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#40 国王と勇者

──それから数日。

大輔はまだ、言葉をほとんど発さなかった。

けれど、少しずつ──彼の中の“何か”は、確かに動き始めていた。


パンを食べた跡はいつしか半分になり、水差しも、毎日少しずつ減っていった。

一度だけ、リーリャが持ってきた果物に、かすかに歯型がついていた日もあった。


リーリャは何も言わなかった。

ただ、いつも通り笑って、話して、帰っていった。


時に昨日と同じ話をし、時に静かに椅子に座り、何も語らない日もあった。


──それでも。


その“同じようで少しずつ違う毎日”が、大輔の時間を少しずつ、現実に引き戻していった。


「⋯⋯ありがとう」「美味しかった」「ごめん」


言葉はまだ短くて、か細くて──でも、それは確かに“大輔”の声だった。



更に十日程経った頃には、大輔は身体を起こし、パン以外の食事も食べられるようになっていた。

そして何より、リーリャとの会話も、まだ万全ではないが、できるようになっていた。


そんなある日、大輔がベッドで横になっていると、院内がやけに騒がしくなる。

コンクリートの壁を音が越えてくる、異様な雰囲気。

そして、彼の部屋の扉をノックする音。


大輔は、そのノックの音がリーリャではないことが瞬時に分かった。

一抹の不安を抱えながら、「⋯⋯どうぞ」と、身体を起こしながら小さい声で言う。

扉が開き、そこにいたのは──


「⋯⋯貴方は誰、ですか?」


「私はヴァルドノルド王国国王、シデロス・ヴァルドノルドだ。初めまして、勇者よ」


その身にまとう王衣は、王国の紋章が織り込まれた深い藍色の軍装のようなローブ。

胸元には斜めにかかる白銀のサッシュ、肩からは重厚な黒のマントが垂れていた。

そのマントは内側に紫紺の裏地が走り、王家の威光と血統の誇りを静かに主張している。

風が吹かずとも揺れるその布には、どこか“冷たい炎”のような静謐な気迫が宿っていた。


マントの留め具は、狼の意匠が彫られた鋳鉄の紋章ピン。

その造形は一切の華美を排していながら、見る者に“王の背中を預ける覚悟”を感じさせる造りだった。

腰には黒革の剣帯を締め、足元には磨き抜かれた軍靴。


そして──鋼のように透き通る灰色の瞳が、大輔を静かに見つめる。


「お久しぶりです、勇者殿。回復されたようで何よりです」

シデロスの後ろにいたシュルトが、淡々と話す。


「シュルトさん⋯⋯すみませんでした。迷惑をかけてしまって」

大輔はシュルトと目を合わせず、顔を伏せながら呟く。


「いえ、私はただ、任務と責務を遂行しただけですので」


するとシデロスは、

「勇者よ、その椅子に掛けてもよいか?」

と大輔に確認する。


「はい、どうぞ⋯⋯」


いつもリーリャが座る椅子に、シデロスが座る。

一国の主が、簡素な椅子に腰掛ける様子は、誰がどう見てもアンバランスだった。

その隣にシュルトが立つ。


「本来、勇者殿にはアツァリア城まで御足労願いたいところではありましたが、陛下がこちらを訪問したいと申されたので、今回は特例で参った次第です」


シデロスは、まるで背もたれがある椅子に座っているかのように、背をまっすぐ伸ばし、真剣な眼差しを大輔に送る。


「勇者よ⋯⋯そなたがこの国に来て既に数週間が過ぎた。その間、何をした?何ができた?」


その声に怒気はなかった。

だが、問いそのものが鋭い刃となって、大輔の胸を突く。

それに対して、彼は答えられなかった。

シデロスは言葉を続ける。


「それでもこの国にいられる理由は、何だと思っている?」


「⋯⋯分かりません」


「では問おう。そなたは東の国を壊滅させたあと、北に向かって歩いていたそうだな。それはなぜだ?」


大輔は口をつぐむ。

この体たらくを晒して、“北の代表になる為”などと言ったら、軽口だと捉えられかねない。


