#41 勇者の答え
──あれからまた一週間が経った。
院内の朝は静かだったが、大輔の部屋だけは、空気がわずかに熱を帯びていた。
彼は部屋の隅に置かれていた、以前シュルトから受け取った上着や手袋、ブーツを装備する。
準備を終え、部屋を出て廊下を歩いていると、レイに出会った。
彼は目を細める。
その瞳の奥には、諦めと期待が入り混じった複雑な色が宿っていた。
「どこへ行くんですか?」
「自分と決別してきます」
レイの声のトーンは低くなる。
「最悪、リーリャ君を裏切ることになりますよ?」
その言葉に、大輔は一瞬ぴく、と身体が反応したが、
「⋯⋯大丈夫です。こうしなきゃ、俺は進めないですから」
「僕が行かせないと言ったらどうしますか?」
「それでも行きます」
レイは息を吐くように、
「そうですか⋯⋯」と呟く。
しかし、
「それなら、必ず帰ってくることを条件に、外出を許可します。もし、誰かに咎められたら、僕の名前を出していいですよ」
「⋯⋯ありがとうございます」
「ただ、万が一の為に、僕には国に対して報告の義務があるので、その点に関してはご理解を。⋯⋯では、健闘を祈ります」
レイは両手を白衣のポケットに突っ込み、その場を離れた。
(自ら氷哭に挑む人間なんているんですね。“勇者”というのは荷が重い⋯⋯)
そして、大輔は病院の玄関の扉を開け、ひとり極寒の屋外へと踏み出した。
過去の自分と、決別するために。
誰もいなくなった部屋に、ノックの音が響く。
いつも聞こえる、「リーリャ、いいよ」という声がしない。
「ダイスケ⋯⋯入るよ?」
明らかな異変を感じたリーリャが、恐る恐る部屋に入ると、誰もいない。
「あれ?⋯⋯ダイスケ?」
彼女は部屋を見渡すと、隅に置かれていた防寒具が無くなっていたことに気づいた。
「嘘⋯⋯どうして?」
リーリャはすぐに部屋を飛び出し、すれ違う看護師たちに、
「ダイスケは?ダイスケ見なかったですか?」
と慌てた様子で聞いて回る。
そうしているうちに、リーリャはレイと出くわした。
「レイ先生!ダイスケ見ませんでしたか?」
「あぁ、彼なら外出しましたよ」
散歩にでも行ったと言わんばかりのレイの口調に、リーリャは語気を荒げる。
「どうして⋯⋯どうしてですか!」
レイは考えている振りをしながら、
「確か⋯⋯自分と決別するって言ってましたね」
「決別⋯⋯?それより、どうして先生は止めなかったんですか!次同じようなことがあったら、もうダイスケは帰って来ないんですよ?」
リーリャの圧力に、レイは肩をすくめ、呆れたように、
「僕には止められませんでした。きっと、君でも止められないですよ。あんな根拠のない自信をひとつ持って行くなんて、常軌を逸しています」
「それなら尚更⋯⋯」
リーリャは、今にもレイの胸ぐらを掴まんとするように迫るが、
「もう、僕には専門外の事象です。だから、信じることにしました。全責任は僕が取ります。他に話はありますか?」
あまりにも飄々と話すレイに、リーリャは俯く。
「⋯⋯いえ、特には⋯⋯」
「じゃあ、君も職務に戻ってください」
そう言って、レイは去っていった。
リーリャは廊下の床を見たまま、その場に立ち尽くす。
(⋯⋯私の、せいなのかな⋯⋯)
外は相変わらずの猛吹雪。
あの日と同じように、肌や気道が、冷たさで刺されるように痛い。
大輔は目を閉じ、“あの場所”であろう地点に立っていた。
すると──
(⋯⋯来た)
耳をつんざく風の音が消えた。
目を開けた大輔は、ホワイトアウトの向こうから、複数の人たちがこちらに歩いてくるのを見た。
ファナ、かなた、ギャレット、サイラ、クリスタ、クロス=アージュの住民たち。
ファナが口火を切る。
「大輔、さようならって言ったのにまだいたんですか?未練がましいですよ?」
「当たり前だ。未練がましくて何が悪い。俺はファナと帰るって決めてるんだ」
「貴方と帰る場所なんてないって前に言ったじゃないですか!」
大輔はふぅ、と、ひとつ息を吐く。
「俺が⋯⋯ファナの帰る場所になる」
「えっ⋯⋯?」
ファナは一瞬目を丸くしたが、すぐに首を振る。
「でも、でも!ベタベタしてる女がいるくせに!そんな言葉で──」
言葉の途中で、大輔は強引に彼女の腕を引っ張り、抱きしめる。
「⋯⋯っ!」
「不安にさせてごめん。俺は絶対、モノマヒアで優勝する。だから、一緒に帰ろう」
ファナは硬直したような体勢だったが、ゆっくり、両腕を大輔の背中に回した。
目からは涙が溢れる。
「⋯⋯大輔、絶対ですよ?⋯⋯約束、ですからね?」
そう言うと、彼女は吹雪に攫われ消えていった。
「ファナ、待ってろよ⋯⋯」
