#29 北の国と信念と求婚
北の国、ヴァルドノルド王国。
通年雪と氷に覆われ、領土の北半は、プラティドラク山脈が鎮座する。
そこでは日々、鉱石や油などの資源が採掘され、国の重要な産業のひとつを担っている。
王都の中心にある“アツァリア城”は、城にしては武骨で、郊外の工業地帯の建物と遜色ない外見だ。
そして、その城の玉座に座る男。
ヴァルドノルド王国、第十代国王、シデロス・ヴァルドノルド。
もちろん、今回の事件は彼の耳にも入っていた。
「勇者というのはそれほど強いのか?」
シデロスが問いかけた相手は、“政導官”のシュルト。
「東が一晩であの有り様ですので⋯⋯最早兵器と言っても過言ではありません」
「勇者が他国の代表になると厄介だな」
「もし、どこかの国の代表になるとしたら、私たちか南でしょうか。西はご存知の通り、勇者争奪戦から降りましたので。それに、ここまでの被害を被って東の代表になるとは考えにくいです」
「東が痛手を負った今、形勢を逆転するには好都合だな。しかし、その勇者は今どこにいるんだ?」
「それが一番の悩みの種でして⋯⋯恐らく東の領内にいることは間違いないと思われますが⋯⋯」
「そうか⋯⋯どさくさに紛れて東に潜入でもするか?」
「東は監視国家ですから、この状況でも必ず目をつけられるかと⋯⋯」
シュルトは少し考えたあと、
「陛下、資源運搬車なら怪しまれずに越境も可能です。作業員に、勇者を見つけたら拾うように伝達しておきます。ただし、輸送ルートを外れると疑われる可能性があるので、あくまで勇者がルート上に現れたときのみとなりますが」
「分かった。頼むぞ、シュルト」
クロス=アージュ領内。
廃墟と化した街を歩き続ける大輔。
どこまでも続く瓦礫と焼け焦げた空気の中、彼の目線の先に、小さな女の子がいた。
彼女は泣きながら、瓦礫の山から何かを引っ張り出そうとしていた。
その小さな肩が、必死に震えている。
大輔はただ、手伝うこともなく、ぼんやりと通り過ぎようとしたとき──
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
女の子が叫ぶ声に、大輔の足が止まった。
「⋯⋯えっ?かなた⋯⋯?」
その名を、思わず口にしていた。
虚ろな目が捉えたのは──小さな両手が掴んでいた、血まみれの腕だった。
すると突然、大輔の脳内に、昨夜の出来事がフラッシュバックする。
「⋯⋯あれ?これ、俺がやった⋯⋯?あぁ⋯⋯あぁ⋯⋯あああああああああ!!」
崩れるように蹲り、頭を掻き毟る。
動悸が激しくなり、息が乱れる。
胸が痛い。
喉が焼ける。
頭の中が真っ白だ。
そして、おもむろに立ち上がると、走り出した。
どんなに走っても──
女の子の「お兄ちゃん」という声が、頭から離れなかった。
「はぁ、はぁ⋯⋯ごめん、ごめん、ごめん!」
うわ言のように繰り返しながら、瓦礫の街を、ひたすら駆けた。
──どれくらい走っただろうか。
大輔はふらつき、足がもつれ、瓦礫に躓いて倒れ込んだ。
舞った埃を吸い込み、激しく咽る。
そのまま地面に伏せながら、両手を握りしめた。
(これは嘘だ!現実なんかじゃない!異世界のことだ!俺の世界とは⋯⋯関係無い!)
