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#53 波乱の幕開け

ヴァルドノルド王国の寮。


外は珍しく、雲ひとつない青空だった。

窓から差し込むやわらかな朝陽が、部屋を静かに照らしている。


大輔が目を覚ますと、どこか懐かしくて、心をほどくような香りが部屋に満ちていた。

彼はゆっくりと起き上がり、目を擦りながらダイニングへ向かう。


──そこには、エプロン姿のリーリャがいた。

淡い笑みを浮かべ、朝食の準備をしている。


「⋯⋯リーリャ、おはよう」


その声に彼女が振り返る。

髪がふわりと揺れ、どこか名残惜しげな笑みを浮かべた。


「ダイスケ、おはよう。ずいぶん早起きだね?」


「うん。なんか⋯⋯緊張しちゃってさ」


「大丈夫。ダイスケはきっと大丈夫だよ?だって、リーリャが誰よりも知ってるもん」


そう言って、リーリャは朝食の皿を両手に持ち、テーブルにそっと置いた。


「うん⋯⋯ありがとう」


──この朝が、ふたりにとって最後の“いつも通り”になるかもしれないことを、お互い、口には出さなかった。

だからこそ、

香ばしいパンの香りも、

よく焼けた目玉焼きのかたちも──


すべてが、胸に焼きつくほど、優しかった。



朝食を終えた大輔は、身支度を整え、玄関へ向かう。

リーリャも皿を洗い終えると、そっと彼の背中を追いかけた。


「⋯⋯じゃあ、リーリャ。行ってくるよ」


「うん、いってらっしゃ⋯⋯」


リーリャが言葉を言い切る前に、大輔は彼女をぎゅっと抱きしめた。


「ダイ⋯⋯スケ?」


「リーリャ。俺、ありがとうしか言えない。ごめん」


「⋯⋯どうしたの?それでいいんだよ?」


「⋯⋯リーリャに会って、可愛いってイジられて、氷哭にやられて帰ってきても変わらず迎えてくれて、ビンタされるようなことしても、ドキナミスでボロボロになって帰ってきても──親衛隊に入って訓練して、毎日くたくたになって帰ってきても、ずっと、ずっとリーリャがそばにいてくれた。リーリャがいなかったら、俺⋯⋯とっくに野垂れ死んでた」


「ふふっ、大げさだなぁ。言ったでしょ?リーリャがずっと支えてあげるって」


彼女の柔らかな声が、大輔の耳元にふわりと触れる。

そのまま、リーリャも彼の背中にそっと両手を回した。


「⋯⋯ダイスケ? 絶対、優勝しなきゃ、だよ?」


「⋯⋯絶対、優勝する」

その声は震え、涙が混ざっていた。


「もう⋯⋯ダイスケ?勇者が目を赤くしたままモノマヒアに出るなんて──カッコ悪いよ?」


ふたりはゆっくりと身体を離す。


「はは⋯⋯そうだな」

大輔は笑いながら、袖で涙を拭った。


「救護班として、私も会場に行くからね。だから、またあとで──ね?」


「うん。またあとで」


そう言って、大輔は扉を開け、静かに去っていった。


ひとり残されたリーリャは、玄関先で膝を折る。

その場にへたり込むように座り込み、堪えていた涙が零れ落ちた。


(本当は⋯⋯優勝なんてして欲しくない。ダイスケと、ずっと一緒にいたい。だけど⋯⋯だけど⋯⋯)


