表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/64

#32 生ける屍と無力な異物

「⋯⋯ここは⋯⋯」


見慣れた、コンクリートの天井。

顔が腫れ、視野が少し狭い。

右を向くと、あの青年が椅子に座り、本を読んでいた。

彼は大輔の視線に気づき、ページの角を折り、本をテーブルに置いた。


氷哭(ひょうこく)にやられたそうで。あれは本当に厄介です」


大輔は何も発せず、ただ涙を流す。


「貴方が全て悪いかと言われたら、それを否定することはできません。でも、罪の意識が強いんですね」


彼は、ただ静かに、

「これから、どうしますか?」

その声音に、同情も憐れみもない。

あるのはただ、“選択”だけを問う、真っ直ぐな眼差しだった。


(⋯⋯もう、やめたい)

大輔は口を開こうとして──震える指で、顔を覆った。


⋯⋯言えなかった。

ただ、涙が頬を伝う。

あの極寒の白の中で、心が音を立てて崩れていく感覚をまだ引きずっていたが──まだ“勇者大輔”が、微かに、ここにいた。


青年の声に感情は一切無い。

しかし──


「貴方は、何も“していない”人たちより、ずっと前に進もうとしています。だからこそ、氷哭は牙を剥くのです」


その言葉は、赦しではなかった。

でも、大輔の心に、一滴の“ぬくもり”のように染み込んでいった。


「心の傷に効く物理的な薬は、この国にはありません。そして、それを治せるかは、貴方の治癒力次第です。ただ、そのみすぼらしい顔は治しておきますか」


青年は大輔の顔に右手を翳す。

すると、薄い緑色の光が現れ、傷がみるみる治っていく。

(あったかい⋯⋯回復魔法みたいだ⋯⋯)

(ん?傷の治りが早い⋯⋯)

青年は不思議に思ったが、治療を終え、手を下ろした。

「僕ができるのはここまでです。リーリャ君を呼びますか?」


大輔は、少し首を振るだけだった。


「⋯⋯そうですか。まぁ、それでも彼女はここに来るでしょうね。ですので、気を悪くしないでください」


青年は本を手に取り、立ち上がる。

「では、また」

そう言って彼は部屋を出た。


青年が廊下を歩いていると、向こう側からリーリャが心配そうにこちらを見ていた。

が、気にせず通り過ぎようとしたとき──


「⋯⋯レイ先生、ダイスケは⋯⋯大丈夫ですか?」

リーリャのその言葉に、レイは足を止める。


しかし、彼は前を見たまま、

「正直なところ、大丈夫ではありません。リーリャ君、氷哭は知っていますね?」


「⋯⋯はい。過去の後悔や懺悔を具現化し、精神の自壊を誘発する、当地特有の幻覚現象です」


「⋯⋯その通り。彼は、廃人になってもおかしくない状況です」

リーリャは一瞬だけ視線を伏せ、それから無言で歩き出すと、


「そして、彼は君に会いたくないと言っていましたが──」

レイの言葉に、彼女は思わず足を止める。


だが、

「⋯⋯それでも、行きますね?」


「⋯⋯はい」


その声には、迷いも戸惑いもなかった。

リーリャの足音が、まっすぐに大輔の部屋へと伸びていく。

(医学的根拠が無いのは非常に(しゃく)ですが、彼女なら彼を蘇らせることができるかもしれませんね)


レイは密かに、その“奇跡”を信じていた。




一方──


自室の机で書類などに目を通し、判を押している、国王シデロス。


すると、部屋の扉がノックされ、

「シュルト・グリッツァーです。僭越ながら、陛下にお話がありまして参りました」

(シュルト?まだ第一の試練の時間のはずだが⋯⋯)