大輔は小さく呟くと、かなたの前に立った。
「お兄、ファナっちと帰ってくるってのは分かった。でも、たくさん人を殺したのは必要だったの?」
ギャレットもそれに続く。
「流石にやり過ぎや。どないなってんねや」
彼女らの背後には、数え切れないほどのクロス=アージュの住民たちが声を上げている。
大輔は一度深呼吸をして、
「必要だったかどうかなんて⋯⋯今でも、答えなんか出せない。ただ、俺はあのとき、本当に許せなかった。それが、あの結果になった」
少し俯きながら、
「後悔してないなんて、言えない。謝ったって、謝りきれない。でも、もう戻れない」
空を見て、息を吐く。
「だから──俺は背負って生きていく。どう思われても、何を言われても、受け入れる。それが、唯一できることだって思ってる」
かなたは腕を組みながら、
「そっか。ウチ、まだちょっと許せてないけど⋯⋯でも、言い訳しなかったのは偉いと思った。お兄はやっぱりお兄だね」
と少し微笑んだ。
ギャレットは片手をポケットに突っ込みながら、
「タナカ、言うたな?ワイはそれ、信じるからな?ワイの“友達”はスベらん奴や⋯⋯せやろ?」
悪戯な笑みを浮かべたかと思いきや、ふたりと住民たちは、すっと強風に溶けていった。
大輔のこめかみから、極寒にも関わらず、汗が流れる。
それは寒さに抗うように滑り落ち、凍りついて頬に張り付いた。少し息も途切れ途切れになっていた。
(あとちょっとだ⋯⋯)
次に、クリスタの前へ。
「クリスタ⋯⋯」
「何だよ」
彼女の緑色の瞳は細められる。
「苦しかったよな。ごめん」
「⋯⋯それだけか?」
「あぁ、俺はお前が嫌いだからな」
「そっか⋯⋯私も心底嫌いだね」
大輔は少し顔をしかめたが、
「でも、もしまた会えたら、そのときはちゃんと謝るからな」
クリスタは視線を少し上にして、言葉を選んでいるかのようにしたあと、
「⋯⋯しょうがねぇから、そんときは受け取ってやる。一切期待してねぇけどな」
クリスタはふん、と顔を逸らすと、霧のように消えていった。
最後に、サイラの前へ。
「女々しい奴が何の用だ?」
「サイラ、あれはお前の言う通り、俺の驕りや慢心のせいだ。だから、これからそう言わせないように強くなる」
「へぇ。言うじゃねぇか。⋯⋯で?他に何かあんのか?」
「⋯⋯ファナのこと、守ってほしい。俺は絶対代表になって、優勝して、ファナを迎えに行くから。それまで、頼む」
大輔は頭を下げる。
「アタイにフレイヤ様をどうにかしろってか?ずいぶん虫のいい話だな?」
「サイラだから⋯⋯いや、サイラじゃないと駄目なんだ。俺はお前を信じてる。それでも無理か⋯⋯?」
サイラはため息をついて、
「はぁ?都合良すぎるだろ」と嘲笑う。
「でもな、舐めてもらっちゃ困るな。⋯⋯やってやるよ。アタイは強ぇからな」
彼女は続ける。
「絶対モノマヒアに出て来い。アタイも信じてやるからよ」
ニヤリと笑い、サイラは白の向こうへ消えていった。
「みんな⋯⋯ありがとう⋯⋯」
大輔はそう呟くと、息を切らしながら、その場に座り込んだ。
大きな鼓動の音が身体を伝わり、肩や胸を震わせる。
「はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯じゃあな、俺⋯⋯先に行ってるからな⋯⋯」
終わったと思った瞬間、力が抜けた。
彼がふっと目を閉じると──
「⋯⋯殿!勇者殿!」
誰かが大輔の両肩を持ち、身体を揺さぶりながら呼びかけている。
その声と共に、けたたましい風の音も戻ってきた。
大輔がゆっくり目を開くと、シュルトが両膝をつき、眉間に皺を寄せ、心配そうに見つめていた。
大輔は少し微笑みながら、
「シュルトさん⋯⋯俺、やった──」
「何をしているんですか!!また氷哭にやられたら、もう帰って来られないんですよ!!」
常に無表情、沈着冷静なシュルトが見せた、感情的な姿。
大輔は会話の内容よりも、それに目を丸くした。
「貴方は!!まだここで終わってはいけないんです!!」
「⋯⋯だからです、シュルトさん」
「えっ⋯⋯?」
「だから、俺はここに来たんです」
大輔の瞳は、かつてのそれとは違っていた。
そこにあったのは、かつての迷いや絶望ではなく──選び取った瞳の光だった。
それを見たシュルトは、一旦顔を伏せたあと、すぐにいつもの無表情に戻った。
すっと立ち上がり、大輔に手を差し伸べる。
「勇者殿、立てますか?」
「はい、ありがとうございます」
その手を取り、大輔は立ち上がった。
「病院へ帰りましょう、案内します」
そうして、吹きすさぶ雪の中、ふたりは病院へと歩いていった。