「ぐすっ⋯⋯ううっ⋯⋯うっ⋯⋯ダイスケ⋯⋯っ」


こらえきれなかった声が漏れ、両手で顔を覆った。


それでも。

彼女はこの朝、笑顔で送り出した。愛する人の背中を、強く、真っ直ぐに──。



ヴァルドノルド王国の親衛隊の闘技場。

そこにはすでに大輔、ヴォレセオ、シルヴァ、デウロスの四人が揃っていた。

そして、彼らの前に現れたのは──

国王シデロス・ヴァルドノルドと、その隣に立つシュルトだった。


「⋯⋯いよいよ、この日が来たな」


シデロスの低く落ち着いた声が、闘技場に静かに響く。


「ヴァルドノルドの代表として、日頃の鍛錬のすべてをぶつけてこい。そして──全力で戦い、必ず帰ってくるんだ」


灰色の瞳が、ひとりひとりの顔を順に見つめる。

その視線は、まるで“王”ではなく、“父”のような温かさを帯びていた。

そして、フッと笑いながら、

「⋯⋯いい面構えだ。健闘を祈る」


四人は外へ出ると無言で送迎車に乗り、“戦地”へと向かった。



モノマヒアの会場、ケントロ・トゥ・コズム。

観客席は、まるでこの世界そのものを象徴するかのように、東・西・南・北の四方に分かれていた。


それぞれの国民は、自国のエリアへと案内され、己の代表たちを見守る。

いや、背負わせるようにして、席に着いていく。

すでに場内には、十数万の観客が集まり、各陣営の熱と期待が、重く渦巻いていた。


──その中で、最も異様な空気を纏っていたのは、東の国のエリアだった。

あの夜、大輔によって壊滅させられたはずの国──多くの人々が亡くなり、復興もままならないだろうと、他国民は思っていたが⋯⋯


「おい、東の観客席、めちゃくちゃ埋まってないか?」

「こんなところに来てる場合なのか?」

「本当に気味悪いよな、東の国って」


静かなどよめきが、観客席の一角から滲み出し、やがてその違和感が、会場全体をじわじわと包み込んでいった。


来賓席には、ヴァルドノルドのシデロスとシュルト。

メガロフォスのニシキヨとヨコヤス。

セオカトのコスタス、ディミトラ、マルコスは、自国での扱いのように、四方を囲まれた籠のような席に座っていた。

その中で、ぽつんと空席の、クロス=アージュの席。

やはり、誰も座っていなかった。


この大会は、各国の首都に設営された超大型ビジョンでも中継され、その前には多くの民衆が詰めかけていた。



──そして。

煌々と照らしていた会場内の照明が、突如としてすべて落とされた。

一瞬にして、辺りは闇。

まるで夜が、会場そのものを飲み込んだかのようだった。

ざわめき立つ観客たち。

不安と緊張、そして期待が入り混じるその中──場内アナウンスが響いた。


「これより──第二十五回モノマヒア、開会式を行います!」


その瞬間、怒涛のような大歓声が巻き起こった。

だが、照明はまだ落ちたまま。

観客たちの熱気だけが、闇を震わせていた。

その暗闇の中──代表選手たちは、各々の立ち位置まで、音もなく歩を進めていく。

一歩ごとに響く、足音。

それすらも、観客の歓声にかき消されていった。


──そして、また会場にアナウンスが響く。


「まず始めに、各国の代表選手の紹介を行います。──前回優勝国、ヴァルドノルド王国からです!」


その瞬間、場内の歓声が、さらに一段階、跳ね上がった。


「デウロス・ヴァルドノルド選手!」

その瞬間、スポットライトがデウロスを照らした。

鋼の鎧が煌めき、彼はひとつ、息を吐いた。


他国民は、

「あれって王子やろ?もし死んだらどないするんやろな?」

「まぁ、北はヴォレセオもおるから、そんな心配しとらんのちゃう?」



「シルヴァ選手!」


「シルヴァ!頑張れよ!」

「負けんな!」

自国民からの声援がしきりに飛ぶ。

その声に、彼は軽く手を挙げた。



「そして、前回優勝者にして四連覇中、“世界最強の男”!ヴォレセオ・ヴァルドノルド選手!!」


彼の姿が見えた瞬間、歓声は熱狂と化した。

それは、他国の選手であろうが関係なく。

今大会も、間違いなく彼が“主役”であることは、誰も何も言わずとも、会場の空気が納得させた。

隣にいる大輔は、凄まじい声の音圧を身体全体に感じながら、

(ヴォレセオさんの人気が凄すぎる。トップアスリートみたいだな⋯⋯)



「そして、ヴァルドノルド王国、最後の代表は⋯⋯“勇者”──田中、大輔選手!!」


照明が彼を照らす。

だがその瞬間、拍手も歓声も起こらなかった。


(⋯⋯あれ?ちょっとざわついてるだけ?)


