#34 灯る夜、バタバタの朝
宿に着いたファナとサイラ。
「フレイヤ様、先に部屋へ戻っていてください。アタイはちょっと使者と話があるので」
「分かりました」
ファナが頷くと、サイラは見張りをしている使者と何かを話し始めた。
ファナは特に気にすることなく、部屋の扉を静かに開ける。
誰もいない部屋にふわりと空気が揺れ、昼間の温もりがまだ残っている。
ダイニングテーブルに近づくと、ファナは椅子に腰を下ろし、肘をついて両手で頬を支えた。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、軽く足をぶらぶらと揺らす。
その表情は、ほんの少し寂しげで──
けれど、どこか落ち着いていた。
やがて、控えめに扉が開く音がして、サイラが部屋に入ってきた。
彼女はためらいなく、ファナの向かいの椅子に腰を下ろす。
「サイラ、何を話してたんですか?」
ファナが静かに尋ねると、サイラは腕を組みながら天井を仰ぎ──少し照れ隠しのように言った。
「明日、アタイの故郷に行こうと思ってな。けっこう遠いから、神官様の馬車を借りる手配をしてたのさ」
「サイラの⋯⋯故郷、ですか?」
ファナが小首を傾げると、サイラは頬をかいて、少しだけ笑った。
「あぁ、久しぶりに帰るってのもあるけどさ。ファナもずっとここに籠もってたら、息が詰まるだろ?⋯⋯って言っても、何もねぇ田舎だけどな」
「⋯⋯私も、一緒に? 行っていいんですか?」
ファナがそう訊ねると、サイラは少しだけ目を丸くして、照れたように笑った。
「もちろん。ちょっと変わった町だけど──“こんな場所もあるんだな”って思ってくれたら、それでいいさ」
「楽しみです。サイラの生まれ育った町⋯⋯きっと、いいところなんでしょうね」
ファナは小さく微笑みながら、まだ見ぬ景色を思い浮かべるように、窓の外を見やる。
サイラはその顔をちらりと見てから、
「アタイはそもそも、その環境で育ったから“普通”なんだけどさ──」
と少しだけ肩をすくめた。
「端から見りゃ、“異質”な場所かもしれねぇな」
「⋯⋯異質、ですか?」
「まぁ、行ってみりゃ分かるさ。もし万が一、気分を害することがあったら、そのときは申し訳無い。先に謝っておく」
「いえ、きっと大丈夫です。だって、サイラの故郷なんですから」
「う〜ん、理由になってねぇ気がするけど⋯⋯まぁいいか」
サイラは苦笑いしながら、背もたれに寄りかかった。
ファナは小さく笑って、ぽつりと呟く。
「でも、私にとっては、ちゃんと理由なんです」
(そんなに信用してくれるのか⋯⋯ひとまず親睦を深めるのは成功したみたいだな)
「そうか⋯⋯ファナがそれでいいなら、そういうことにするか」
サイラが少し照れくさそうに笑うと、ファナもふっと笑顔を見せた。
その笑顔は、どこか安心したようで──
サイラの胸に、あたたかなものがじんわりと灯った。
その後、しばらくして夕食が部屋に運び込まれた。
パンやスープ、炒め物といった素朴な家庭料理。
ファナとサイラは、向かい合って黙々と食べ進めていたが──
やがて、ふたりはどちらからともなく笑い出し、その日の終わりに、ようやく心からの安心が宿ったようだった。
「よし、明日は朝早く出るから、そろそろ寝るか」
「そうですね」
「そういやこの部屋、ベッドがひとつしかないのか?」
「そうみたいです。⋯⋯サイラ?嫌じゃなかったら⋯⋯一緒に寝ませんか?」
「本気で言ってんのか?まぁ、ベッドはでけぇから寝れるっちゃ寝れるけど⋯⋯」
サイラは頭を掻きながら、ちらりとファナの顔を盗み見る。
その頬には、ほんのりとした赤み。目元は少しだけ潤んでいて──
それでも、まっすぐに見つめてくる。
「⋯⋯じゃあ、遠慮なく。こっち半分使わせてもらうぞ」
部屋のランプの灯りを消したあと、ベッドの片側に身を沈めたサイラに、ファナもそっと隣り合うように横たわった。
ふたりの間には、わずか数センチの距離。
サイラは仰向けのまま、顔だけファナのほうを向く。
「⋯⋯ファナ?近くねぇか?広いんだからもっとドーンって寝て⋯⋯」
言葉を言い切る前に、ファナの目には涙が溢れていた。
サイラは身体もファナのほうへ向け、
「ファナ?どうした?」
「⋯⋯ごめんなさい。何でもないです。灯りを消してください」
