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#35 名前を呼んでよ

馬車は、街道を外れてからすでに何時間も走っていた。

舗装されていない細道を何度も蛇行しながら、馬車はゆっくりと進む。

まばらだった家並みも更に少なくなり、道脇には手入れのされていない畑が点々としている。

それでも、所々にある小さな花壇に色とりどりの花が並び、洗濯物は、どこか丁寧に干されていた。


ファナは、静かに窓の外を眺めていた。

時折見える家は、どれも形も素材もばらばら。

木片とトタンで作られた小屋もあれば、半ば土に埋もれたような家もある。

けれど、不思議と“荒んだ印象”はなかった。

どの家にも、鈴の音や、窓辺の鉢植えの緑が添えられていた。



「⋯⋯着いたぞ」

サイラが静かに言う。


空はすっかり宵闇が迫っていた。

馬車が止まると、どこからともなく数人の大人たちが集まってきた。


「⋯⋯何だ?神職者か?」

「こんなところに何しに来たんだ?」


人間のようでいて、どこか“違う”特徴を持つ者たち。

大きな耳。

青みがかった肌。

うろこのある手。

だが、サイラが馬車を降りて姿を現すと、どの顔にも笑みがあった。

「おかえり」とでも言いたげに、懐かしい人を見るようなまなざしで、サイラを迎える。

ファナもそれに続き、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


少し湿った、木と土の匂い。

遠くで、誰かが薪を割る音。

それらすべてが、ゆるやかに、けれど確かに彼女を包み込んだ。

(ここは──たしかに“異質”かもしれないです。でも⋯⋯)