しかし──シデロスの言葉は、全てを見透かしているようだった。


「“ヴァルドノルド王国の代表”になる為⋯⋯ではないのか?」


大輔の目が見開かれる。

その目の動き──わずかな瞳孔の揺れすら、シデロスは見逃さなかった。


「やはり、図星のようだな」


国王とは思えぬ静けさで、だが一切の冗談を排して言い放つ。


「ならば、再度問おう。勇者よ──」


彼はほんの一瞬だけ視線を落とし、すぐに大輔の瞳を真っすぐに見据える。


「その“志”は、まだ生きているか?」


 その問いは、刃ではなかった。

むしろ──炭火のような“温もり”を持って、大輔の胸に、そっと火を点けようとするような声だった。

大輔の手が、わずかに震える。


「俺は⋯⋯」


喉の奥から漏れ出た声は、まるで“本当の自分”を試すように震えていた。


「まだ、分かりません。でも──もし、何かができるなら、何かになれるなら⋯⋯」


そこで一度、言葉が止まる。

彼はゆっくりと、顔を上げた。


「いや、俺は⋯⋯やらなきゃいけないんです。“前を見る”って、決めたんです」


それを聞いたシデロスは、静かに頷く。

「そうか⋯⋯それで十分だ。それにその言葉、聞き覚えがあるな」

なぜか、少し嬉しそうに口角を上げた。


傍らのシュルトは、一切表情を崩さない。

すると、シデロスは立ち上がり、最後に一言だけ残す。


「後日、改めて“ドキナミス”を行う。口ではなく──行動で、覚悟を示してもらう」


そう言い残し、マントを翻した彼は、シュルトと共に部屋を後にする。

その背中は、大輔の“未来”を託すに足る威厳を帯びていた。


 ──大輔は、ただその背を見送っていた。


そして、ふと胸に手を当てる。

自分の心臓が、微かに熱を帯びて脈打っていることに、彼はようやく気づいた。


シデロスとシュルトが廊下を歩いていると、リーリャと鉢合わせた。

彼女は片膝をつき、頭を下げる。

「リーリャよ、直ってよい。いい仕事をしたな」


リーリャは立ち上がりながら、

「陛下。お言葉ですが、仕事ではありません。私の責務です」


「そうか⋯⋯国の為ではなく、自分の為、ということか?」


「はい」

リーリャの青い瞳は、揺るがない。


「⋯⋯ヴォレセオも、鼻が高いな」

シデロスはそう言って鼻で笑い、その場を後にする。

シュルトはリーリャに一礼し、その背を追った。


翌日。

大輔はベッドを出て、マスターソードを持ち、ゆっくりと素振りしていた。

この数週間を、急いで取り返すつもりは一切無い。

ただ、“ドキナミス”に向けて、万全の体勢を取ることだけを考えていた。

すると、部屋の扉がノックされる。


「リーリャ、入っていいよ」

大輔がそう言うと、リーリャはカートに食事を乗せて入ってきた。


「もうっ、ノックだけで分かっちゃうなんて⋯⋯リーリャのこと、どれだけ好きなの?」

彼女は頬を膨らませながらも、嬉しそうにまんざらでもない表情で、テーブルに食事を並べていく。

大輔はマスターソードを置き、ベッドに腰掛けながら、


「だって、ほぼ毎日一緒にいたら分かるだろ?」

純粋無垢な大輔の瞳を見たリーリャは顔を赤くし、思わず目を逸らす。


「そ、そんなの分かるのダイスケだけだよ⋯⋯」

「そうかな?お、今日のスープも美味そう。いただきます」


大輔はスープと具をスプーンで掬い、はふはふしながら食べる。

「あっふ!ふっ、ふぅ」

「ダイスケ、ちゃんとフーフーして食べないと」

「⋯⋯ふぅ。熱かったー。このスープ、リーリャが作ったんだろ?食べたらすぐ分かったよ。他の人が作ってくれたのと比べても、リーリャのスープが一番美味しいよ」


「⋯⋯ありがと」


リーリャは俯きながら、

「一生、作ってあげてもいいんだよ?⋯⋯なんて、言ってみただけ」


小さく呟いたその声に、大輔は気づかないふりをした。



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