#59 メッセージ
「続きまして、モノマヒア第三試合の組み合わせを発表します!」
超大型ビジョンのルーレットが、カチカチと音を立てて回り始める。その動きはやがて減速し──静かに、ひとつの名を指し示した。
「セオカト代表、パドブロス選手!」
観客席からは歓声が上がる。
だが、セオカトの控え室に、その熱は届いていなかった。
パドブロスは、ただ遠くを見つめていた。
映し出された自分の名にも反応を示さず、深く沈んだ眼差しだけが、何かを宿していた。
ファナは肩を震わせていた。
その視線は、先ほどまでルガンが座っていた椅子の上に釘付けになっている。
彼のぬくもりが、まだそこに残っている気がした。
向かいに座るサイラは、背もたれに身を預けながら、静かに天井を見上げていた。
瞳は何かを追いかけるように虚空を彷徨い──
やがて、小さく吐息を漏らした。
「⋯⋯そりゃ、止まらねぇよな」
ルガンのことか、怒りか、悔しさか。
自分でも分からないまま、サイラは天井の染みを睨みつけた。
「さぁ、パドブロス選手の対戦相手はどの選手でしょうか!」再びルーレットが回りだし、指した名前は──
「ヴァルドノルド王国代表、ヴォレセオ・ヴァルドノルド選手!」
その名が告げられた瞬間──
場内が、一拍だけ静まり返る。
次いで、押し寄せるような歓声が、会場全体を震わせた。
“世界最強の男”──その名が放つ圧倒的な存在感は、ただそこにあるだけで観る者すべてを熱狂させた。
ヴァルドノルドの控え室もまた、誰ひとりとして声を発さず、その盛り上がりを黙して見つめていた。
ヴォレセオは静かに席を立ち、部屋の隅へと移動する。
そして、床に腰を下ろし、目を閉じた。
大輔はその様子をそっと目で追いながら、隣のシルヴァに小声で尋ねる。
「ヴォレセオさん、寝るのか……?」
「ちゃうわ」
シルヴァは苦笑しながらも、どこか誇らしげに答える。
「隊長はな、戦う前に“自分の世界”に入るんや。……まぁ、俺も目の前で見るんは、これが初めてやけどな」
* * *
ヴォレセオの脳裏には、いつだって「レオ」がいる。
そして──かつての親衛隊の仲間たちも。
厳しい訓練に耐え、共に汗を流し、未来を信じて、剣を交えた。
──しかし、その別れは、あまりにも突然だった。
若き日のヴォレセオは、王位継承権第二位という立場にありながら、自ら親衛隊への入隊を志願した。
当然、王族からは猛烈な反対を受けた。
だが、彼の意志は微塵も揺るがなかった。
兄・シデロスは、王子でありながら政治の場に立ち、“絶対王”である父に堂々と意見を述べ、侍者を伴って民の中に身を投じ、民主の声を聴き、記録していた。
そんな兄の背中を見ているうちに──
自分は、何を為すべきなのか。
何のために生まれ、何を担うべきなのか──
分からなくなっていた。
もしものとき、父も兄も命を落とせば、次に王位を継ぐのは自分だ。
そのための“帝王学”や戦略、政務の心得も、抜かりなく積んできた。
だが──
それでもヴォレセオには、自分が彼らと肩を並べられる未来が、どうしても思い描けなかった。
別に、嫉妬していたわけではない。
ただ、“向き不向き”、“適材適所”……
そんな言葉が、頭の中を繰り返しよぎった。
──ならば、彼らを護ろう。
停戦条約が結ばれて久しく、争いのない時代。
親衛隊の存在意義は薄れ、
「軍隊の保有は禁止されているのに、なぜ存在しているのか」
と不要論すら巷に流れ始めていた。
だが──
いずれその条約が終わるとき、何が起こるかは誰にも分からない。
一方的に破棄され、侵攻を受ける未来が“絶対に無い”とは、誰も言い切れない。
そんな、ごくわずかな疑念こそが、彼の背を静かに押した。
そして──
彼にとって、もう一つの“答え”は、モノマヒアで戦果を挙げ、国を豊かにすることだった。
* * *
「ヴォレセオ・ヴァルドノルド選手。まもなく試合が始まりますので準備をお願いします」
控え室の扉がノックされ、スタッフの声が響いた。
その言葉に、ヴォレセオは静かに目を開く。
ゆっくりと立ち上がり、“多変式機構兵装”《セオクトゥス》を手に取った。
歩くたびに、ジャキッ、と金属音が鳴る。
無言のまま扉へと向かい──
その背中が、音もなく部屋を去っていった。
一方、セオカトの控え室。
ほぼ同時刻──こちらの扉にも、同じようにノックの音が響く。
「パドブロス選手。まもなく試合が始まりますので、準備をお願いします」
スタッフの声に、パドブロスは小さく「はい」と応じた。
手元の手袋を直しながら、出入り口へと歩を進める。
「では、行ってまいります」
それは、誰にというわけでもない。
部屋に残る者たち──
空気にさえ、敬意を残すような口ぶりだった。
扉が静かに閉まると、控え室には再び、沈黙だけが残された。
「それではこれより、第三試合を行います!まずは──南ゲートより、セオカト代表、パドブロス選手の入場です!」
場内にアナウンスが響き渡り、静寂は歓声に塗り替えられる。
パドブロスはゆっくりと、フィールドの中央へと歩を進めた。
その目は伏せがちで、足取りは静かに、しかし確かだった。
(神はすべてを見ていらっしゃる。だが──ルガンの死も、“神の思し召し”だというのか⋯⋯?)
