#30 パパは世界最強の男
翌朝。
大輔の部屋に朝食を持って来たリーリャは、こっそりと部屋に入り、暗い室内の大輔の耳元で囁く。
「⋯⋯ダイスケ、お・は・よ♡」
(⋯⋯あぁ、まだリーリャの声が⋯⋯)
「朝だよ、ダイスケ、起きて⋯⋯?」
(しかし良くできた声質だな⋯⋯ASMRかよ⋯⋯)
「もうっ⋯⋯じゃあ、これなら起きるよね⋯⋯?」
ちゅっ。
「うわあぁあぁあ!!」
大輔は右頬を押さえながら飛び起きた。
「ふふっ、や〜っと起きた。ダイスケ、おはよ」
リーリャは部屋の電気をつけ、悪びれる様子も無く、柔らかい表情を見せる。
大輔は目を見開いたまま、リーリャの顔を見た。
「お、おはようございます⋯⋯」
「ほら、ご飯冷めちゃうから食べてね?」
リーリャは食事の準備を手早く行い、また椅子に座り、大輔を眺める。
「⋯⋯いただきます」
「は〜い♡」
大輔はパンをちぎり、スープに浸けて食べる。
「うん、美味い!」
「やったぁ〜♡」
リーリャはまた身体を左右に揺らす。
「リーリャ、そんなにじっと俺を見てて楽しいのか?」
彼女は突然、揺れをピタッと止めて、目を丸くする。
両手で口を押さえながら、
「ダイスケ⋯⋯今、“リーリャ”って⋯⋯」
「えっ?うん。リーリャって名前だろ?」
「⋯⋯初めて名前呼んでくれたね⋯⋯嬉しい♡」
リーリャは目線を逸らし、顔を赤らめる。
(キスはしれっとするのに、ここはウブなのかよ⋯⋯)
「あっ、ごめん!さっきの質問だけど、楽しいっていうか⋯⋯癒されるに近いかな?」
(俺に癒し要素があるとは思えないけど⋯⋯)
大輔はスープをすすりながら、
「そういや、昨日ここにいたお兄さんが近々“ドキナミス”?ってのがあるって言ってたんだけど⋯⋯リーリャ知ってる?」
リーリャは淡々と答える。
「うん、模擬戦のことだよ。で、ダイスケが戦うの、リーリャのパパだよ?」
ぶーっ!!
大輔はスープを盛大に噴き出した。
(そんなあっさり言う!?!?)
「ちょっ⋯⋯ダイスケ、大丈夫?」
リーリャは手早く雑巾を取り、辺りを拭き始める。
「ゲホッ、ゲホッ、ごめん⋯⋯それって、マジ?」
「うん♪」
「世界最強の男?」
「うんっ♪」
「ちなみに、どの辺が世界最強なの?」
「えっとね、モノマヒア四連覇中で、次優勝したら殿堂入りだったかな?」
(大輔選手、見事にフラグ回収いたしましたーーー!!)
「強すぎるだろ⋯⋯」
大輔はがっくりと肩を落とす。
しかし、次の瞬間──別の懸念が頭をよぎる。
「なぁリーリャ、まさか⋯⋯パパに俺のこと話した⋯⋯?」
「えっ?もちろん話したよ?リーリャの“アトロティミラ”だって言ったら怒っちゃった♡テヘっ♡」
彼女は頭をコツッと叩き、舌をぺろっと出した。
反省ゼロの無自覚満点スマイル。
大輔は天井を仰ぎ、一瞬、瞳は光を失う。
少しだけ、目尻から涙が流れた。
(⋯⋯ヤバい。“アトロティミラ”が何か分からないけど、完全に燃料投下されたっぽい。死亡フラグどころか、“突然の死”レベルだろ⋯⋯)
大輔は涙を拭き、前のめりに、意を決してリーリャに聞いた。
「リーリャ、“アトロティミラ”って⋯⋯どういう意味?」
すると──
「ダイスケ⋯⋯そういうことは、女の子の口から言わせるものじゃないよ⋯⋯?」
リーリャは視線を逸らし、頬を染めながら、まるで空気が震えるような声で呟く。
前のめりの大輔と、しおらしく俯くリーリャ。
ふたりはその体勢のまま、部屋にほんの数秒、長い沈黙が流れた──。
(⋯⋯まぁ、そのうち分かるか)
大輔は体勢を戻し、またスープを口に運んだ。
リーリャはその様子を見て、微笑む。
「⋯⋯やっぱり、ダイスケって可愛い」
ほんのひと言。
だけど、それが妙に耳に残る。
スープ皿にスプーンが少し当たり、静かに音を立てた。
ドタバタの朝は、少しずつ落ち着きを取り戻してきていた。
一方──アツァリア城の謁見の間。
鋼鉄製の高い天井には、重厚なシャンデリアが揺らめき、赤い絨毯が玉座まで真っ直ぐに伸びている。
その玉座に腰かけるシデロスの前へ、ひとりの男が姿を現した。
