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#45 スタートライン

大輔が目を覚ました。


無機質なコンクリートの天井──見慣れたはずなのに、その冷たさが今は、やけに痛かった。

灰色の色彩が、じわじわと意識を現実に引き戻していく。


「⋯⋯つっ」


背中に鈍い痛み。

軋む関節。

シーツが擦れる音と、小さな吐息が、静まり返った室内に溶けた。


天井を見つめる視界の端に、かすかに揺れる影が映った。

本のページがふわりとめくられる音が、まるで鼓動の代わりのように響いていた。

視線を右に向けると、椅子に腰掛けていたレイが、手にしていた本を静かに閉じる。


「目覚めましたね。気分はどうですか?」


「まぁ⋯⋯悪くは無いです」

喉が少し乾いていたが、声は思ったより出た。


「あともう少し刃が深く刺さっていたら、死んでいましたよ」


レイは淡々と告げたが、その眼差しはどこか優しかった。

その声に含まれたわずかな温度に、大輔の眉がわずかに緩む。


「そう、ですか⋯⋯」


大輔は再び顔を戻し、天井を見つめる。

その視線の先に、答えなどないと知りながらも、ただそこに目をやる。


──そのとき、レイの声色が、わずかに変わった。


「⋯⋯貴方、魔法を使いましたね?」


「えっ?」


瞬時に右へ向き直った大輔は、レイの双眸(そうぼう)に真正面からぶつかる。

そこには、ただの確認ではなく、“確信”が宿っていた。


部屋に、静かな沈黙が落ちる。

どこからか、建物の隙間を縫う風の音がした。


大輔は、ほんの一瞬だけ言葉を探したあと、ジョルジュと話したときに思ったことを、レイに訊ねた。


「先生も⋯⋯魔法が使えるんですよね?」


「貴方が本当のことを話してくれたら、僕も答えますよ」


再び、沈黙が訪れる。

だが、そこには互いを測るような緊張ではなく、何かを共有しようとする前の静けさがあった。


「俺は、この世界には元々“魔法”が存在しなくて、回復魔法と防御魔法は、東の国が人工的に作ったものだと──“メガロフォスの青蛇”、ギャレットから聞きました」


「ほぅ。“青蛇”から、ですか」


「だから、本当は魔法なんて使わないほうがいいと思ってたんですけど⋯⋯。ていうか、直前まで、自分が魔法使えるのを忘れてたくらいなんですけどね。あのおっさんを倒すには、それしか無いと判断しました。──やむを得ず、です」


「貴方の世界では、魔法は身近なものなのですか?」


「いえ、俺が暮らしていた世界には、魔法なんてありません。ただ、物語の中にはよく登場するので、概念としては──みんな、知ってます」


「なかなか、面白い話ですね。ちょうどこの本も読み終えたところでしたし⋯⋯次は、そういう“物語”を探してみるのも、悪くないですね」


レイは目を細めながら、テーブルの本の表紙を軽く撫でた。

布張りの表紙は少し擦れており、長く読み込まれてきたことが分かる。


「⋯⋯では、お話しましょう。僕の魔法は、これがあるからです」


レイは静かに白衣の両袖をまくり、手首に巻かれた白いリストバンドのようなものを見せた。


「これは、東の国が開発した回復魔法装置です。魔法の無いこの世界でも、人間の身体には微弱な魔力が流れていて──その数値が高ければ、こうした装置で“魔法”を行使できるんですよ」


「へぇ〜⋯⋯そうなんですね」


「⋯⋯でも、僕の場合、これはカムフラージュのために付けています」


「カムフラージュ⋯⋯?」


レイは淡く笑いながら装置を外し、白衣のポケットから細い針のような器具を取り出した。


「少しだけ、お見せしますよ」


そう言って、何の躊躇もなく、自分の指先にその針を突き立てた。


「っ──!」


血がにじみ出る。

だがその瞬間、指先から淡い緑の光がふわりと広がった。

光の粒が血を包み込み、やがてその傷口は、何事もなかったかのように滑らかに塞がっていく。

室内の空気が、わずかに温かく、しっとりとしたものに変わっていた。


「国家機密です。知っているのは、陛下とヴォレセオ隊長、シュルト政導官だけ──」

レイは、癒えた指先を大輔に見せながら、静かに言った。


「ですから⋯⋯くれぐれも、内緒にしてくださいね?」


「えっ!?」


大輔は驚いて、思わず身体を少し起こす。

「痛ててて⋯⋯」

彼は背中をさすりながら、眉をひそめる。


「いいんですか?俺に話しちゃって」


「本当のことを話してくれたら、こちらも話すと言いましたよね?」


「そうですけど⋯⋯もっと突っ込んだ内容とか聞かないんですか?」


「貴方が暮らしている世界では魔法は使えない。でも、“異世界”では使える。その理由をご存知なのですか?」


「いや、それは⋯⋯」


「なら、“そういうこと”以外に無いのでは?」


大輔は、返す言葉を失った。

ただ、レイの目の奥に──すべてを見透かすような、澄んだ光があることだけは、分かった。


「ちょっと長居しすぎましたかね。では、僕はそろそろ」


レイは本を手に取って立ち上がり、出口へと歩を進める。

床がカツ、カツ、と小さな音を立てる。扉に手をかけたとき──


「僕の“仲間”が、まさか“異世界”から来るなんて、昔の僕に言っても信じないでしょうね」

そう言って、部屋を出て行った。


大輔はベッドに横になり、また天井を見た。

(“仲間”、か⋯⋯。あっ、先生がどうして魔法が使えるのか聞くの忘れたな⋯⋯まぁ、“使えるからです”とか言いそうだけど)



