#42 待ち人
大輔とシュルトが病院に戻り、玄関で雪を払っていた。
大輔がロビーのほうを見ると、リーリャが俯きながら長椅子に座っているのが見えた。
彼は笑顔で彼女に近寄りながら、「リーリャ──」
名前を呼んだ瞬間──リーリャは顔を上げないまま立ち上がり、右腕を振りかぶった。
パンッ!
院内に響く乾いた音と同時に、大輔の視点は、左頬に衝撃を感じながら右に向く。
ロビーにいた人々も、その音に振り返り、息を呑んだ。
側にいたシュルトですら、突然の出来事に一瞬目を見開いた。
そして、数秒の残響。
「リー⋯⋯リャ?」
大輔は正面を向き、左頬を手で押さえながら、現状を飲み込めないでいた。
リーリャは俯いたまま、呟くように言う。
「⋯⋯ダイスケ。リーリャは、怒ってるの」
今まで見たことのないリーリャの態度に、大輔は咄嗟に謝ることしかできなかった。
「⋯⋯ごめん」
「謝ったって許さないんだから」
自分の行動に、まさか手が出るほど怒られるとは思っていなかったが、今日までのリーリャとのことが一瞬よぎると、そうされても仕方ないと、大輔は思えた。
「うん⋯⋯だよな」
そして、リーリャの声が震える。
「でも、リーリャは⋯⋯何回でも言わなきゃいけないの」
「⋯⋯?」
彼女はそのまま大輔の胸に頭を預ける。
「⋯⋯リーリャ?」
「──おかえり、ダイスケ⋯⋯」
ぽた、ぽたと彼女の涙が、床に落ちた。
大輔は思わず、右手でリーリャの頭を軽く撫でる。
柔らかく微笑みながら、語りかけるように言った。「ただいま、リーリャ」
すると、しばし沈黙を保っていたシュルトが、場の空気にまるで動じることなく、淡々と口を開いた。
「勇者殿、氷哭を克服したとはいえ、肉体的にも精神的にもダメージがあると思われますので、数日の療養をお願いします。事前にレイ医師にも伝達済みです。では、私はこれで」
彼は踵を返し、玄関へ歩き出す。
「リーリャ、ちょっとごめん」
大輔はリーリャを自分から少し離し、振り返る。
「シュルトさん、俺を迎えに来てくれて、ありがとうございました」
彼はその背に言葉を届けると、シュルトは足を止めた。
「⋯⋯あくまで調査ですので、誤解無きよう。失礼します」
振り返ることなくそう言い残し、静かに玄関の扉を開け、病院を後にした。
(シュルトさんも、やっぱり人なんだな)
「⋯⋯ダイスケ、部屋に戻る?」
シュルトを見送った大輔に、落ち着きを取り戻したリーリャが問いかける。
しかし、まだ目は赤く、少し潤んでいる。
「そうだな、ちょっと休もうかな」
「じゃあ、あとでご飯持って行くね?」
「それなら⋯⋯スープは大盛りがいいなぁ」
「ふふ、ダイスケったら食い意地張りすぎなんだから」
どこかで止まっていた“時間”が、ようやく、また歩き始めたように。
ふたりの呼吸は、違和感など微塵も感じさせないほど、自然なものになっていた。
そして、病院の外では珍しく、どんよりとした雲間から陽射しが伸びていた。
それから小一時間程経った頃。
国王シデロスは、自室で相変わらず書類に目を通し、サインを書き、判を押す事務作業をこなしていた。
(やはり、今季も鉱石や資源エネルギーの採掘量が減っている。こればかりはどうしようもない。しかし、このまま指を咥えているわけにもいかん⋯⋯)
その思考の渦中──扉が三度、短くノックされた。
「シュルト・グリッツァーです。調査報告に参りました」
シデロスは手を止めず、書類に視線を落としたまま返す。
「入れ」
「失礼致します」
部屋に入ったシュルトは、片膝をつき、頭を下げた。
「直ってよい。勇者が自ら“氷哭”に挑んだそうだな」
シュルトは立ち上がり、背筋を正しながら答える。
「はい。結論から申し上げますと、彼は“氷哭”を克服しました」
「そうか⋯⋯」
シデロスは小さく吐息をこぼし、机上の書類を揃えてから静かに目を伏せた。
「ヴォレセオですら、精神の回復に数ヶ月要したというのにな」
シュルトは淡々と報告を続ける。
「勇者殿は前回同様、複数の幻影と対峙したようです。そして、今回は自らの意思で克服したものと思われます」
「その後の勇者の経過はどうなっている?」
「肉体的・精神的に大きな負荷は見られましたが、会話も歩行も問題ありません。レイ医師からも異常なしとの報告を受けています」
「⋯⋯“人を殺しすぎた男”が、懺悔や後悔に押し潰されることなく戻ったか」
「僅か数週間での回復は前例がなく、驚異的な精神力と判断されます」
「リーリャの“責務”の賜物でもあるだろうな」
シデロスは書類を静かに台帳に閉じ、低く呟く。「あとは⋯⋯実戦、か」
「はい」
「ところで、ヴォレセオの武器はどうなった?」
「完成しております。“ドキナミス”で使用するかは、ヴォレセオ様の判断に委ねております」
「⋯⋯分かった。他に報告はあるか?」
「以上です。失礼致します」
シュルトが去った扉の向こうに視線を残したまま、王は低く呟いた。
「勇者よ⋯⋯そなたの“志”、次は闘技場で見させてもらおう」




