#55 私は誰だ
セオカト代表の控え室。
石造りの室内には油ランプが点々としていて、柔らかい灯りが辺りを照らしている。
サイラ、ファナ、ルガン、パドブロスの四人はテーブルに備え付けられた椅子に座り、沈黙していた。
皆、神妙な面持ちで、張り詰めた空気が立ち込めている。
すると、ルガンが口を開く。
「あの⋯⋯ラインハルト・フォルクスという人は、本物の“伝説の男”なんでしょうか?」
サイラは卓上の水差しを手に取り、コップに注ぐ。
それを一口飲んでから、
「分からねぇけど、あの何とも言えねぇ“気”っていうか⋯⋯少なくともまともじゃねぇな」
それに続くように、パドブロスが口を開く。
「あの方は、モノマヒアを五連覇してしばらくしたあと、忽然と消息を絶ったはずです。しかも、約八十年も前に。なのに、若い姿で現れた。恐らく、東の“技術”なのでしょうが、もしかすると⋯⋯人が侵してはならない“神域”にまで手を伸ばしている可能性があります」
「それは⋯⋯どういうことですか?」
ルガンは少し前かがみになって聞いた。
「“死者の蘇生”です。もしくは、我々の考えが及ばないほどの“技術”なのかもしれません」
「死んだ人間を生き返らせるって⋯⋯やりたい放題だな」
サイラは頬杖をついて、しらけたような目をして言った。
パドブロスは淡々と続ける。
「そして、ラインハルト氏は、通称“カスタトロティノス”と呼ばれていたようです」
「⋯⋯カスタトロティノス?」
聞き慣れない言葉に、ルガンが眉をひそめる。
「はい⋯⋯簡単に言えば“災厄”です。試合は勝負ではなく、“破壊”だったと。相手がどれだけの実力者でも、何もさせずにねじ伏せる⋯⋯。モノマヒアに彼が立ち、“破壊”を終えたとき、観客は歓声を上げるどころか──静まり返ったといいます」
控え室は再び沈黙する。
すると、ファナが不安そうにルガンに投げかける。
「ルガン?そんな人を相手に戦うんですか?本当の実力は分からないけど⋯⋯もし、それが本当ならルガンの命は⋯⋯」
ルガンはファナの言葉を塞ぐように、
「ファナ。僕が何の為にここにいるか分かってますよね?ここで逃げ出せば、亜人たちの顔に泥を塗るどころか、更に肩身を狭くさせてしまいます。だから、たとえここで命が尽きたとしても、悔いは無いです」
ファナは思わず言葉を失い、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
目を伏せたまま、かすかに唇が震える。
それを見たサイラが、椅子に深く背を預け、天井を見上げながら呟く。
「オークってのは、喧嘩っ早くて困っちまうな」
皮肉のようで、どこか優しい声音だった。
そしてルガンを見ながら、ゆっくりと続けた。
「命懸けてんのは、みんな一緒だけどよ。ちゃんと帰って来んのも、“勝ち”と同じくらい──いや、それ以上に価値があるもんだぞ」
ルガンは、少しだけ目を伏せて、それでも真っ直ぐに頷いた。
「分かってます。だからこそ、全力で行きます」
控え室の空気に、静かな決意だけが残った。
一方、クロス=アージュ代表の控え室。
セオカトの代表たちとは真逆に、ここには団結も声もなかった。
それぞれが四方に散らばり、目も合わさず、ただ黙りこくっている。
そして、無表情。
まるで“機械”たちが時間を待っているかのようだった。
ラインハルトは椅子に腰掛けながら、そっと“仲間たち”の姿を見渡す。
全身を装甲で覆ったダリス。
呼吸音だけが聞こえるルシア。
そして、あの──視線だけが生きているような、アレップという女。
(この異型の奴らは⋯⋯何だ?私が知っていた“クロス=アージュ”とは、まるで違う。人はどこへ行った?)
かすかに眉をひそめたラインハルトは、視界の隅に入った、壁にかかる鏡を何気なく見た。
そこには──
(⋯⋯若い、私!?)