──その後、大輔はしばらく療養を余儀なくされた。

傷はすぐに癒えたものの、あの一戦で得たものの大きさを、彼は言葉にすることができなかった。


そして数日後。

勇者は再び、剣を手に取る──


冷たい風が吹き抜ける早朝、石畳に積もった雪を踏みしめながら、大輔はヴァルドノルド王国親衛隊の闘技場へと向かった。


土のフィールドに足を踏み入れると、そこは、あの狂騒と熱気が嘘のように静まり返っていた。

まるで前回の戦いが幻だったかのように。


すると、扉が開き、白い息を吐きながら、国王シデロス、シュルト、そしてヴォレセオが姿を現した。

三人の衣服には、薄く雪が積もっていた。

そして、大輔の前へと歩を進める。

彼は自然と、背筋を正した。


「勇者よ、体調はどうだ?」

シデロスは柔らかい表情で大輔に問いかける。


「だいぶよくなりました。王様、いろいろとお世話していただいてありがとうございます」

彼は営業仕込みの深いお辞儀をしてみせた。


「直ってよい。早速だが⋯⋯勇者よ、そなたをモノマヒアのヴァルドノルド王国代表に任命する。“世界最強の男”を倒した男を、みすみす逃がす訳があるまい。なぁ、ヴォレセオ?」


「⋯⋯一言余計だ。早く渡せ、兄者」


シデロスは、ヴォレセオの横顔を見てフッと笑ったあと、数歩前に出て、代表の証であるピンバッジを大輔に手渡した。

小さいながらも、ヴァルドノルド王国の紋章が象られたその徽章は、光に照らされて、冷たくも威厳ある輝きを放っていた。

大輔はそれを、ゆっくりと胸元につける。

それは、異世界で得た“最初の肩書き”──そして、誓いだった。


「⋯⋯ありがとうございます。俺、優勝してみせます──お世話になったこの国の為に。そして、俺自身の未来の為に」


その言葉には、滲み出る決意と、覚悟の色が宿っていた。

シデロスは深く頷く。

それを受けて、シュルトが一歩前へ出る。


「勇者殿。モノマヒア本戦まで、まだ猶予があります。その間、ぜひ親衛隊の訓練に参加していただきたい」


続いて、ヴォレセオが重々しく言葉を紡ぐ。


「勇者──お前はまだ、強くなれる。そして俺も⋯⋯あのまま終わるつもりはない。だからこそ、共に鍛え合おう」


大輔はふっと笑い、マスターソードの柄にそっと手を添えた。


「了解です、ヴォレセオさん。⋯⋯こっちこそ、しっかり食らいついていきますから」


「そうか。間もなく隊員たちもここに来る。早速参加してもらうからな」


──こうして、大輔は一時的に親衛隊の一員となり、モノマヒア本戦に向けて、研鑽を積む日々へと足を踏み入れた。


* * *


初日の訓練を終えたあと、冷たい水で顔を洗い、額を拭っていた大輔の元へ、シュルトがやって来た。


「勇者殿、お疲れ様です。もう貴方は病人ではないので、今後は親衛隊の寮で暮らしていただきます」


「寮⋯⋯ですか?」


「はい。寮と言っても、貴方には幹部クラスの待遇をしろと、陛下から通達が来ております。案内しますので、ついてきてください」


「は、はい」


雲間から見えた空は夕闇に染まり、吐く息の白さも大きくなる。大輔とシュルトは防寒着に身を包み、親衛隊の寮へと向かった。


そこは、四方を高い塀で囲まれ、重厚な門が黒光りする、まるで城門のような造り。

建物の壁には雪が積もり、オレンジの明かりが窓からこぼれていた。


「シュルトさん、これが寮ですか?」


「はい。何か問題でも?」


「いえ、別に⋯⋯」


門の前には親衛隊員がふたり、見張りとして立っていた。

「シュルト政導官、勇者殿、お疲れ様です」


そう言うと、彼らは門を開けた。

軋む音と共に、冷気が流れ込んでくる。

中に入った大輔の視線に飛び込んできたのは──一軒家のような建物が点在する、まるで別荘地のような光景だった。


「えっ?寮って⋯⋯マンションとかアパートみたいなのじゃないんですか?」


「マンション?アパート?何ですかそれは」


「あっ、えっと──集合住宅?って言えばいいのかな」


「もちろん、下級隊員はそのような寮に住んでいます。先程も言った通り、ここは幹部クラスの隊員の寮です」


(いや、これで寮って無理があるだろ⋯⋯立派過ぎる)


家の煙突からは暖炉の煙がうっすらと立ち上っていた。

外壁には氷柱が下がり、灯るランプが揺れている。

シュルトは、「こちらです」と言って、大輔を促す。

家の前に着くと、中から明かりが漏れていた。

ほのかに香る煮込み料理の匂いが、鼻をくすぐる。


(ん?誰かいるのか?)