「入れ」

「失礼致します」

部屋に入ったシュルトは、片膝をつき、頭を下げた。


「直ってよい⋯⋯何があった?」


「本日敢行としておりました“ドキナミス”ですが、私の判断により中止とさせていただきました」


「⋯⋯そうか」

シデロスは目を伏せる。


「本来、私の職務において越権にあたること、重々承知しております。申し訳ありません」


「気にするな。私はお前を信頼している⋯⋯理由があるのだろう?」


「はい。結論から申し上げますと、彼は氷哭に遭遇しました」


「あれか⋯⋯」


「しかも、複数名からの干渉があったようです」


「つまり、あの男は⋯⋯それだけの“後悔”や“懺悔”を背負ってきたと?」


「はい。もはや、試練の続行は命に関わると判断致しました。現在は王立病院で安静にしています」


シデロスは少し黙ったあと、

「⋯⋯回復の見込みはあるのか?」


「分かりません⋯⋯何せ、治療法が確立されておりませんので、本人次第ということに⋯⋯」


シデロスは小さくため息をつく。

「分かった⋯⋯シュルト、お前も体調には気をつけろよ」


「はい、恐縮です。失礼致します」

シュルトが部屋を出ようと扉に手をかけたとき、


「⋯⋯シュルト。私はまだ諦めていないが⋯⋯お前はどうだ?」

シュルトはシデロスに背を向けたまま、ただ一言。


「⋯⋯陛下がそう仰るなら、従うまでです」


扉を開けたシュルトは、シデロスに一礼して、部屋を出た。


(私の背を、誰よりも静かに支えているのは──いつもお前だ、シュルト)




* * *




時は少し遡り──大輔がヴァルドノルド王国へ向け歩き出した頃。



セオカトにある宿の一室。

契りを交わしたファナとサイラは、互いの絆を深めるため、サイラの豪快な提案──


「裸の付き合いこそ距離を縮める」


それを行うべく、ふたりは共に、部屋に備え付けられた露天風呂へと向かった。


「はぁ〜!この温泉最高だなぁ!使わねぇときはアタイ専用にしてくれねぇかなぁ!」


サイラは先に、風呂で足を伸ばしていた。

そよ風に乗ってやって来る、草の匂いが鼻をくすぐる。


「⋯⋯サイラ?やっぱり、一緒に入らないとダメ⋯⋯ですか?」


ファナが身体にタオルを巻いて、恥ずかしそうに佇んでいる。


「な〜に恥ずかしがってんだよ?女同士なんだから、素っ裸で入ってこいよ!」


(サイラ、いきなり距離が近すぎます⋯⋯)


(普段のアタイで接してるけど、いきなり殺されたりしねぇよな⋯⋯?)


お互いの疑念は、サイラの“情報漏洩”で払拭されるとは、ふたりは思いもよらなかった。



「ダイスケだって素っ裸で入ってきたんだぞ?入っちまえば慣れるって!」



その瞬間、ファナの目は丸くなる。

「えっ⋯⋯?大輔と?お風呂?」


(あっ⋯⋯やべ⋯⋯)

「いや〜、じゃなくて、大輔が風呂入ってるときに、間違ってアタイが入りそうになっちまってなー、ハハハ⋯⋯」


「そうですか⋯⋯」


ファナが顔を伏せ、小刻みに身体を震わせている。

(あれ⋯⋯ファナ怒ったか?)


サイラはしれっと、ファナから対角の角に寄り、肩をすくめる。


「じゃあ⋯⋯サイラとお風呂に入ったら、大輔とお風呂に入ったのと一緒ですね!!」

ファナは真剣な顔で頬を赤くし、目をキラキラさせているが、サイラは突拍子もないその言葉に、ぽかんとした。


「⋯⋯へ?」

(えっと⋯⋯どういう原理だ?アタイの頭じゃ理解できねぇ⋯⋯) 


「⋯⋯それっ!」

ファナは身体に巻いたタオルを投げ捨て、湯船に飛び込んだ。

立ち上がった水柱が、サイラに直撃する。


「おぉ!ファナ!いい飛び込みだ!」

「ふふっ、そうですか?」

ふたりは顔を拭いながら、笑い合った。


するとファナが、少し困ったように笑いながら、

「ここに⋯⋯大輔もいたら、もっと楽しいんでしょうね」

「あぁ⋯⋯そうだな」

サイラは風呂の縁に頭を預けながら、空を見る。


「サイラ、大輔は今、何してるんでしょうか?⋯⋯ちゃんと、生きてますよね?」


「⋯⋯アタイにも分からねぇけど、あいつのことだから、きっとうまくやってるさ」


「⋯⋯そう、ですよね」


(セオカトでは箝口令(かんこうれい)で口封じしてるけど、いずれ知ることになるだろうな⋯⋯)


