#38 灯は炎へ
ガロムの家。
窓から差し込む陽光に、小さなほこりがゆらゆらと舞う。
火床を囲むように、サイラ、ルガン、ガロムの三人が胡座をかいて座っている。
ガロムが手元の急須から茶を注ぐ。
湯気とともに、ほんのりとした香りが立ちのぼる。
ぽと、ぽと⋯⋯。
その音すら、場の空気を和らげるには足りなかった。
静寂を裂くように、ルガンが話し始める。
「⋯⋯話って、何ですか?」
ガロムが茶を啜りながら、
「夜中にサイラと話したんだがな⋯⋯」
サイラは真正面から答える。
「簡潔に言うと──神官様たちが、お前をモノマヒアの代表にしてぇってさ」
「えっ?僕を⋯⋯代表に?」
「あぁ」
少し間を置いて、彼女は語気を落とす。
「ただな⋯⋯“政治の駒”に使われる可能性が高ぇ」
「⋯⋯どういうことですか?」
サイラは腕を組んで、火床を見つめながら言う。
「お前はハーフオークで、この亜人街の出身だ。だから、“多様性”の象徴として見栄えはいいってわけだ」
ルガンは数秒だけ俯いたが、すぐに顔を上げる。
目に宿ったのは、まだ揺るがない意志だった。
「でも──もし僕の力が、世界に示せたら⋯⋯それだけで、価値があると思います」
「⋯⋯じゃあ、お前は世界の猛者たちに勝てるか?」
サイラは表情を変えず、指を一本ずつ折っていく。
「西の“青蛇”──ダズ・ギャレット」
「北の“世界最強の男”──ヴォレセオ・ヴァルドノルド」
「そして──“勇者”大輔」
最後の名前が出た瞬間、ルガンの目が揺れた。
小さく息を呑む。
「“勇者”大輔って⋯⋯東の国を、壊滅させた⋯⋯?」
サイラは一瞬だけ目を伏せる。
そして、ゆっくりと頷いた。
「そうだ。それに、他にどんな化け物が出てくるか分かんねぇ」
ルガンはゆっくりと陶器の杯を持ち、口をつける。
サイラは続ける。
「それにさっき、カレンさんに“ルガンをモノマヒアの代表にするな”って釘刺されちまった」
「⋯⋯母さんは何となく勘づいてたんだと思います。オークは力を誇示してこその存在。しかも、寿命は短い。だから、いずれ僕も⋯⋯その道に行く時が来ると」
サイラは片膝を立て、肘を乗せた。
鋭いまなざしのまま、低く問いかける。
「正直、相手次第じゃ、命の保証は無ぇぞ?それでも、やるか?」
ここで、黙っていたガロムが、静かに口を開く。
「ルガン。お前はまだ成長段階だ。鍛錬を積めば、もっと強くなれる。それでも──引き受けるのか?」
しばし、沈黙が続いた。
火床の炭が、ぱち、ぱちと爆ぜる音だけが、静かに響く。
──そして。
「僕は⋯⋯強くなりたい。でも、この世界の“不平等”に、抗いたい。僕が──変えてみせます」
その言葉に、サイラとガロムは、ふっと息を吐いた。
「⋯⋯そうか。それなら、アタイが神官様たちに伝えておく」
「ルガンよ。今からサイラと模擬戦をする。外に出ろ」
「はい、師匠」
三人は席を立ち、家の外へ出て、近くの広い空き地へと歩いた。
辺りは静かで、風が草をわずかに揺らしている。
ガロムが二人の間に立ち、問う。
「降ろす神はどうする?申告制にするか?それともぶっつけでいくか?」
サイラは軽く肩を回しながら、
「アタイはどっちでもいいぞ?舞を見りゃ分かるからな」
「僕はぶっつけでお願いします。より実戦に近い形でやりたいです」
「分かった──では、始めッ!」
ガロムが号令をかけた瞬間、ふたりの気配が変わる。
(僕は──ヘファストスを降ろす!)