キョロキョロと観客席を見回す大輔。

すると、東のエリアから──


「人殺しが英雄ヅラしてんじゃねぇ!」

「よくモノマヒアに出てこれたな!」

「お前のせいで、妹が⋯⋯ッ!!」


ブーイング、野次、怒声。

それは、称賛ではなく──「断罪」の視線だった。


それでも、北の国の民からは、

「勇者!世界にもう一度お前の力を見せつけてやれ!」

「ヴァルドノルドを頼むぞ!」

「俺たちが応援してるからな!」

とそれをかき消すかのように、励ましの声が徐々に増えていった。



その混沌とした空気の中──薄暗いフィールドで、しゃがみ込んで顔を覆い、声を殺して泣く女性がいた。


「……っ、うぅ……ああぁ……っ、ううっ……」


震える指の隙間から、涙がぽろぽろと地面に落ちる。

そして──顔を上げて、呟くように、かすれた声で彼の名を呼んだ。



「だいすけぇ……っ!!うっ、うあぁぁぁっ……!いきてたぁ……いきてたぁぁ!!……っ」



──ファナだった。



サイラが、しゃがみながら彼女を優しく抱き寄せる。

(ダイスケ、よくやったな。アタイも信じてたぞ)

大輔を見つめるサイラの目からも、一筋の涙が流れた。


だが、その隣にいたルガンは、

(あれが“勇者大輔”か⋯⋯正直、全然強そうじゃないけど⋯⋯)

と冷静だった。


「以上、ヴァルドノルド王国の選手紹介でした!次は南の国、セオカトの選手紹介です!」



「パドブロス選手!」

スポットライトに照らされた彼を見て、大輔はすぐに気づいた。

(あの人、俺とファナを案内してくれた使者さんだ。でも……戦えるのか?)



「ルガン選手!」


「おい!亜人を代表にすんのはずるいぞ!」

「どのツラ下げて代表だって言ってんだよ!」

「さっさと殺されちまえ!」


(分かってたけど、やっぱりここでも同じか⋯⋯)

改めて世間の風当たりの強さを感じ、ルガンは拳を力強く握りしめた。



「ファナ選手!」


光を受けた彼女は、瞳に涙を浮かべていた。

そして、その視線は、まっすぐ大輔へと向けられる。

彼は目を見開き、一瞬呆然としたかと思えば、唇を強く噛みしめ、震えさせた。


ファナは、溢れそうな涙をそっと袖で拭い──それから、精一杯の笑顔を作る。


だがその笑顔は、大輔の視界の中で、歪み、滲んで──


「ファナ⋯⋯? ぐっ、ううっ⋯⋯ファナぁ⋯⋯ごめんなぁ、ファナぁ⋯⋯」


彼は涙を堪えきれず、その場で小さく肩を震わせながら、すすり泣いた。


観客は大輔の様子を見て、

「おい、何か勇者泣いてるぞ?」

「さっきのブーイングが効いたのか?」

「まぁ、やることやっとるしなぁ」


それを横目に見たヴォレセオが、大輔の肩に手をやる。

「いつまでも泣くな。胸を張れ」

と声をかけた。


「はい⋯⋯」

彼は涙を拭いて、息を吐いたあと、両手で自分の顔を叩いた。



「そして、セオカト最後の代表は、神の受け皿(ピアタキ・トゥ・セウ) 、サイラ選手!!」


彼女は、ヴォレセオに引けを取らない大歓声を浴びた。

サイラは大輔を見つめ、口角を上げながら頷く。

彼も、呼応するように頷いた。

(サイラ⋯⋯ありがとう)



