いた。
レオンは続ける。
「その届けを受理したのは、副団長カイルだ」
壇の下にいた騎士が、顔を上げた。
カイル。
レオンの副官だった男。
今は彼の後任として騎士団をまとめている。
「カイル!」
ヴァルドが鋭く叫ぶ。
「答えよ! そのような届けは存在するのか!」
カイルは沈黙した。
周囲の視線が集まる。
彼は震えていた。
恐怖か。
迷いか。
やがて、カイルは膝をついた。
「……存在します」
広場がどよめいた。
「三ヶ月前、団長は確かに剣飾りの紛失届を提出しました」
「なぜ黙っていた!」
ヴァルドが怒鳴る。
カイルは唇を噛む。
「記録が……消されていました。私も、口外すれば家族を処刑すると脅されていた」
民衆の声が変わり始める。
怒りから、疑念へ。
レオンは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「消された記録の写しだ。カイルは念のため、控えを残していた」
「偽物だ!」
ヴァルドが叫ぶ。
「王殺しの言葉に惑わされるな!」
「ならば、もう一つ聞こう」
レオンの声が鋭くなる。
「陛下の胸に刺さっていた短剣。あれは王城の宝物庫に保管されていた儀礼剣だ。鍵を持つ者は限られている」
レオンはヴァルドを見た。
「私に宝物庫を開ける権限はない」
民衆のざわめきが大きくなる。
「一方で、宰相である貴様にはある」
「黙れ!」
ヴァルドの顔から余裕が消えた。
「証拠にもならぬ!」
「そうだ。まだ証拠にはならない」
レオンは静かに言った。
「だから、最後の証拠を持ってきた」
その時、広場の脇から一人の少女が歩いてきた。
ミラだった。
彼女は両手で小さな箱を抱えている。
「その娘は何だ!」
ヴァルドが叫ぶ。
「廃村の生き残りだ」
レオンは答えた。
「陛下が慰霊碑を建てた村のな」
ミラは壇上の前で箱を開けた。
中には、血に染まった布と、一通の手紙があった。
「これは、王様が死ぬ三日前に、その村へ送ろうとしていた手紙です」
ミラの声は震えていた。
「慰霊碑の修繕費と、孤児支援の命令書でした」
民衆は黙り込む。
ミラは続ける。
「でも、その手紙は届かなかった。王様が死んだあと、村の慰霊碑を壊しに来た人たちがいたからです」
「何だと……?」
「その人たちは、証拠を消すつもりだった。王様が民を想っていた証を」
ミラはヴァルドを見た。
「その人たちが持っていた命令書に、宰相の印がありました」
ヴァルドの顔が凍る。
レオンは言った。
「陛下は、貴様の不正に気づいていた。孤児支援の金を横領し、廃村の復興費を懐に入れていたことをな」
「黙れ……」
「陛下は三日後、貴様を罷免するつもりだった」
「黙れ!」
「だから貴様は陛下を殺した。そして私に罪を着せた」
「黙れえええええ!」
ヴァルドが剣を抜いた。
その瞬間、全てが決まった。
民衆の前で。
新王の前で。
騎士たちの前で。
宰相は、真実を隠すために剣を抜いた。
「殺せ!」
ヴァルドが兵に命じる。
「その男を殺せ! その娘もだ!」
だが、兵たちは動かなかった。
カイルが立ち上がる。
「我らが剣は、王国と民を守るためにある」
彼は剣を抜き、レオンの隣に立った。
「真実を斬るためではない」
一人、また一人と騎士たちが剣を下ろす。
ヴァルドは唇を震わせた。
「ならば……私自ら殺してやる!」
彼は壇上から飛び降りた。
意外にも、その剣筋は鋭かった。
ただの文官ではない。
暗殺を企てるだけの備えはしていたのだろう。
レオンは受け止める。
刃と刃がぶつかり、火花が散った。
「なぜだ、ヴァルド」
レオンは問う。
「なぜ陛下を殺した」
「王など飾りだ」
ヴァルドは吐き捨てた。
「あの甘い王では国は守れぬ。民だの孤児だの、くだらぬものに金を使い、軍備を削り、貴族を敵に回す。いずれ国は滅びていた」
「だから殺したのか」
「私が国を導くためだ!」
ヴァルドの剣がレオンの肩を裂く。
血が飛ぶ。
「アルヴァンは優しすぎた! 王に必要なのは慈悲ではない! 力だ!」
「違う」
レオンは踏み込んだ。
「陛下は弱かったのではない」
剣がぶつかる。
「迷いながらも、民を見捨てなかった」
さらに一歩。
「傷つくと分かっていて、それでも手を伸ばした」
ヴァルドの剣が弾かれる。
「それを弱さと呼ぶなら」
レオンは黎明剣を振り上げた。
「貴様に王を語る資格はない!」
一閃。
ヴァルドの剣が宙を舞った。
勝負は決した。
レオンの剣先が、ヴァルドの喉元に突きつけられる。
広場は静まり返っていた。
誰もが見ていた。
王殺しと呼ばれた騎士が、王の仇を討つ瞬間を。
ヴァルドは膝をつき、笑った。
「斬れ……レオン。私を斬れば、貴様の仇討ちは終わる」
レオンの手に力が入る。
目の前にいる。
王を殺した男が。
全てを奪った男が。
この男を斬れば、王の無念は晴れる。
そう思っていた。
だが。
剣は動かなかった。
脳裏に王の声が響く。
『私の志を守ってくれ』
レオンは目を閉じた。
仇討ちとは、殺すことなのか。
違う。
王が望んだ国は、憎しみで人を裁く国ではない。
罪を明らかにし、法によって裁く国だ。
レオンは剣を下ろした。
「殺せ……!」
ヴァルドが叫ぶ。
「殺せばいいだろう!」
「貴様は裁かれる」
レオンは静かに言った。
