独占欲
訳の分からない気まずさを感じながら、和人は寮に戻った。
いつもなら共用スペースでパソコンを開いている琉生の姿がない。
琉生の部屋の閉じられた扉。今はそっとしておくべきか。
和人は琉生の部屋に後ろ髪を引かれながらも、風呂に入りタオルで頭を拭いて、自身の部屋に入った。
日常的な行動を取りながら、和人の頭の中は、考え事でぐるぐると堂々巡りをしていた。
──取られたくないって何を? 琉生はなんであんなに取り乱していたんだ。
俺が雅と話していたからか? ……あれは、話していた訳じゃなく、問い質していただけなんだが。そう言えば、琉生にも楓雅が従弟だったこと、伝えないとな。ちょっと待て、雅はなんで偽名なんて使ってるんだ。いや、一旦雅のことは置いておくとして、問題は琉生だ。やっぱり気になる。
このままでは、落ち落ち寝ることもできない。
和人は腰掛けていた寝台から立ち上がり、勉強道具を持って共用スペースのソファへと移動した。
琉生が部屋から出てくることを期待しながら、問題集を開く。
ペンを片手に問題文を読もうとするのに、琉生の泣きそうな声が脳内に響いて、和人は乱雑に頭を搔いて額を押さえた。
──駄目だ。集中できない。
無意識に片手でスマホを取り出し、イヤホンを耳に着けて、いつも聴いている演奏を流した。
◆◆◆
琉生は自室で頭を抱えていた。風紀室の前で見苦しい姿を見せた自分に、嫌悪の念を抱く。
和人が橋之宮に迫っているのを見て頭が真っ白になった。
そんな琉生に追い討ちをかけるように、橋之宮が和人に抱き着いた瞬間、理性で押さえ付けていた感情が制御できなくなった。
──取られたくない……だなんて。駄々を捏ねる子どもじゃないか。
醜い独占欲。昔からそうだった。反抗期だった兄と寝込みがちな姉、生まれたばかりだった双子の妹に囲まれ、琉生は目立たない存在だった。
両親は共働きで忙しく、大人しい琉生は後回しにされがちで。だけど、それが普通の日常だったからあの時までは気付かなかった。自身の中で燻っていた感情に。
幼稚園でたまたま仲良くなった和人が、ピアノを弾かせてくれると、葉柳家に上がらせてくれて、初めて触るピアノに興奮しながらも、夢中になって弾いたとき。
和人が、凄い凄いと、才能がある、天才だ、また弾いてと、目を輝かせて、琉生のことだけを見て言った。
自分にだけ向けられる視線。あ、自分はこの視線が欲しかったんだと、悟った瞬間だった。
──和人が、俺のことだけ見てくれたらいいのに。
そんなことは現実的に無理なことだと分かっている。
部屋の外で人が動き回っている音がした。
和人が違和感を持つ前に謝らないと。
琉生は腰掛けていた椅子から立ち上がり、部屋の扉を開けた。
共用スペースに出ると、和人がソファに座って問題集を解いていた。
イヤホンを着けているようだったから、驚かせないように静かに近寄り、軽く彼の肩に手を置いた。
◆◆◆
和人はイヤホンから流れる演奏に身を任せながら、のんびりと問題を解いていた。
次の問題に目を通そうとした時、肩に温もりを感じて目を瞬かせた。
演奏に夢中で気づかなかった。琉生が部屋から出てきたのか。
勢い良く立ち上がりそうになるのを抑えて、片耳からイヤホンを外した。
その流れでゆっくりと斜め上に顔を上げた。
「……さっきはごめん」
和人が口を開くより先に、琉生と視線が合った瞬間謝られた。
「いや……謝ることじゃないだろ? それより……大丈夫か?」
隣に座るよう促しながら、琉生の顔色を窺う。
「大丈夫だよ。ありがとう」
いつもの微笑はなく、声も少し掠れていた。
大丈夫じゃなさそうで、指摘しようとしたが、琉生が隣に移動しながら、和人の手元にあるイヤホンを指さしてきて、タイミングを逃す。
「何聴いてたの?」
「え? ああ。お前の演奏」
スマホの画面を見せると、琉生の表情が曇った。
「……それ、聴かないで」
「ちょっ、なんで?」
琉生にまだ耳に付けていた片方のイヤホンを抜き取られ、取り返そうと身を乗り出す。
「なんでも。明日、生で聴かせてあげるから」
和人の手を避けるように身を引いた琉生が、手の中にイヤホンを握り込む。
和人は琉生の言葉を聞き、彷徨わせていた手を下ろす。
乗り出した姿勢のまま琉生の顔を見て、和人は破顔した。
「生演奏を聴けるのは久しぶりだな。楽しみだ」
琉生の演奏はどれも捨て難いが、生に勝る物はない。
琉生の様子を心配していたのも忘れてソファに腰掛けた。
「……俺の演奏、好き?」
「ああ、好きだ。好きなんて言葉じゃ言い表せないな。分かってるだろ? お前の演奏は俺の生き甲斐だ」
あわよくば、彼の演奏をこの手で広めたい。それなのに、なんで駄目なんだ。
背もたれに頭を預けて、横目で琉生を流し見る。
「……そう。明日、楽しみにしてて」
「もちろんだ」
琉生が手に握りこんでいたイヤホンを、和人の手に渡しながら立ち上がった。
和人はイヤホンを受け取り、琉生を見上げてはっとする。
──伝えるのを忘れるところだった。
「琉生。楓雅のことなんだが、従弟だっ──?!」
最後まで言い終える前に、離れかけていた手を強く引かれ、引き寄せられると同時に目の前が暗くなった。
息を詰めて目を凝らすと、琉生の首筋が横目に見えた。
「……たまに凄く憎らしくなるよ。分かったから、もう言わないで」
後ろ髪の生え際に指が這う感覚。
ヒヤリとした指先の熱に目を見開く。固まっていた肩に震えが走った。
和人は自由な方の手で琉生の胸元を握り締め、低く呻き声を上げながら頷いた。
琉生の腕から抜け出せず、困り果てていた時。
テーブルの上に置きっ放しのスマホから着信音が鳴り響いた。
琉生の腕が緩んだ。和人はこれ幸いと彼の腕から抜け出し、身振りでお休みと言った後、スマホを片手に部屋へ戻った。