「以上、セオカトの選手紹介でした!次は東の国、クロス=アージュ科学連邦の選手紹介です!」


場内のどよめきが一層強くなる。

「ホンマに東は戦えるんか?」

「出てくるんやから、そうなんやろ?」

「大人しくしとけっちゅうねん、ホンマに」



「ダリス選手!」

彼は全身、白いアーマーのような重厚な装備をしている。

片手には、何やら大砲のような筒。

顔も覆われて、表情は伺うことができない。


「何だあれ?機械なのか?」

「動きづらそうだな⋯⋯」



「ルシア選手!」

恐らく女性のようで、背中に水のタンクのようなものを背負っている。

彼女もまた、風体はダリスに似ている。


「火事のとき役に立ちそうやなぁ?」

「ハハハ!あれで戦えるんか?」



「アレップ選手!」

全身黒いウェットスーツのような見た目に、動物のような顔立ちの、側頭部から後方にかけて、二本の角のようなものが生えたフォルムのフルフェイスマスクを被っている。

そのスタイルから、女性であることは間違いなさそうだ。

そして、その視線は大輔を見つめているようだった。

(ん?俺のこと見てる?何か気持ち悪いな⋯⋯)



「そして、クロス=アージュ科学連邦、最後の代表は⋯⋯えっ?ラインハルト⋯⋯フォルクス⋯⋯?」


スポットライトを浴びた、ひとりの青年。

金に輝く髪、左目は蒼く、右目は深緑のオッドアイ。

風にマントがなびき、腰に剣を携え、くすんだ銀の鎧を身につけている。

装備は決して派手ではないが、誰しもが感じ取れる、得も言えぬオーラを纏っていた。

彼は、モノマヒア第一回から五回まで五連覇を達成し、殿堂入りした“伝説の男”だった。

ラインハルトは無表情で周囲を見回し、違和感を感じていた。

(今回のモノマヒアが、第二十五回⋯⋯?)


観客たちのどよめきやざわめきは、明らかに不穏な空気を増長させていた。

「おい⋯⋯何でラインハルトが生きてんだよ!昔、事故で死んだんじゃなかったのか?」

「しかも若い姿だぞ?」

「これも東の“技術”なのか?」


大輔は思わず、ヴォレセオに訊ねる。


「ヴォレセオさん、これ、どういうことなんですか?」


「俺にも分からない。ただ、確実なのは⋯⋯東は“勝ちに来ている”ということだ」


(あの人、ロビーにあった肖像の人だよな⋯⋯しかも“ラインハルト”って!絶対強いじゃんか⋯⋯)

大輔は口を真一文字に結んだ。


「⋯⋯すみません、失礼しました。以上、クロス=アージュ科学連邦の選手紹介でした!次は、西の国、メガロフォス共和国の選手紹介です!」



──沈黙。数秒が、数分のように感じられる。 




「ん?どうしたんだ?」

「アナウンスのミスか?」


ざわつく観客席に、しばらくして震えるような声が響く。


「えー⋯⋯メガロフォス共和国より通達がありました。代表選手から、“モノマヒアへの出場を辞退する”との連絡が入りました」


「⋯⋯出場辞退!?」

「ふざけんなよ、何のための代表戦だよ!?」

「青蛇は!?ギャレットはどこにいるんだよ!!」


──場内に、空虚な沈黙が広がった。

その中でも過敏に反応したのは、来賓席にいたニシキヨだった。


「ギャレット!何考えとんねん!あいつどこや!今すぐここに連れてこいや!」


立ち上がり、顔を赤くして激怒するニシキヨに、ヨコヤスは、

「キヨ。ワシらの計画、バレたんやないか?」

と淡々と話す。


「そんな⋯⋯そんな訳あるか!」


フィールドのメガロフォス代表の立ち位置に照明が当てられたが、やはりそこには、誰もいなかった。


すると、コロシアムの超大型ビジョンに、どこかの街並みが映った。

しかし、道行く人はひとりもおらず、ただ街灯が点々としている。


「ん?もう映っとるんか?仕事早いな〜」


と映像から関西弁だけが聞こえる。

画面の外から現れたのは──


「世界のみんな、モノマヒア楽しんどるか〜?ワイもそこに行きたかったんやけどなぁ〜、ファンには申し訳無いけど、ちょっとやることあってな」


ギャレットだった。

カメラが向きを変えると、首都の省庁が入る建物が映る。

しかし、それを国境警備隊が取り囲んでいた。


「まぁ、この通りや。ウチの首相がやりたい放題やったから、派手にやらせてもろたで?……ん?何かって?それはなぁ⋯⋯」


ギャレットはニヤリとしながらカメラへ目を向ける。


「“クーデター”や。もちろん、無血やで?」



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