胸のどこかで、固く結ばれていた糸が、そっとゆるんだ。


すると、サイラと話していた男が、こちらに気づいて歩み寄ってきた。

ずんぐりとした体格に、爬虫類のような硬質の肌。

目元は鋭いが、口元には人懐っこい笑みが浮かんでいる。


「お嬢ちゃんも、俺たちの仲間だな?」

男は、亜人──リザードマンの血を引く者だった。


「い、いえ、私は⋯⋯トカゲじゃないです⋯⋯」

ファナが小さく手を振りながら否定すると、


「ハッハッハ!ちげーよ!そういう意味じゃねぇって!」

リザードマンは歯を見せて笑いながら、手で自分の胸をぽん、と叩いた。


「“人間じゃない”ってだけで、ひとまとめにされる世の中さ。でもここじゃ、そういうの関係ねぇんだ。お嬢ちゃん、見りゃ分かる。俺らと同じ目をしてる」


ファナは戸惑いながらも、相手の言葉を真っ直ぐに受け止めようとする。

自分の中にある、“何か”がじんわりと応えていた。


「⋯⋯ありがとう、ございます」

小さな声でそう返すと、男は満足げにうなずいた。


「気にすんな。ここじゃ“仲間”ってのは、血でも種族でも決まらねぇんだよ。“居場所を知ってるかどうか”──それだけで十分さ」


男はファナに手をひらひらと振り、

「じゃあ、ゆっくりしてってな」

と言って、仲間たちの輪の中へと戻っていった。


ファナはその背を見送りながら、心の奥が温かくなったような気がした。

──それは、まるで自分も“この町の風景”の一部になれたような感覚だった。


すると、サイラが少し離れた場所でファナに手招きをする。

ファナが駆け寄ると、サイラはふっと目を細めた。

「フレイヤ様。“異質”が分かりましたか?」


ファナは静かに頷き、目を細める。

「⋯⋯はい。亜人の町、なんですね」


「そうです」


その答えには、どこか誇らしさと、微かな寂しさが滲んでいた。

ファナは少し間を置いてから、ぽつりと打ち明ける。


「実は⋯⋯私も、亜人なんですよ?」


サイラが目を丸くする。

「えっ?言われてみれば、人間よりも耳が長い⋯⋯でも、それくらいしか違いがないような⋯⋯」


ファナは自分の耳をそっと撫でて、微笑んだ。

「私は、“エルフ”という種族なんです」


「エルフ⋯⋯?少なくともセオカトじゃ聞かない種族です」


ふたりの間に、ひとつの“違い”が明かされた。

でもそれは──どこか、“繋がり”を生むものにも思えた。


「サイラも亜人なんですか?」

ファナがそっと尋ねると、サイラは首を横に振った。


「いえ、アタイは──純粋な人間です」


「じゃあ、どうしてここが“故郷”なんですか?」


ファナの問いに、サイラは少しだけ空を見上げた。

昇り始めた月が、瞳に静かに反射している。


「⋯⋯アタイの両親は、事故で死んでしまいました。そして、アタイだけ、奇跡的に生き残りました」


その語り口は淡々としていたが、どこか遠くの風景を思い出すような響きがあった。


「アタイは赤ん坊だったから、記憶が一切無くて。助けてくれたのが、ここの人達です。人間じゃないだけで、差別される側の“亜人たち”に」

ファナは黙って、そっとサイラの横顔を見つめた。


そのとき──

ふたりのもとに、どっしりとした足音が近づいてくる。

現れたのは、六十代ほどの大柄な男。

厚い胸板と逞しい腕に、陽に焼けた肌。

年季の入った前掛けが印象的だった。


「サイラ、おかえり。久しぶりだな」


「おぉ、ガロムのおっちゃん!また老けたか?」


「おいおい、帰ってきていきなりそれか?」


ふたりは笑い合う。

その空気は、長く離れていたとは思えないほど自然だった。


──だが、その和やかさは、一瞬のうちに張り詰める。

ガロムの視線が、サイラの後ろにいるファナに移った瞬間。

その笑顔が、ふっと消える。


「⋯⋯フ、フレイヤ様⋯⋯?なぜ、こんな僻地に⋯⋯」


驚きと敬意が入り混じった声。

そして彼は、ゆっくりと片膝をつき、深く頭を垂れた。


「⋯⋯やっぱりおっちゃんにも視えるか」


サイラがぼそりと呟いたその声に、ファナはわずかに眉を寄せる。


「サイラ⋯⋯?どういうことですか?」


傍らのランタンが風に揺れ、炎の影が地面に揺らめく。

ガロムの跪いた背に、その影が静かに寄り添うように伸びていた。


「おっちゃんも今のアタイみたいに、農耕しながら神官様たちに仕える仕事をしていました。もちろん、モノマヒアの代表としても戦っていました」


サイラの目は遠くを見つめていた。

かつての戦場か、あるいは──この静かな村の畑か。

彼女の声には、どこか尊敬と誇りの色が混じっていた。


「アタイにとっておっちゃんは、育ての親でありながら、“テフニカソドゥ”の師匠でもあります」


ファナは「テフニカソドゥ」という響きに目を瞬かせる。


「⋯⋯てふにか、そどぅ?」


「“テフニカソドゥ”とは“降神術”のことです。フレイヤ様も豊穣祭でアタイの舞を見たでしょう?神を自らの肉体に憑依させ、その力を借りるのです」


サイラの指がそっと胸元に触れる。

そこには、舞いのときに着けていた神具の名残がまだ残っているかのように──


「そうだったんですか⋯⋯あっ、ガロム、さん?頭を上げてください。もう大丈夫ですよ?」


ファナの声は、風の音に溶けそうなほど柔らかかった。

ガロムの背にかかる影がゆっくり動き──

彼は深く、そして静かに頭を上げた。


「フレイヤ様⋯⋯何と慈悲深きお方⋯⋯」


ファナが微笑みながら、少し戸惑ったように言う。


「私、ファナって言います。エルフっていう種族で、亜人なんです。⋯⋯って言っても、ガロムさんも“フレイヤ様”って呼ぶんですよね⋯⋯」


「だからさ、おっちゃんも“ファナ”って呼んでやってくれよ。アタイも今から、よそ行き止めるからさ」


サイラの口調は軽い。

ガロムはそれを聞いた瞬間、勢いよく立ち上がり、目を見開いて声を荒げた。


「サイラ!最上級の女神様に対して無礼だぞ!俺たちは神様あっての存在なんだぞ!?“ファナ”なんて、そんな軽々しく──!」


サイラは、慌てず、でもきっぱりと遮るように言い返した。


「んなこと分かってるよ。アタイにだって、フレイヤ様の姿は視えてる。最初はアタイも、おっちゃんみたいにかしこまってたさ」


言葉を切り、ファナのほうへ視線を向ける。

その目には、静かな確信が宿っていた。


「でもな──まだたった二日くらいしか一緒にいねぇけど、アタイはこの子の名前を、“フレイヤ様”じゃなくて、“ファナ”って呼びてぇんだよ。アタイの意志でな」


ひと呼吸、間を置いて。


「この世界に来て、ひとりになって、知らねぇ奴らばっかの場所で、自分の名前すら呼んでもらえない寂しさほど、辛いことはねぇだろ?」


その言葉は、ガロムの胸にも──

そしてファナの胸にも、静かに、でも深く突き刺さった。

その間に、ファナが小さな声で言う。


「私も⋯⋯“ファナ”って呼んでもらえたほうが、嬉しいです」


“ファナ”と名前で呼ばれたい──

その想いが、言葉になって溢れた。


しばらくの沈黙ののち、ガロムは大きく鼻を鳴らし、照れ隠しのように唇を曲げた。


「サイラ⋯⋯お前が言うなら、そうなんだろうな。恐れ多いが⋯⋯」

そして、ファナを見て、少しぎこちなく。


「ようこそ、ファナちゃん。お前さんは、もうこの町の一員だ」


「だってよ、ファナ。よかったな!」

サイラは腕を組み、したり顔で投げかける。


「はい⋯⋯ありがとうございます」

ファナはガロムに微笑みかけた。


「じゃあおっちゃん、今日は泊めてくれな?」

「おいおい、フレ⋯⋯ファナちゃんもか?」

「当たり前だろ?ビビってんじゃねぇよ!」


そんなふたりのやり取りを見て、ファナはクスクスと笑った。



三人はガロムの家に向かう。

星空を見上げたファナは、


(大輔、私は大丈夫です。大輔も、この空が見えてますか?見えなくても、届かなくても──この空の下に、私たちはいますから⋯⋯)

と心の中で呟いた。





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