大輔は目を見開き、歯を食いしばった。
荒い呼吸のまま、また埃を吸い込み、咽る。
(⋯⋯これからどうしたらいい?もう戦いたくない。何もしたくない。──でも⋯⋯)
ふと、握りしめた拳に目をやる。
ゆっくりと、力を緩めた。
指の隙間から、乾いた土と埃が、ぽろぽろと零れ落ちる。
それはまるで、心に溜まった叫びの残滓だった。
(⋯⋯ここで止まってても、野垂れ死ぬだけだ)
誰も来ない。
何も変わらない。
だから。
「まだ、北があるから⋯⋯行かなきゃ⋯⋯俺は⋯⋯帰るんだ⋯⋯」
大輔はマスターソードを地面に立て、重心をかけて、ゆっくりと立ち上がる。
太陽が昇った方角を確認して、また歩き出した。
しかし、その場から、ヴァルドノルド王国の国境までは約500km離れていることは、大輔は知る由もなかった。
そして、丸二日、北を目指し歩き続けた大輔は、空腹や喉の渇きで視界が揺らぎ、幻聴が聞こえていた。
「ファナ⋯⋯かなた⋯⋯」
そして、彼は人知れず力尽きた。
* * *
「⋯⋯ここ、どこだ?」
鉛のように重たい右腕を持ち上げ、額に手を当てる。
冷たい。
左腕には点滴が打たれている。
コンクリートの打ちっぱなしのような天井や壁。
寒色の照明が冷たさを感じさせる、窓の無い部屋。
ベッドに寝ていた大輔が右を向くと、知らない青年が椅子に座り、本を読んでいた。
大輔の視線に気づくと、
「あっ、やっと起きましたか」
彼はページの角を折ってから本を閉じ、正対する。
「えっと⋯⋯ここは?」
「ヴァルドノルド王国の王立病院です」
大輔は身体を起こす。
「ヴァルド⋯⋯ノルド王国?もしかして、北の国?」
「はい、そうです」
「俺、歩いてる途中から記憶無いんだけど⋯⋯どうやってここに来たんだ?」
「やはり⋯⋯勇者ともなると、強運も持ち合わせているようで」
「⋯⋯どういうことだ?」
「まぁ、僕はそういう類のものは信じていないですが」
青年は、わずかに笑みを浮かべながらも、目だけは冷めていた。
「陛下が貴方にお会いしたいと仰っていましたが、しばらく安静にしたほうがいいでしょう。“ドキナミス”は相当骨が折れますよ?」
「⋯⋯“ドキナミス”?」
「相手は“世界最強”の男ですからね」
そう言うと青年は立ち上がり、本を手に取る。
「では、僕はこれで。貴方が目覚めたことも報告しておきます。ご武運を」
彼は軽く一礼し、部屋を出て行った。
(世界最強の男?チープな表現だけど、きっと本当に強いんだろうな⋯⋯えっ?ってことはギャレットやサイラよりも強いのか⋯⋯?あのふたりも相当強いぞ?)
自然と身体がブルッと震える。
(この世界、これ見よがしにそんな奴ばっかり見せてきて⋯⋯性格悪すぎるだろ⋯⋯)
大輔ははぁ、とため息をついた。
静まり返った室内に、点滴の落ちる音だけが規則正しく刻まれた。
焦げた鉄や埃の匂いが、ふいに喉の奥で蘇る。
(何とかして北の代表には⋯⋯)
少し焦る大輔をよそに、誰かが部屋の扉をノックしてきた。
(誰だろ⋯⋯)「はーい、どうぞ」
扉が開くと、
「わぁ〜!本当に目が覚めたんだぁ!ご飯持ってきましたよ〜!」
カートのような台に食事を乗せ、女性が入ってくる。見るからに、看護師であることは間違い無さそうだ。
(さっきの奴とは正反対の陽キャ⋯⋯)
彼女は扉を閉め、手際よく大輔の体温を測り、点滴の滴下速度を一瞥で確認すると、腰を屈める。
「ちょっと、顔が近いんだけど⋯⋯」
彼女は大輔の顔をまじまじと見つめ、
「異世界の人だって聞いたから化け物っぽいのかなって思ってたけど、めっちゃ可愛い〜♡」
「⋯⋯は?」
女性は大輔の頭を撫でながら、ニコニコと微笑む。
(えー、ここはそういうコンセプトの夜のお店ですか?)
「あっ、ごめんなさい!つい可愛くって仕事忘れてた!」
あざとく口に両手をやったあと、ベッドに備え付けられた簡易テーブルを出し、
「はい、どうぞ〜」
トレーに乗せられた食事をそれに置いた。
「わ〜!美味そう!」
大輔は数日ぶりの食事に目を輝かせる。
「い〜っぱい食べて?おかわりもあるから!」
大輔は一瞬、“おかわり”という言葉が引っかかった。
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「あぁ、忘れてました。“おかわり”もどうぞ」
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「⋯⋯うん。ありがとう」
大輔はぎこちない笑顔を見せると、女性は先程まで青年が座っていた椅子に座り、前かがみで大輔を見つめる。
「ふふっ、そのアンニュイな顔も可愛い〜!」
