#36 僕は見つけたよ
深夜。
亜人街はすっかり寝静まり、聞こえるのは虫の声と、風を受ける木々の擦れる音だけ。
その中で、ぽつんと窓からランタンの淡い灯りが漏れている、ガロムの家。
ファナはすやすやと別室で眠る中、サイラとガロムは居間にある、土間に掘られた炭の火床を囲んでいた。
その火は時折、ぱち、ぱちと鳴ったが──
沈黙を破るほどの勢いはない。
ふたりは胡座をかきながら、取っ手のない陶器の杯を指で持ち、茶を啜っている。
火床の前に腰を下ろしてから、小一時間が過ぎた。
その間、会話は一切無かった。
すると、ガロムがふぅ、と息を吐く。
「⋯⋯サイラ、ここに顔を出したのには──理由があるんだな?」
凄むように問う。
「あぁ⋯⋯神官様たちから“ルガン”をモノマヒアの代表にしてぇって言われてな」
彼女は視線を火床に落とす。
「⋯⋯ルガンを?」
ガロムは片眉を上げた。
サイラは右膝に肘をつきながら、少し前のめりになり、
「おっちゃんから見てどうなんだ?あいつは戦えるのか?」
ガロムは腕を組みながら、
「ルガンの“テフニカソドゥ”は、サイラがここを離れる前に比べりゃ進歩したが⋯⋯万が一、俺やサイラでも勝てなかったヴォレセオ・ヴァルドノルドと当たっちまったら──」
火が小さく爆ぜる。
サイラが火床の炭を火ばさみでつつきながら、
「無くはない話だからな⋯⋯それに、“青蛇”相手でも勝算は低いぞ?」
「確かにな⋯⋯でも、神官様たちはどうしてルガンを代表にしようとしてるんだ?」
「“多様性”ってやつさ。セオカトは差別や偏見のない、いい国だってのを世間様に見せてぇんだろ。言うほど寛容じゃねぇのにな。だから、勝敗なんて正直どうでもいいんだろうな」
サイラは吐き捨てるように言い放ち、温くなった茶を飲む。
「ルガンは⋯⋯その為の“道具”だと?」
「国からするとそうだろうな。これからの状況によっちゃあ、移民政策なんて話も出るだろうよ」
「移民だと!?“イートゥセウ”はどうなる?穢れが入ればまた不毛の地に⋯⋯」
「⋯⋯そこなんだよな。神官様たちは何か企んでやがる」
サイラの金色の瞳は細められる。
「そうか⋯⋯」
「まぁ、その辺はアタイが探っとくさ。あとは⋯⋯ルガンがどうしたいかだな」
「そうだな⋯⋯明日、ここでルガンと話すか。でもサイラ、お前は止めないのか?」
「止めねぇよ。やるかやらねぇかは自分で決めるもんだ。選択権が自分にあるなら尚更な。おっちゃんはどう思ってんだ?」
「あいつは自分の息子みたいなもんだからな⋯⋯“胸張ってやってこい”って気持ちと、“無理するな”って気持ちが混ざっちまって⋯⋯何とも言えねぇな」
ふたりは再び沈黙する。
火の音だけが、短い夜を刻む──
翌朝。
ファナは、何かが焼けるような匂いで目が覚めた。「⋯⋯ん?美味しそうな匂いがします⋯⋯」
目を擦りながら居間に行くと、サイラとガロムが火床で魚を焼いていた。
「おっ、ファナおはよう。いいタイミングで来たな。ほれ、これもう食えるぞ」
サイラは笑いながら、串刺しの焼き魚をファナに渡す。
そのフランクな対応に、ガロムは眉をひそめる。
「サイラ、普段もそんな感じなのか?まるで友人や家族みたいじゃないか」
ファナはサイラの横に座り、はふはふしながら魚にかぶりつく。
「最初はファナからそうしてくれって言われたんだけど⋯⋯まぁ、成り行きってやつだな」
サイラのあっけらかんとした態度に、ガロムはため息をつく。
「お前、後で呪われても知らんぞ?」
すると、ファナがきょとんとしながら、
「私は呪えないから、大丈夫ですよ?」
と魚の骨を、手で口から取り出しながら言った。
「らしいぞ?だからおっちゃんも楽にすりゃいいんだよ。なっ、ファナ?」
「そうです。かしこまらなくて大丈夫です」
「しかしなぁ⋯⋯」
ガロムの難しい顔は、ファナの頭の少し上を見ていた。
そこに佇む、女神フレイヤの姿。