しばしの沈黙が流れる。

湯けむりが、空気に溶けていく。


ファナは、湯の表面を見つめたまま言葉を探し──ふいに顔を上げた。

「あっ、サイラ。私、行かなきゃいけないところがあるんです。ついてきてもらえますか?」


「ん?どこだ?」


「ヴァーゴさんのお店です」


サイラは身体を起こしながら、ファナの顔を見る。

「⋯⋯えっ?ヴァーゴのおっさんの店?ファナ、そんなに金持ってるのか?」


「私がペンダントを作ってほしいってお願いしたら、お代はいらないって言ってました」


「はぁぁぁ?ファナ、あのおっさんはな、世界に名だたる装飾職人なんだぞ?一番安いのでも、その辺の行商人の給料の半年分くらいするんだぞ?」 


ファナは首を傾げ、まばたきする。

「はぁ⋯⋯そうなんですか?」


「いまいちピンと来てなさそうだな⋯⋯まぁ、とにかく高いんだ。でも、ファナは目の付け所がいいな!」


「そうですか?たまたまお店を見かけて、お願いしただけなので⋯⋯」


(ダメだ。ファナは物の価値が分かってねぇ!この話は終わらせよう)


「じゃあファナ、背中流し合って、ヴァーゴのおっさんのところに行くか!」

「はい!」

ふたりは湯船から上がり、サイラはファナに背中を向ける。


「ファナ!しっかり力入れろよ!」

「⋯⋯はいっ!」

(大きい背中⋯⋯何か、人の顔に見えます⋯⋯)


ファナは力いっぱい擦るが、

「ファナ?撫でてるのか?」

「いえっ!全力、です!」

「ハハハ!そうか!じゃあ、交代だな!」


次は、ファナがサイラに背中を向けると、

「ファナ、子供みたいに小せぇ背中だな〜」

サイラは少し茶化すように言ったが、


(こんな背中に、セオカトの未来を背負わせるのはな⋯⋯いや、それ抜きにしても、方法はひとつしかねぇよな⋯⋯)


サイラはそんなことを考えながらファナの背中を擦ると、

「ひいっ!!」

とファナは悲鳴をあげた。

「サイラ⋯⋯皮膚が剥がれちゃいます⋯⋯」

「ああっ⋯⋯ごめん、ファナ。そんなに力入れてねぇんだけどなぁ〜」


するとサイラは、撫でるようにファナの背中を擦る。

「これでもちょっと強いですけど⋯⋯さっきよりマシです⋯⋯」


(⋯⋯待てよ?ファナって何が出来るんだ?そもそも戦えるのか?)

サイラの疑問は、すぐに言葉になった。 


「なぁ、ファナは⋯⋯戦えるのか?」


「えっ?えっと⋯⋯」

ファナはふと、ギャレットの言葉を思い出す。


----------


「魔法は元々この世界には無かったんや」


「攻撃魔法、使ったらアカンで?」


----------


「⋯⋯何も、できないです」

その言葉を口にした瞬間、ファナの胸の奥がずきりと痛んだ。

サイラに嘘をついた罪悪感と、自分はこの世界にとって異物なのだという事実を、改めて突きつけられたようで。


「⋯⋯そうか。変な質問してごめんな。じゃあ、そろそろ上がるか!」


「⋯⋯はい」


ふたりは風呂から上がり、身体を拭き、服を着る。

その間、会話は無かった。


(ファナの後ろに見えるフレイヤ様は虚像なのか?今、その姿が見えるのは神官様たちとアタイだけ⋯⋯それに何か意味があるのか?)


(私は、この世界では誰の力にもなれない⋯⋯ねぇ、大輔なら⋯⋯何て言ってくれますか?)


その問いかけに、答えは無かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