重く心を引きずるようにして、彼の影が伸びる。
「続いて──北ゲートより、ヴァルドノルド王国代表、ヴォレセオ・ヴァルドノルド選手の入場です!」
今度は一転、会場の空気が爆発するように沸き立つ。
“世界最強の男”の初陣を、世界が待ちに待っていた。
ヴォレセオもまた、無言のまま中央へと進む。
その右手には、“多変式機構兵装”《セオクトゥス》──あまりに特異なその武器が握られていた。
北以外の民たちは、口々にざわめく。
「何やあの武器!?けったいなもん持っとるで!?」
「あんなんで殴られたら⋯⋯一発で死んでまうやろ⋯⋯!」
だが、ヴォレセオ本人は周囲の声など一切気にせず、ただまっすぐに前を見ている。
「なお、解説席にお越しいただいていたガロムさんですが⋯⋯諸事情により、現在はご退席されています」
そのアナウンスに小さくどよめく観客もいたが、すぐに拍手が戻ってくる。
「──それでは、第三試合、始め!」
「ヴォレセオー!やっちまえー!」
「世界最強の力、見せてくれー!」
会場の熱狂の中、パドブロスはヴォレセオへと少しずつ近づいていく。
その姿は、これから戦う者とは思えないほど丸腰のようだった。
セオクトゥスを構え、いつでも振り抜けるような体勢を取るヴォレセオに対して、パドブロスは──
「武器を下ろしてください」
と両手を「まぁまぁ」と言わんばかりに、彼に向けた。
「⋯⋯どういうことだ?」
不審に思ったヴォレセオは、体勢を崩さない。
「私はあくまで“数合わせ”の身。貴方と本気で戦ったとしても、傷ひとつつけられないでしょう」
「戦わずして諦めるのか?」
「そうですね⋯⋯この戦いの勝敗においては諦める、が正しいですね」
パドブロスは後ろ手を組む。
「しかし、“世界の行く末”に関しては、諦めたくないものでして」
「何が言いたい?」
「あいつら、何話してんだ?」
「何やってんだよ!早く戦え!」
ケントロ・トゥ・コズムにブーイングの嵐が吹き荒れる。
それでも、パドブロスは続ける。
「私の国は、神が絶対です。よいことも悪いことも、すべて神の思し召し。神から与えられた道を、私たちが歩む。そう生きてきました」
「しかし⋯⋯私の目の前で、若い芽が、神の領域を超えた力によって摘まれてしまいました。これは果たして、神の思し召しと言えるのでしょうか?」
「貴様を否定はしないが、俺は神など信じない。己を信じて進むのみだ」
パドブロスは目を閉じ、二度三度頷く。
「そうですか。今回ばかりは、貴方のその思想に賭けてみたいと思いまして」
「⋯⋯?」
「貴方も感じておられると思います。今大会は、今までとは違うと」
ヴォレセオは眉をわずかにひそめたまま、パドブロスの言葉を静かに待っていた。
「会場の雰囲気だけではありません。我が国でも、大神官様方が、妙な動きをしておられていまして」
「⋯⋯妙な動き?」
「簡単に言ってしまえば──世界の均衡を崩そうと。“百年間の停戦”の終わりにかこつけて、です」パドブロスは、ふっと短く笑う。
その笑みに、どこか自嘲めいた影が差す。
「本来なら、こんなことを“敵”である貴方に話すべきではないのですが⋯⋯」
そして、ゆっくりとヴォレセオを見つめる。
「私は、今までの“平和な世界”が好きでした。⋯⋯殺し合わずとも、国は成り立つと──そう思えた時代でした」
彼の声は、静かに熱を帯びていく。
「そして、願わくば。それがこの先も続いてほしい。けれど⋯⋯そのためには、始まってしまったこの“戦争”に──私たちが、勝たなければならない」パドブロスは、祈るように言葉を結ぶ。
「それには⋯⋯貴方の力が必要なのです」
ヴォレセオは、眉間に皺を寄せる。
「貴様⋯⋯自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
その問いに、パドブロスは微笑すら浮かべた。
「ええ、正気です。この混沌の中で、はっきりと見えました。──神の導く道ではなく、人が切り開く道を歩んでみたいと」