シュルトが扉をノックすると、中から「は〜い」と声がした。


(こ、この声は⋯⋯!)


扉が開くと──

「あ〜!ダイスケ!おかえり♡」


「やっぱりリーリャだった!⋯⋯えっと、た、ただいま」

(うおっ⋯⋯私服にエプロン姿⋯⋯可愛い)


リーリャは、大輔の世界でいう、パーカーにデニムのような格好にエプロンをつけていた。

満面の笑みで大輔を迎え入れようとしたが、彼女が目線を横にずらすと、一瞬にして表情が強張った。


「ちょっと!何であんたがいるのよ!ここはダイスケと私の“愛の巣”なんだから!早くあっち行って!しっ!しっ!」


リーリャは両手のひらをぱたぱたと振りながら、シュルトに向けて追い払うように手を動かす。

(また激しい爆撃してるよ⋯⋯)


「リーリャ様、失礼いたしました。では、私はこれで」


シュルトは一礼し、その場をあとにしようとした──が、


「シュルトさん、いつもありがとうございます」

大輔はその背に向けて、きちんと頭を下げる。


彼は振り返らぬまま、

「明日も朝から闘技場で訓練があるので、遅刻しないようお願いします」

とだけ告げ、静かに去っていった。


「ダイスケ、ご飯できてるよ? こっちこっち!」


リーリャはすぐ笑顔になり、小さく手招きしながら、大輔を室内へと(いざな)う。

扉が閉まる──その瞬間、彼女はぽすんと大輔の腕に抱きついてきた。


そのまま身体を密着させて、すりすりと甘えるように、ダイニングへと引っ張っていく。


「ふふっ♡ 病院じゃないところで、ダイスケとふたりっきり⋯⋯嬉しいなぁ〜♡」


(これは何か裏があるのか?あとで怖い人たちが出てきて、高額請求されるとか⋯⋯いや、まさか、ないよな?それにしても⋯⋯今、俺の腕、確実に柔らかいダブルマウンテンに挟まれてる気がするんだけど?)


そんな疑念と心臓の高鳴りを抱きつつも、大輔がダイニングで目にしたのは──想像を遥かに超える光景だった。


「えっ?⋯⋯これ、全部リーリャが?」


「うんっ!代表おめでとうのパーティーしようと思って、張り切って作ったの♡」


並べられた料理は、まるでレストランのメニューのようだった。

木のテーブルの上には白いクロスが敷かれ、花瓶には色とりどりの花が活けられている。

ビーフシチューにステーキ、チーズフォンデュ。彩り豊かなサラダ、アクアパッツァ、湯気を立てるリゾット──

大輔はそれらをしっかりと認識できるほど、自分の世界の料理に似ているものだった。

彼がこの世界に来てから、これほどの“ご馳走”を見たことはなかった。

ぽつんと立ち尽くした大輔は、額に手を当てたまま、言葉を絞り出す。


「リーリャ⋯⋯ううっ⋯⋯ありがとう⋯⋯」

その指の隙間から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「ちょ、ちょっと!? ダイスケ? 大丈夫!?」


あたふたと慌てるリーリャは、エプロンの裾で大輔の頬を拭おうとする──

けれど、その手はわずかに震えていて、上手く拭えなかった。


──そのときだった。

大輔は、迷いなく、リーリャを力強く抱きしめた。

彼女は一瞬、驚いて身体を引こうとしたが──

次の瞬間、そっと力を抜き、その身を大輔に預けた。


「ダイスケ、頑張ったね⋯⋯」

小さく、優しい声が、大輔の耳元に降りてくる。


「でも、まだ終わってないよ?」


「⋯⋯分かってる。でも、今の俺には⋯⋯これくらいしかできないんだよ」


ぽつりとこぼれたその言葉に、リーリャはゆっくりと目を閉じた。

彼の震える声と、抱きしめる腕の温度が、胸に染みてくる。


「そっか。──リーリャ、今、すごく贅沢してるんだね」


彼女がぽつりとこぼすと、大輔が顔を上げる。

その表情は涙に濡れながらも、必死に笑顔を作ろうとしていた。

それを見たリーリャは、目を細めながら頬を染めて微笑み、


「ダイスケ、可愛い⋯⋯」


両手で大輔の頬を包み込んだ彼女は、そっと顔を近づける。

息を呑むほど静かな空気。

そして──ふわりとつま先を立てた。


目を瞑ったリーリャの額と鼻先が、大輔に、ちょんと触れる。

それだけのはずなのに、ふたりの心臓が跳ねる音が、部屋に響きそうだった。


「⋯⋯ご飯冷めちゃうから、食べよ?」


リーリャは恥ずかしそうに目を逸らし、手を口に当てながら言った。

大輔は何も言えず、ただ、こくんと頷く。

額と鼻先に残る彼女の体温が、心の奥まで沁みていた。



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