「⋯⋯分かった」
サイラがベッドの横の棚に置いていたランプの灯りを消し、部屋が暗闇と静寂に包まれる。
しばらくの沈黙のあと──
「⋯⋯サイラ?」
「ん?」
「⋯⋯サイラがいてくれて、よかったです。ありがとうございます──ほんとうに」
「⋯⋯礼なんていらねぇよ。国が勝手にやってることだ。あっ、アタイはしょうがなく付き人を引き受けた訳じゃないからな?」
(正直、最初は嫌々だったけどな⋯⋯)
「でも、言わせてください。⋯⋯ありがとうございます」
(ここまで言われちゃ、否定も拒否も出来ねぇよ)
「⋯⋯まぁ、素直に受け取っておくよ。おやすみ、ファナ」
「おやすみなさい、サイラ」
夜中、サイラはふと目が覚めると、暗闇から、鼻をすするような音が聞こえる。
「⋯⋯ファナ?起きてるのか?」
反応はない。
するとファナが、
「大輔⋯⋯」と涙声で呟く。
(寝てるのか⋯⋯しょうがねぇな)
サイラは手探りしながらファナを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
(ダイスケ⋯⋯お前がいなくなったのは事故なんだろ?アタイがファナを守れって言ったときのお前の返事を、アタイは信じてる。だから、お前にファナを会わせるまではアタイが絶対守るからな)
ファナが目を覚ますと、サイラの腕の中だった。
大きな腕に包まれ、ぬくもりと心音がすぐそばにある。
窓の外では小鳥のさえずりが朝の訪れを告げ、カーテンの隙間から、柔らかな光が部屋を満たしていた。
(これは⋯⋯どういう状況ですか?)
ファナは動かぬように、そっと視線だけを動かす。
サイラはまだ眠っているようだった。
寝息は深く、眉間は少しだけ寄っていて──
それでも、何かを守るように自分を抱きしめてくれていた。
(なんだか⋯⋯すごく落ち着きます⋯⋯)
ファナはゆっくりと目を閉じ、サイラの胸に額を寄せた。
(夢でもいい。もう少しだけ、このままで⋯⋯)
コンコン──。
部屋の扉をノックする音がして、サイラが目を覚ます。
「ん⋯⋯誰だ?」
寝ぼけ眼で扉を開けると、使者が恭しく頭を下げた。
「サイラ様、おはようございます。お迎えに上がりました」
「⋯⋯えっ?もうそんな時間か?」
一拍置いて、サイラの意識が一気に覚醒する。
「わああぁぁーっ!!寝坊したぁーっ!!」
サイラの絶叫で、ファナも目を覚ました。
部屋に差し込む光は、すでに高く昇っており、ダイニングテーブルには冷めたスープとパンが置かれていた。
「何で起こしてくれなかったんだよ!」
サイラは見張りの使者に凄むと、少し怯みながら、
「すみません⋯⋯ぐっすり眠っていたので、お声掛け出来ませんでした⋯⋯」
サイラは小さくため息をつく。
「⋯⋯まぁ、アタイが悪いか。あたってごめんな。ファナ!すぐ支度して行くぞっ!!」
サイラはぼんやりしているファナを抱き上げると、ダイニングの椅子にぽんと座らせた。
自分もその向かいに腰を下ろし、パンをちぎってスープにひたすと──肉食獣のような勢いで口へ運ぶ。
「ファナ!スープだけでも飲んどけ!パンは持っていける!」
ファナは半眼のまま、ゆっくりとスープを啜る。
その間に、サイラはパンを飲み込み、椅子を蹴って立ち上がり──バタバタと身支度を整える。
「ファナ!行くぞ!」
ファナがパンを手に取った瞬間、サイラにヒョイと担ぎ上げられ、そのまま部屋を後にした。
「すまねぇ!待たせたな!」
サイラは使者にそう言うと、ファナを担いだまま馬車に乗り込み、ようやく一息ついた。
「はぁー、朝から全力疾走だったな、こりゃ⋯⋯」
そう呟きながら、ファナをそっと座席に下ろす。
ファナはようやくパンにかぶりつきながら、静かに咀嚼している。
馬車がぎし、と揺れながら動き出す。
車輪が石畳をゴトゴトと鳴らし、旅のはじまりを告げた。
窓の外では、朝露の残る街並みがゆっくりと後ろへ流れていく。
ファナはパンを頬張りながら、少しだけ顔を窓に向けた。
「⋯⋯まだ、眠いですね」
小さく、誰にも聞こえない声でそう呟く。
サイラは、窓の縁に肘を置いて頬杖をつきながら、外を眺めていた。
(本当にあいつをセオカトの代表にするのか⋯⋯?)
彼女の疑念は、揺れる景色の向こうに、なお晴れずに残っていた。