そう言った彼の目は、曇っていなかった。
それを見たヴォレセオは、ようやくセオクトゥスを構える腕を下ろす。
「⋯⋯そうか。しかし、このあと、貴様の国の代表と戦うことになれば、本気でやらせてもらう」
「それは構いません。サイラも、貴方とは本気で戦いたいでしょう。ただ、来たるべきそのときに、貴方が矢面に立っていただけるのなら⋯⋯きっと、世界はひとつになれるのではと思うのです」
ヴォレセオはしばし沈黙し、パドブロスをまっすぐに見つめた。
「⋯⋯貴様の言葉に偽りは無さそうだ。だが、世界をどうするかを決めるのは、俺ではない」
そして、わずかに目を細めて──
「それでも、“矢面”に立てと言うのなら──そのときの俺に聞いてやる」
パドブロスは小さく息を吐いて、
「そうですか。それなら、私がセオカトの代表としてここに立てたことは、正しかったと言えます。では──世界を頼みますね。“世界最強の男”」
そう言って、彼は踵を返し、南ゲートへと歩き出した。
「おい!パドブロス!何やってんだよ!」
「降参かよ!だせぇなぁ!!」
ずっと鳴り止まなかったブーイングは、更に勢いを増す。
「えー、パドブロス選手の棄権により⋯⋯勝者!ヴァルドノルド王国代表、ヴォレセオ・ヴァルドノルド選手!」
場内にアナウンスが流れると、ヴォレセオも北ゲートへと帰っていく。
無言のまま控え室の扉を開け、その足音も静かに戻ってきた。
その瞬間──
「ヴォレセオさん」
「隊長」
「叔父さん」
三者三様の呼びかけが、ほぼ同時に重なった。
彼はそれに応えず、ゆっくりとセオクトゥスを壁に立てかける。
「隊長、あいつと何話とったんですか?」
シルヴァが口を開くより少し早く──
「⋯⋯他愛のない話だ」
淡々とそう答えるヴォレセオ。
しかし、その背中には、さっきまでとは違う“何か”が宿っているように見えた。
「えっ?それであいつ、棄権したんですか?」
シルヴァの目が丸くなる。
ヴォレセオは一拍の間を置いてから、振り返る。
「シルヴァ。覚えておけ」
その声音は、静かにして鋭い。
「時に、言葉の持つ力は──武力よりも強い」
室内に、誰も返す言葉を持たなかった。
一方、セオカトの控え室。
静かに扉が開き、パドブロスが戻ってくる。
それを見たサイラが、椅子を軋ませて立ち上がった。
「おい、パド」
その声は、静かに怒気を孕んでいた。
「あいつに何吹き込んできたんだ?」
パドブロスは立ち止まり、少しだけ視線を落とす。
「世界を、託してきたんですよ」
その呟きに、サイラの眉が跳ね上がる。
「はぁ!?てめぇ!!会議しに来たんじゃねぇんだぞ!!」
怒鳴りながら歩み寄り、パドブロスの胸ぐらを乱暴に掴み上げる。
「ルガンが死んだんだぞ!?お前が“今”すべきことは悠長に話すことじゃねぇだろうが!!」
部屋の空気が、一気に張り詰めた。
パドブロスはそれでも、微動だにせず、その怒りを静かに受け止める。
しばしの沈黙のあと、低く、だがはっきりと呟いた。
「⋯⋯サイラも、気づいているはずですよ。この空気に」
彼の視線は、サイラの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「ルガンは、決して“無駄死に”ではなかった──それを証明することも、残された私たちの使命です」
サイラは掴んでいた胸ぐらから、手を下ろす。
パドブロスは続ける。
「そして、そのためには──この世界を、続けなければならない。“災厄”は、もうすぐそこまで来ているんです」
一拍置いて、問いかけるように。
「⋯⋯貴女ひとりで、世界を守れますか?」
サイラはうつむき、奥歯を噛み締めながら──静かに背を向けた。
「⋯⋯世界は、本気で守る。でも、試合も⋯⋯本気だ」
「ええ。私も、サイラはそう言うだろうと、彼に話しました。もちろん、彼も──“本気で来い”と」
サイラは肩を震わせる。
そして、小さく笑いながら、
「⋯⋯面白ぇじゃねぇか。世界守る前に──手合わせしてぇな」