ルガンが静かに舞いを踏み始める。
その所作はまだ拙いが、確かな意志を宿していた。
(ほぅ、ヘファストスか。火属性な。じゃあアタイは──ドリュスでいくか)
サイラも舞を踏む。
軽やかで、流れるような動き。
経験の差が明白だった。
(ドリュスだって⋯⋯!?木属性だぞ?敢えて不利な属性をぶつけてくるなんて⋯⋯でも、僕は負けない!!)
ルガンの足が強く地を蹴る。
砂が舞い、空気が軋む。
その瞳は、灼熱の赤に染まった。
──模擬戦は、音もなく、しかし確かに始まった。
舞を終えたルガンは両腕に炎を纏い、一直線にサイラに向かっていく。
「くらえぇぇ!!」
振り抜いた右の拳──だが、それはあっさりとかわされた。
次の瞬間、サイラの木化した太い腕が、ルガンの背中にめり込む勢いで打ち下ろされる。
「ぐっっっっ!!」
ルガンは地面にうつ伏せに倒れた。炎が散り、土が跳ね、息が一瞬止まる。
「おいおい、そんな力任せじゃダメだろ?」
サイラは深緑の瞳を細め、腕を戻しながら淡々と告げる。
「それにな、気候もしっかり感じ取れ。今、湿度が高いのが分かんねぇか?火は空気を喰って燃える。湿気の中じゃ、お前の炎も鈍るんだよ。単純に属性の有利不利じゃ決まんねぇぞ?」
(それなら⋯⋯!)
ルガンは立ち上がりながら、再び炎を両腕に纏わせ、両拳を地面に突き合わせる。
すると、ふたりの周囲に、炎がぐるりと立ち上がる。炎の檻──いや、“彼の領域”だった。
(そうだ。火で囲えば空間を支配できる。アタイをもっと感心させてくれよ?)
サイラはステップを刻む。
軽やかで、なお油断のない足取り。
対してルガンは一気に距離を詰め、攻勢に出る。
パンチ、キック、膝、肘──だが、それらすべては、サイラの木化した四肢が吸収していく。
しかし、彼女の足がじりじりと下がり、背中が炎の檻に近づいていく。
そのときだった。
ルガンが右の拳の大振りを放つ。
サイラは難なく躱すが──
(今だ──!)
回転。
左腕を大きく振るい、炎の檻をすくい取るように受けて──炎を拾った裏拳を、全力で叩き込んだ。
サイラは咄嗟に両腕で防御するが──
木の皮膚は、一瞬で焼き尽くされた。
「ルガン!やるじゃねぇか!まともに食らったらさすがに危なかったぞ!」
「僕だって日々鍛錬してますから!」
しかし、サイラは苦笑いしながら、
「まぁ、作戦としてはいいんだけどよ、モノマヒアで使うのは薦めねぇぞ?」
ルガンは一瞬ぽかんとする。
「えっ?どうしてですか?」
「観客から見えねぇ⋯⋯んだよ!」
一瞬の隙にサイラが木化の拳を叩き込むが、ルガンは瞬時に交差させた前腕で受けた。
「そ、そういうものなんですか?」
サイラは肩で笑いながら、
「強ぇ奴はな、技だけじゃなく“見せ場”も作るもんさ」
と指でルガンの額を軽く突いた。
「見せ場、ですか⋯⋯」
「そうだ。“勝つ”だけじゃねぇ、“勝たせる”理由も、“応援される”理由もな」
(サイラ、やっぱり凄いなぁ。僕は闘うだけで精一杯なのに⋯⋯)
サイラはふっと息を吐き、肩の力を抜いた。
「ま、これくらいで今日は上等だな」
ルガンも大きく息をついて頷く。
「サイラ、ありがとうございました」
「礼なんていらねぇよ。模擬戦はな、ただの通過点さ」
ふたりはそっと空を仰ぎ、人差し指を突き上げた。
降りた神を、静かに天へ還すために。
纏っていた木や炎は消え、瞳の色も元の姿へ戻った。
その傍ら、ガロムが少しだけ笑みを浮かべていた。
「悪くなかったぞ。ルガン、お前はもう、立派な戦士だ」
その言葉に、ルガンは目を伏せ、静かに拳を握った。
小さな自信が、身体に溢れたのを感じた。