目を見開いたまま、震える指先で頬をなぞる。
肌は張り、血の巡りは若々しい。
だが、実感だけが追いつかない。
(私自身──何が、いつ、どうなった?確か⋯⋯器の中で目覚めて⋯⋯)
記憶の底へ潜ろうとした瞬間、どこからともなく、声が割り込んできた。
──お前はラインハルト・フォルクス。
──五連覇の英雄。
──誇り高き“災厄”(カタストロティノス)。
まるで暗示のように。
押し付けるように。
否応なく脳に刻み込むように。
誰の声でもなかった。
ただ、そう“刷り込まれた”だけだった。
彼は息を細く吐き、目を閉じる。
ただ一人、彼だけが──自分という存在を疑っていた。
すると、突然控え室の扉が開いた。
現れたのは──
「皆さん、ご機嫌いかがですか?」
ジェフが柔和な笑顔で部屋に入ってきた。
その声に皆、無反応かと思いきや、
「お前は⋯⋯ジャック・クリオノハートか?」
ラインハルトは怪訝な表情で、そうジェフに問う。
「いえいえ、私はジェフ・クリオノハートと申しまして、ジャックの子孫にあたります。⋯⋯見間違うほど、似てましたか?」
「⋯⋯その底の見えない笑顔、全く一緒だ」
ジェフはふふっ、と鼻で笑うと、
「そうですか。偉大な曾祖父と瓜二つとは⋯⋯光栄です」
と胸に手をあてた。
どこまでも、演技じみた所作だった。
──だが、ぼんやりと聞いていたその言葉が脳内で反響した瞬間、ラインハルトは立ち上がっていた。
「待て。お前⋯⋯ジャックのひ孫なのか?それは一体⋯⋯」
「はい。今は、貴方がモノマヒアを五連覇した──そこから八十年後の世界ですよ?」
その答えは、あまりにも“当然”という顔をしていた。
「八十年後⋯⋯?」
ラインハルトの表情が、一瞬凍りつく。
彼の中で、時の感覚が崩れ、空白の記憶がざわめき始める。
(私は五連覇したあと⋯⋯駄目だ、思い出せない⋯⋯)
動揺を隠しきれないラインハルト。
ジェフは語りかけるように、
「貴方には是非、お力添えいただきたいのです。私の“戦争”の為に」
と言いながらも、表情は一向に崩れない。
ラインハルトは視線を床に落としたあと、
「⋯⋯その“戦争”の先には何がある?」
「“四国統一”です。そして、“クロス=アージュ科学帝国”を建国します。それが、私の永きに渡る夢⋯⋯ついに今回、そのときが訪れようとしているのです」
ジェフは悦に入ったように、そして、自分があたかも物語の主人公かのように、“気持ちのこもった”言葉を並べた。
「もし、私が力を貸さないと言ったら?」
ラインハルトは静かな目で、ジェフを射抜く。
「愚問ですね」
彼は小さく笑い、即答した。
「貴方が“ここ”にいる──その意味を、まだ理解していないのですか?」
そう言うと突然、ジェフは指をパチンと鳴らした。
すると──ラインハルトは一点を見つめたまま、よろけるように後ずさりして、椅子に腰を落とした。
(な、何だこれは⋯⋯。全てが、歪んでいく)
「貴方は“兵器”です。そして、クロス=アージュの繁栄の為の“糧”となるのです。それが、貴方がここにいる意味です」
ラインハルトは呟くように、ジェフの言葉を復唱した。
「私は兵器⋯⋯繁栄の糧⋯⋯それが私がここにいる意味⋯⋯」
ジェフは手を後ろに組んでラインハルトに近づくと、目の間で立ち止まる。
少し顎を上げ、見下すような視線で、
「改めて確認しておきましょう。ラインハルト・フォルクス。貴方の成すべきことは何ですか?」
「⋯⋯四国、統一」
ジェフは満足げに頷いた。
「⋯⋯よろしい。貴方には自我など必要ありません。ただ、目の前の敵を倒すことだけを考えていれば、それでいいのです」
その言葉に、ラインハルトは何の反応も返さなかった。
──いや。返せなかった、のかもしれない。
そこにいたのは、もはや“人”ではなく──ただ命令を待つ、“兵器”だった。




