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月光

作者: zakuro_hiragi
掲載日:2026/01/12

あなたに、月が綺麗だねと言われたい。


彼女と別れて、駅とは逆の方へ歩いていた。

理由は考えなかった。考えれば、きっと足が止まる。


酒が残っているのか、それとも夜のせいか、世界はやけに柔らかかった。街灯の輪郭は滲み、足音は少し遅れて返ってくる。月だけがはっきりと空にあって、今夜の主役を引き受けたように静かに光っていた。


今日の彼女は、いつもより言葉が少なかった。

話すとき、語尾を丁寧に置き、笑う前に一瞬だけ視線を外す。その仕草が、妙に記憶に残る。


「今日はありがとうございました」


別れ際の声が、耳の奥に沈んでいく。


「こちらこそ。また会いましょう。」


そう言ったとき、胸の内側で何かが擦れた。

彼女は少し間を置いてうなずき、歩いて帰ると言った。


時刻は一時を回っていた。

電車のことを考える必要は、もうなかった。


交差点の角に、人影があった。

近づくにつれ、それが誰か分かってしまい、歩幅が乱れる。


「どうして、こんなところに?」


彼女は首を傾げ、困ったようにこちらを見る。

言葉を探したが、うまく掬えなかった。


「……なんとなく」


そう言うと、彼女は少し困ったように笑った。


「少し、話しませんか」


近くの公園には、誰もいなかった。ベンチに腰を下ろすと、風が木々を揺らし、月光が砂を淡く照らした。会話は生まれなかったが、沈黙は重くなかった。


しばらく、空を見上げていた。


「今日の月は、綺麗ですね」


その一言で、時間が止まったように感じた。

返事を探しているあいだに、息が一つ余分に漏れる。


「……そうですね」


声が少し低くなったのが、自分でも分かった。


「月は、いつも綺麗です」


彼女の耳と頬が赤く染まっている。

寒さのせいだと思うことにして、再び空を仰ぐ。


月は、何も語らない。

ただ、言われなかった言葉までも、等しく照らしている。


息が白くほどけていくのを見て、夜が終わりに向かっていることを知った。

それでもしばらく、立ち上がる理由は見つからなかった。


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