ピアノ
音楽室に移動中も、二人はなんだか険悪な様子だった。
琉生も雅も、和人には話し掛けてくるのに、お互い同士は和人を挟んで顔を合わせては、何か言いたげにして口を閉ざしていた。
──居心地が……悪い。
ここまでくると、和人にも段々状況が読めて来るわけで。
──こういう関係、なんて言うんだったか……犬猿の仲? 優しい琉生と素直な雅が合わないのは、心底不思議だ。いや、雅は大分口が悪くなってるから、そのせいか?
「……遅い反抗期……?」
二人の訝しげな視線が突き刺さる。
和人は瞬きした後、自身の考え事が口から零れ落ちたことに気付き、額に片手を押し当てた。
「それ、俺のこと言ってるの? だったら心外なんだけど!」
「いや! ただ、昔とは性格が変わったなと思っただけだ」
雅が不機嫌そうな声で詰ってきたのに、和人は額から手を離し慌てて弁解する。
「……俺がいるから……って言ったくせに……見てないじゃん」
斜め前から和人を見上げてきていた雅が、くるりとこちらに背を向けて、何事か呟いた。
何を言ったのか聞こうとした時。
琉生が立ち止まり、一言発してきた。
「音楽室、着いたけど。どうしたの?」
「何でもないし。早く入ったら?」
憎まれ口を叩く雅と、冷ややかな微笑を浮かべて、無言で音楽室に入る琉生。
和人は二人の様子を見て、またも小さくため息をついた。
◆◆◆
琉生がピアノの前で演奏準備をしている横で、和人はカバンからスマホ用三脚を取り出した。
「琉生、動画撮ってもいいか?」
「いいよ。だけど」
「分かってる。投稿はしない」
琉生が嫌がることはしない。それに、投稿するならもっと本格的に準備しないと、琉生の演奏に失礼だ。
譜面台に三脚を使ってスマホを設置していると、窓際に寄りかかっていた雅が、近くのイスに腰掛けて和人たちを見上げてきた。
「そこまですんの?」
「これじゃ足りないくらいだ」
雅が小さく鼻で笑った。
彼が皮肉屋に成長してしまったのは、仕事で揉まれたせいかと、和人は無理やり自身を納得させる。
スマホの位置が琉生の邪魔になってないか、視線で確認すると、琉生が微笑んで頷いた。
彼がピアノの椅子に座り、鍵盤に軽く触れているのを横目で見て、和人はピアノに一番近いイスに腰掛けた。
琉生がちらりと和人に視線を向け、その後ピアノに向き直り、一呼吸置いた。
空気が透明に張り詰め、滑らかに澄んだ音が響き渡る。
聴き慣れた曲。琉生が昔からよく聴かせてくれる曲だ。
ピアノの鍵盤を、慈しむように辿る指先。
柔らかく笑みを乗せた唇に、時おり細まる眼差し。
放課後の騒めきが遠ざかる。
窓から射し込む夕陽に照らされた琉生の姿。
世界が彼と、彼が創り出す音、一色に染まった。
◆◆◆
琉生の演奏に不協和音が混じり、一気に現実へと引き戻される。
彼の指が鍵盤から離れ、奏でられていた音が止まった。
着信音が鳴り響き続けている。
和人は琉生の顔を見て、彼が困ったような表情で首を
横に振った瞬間。
柳眉を逆立てて、雅に視線を向けた。
「雅。マナーモードにしてないのは、どういう了見だ?」
彼は前のめりの体勢で、組んだ足を支えにして顎に拳を当てていた。
声が聞こえたのか、ピアノの方に向けていた顔を和人へと一瞬向けた後。
「悪い……、……続けて」
ズボンのポケットからスマホを取り出し、画面を見て沈黙して電話に出ることなく着信を切り、琉生へと向き直った。
──出ないで切った? いや、それより
「鑑賞態度がなってない。琉生に失礼だろ」
雅が面倒そうに前髪を掻き揚げ、和人へ剣呑な視線を向けてきた。
「聴き方まで指摘される筋合いないんだけど」
そういう問題ではないだろうと、言い返そうとしたが、雅はふいと視線を逸らして立ち上がる。
そのまま和人の横を通って、ピアノの前に座っている琉生を見下ろす位置で立ち止まった。
雅に琉生の姿を遮られ、和人は口を引き結ぶ。
「ねえ、副会長ってプロ目指してんの?」
琉生が訝しげな表情で雅に視線を向けている。口を開きかける彼に被せるように、雅が矢継ぎ早に迫っていく。
「歌の伴奏とか興味ない?」
その言葉を聞いて、和人は目を剥いた。
──ちょっと待て。雅は琉生を勧誘してるのか? それは、俺の役目だ。
和人は素早くイスから立ち上がり、雅の肩を掴む。
「それは駄目」
「なんで? カズには聞いてないし」
雅が和人の手を邪魔そうに振り払おうとしてくる。だが、こればかりは譲れなかった。
──そもそも、雅の仕事はモデルだろ。琉生を勧誘するのはなぜだ?
思考を巡らせ、ある答えに行き着く。
「もしかして、歌にも挑戦するつもりか?」
「……和人には関係ないから」
前髪を横に流した雅の姿。磨かれた美貌の顔に彩られた目は、ミステリアスな光を放って和人を捉えた。
雅と睨み合っていると、ピアノの蓋を閉める音が聞こえ、はっと琉生の方へ顔を向けて口を噤んだ。
琉生はピアノの蓋に両手を突いて、その両手を見るように下を向いていた。
「俺をダシにして和人の気を惹くの辞めて」
感情を抑えたような低い声。
──俺の気を惹く? 雅が琉生をダシにして? いや、これはどちらかというと、琉生への勧誘を阻止する戦いなんだが……。
「見て分かんないの? 俺は副会長……琉生のピアノを評価してるんだけど。で、興味あるの、ないの、どっち」
「雅ッ。駄目だって言ってるだろ! 琉生を世間に広めるのは俺の」
──役目だ。それに、琉生に提案している動画投稿は断られて。
雅が和人の手から抜け出そうとするのを引き寄せていると、ピアノの蓋を叩く音が響いてきて、言葉が途切れた。
やってしまったと恐る恐る琉生へと顔を向ける。
彼はいつも以上に怖いくらいの微笑を浮かべて、和人たちを見ていた。
「プロになるの、一ミリも興味ないから。和人も。その話、俺、断ってるよね。そんなにピアノが好きなら、ピアノに許可貰って」
琉生はそれだけ言った後、無言でカバンを手に音楽室を出て行ってしまった。