真顔とも微笑みとも言い難い表情。
まるで“人間”のやり取りを、どこか遠い世界から眺めているような──
そんな、無感情に近い静けさだった。
彼女の伏せている目が開き、もし自分と合ってしまったら──
ガロムは思わず、茶の入った器の縁を持ち直した。
「ファナ、おっちゃんが落ち着かねぇみたいだから、飯食ったら散歩にでも行くか?」
「はい、この町のいろんな人に会ってみたいです」
ガロムは苦笑いしながら、
「すまねぇな。サイラ、一旦昼には戻って来いよ」
「あぁ、分かった」
その後三人は食事を終え、ファナとサイラは散歩へ出かけた。
すると、亜人たちは次々にサイラに声をかける。
「おぉ、サイラ久しぶりだな!」
「また一段と逞しくなったな!」
「モノマヒア、頑張れよ!」
その様子を見たファナが、
「サイラ、人気者ですね」
「まぁ、アタイはこの街に育てられたからな。みんなが親みたいなもんさ」
しばらく歩いていると、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
そこには──
「あっ⋯⋯あれは⋯⋯」
ファナがその様子を見て、目を見開いたまま足を止める。
「ん?ファナ?どうした?」
サイラもその方向を見ると、ゴーレムが子どもたちと戯れていた。
「何だありゃ?でっけぇなぁ。どっから来たんだ?」
そのゴーレムの身体には、所々、角が欠けたような削れ跡がついていた。
そして、ゴーレムはファナに気づくと、身体に乗って遊んでいた子どもたちをそっと降ろし、ズン⋯⋯ズン⋯⋯と近づいてくる。
しかし、誰も騒がない。
この巨人はもう、モンスターではなく遊び相手だ。
「おい、あいつこっちに来るぞ?ファナ、知り合いか?」
サイラの問いに、ファナは答えず顔を伏せる。
すると、ゴーレムはファナの目の前で立ち止まり、しゃがみこんだ。
ファナはその体勢のまま呟くように、
「⋯⋯ごめんなさい。私は貴方の居場所を奪ってしまいました。何も分からない、誰も知らない、そんな場所に吹き飛ばしてしまいました」
(⋯⋯吹き飛ばした?この図体を?じゃあこの身体の跡もファナが⋯⋯?)
「その辛さ、私も分かってるはずなのに⋯⋯」
ファナは少し肩を震わせ、ローブの袖を握る。
それを見たゴーレムはゆっくり右手を上げ、ファナの頭上に翳す。
サイラはファナの前に素早く庇うように立ち、
「おい!一発でも攻撃してみろ?アタイが返り討ちにしてやるぞ!」
と凄んだが、ゴーレムは静かに首を振る。
そして、ゆっくりと優しく、指でファナの頭を撫でた。
「えっ⋯⋯?」
顔を上げたファナの目には涙が溜まっていた。
ゴーレムは左手をファナの足元へ差し出す。
「⋯⋯乗れってことですか?」
彼女が恐る恐るそれに乗ると、ゴーレムは立ち上がり、子どもたちの元へ戻って行く。
「あ!ゴーレム戻ってきた!」
「ねぇねぇ、頭の上に乗せてよ!」
すぐにまた、ざわめきが戻った。
ファナは、岩の掌に乗ったまま、ゴーレムの顔を見上げる。
「⋯⋯貴方も、居場所を見つけられたんですか?」
その問いに、彼はゆっくりと頷いた。
「そうですか⋯⋯よかったです」
大輔が攫われたあの夜。
自分の“居場所”を失ったことを、ファナは思い出していた。
だからこそ今、この風景が、何よりも尊く思えた。
少し冷たい風に、髪が靡く。
でも、彼女の心は温かくなった。
それを見ていたサイラの頭に、渦巻く疑念。
(ファナは⋯⋯力を隠してるのか?)
そう思っていると、
「お姉ちゃん!一緒に遊ぼう?」
と獣人とドワーフの子どもが、サイラに笑顔で声をかける。
「⋯⋯そうだな。たまには遊ぶか!」
サイラは子どもたちをそれぞれ肩に乗せ、ゴーレムのほうへ走り出した。
キャッキャッとはしゃぐ子どもたちの声は、穏やかな時間に溶けていく。
その音が──ほんのひととき、疑念すらも包み込んでいた。




