第1章ー③ 命の天秤
「煙はあるが目立った出火はなし。ガスは正常範囲内、地盤の崩壊もなし。このまま進むぞ。」
「はい!」
計測器の数値を頼りに安全を確認しながら、新人を引き連れ目標地点を目指す。山岳となれれば回収に応援が必要になる可能性もあったが、このくらいの高度なら二人でも平気だろう。必要な処置を済ませた後折りたたみ式の荷台に星を乗せて移動ユニットに繋ぎ、基地に帰投。星を発見した後の計画を練りながら木々を支えに斜面を登ると、予想通りの光景がそこには広がっていた。
山肌に生えた木々を薙ぎ倒し、めり込むようにして転がっている直径十メートルほどの石の塊。大部分は地球上のその辺の石と変わらない灰色の凹凸に覆われているが、一部に光沢のある紫の面が覗いていた。エネルギー収率が極めて高い燃料になる未知の物質、メテオリウム。表面が露出しているならすでに酸化は始まっている。少しでも採取できる量を確保するため、俺は背中のバックパックから保護シートのロールを取り出した。
「新人、俺はここで露出部位の保護を行う。お前は裏手に回って他に露出部位がないか、ノートリスターの漏出がないか調べて来い。」
「了解!」
俺が指示を出すと新人は即座に方向転換し、落下した星の裏側へと駆けていった。任せたものの新人では見逃すことも多いだろう。今やっている部位の保護が終わったら確認のため俺も向かわなければ。
外気の晒されたメテオリウムにシートを貼り付け、一息つく。目についていた高所の露出部位にも同じ処置を行おうと盛り上がった土を足場に上ろうとした、その時だった。
「エ、エバンズ班長! こ、これ、どうしたら……!」
星の裏側から新人が俺を呼びつける。悲鳴にも似た声から察するに、何か非常事態に遭ったのだろう。即座に足場から飛び降り、新人の声がした星の裏手へ大股で急ぐ。
「そこから動くな! 今すぐ向かう!」
勉強熱心な新人が慌てるような事態ということは教本にないようなことだろう。星についてはまだわかっていないことも多く、何が起きても不思議じゃない。まず何よりも自分たちの命を優先し、それから……。そう思考を巡らせた瞬間、巨大な星の裏側にたどり着く。
「何があった!」
まず初めに目に入ったのは、両手で口元を覆い立ち尽くす新人の姿だった。しかしその体は星の方には向いておらず、別の何かに向けられている。その方向に目を向けると、星の落下の衝撃で半壊した古い山小屋があった。
「ひ、人が、人が、倒れてて!」
「人……?」
こちらを振り返りながら新人は後ずさり、足元に転がる何かを指差す。星に背を向ける形でうつ伏せに倒れた、人間。着ていたであろう服は黒く焦げて原型を留めておらず、土と血液で汚れた肌のほとんどを晒している。背中から腰に掛けては肌が変色するほどのひどい火傷が這うようにして広がっていた。おまけに脇腹の傷からは大量の血が流れて出し、今にも脈動が聞こえてくるかのようだった。
崩れた建物、焼け焦げた肌、手に滲んだ血の生温かさ。どこからともなく聞こえてきた雨の音が脳を撫でる。痛い、寒い、早く見つかれ、嫌だ見たくない、まだ生きてる、もう死んでる。ぐちゃぐちゃの幼い自分の声が濁流になって渦を巻く。浅くなっていく呼吸の反響、指先の震え、ふらつく足元。脈打つ心臓の音が鼓膜を揺らす。そうだ。星のせいで、父さんと母さんは
「エバンズ班長!」
沈み込みかけた意識を震えた甲高い声が無理矢理引き上げる。顔を上げると新人が俺の顔を見上げ、フード越しに縋るような眼差しを向けていた。無意識に指示を仰いでいるのだろう。俺と倒れた誰かを交互に見つめる所在なさげな様子に、足の感覚が戻っていく。
そうだった。俺はもう、泣き叫ぶだけの子供じゃいられない。
「新人、移動ユニットからブランケット持って来い!」
「は、はい! わかりました!」
新人を移動ユニットへ走らせ、その間に自分は倒れている人物に向けて屈みこむ。使う機会はなかったが、訓練生時代に応急救護については一通り習った。バックパックを下ろし、底に入った救急キットからガーゼを取り出す。傷をカバーできるギリギリのサイズだが、仕方ない。患部にガーゼを当てればガーゼはあっという間に赤く染まり、防護服に覆われた手の平にも血が滲み出してくる。予想以上に薄く脆そうな体ではあったが、止血のために俺が触れると微かに筋肉が動いた気がした。体格から判断するに新人とそう年も変わらない少女。リングへの人類移住計画に反対し、地球に残ることを選んだ山小屋の住人だろうか。周囲の状況から少女の素性を考えていると、軽い足音がこちらに近づいてきた。
「エバンズ班長、ブランケットです!」
「ご苦労。そしたら次は基地の医務室に連絡して怪我人の受け入れ準備をするように言っとけ。」
「医務室、ですか? それならもう搬送用のユニットを出してもらった方が」
「それじゃ時間が掛かりすぎる。今すぐ移動ユニットでこの子を基地に運ぶぞ。」
新人に端的にこれからの行動を伝えながらブランケットで患部を押さえ、少女の体を軽く包む。倒れていたままの姿勢で俺が彼女を抱え上げると、新人は墜落した星の方を遠慮がちに振り返った。
星は完全に密閉されてはいない。今こうしている間にも内部のメテオリウムの酸化、ノートリスターの揮発は進んでいる。怪我人を一回基地に運んでからすぐに戻ったとしても、採取量は半減では済まないだろう。そしてそれは一人の命を救う代わりに、数千、数万人の生活を支えるはずだった資源を捨てるということだ。
「上司に何か聞かれたら、全部俺の判断だったって言っとけ。責任は俺が持つ。行くぞ。」
新人の肩を叩き、移動ユニットの方へ移動するよう促す。新人はしばらく立ち止まって星を眺めていたが、俺と距離が開く前には一歩駆けだした。
「はい、エバンズ班長。」
そう返事をして雛鳥のように俺の後をついてくる新人。停止させていた移動ユニットに戻るなり、俺は後部座席に発見した少女を寝かせた。加えて隣で彼女の容態を見守るよう新人を座らせ、すぐに移動ユニットを走らせる。後ろからは基地に向け連絡をする新人のしどろもどろな声と、ブランケットが座面に擦れる音。これから失うものでなく、守れるものを数えることにする。
基地へ帰還後、少女はすぐさま医務室へと運ばれた。怪我の状態こそひどかったものの、医療チームの懸命な処置で彼女は一命を取り留めたらしい。その知らせを俺は、自分に向けられた職務放棄の処分通達と共に耳にした。