「陛下が守ろうとした法によって」
ヴァルドの顔が歪んだ。
「それが……それが復讐か!」
「いいや」
レオンは答えた。
「忠義だ」
その言葉に、ヴァルドは崩れ落ちた。
騎士たちが彼を拘束する。
広場には、誰の声もなかった。
やがて、幼い新王が壇上から降りてきた。
震える足でレオンの前に立つ。
「レオン・グランツ」
少年王は、まだ幼い声で言った。
「そなたの罪は……晴れた」
レオンは膝をついた。
深く、深く。
「ありがたき幸せ」
民衆の中から、誰かが泣き出した。
それはやがて、広場全体に広がっていく。
「すまなかった……」
「レオン団長……」
「信じられなくて、ごめんなさい……」
謝罪の声。
すすり泣く声。
そして、王の名を呼ぶ声。
レオンは何も言わなかった。
ただ、空を見上げた。
青い空だった。
王が夢見た夜明けのように。
数日後。
ヴァルドは正式な裁判にかけられた。
王暗殺。
国家反逆。
公金横領。
証拠隠滅。
全ての罪が明らかになった。
彼は死罪となった。
だが、レオンは処刑を見に行かなかった。
代わりに、王の墓前へ向かった。
王城の北にある小高い丘。
そこに、アルヴァン王は眠っていた。
墓前には花が供えられている。
民が持ち寄ったものだった。
高価な花ではない。
野に咲く小さな花。
子供が摘んだであろう花。
土のついたままの花。
それが、何より王に似合っていた。
レオンは膝をつく。
「陛下」
風が吹いた。
「遅くなりました」
彼は黎明剣を墓前に置いた。
「貴方の無念は、晴れました。ですが……私は、貴方を守れなかった罪を、生涯忘れません」
沈黙。
鳥の声が遠くで響く。
「私は、貴方の仇を殺しませんでした」
レオンは目を閉じる。
「本当は、斬りたかった。何度も、何度も。あの男の首を落とせば、この胸の穴が少しは埋まる気がした」
だが、埋まらない。
誰を殺しても、王は帰ってこない。
「だから私は、貴方の国を守る道を選びました」
それが正しかったのかは分からない。
けれど、王ならばきっと。
困ったように笑って、こう言うだろう。
『よくやった、レオン』
その声が聞こえた気がして。
レオンは初めて、穏やかに泣いた。
墓地の入口で、ミラが待っていた。
「終わった?」
「ああ」
「これからどうするの?」
レオンは王城を見た。
新しい王はまだ幼い。
国には混乱が残っている。
騎士団にも、民にも、深い傷がある。
やるべきことは山ほどあった。
「騎士団長には戻らない」
レオンは言った。
ミラは驚く。
「どうして?」
「私は一度、王を守れなかった。民にも疑われ、国にも傷を残した。今さら以前と同じ場所に戻るべきではない」
「じゃあ、出ていくの?」
「いや」
レオンは静かに笑った。
「陛下が守ろうとしたものを、別の形で守る」
後日。
レオン・グランツは正式に赦免された。
多くの者が騎士団長への復帰を望んだ。
新王もまた、彼に戻ってほしいと願った。
だが、レオンはそれを辞退した。
代わりに彼が選んだのは、辺境の復興だった。
盗賊に襲われ、見捨てられた村。
戦争で傷ついた町。
税に苦しむ民。
親を失った子供たち。
王が生前、救おうとしていた人々のもとへ赴き、剣ではなく手を差し伸べた。
もちろん、剣を捨てたわけではない。
盗賊が現れれば戦った。
民が脅かされれば盾となった。
だが彼はもう、復讐のために剣を振るわなかった。
誰かの明日を守るために振るった。
やがて人々は、彼をこう呼ぶようになった。
忠義の騎士。
王を殺した罪人ではなく。
王の仇を討った英雄でもなく。
王の志を継いだ、一人の騎士として。
数年後。
あの廃村には、新しい家々が建ち始めていた。
畑には麦が揺れ、子供たちの笑い声が響く。
慰霊碑の周りには、白い花が咲いていた。
ミラはその村で、子供たちに文字を教えるようになっていた。
レオンは村の外れで、剣の稽古をしていた少年に声をかける。
「剣は、人を斬るためだけにあるのではない」
少年は不思議そうに首を傾げる。
「じゃあ、何のため?」
レオンは少し考えた。
かつての自分なら、迷わず答えただろう。
王を守るため。
敵を倒すため。
仇を討つため。
だが今は違う。
「誰かが泣かずに済むようにするためだ」
少年はまだ分からないという顔をした。
レオンは笑った。
「いつか分かる」
夕暮れ。
村の丘に立つと、遠くに王都が見えた。
空は茜色に染まっている。
レオンは胸元から、小さな剣飾りを取り出した。
かつて罪の証として使われたもの。
だが今は、真実を取り戻した証だった。
「陛下」
彼は静かに呟く。
「この国は、まだ傷だらけです。貴方が夢見た未来には、まだ遠い」
それでも。
子供たちが笑っている。
畑に麦が実っている。
誰かが誰かを想い、今日を生きている。
王が守りたかったものは、確かにここにある。
「ですが、私は歩き続けます」
風が吹いた。
まるで、誰かが背中を押すように。
レオンは微笑んだ。
「貴方の夜明けが、この国に届くその日まで」
忠義の刃は、復讐を越えた。
仇を討つために振るわれた剣は、やがて人々を守る光となった。
そしてその光は、王の死後もなお、王国の片隅で静かに輝き続けた。
かつて王が願った、優しい未来へ向かって。
ただ、真っ直ぐに。