「どうしたヴォレセオ、機嫌が悪そうじゃないか」
シデロスは片肘をつき、含み笑いを浮かべる。
「⋯⋯兄者には関係無い」
影のように立つ男の声は低く、玉座の間に重く響いた。
「“世界最強の男”でも、娘のことになると親の顔になるもんなんだなぁ?」
「雑談をしに来たわけではないぞ、兄者」
男の名はヴォレセオ・ヴァルドノルド。
国王シデロスの実弟にして、ヴァルドノルド王国親衛隊隊長。
その佇まいはまるで鋼の壁のようで、わずかに視線を向けただけで、兵士たちが息を呑むほどの威圧感を纏っていた。
「ヴォレセオ、勇者の力についてだが⋯⋯率直にどう思う?」
「俺の意見などいらんだろう。惨状が物語っている」
「“ドキナミス”には私も同席させてもらうぞ?」
「好きにしろ」
「その結果次第では、勇者を代表に据えようと思っているが」
「俺に決定権は無い。ただ試すのみ」
「ふっ⋯⋯相変わらず可愛くない弟だ」
その時、謁見の間の扉が軋みを立てて開いた。
赤い絨毯に、やや気怠そうな足取りで若者が歩み寄る。
肩まで伸びた茶色の髪をかき上げ、鋭い光を帯びた瞳を覗かせる。
「なぁ親父、俺も“ドキナミス”に出してくれよ」
「デウロスか。剣は上達したのか?」
「それを確かめたいからやりたいんだよ」
腰の剣に軽く触れる仕草。
その様子を見たヴォレセオの眼光が、鋼の刃のように鋭く走る。
室内の空気が、一瞬で張りつめた。
「デウロス、勇者はかなり腕が立つ奴だ。生半可な気持ちなら命を落とす可能性があるぞ」
「叔父さん、ちょっと買い被り過ぎなんじゃない?」
デウロスは肩をすくめ、皮肉気に笑った。
「俺だって何もしてこなかった訳じゃない。あんまり子ども扱いされると傷つくよ?」
「東の惨状を聞いただろ?」
ヴォレセオが一歩前に出る。
床石に靴音が響き、デウロスとの間に重い影が落ちた。
「デウロスは──一晩で街を廃墟にできるか?」
静寂。
燭台の炎が小さく揺れ、凍りついた空気を際立たせた。
「いや⋯⋯流石にそれは無理だけど⋯⋯何か、仕掛けがあるんじゃないの?ひとりでなんて出来るわけ──」
シデロスが制すように声を発した。
「ヴォレセオ。私からも頼む。経験を積ませてやってくれ。まだ世界を知らないからこそ、な」
「⋯⋯好きにしろ」
ヴォレセオは踵を返し、去っていった。
残された父と子。
デウロスは、先程までの虚勢を解いた。
「ふぅ。⋯⋯親父、俺だってこの国を守りたい。モノマヒアに出て、ヴァルドノルドには叔父さん以外にも強い奴がいるって証明したいんだ」
玉座に背を預けたまま、シデロスはしばし沈黙する。
静かな重圧だけが謁見の間を支配した。
やがて瞼を開き、低く重い声で言葉を落とす。
「ならば証明してみせろ、デウロス。だが⋯⋯その覚悟を、口先ではなく剣で語れ」
「──ああ、もちろんだ!」
若者は真っ直ぐ父を見据え、強く頷いた。
その背中を見送りながら、シデロスは目を閉じる。
(私にも武の才があればと、よく思ったものだ。デウロスは、若い頃の私にそっくりだ⋯⋯)
数日後。
すっかり体力が回復した大輔は、部屋の隅でマスターソードを構え、黙々と素振りを繰り返していた。
そのとき、扉をノックする音が響く。
「ダイスケ、おはよ〜っ!」
扉が開くと、いつもの明るい声とともに、リーリャが笑顔を弾ませ、食事をカートに乗せて入ってきた。
「だいぶ良くなったね!」
「おはよう。うん、これもリーリャのおかげだよ。ありがとう」
大輔が微笑むと、リーリャの動きがピタリと止まり──頬を染めて、視線を逸らした。
「だって⋯⋯大好きなダイスケのためだもん⋯⋯」
その声は、いつものようにはしゃいだものではなく、ほんの少し、震えていた。
「⋯⋯リーリャ?どうした?」
「今日だよ、“ドキナミス”。やっぱり心配で⋯⋯」
俯く彼女をよそに、大輔は自分で食事の準備をする。
「あっ、リーリャの仕事だから⋯⋯」
「いいよいいよ、俺もう病人じゃないしさ。いただきます」
大輔はベッドの上に胡座をかいて、パンを齧り、スープを流し込む。
「うん、今日も美味い!」