(⋯⋯俺、こんなに可愛いって親にも言われたことないぞ⋯⋯)
渋い顔をしながら大輔はスプーンを手に取り、
「いただきます」
と言って手を合わせると、
「えっ?いただきます、って何?」
彼女が不思議そうな顔をする。
「俺の国では、食事の前には必ず言うんだよ。肉でも魚でも野菜でも、みんな生きてたから。その命を“いただきます”ってことと、収穫したり料理したりしてくれた人に対しての“いただきます”なんだ」
すると彼女は、
「えぇぇぇ〜!!尊い〜!!そんなこと思ったこと無かった〜!!」
両手を頬にあて、目を輝かせる。
(⋯⋯本当に思ってんのか?オーバーリアクションだなぁ)
大輔は少し呆れながらも、根菜のようなものが入ったスープを掬い口に入れようとしたが、右側から物凄く圧を感じる。
横目で見ると、彼女はニヤニヤと少し口を開け、大輔とリンクしているような動きをする。
(⋯⋯なんかめっちゃエロいな⋯⋯)
目を閉じ一口食べると、
「⋯⋯うん!美味い!」
数日ぶりの食事は、大輔の身に染み渡る。
「本当〜?私が作ったの!嬉しいなぁ〜♡」
彼女は身体を左右に揺さぶり、喜んでいる。
(マジか?本当に美味いぞ、これ)
食事を進める大輔を、女性は目を細めながら見つめる。
「ねぇ、おいし?」
「うん、美味しい⋯⋯」
「ふふっ⋯⋯嬉しぃ⋯⋯♡」
(何だこの新婚夫婦みたいな空気は⋯⋯)
食事は他のメニューも美味しく、大輔は食べ終わると、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
またその言葉に、
「ごちそうさまでした、って何?」
「いただきますと一緒だよ。食べ終わってもまたみんなに感謝するんだ」
女性は伏し目がちに、
「⋯⋯羨ましいなぁ、その世界。私はそこまで感謝されたことないから⋯⋯ここでは全部が当たり前なの」
「そうなんだ⋯⋯でも、少なくとも俺は君に感謝してるよ。ありがとう」
大輔の柔和な表情を見て、女性は瞳を潤ませながら、頬を赤くする。
「⋯⋯好き。大好き」
「⋯⋯は?いやいや!早いって!!まだ会って十数分だけど?」
「もうリーリャは⋯⋯あっ、名前聞いてなかった⋯⋯異世界の人、名前は?」
「大輔だけど⋯⋯」
するとリーリャは、両手で大輔の手を握る。
「リーリャはダイスケと結婚したい!!」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
大輔の絶叫はコンクリートの壁に吸い込まれる。
「ダイスケ、好きぃ⋯⋯♡」
リーリャはベッドの縁に座り、大輔の腕に自分の腕を絡ませ、肩に寄りかかる。
(おいおい何だよこれ!⋯⋯あっ、今までファナといい雰囲気になったら絶対邪魔が入ったからな⋯⋯誰か来い!来い!早く!誰か!)
大輔の願いも虚しく、誰も来ない。
(⋯⋯誰も来ないんかーい!!)
その間、リーリャの「ふふっ♡」や「う〜ん♡」といった甘い吐息が、コンクリートの壁に反響して、逃げ場なく大輔の耳をくすぐった。
(まぁ、好いてくれるのは有り難いんだけど⋯⋯これは今後に支障をきたすレベルだ⋯⋯)
すると、突然館内放送が流れる。
「リーリャ・ヴァルドノルドさん、至急看護センターまで戻ってください」
(⋯⋯えっ?ヴァルドノルド⋯⋯?)
「え〜っ?朝までダイスケと甘々したかったのにぃ〜」
リーリャは頬を膨らませながら、大輔の腹を指でツンツンする。
「いや、それ職務放棄だから⋯⋯」
「しょうがないなぁ〜」
リーリャは大輔の元を離れる。
「じゃあ、リーリャの“アトロティミラ”、またね♡」
「あぁ、また⋯⋯」
リーリャはトレーを片付け、カートを押しながら投げキッスをして、部屋を出て行った。
大輔は横になり、両手を頭の後ろに組みながら、天井を見る。
(何だあのとんでもなく押しの強い子は⋯⋯でも、顔もスタイルも良くて、あざとくて可愛かったな⋯⋯世の男が好きなタイプ⋯⋯っておい!俺がここに来たのはそうじゃないだろ!)
首を何度か振り、
(⋯⋯ってか、“アトロティミラ”って何だ?⋯⋯あれ⋯⋯ん?あれ?そういえばあの子、ヴァルドノルドって呼ばれて⋯⋯おいおい待て待て、王家の血筋なんじゃないのか!?結婚!?嫌な予感しかしない!もしかして親は⋯⋯“世界最強の男”じゃないだろうな!?)
大輔の全身から、血の気が引く音が聞こえた気がした。
途轍もない情報量に目眩がしそうになり、
「⋯⋯とりあえず、もう寝よ⋯⋯」
ベッドから降りて部屋の電気を消し、大輔は力強く瞼を閉じ続けた。
しかし、暗闇の中にリーリャの甘い声がリフレインして、眠れるわけがなかった。
(ダイスケ、好きぃ⋯⋯♡)