リーリャはベッドの横の椅子に座り、少し怪訝な表情を見せる。
「⋯⋯ダイスケ、怖くないの?」
「ん?怖いよ?」
あっさりと、スプーンを口に運びながら大輔は答える。
そのあまりにも自然な口ぶりに、リーリャは一瞬言葉を失う。
「じゃあ⋯⋯何でそんなに普通でいられるの?」
大輔はスプーンをくわえたまま、少し宙を見つめた。
「うーん⋯⋯」
言葉を探すように喉が鳴る。
やがてスプーンを皿に戻し、ゆっくりと口を開いた。
「どうせやり合ったら怖いって思うだろうから、想像の怖さに怯えるのってもったいないなって思うんだ」
リーリャは瞬きをして、大輔を見つめる。
「そう⋯⋯なの?」
大輔はパンをひと口齧り、続ける。
「やる前から気持ちが負けてちゃ、ベストなんて出せないだろうしね。だから最大限、自分のできることをやる。自分を信じるしかないからさ」
パンを噛みしめる音が、静かな室内に小さく響く。
「ダイスケも、強いんだね」
リーリャの声は、少し掠れていた。
「強くなんてないよ⋯⋯まぁ、あの川のほとりで話してたときに比べたら強くなれたかな」
「⋯⋯川の、ほとり?」
「あぁ、ごめん、前にも似たようなことがあってさ」
「そっかぁ⋯⋯」
リーリャはベッドの縁に座り、大輔の肩に寄りかかる。
「⋯⋯絶対、帰って来てね?リーリャのご飯、また食べてほしいから⋯⋯」
「もちろん、こんな美味い飯なら毎日食べたいしな!」
「⋯⋯へへっ。嬉しいなぁ♡」
ふたりのほんわかした空気を裂くように、部屋の扉がノックされた。
リーリャはサッと椅子に座り、大輔は「どうぞ」と声をかける。
「失礼します」
軽く一礼して入ってきた男は、シュルトだった。
眼鏡をかけ、軍服のようなものを着ていて、凛とした佇まい。
「勇者殿、初めまして。私はヴァルドノルド王国親衛隊政導官のシュルト・グリッツァーと申します。以後、お見知り置きを」
大輔はベッドを降り、
「俺は田中大輔って言います、よろしくお願いします」
少し固い動きで礼をする。
シュルトはリーリャに正対し、片膝をついて、頭を下げる。
「リーリャ様、ご無沙汰しております。お元気そうで」
リーリャは腕を組み、明らかに不機嫌そうな顔で、
「あったりまえでしょ?ダイスケがいるんだから。ね〜?」
そう言って、大輔を見ながら笑顔で首を傾げる。
「そ、そうだね〜」
大輔の微笑みは固い。
(リーリャの無自覚爆撃、マジでやめてくれ⋯⋯)
シュルトは、一切気にも留めず立ち上がり、
「勇者殿、本日“ドキナミス”を敢行致します。私は一階玄関で待機しておりますので、準備が整い次第いらしてください。では、後程」
シュルトはまた軽く一礼して、部屋を出た。
「もう!あいつ本当に嫌い!堅くてぜんっぜん可愛くない!べーっ!」
リーリャは扉に向かって舌を出す。
「なんか⋯⋯ガッチガチの軍人って感じだよなぁ。男から見たら、あれはあれでカッコいいと思うけど⋯⋯」
大輔がそう呟くと──リーリャは両手で大輔の手を握りしめる。
その瞳は真剣そのものだった。
「ダイスケが、あんなのになるのイヤ!」
大輔は少し目を丸くする。
「今のダイスケが⋯⋯リーリャは、いちばんカッコいいと思うよ?」
「⋯⋯そ、そう?ありがとう⋯⋯」
大輔は頭を搔きながら、まんざらでもない様子だ。
「あー、シュルトさんが待ってるから⋯⋯そろそろ行くよ」
「⋯⋯うん」
大輔は残った食事をサッと平らげ、「ごちそうさま」と呟く。
マスターソードを手に、部屋を出ようとしたその瞬間──
「ぅおっ⋯⋯?リーリャ?」
背中に軽い衝撃が走る。
リーリャが、必死に抱きついていた。
「絶対⋯⋯絶対帰って来てね?」
その声は、いつもの甘えた調子ではなかった。
震える声に、大輔は息をのむ。
「──あぁ、約束する」
振り返ると、リーリャの頬を涙が伝っていた。
「泣くなよ⋯⋯大丈夫だから」
大輔はそっとその頭を撫でる。
「うん⋯⋯いってらっしゃい」
「──行ってくる」
互いの胸に残ったのは、軽い約束ではなく、命を懸けた誓いだった。
大輔は扉を開き、“ドキナミス”へと向かっていった。




