第五章 裏切りと覚悟
信じることは、時に危うい。
それは、手を差し出すことでもあり、背を向けられるリスクを抱えることでもある。
でも、人が人と共に生きるには、信じる以外に道はないのかもしれない。
レイたちが旅を続けるなかで出会ったのは、心に傷を抱え、誰にも頼らずに生きてきた少女・カナ。
そして彼らを待ち受けるのは、信じた者からの裏切り。
それでも、彼らは歩みを止めない。
この章は、信頼の本質と覚悟の芽生えを描く物語である。
俺たちは、山を越え、川を渡り、まだ見ぬ集落へと歩き続けていた。
風の音と鳥の鳴き声しか聞こえない原野の中で、俺たちの会話は自然と減っていった。ミオは、草花の種を拾い集めながら静かに歩いていたし、ユウは疲れた様子で無言を貫いていた。だけど、誰ひとりとして立ち止まろうとはしなかった。
その日、俺たちは崩れかけた石造りの小屋のそばで、ひとりの女に出会った。
「……誰?」
小柄な体を包む布はほつれていたが、目の奥には強い光があった。ナイフを構えてこちらを睨む彼女の名は、カナ。初対面から警戒心むき出しで、ユウが一歩でも近づこうとすればその刃が唸った。
「何も奪わない。ただ、ここを通りたいだけだ」
俺がそう言うと、彼女の瞳がかすかに揺れた。
「……あなたたち、どこへ向かってるの?」
「戦争を止めに行く。そんなことできるわけないって、みんな言うけど」
カナはしばらく黙っていた。けれど、俺たちの荷物を見て、ぼそりと呟いた。
「……本当に、止められると思ってるの?」
それが、カナとの旅の始まりだった。
***
彼女は神経質で、すぐ疑うし、心を開かない。でも、ふとした時に見せる静かな優しさがあった。夜、ユウが眠れずにいると、何も言わずに火を絶やさないように見張ってくれていた。
「戦争って、正しさのぶつかり合いだと思ってた。でも、どっちの正義も、結局人を殺すことでしか示せないなら、意味なんてないよね」
ある晩、ミオがぽつりとそう言った時、カナは珍しく強く頷いた。
「私の家族は、"守るため"に戦った。でも、全員、守れなかった。死んだ人間に言い訳は届かない。だから私は、もう誰も信じないって決めた」
その言葉に、俺は何も返せなかった。ただ、手を伸ばした。彼女は一瞬ためらい、そしてその手を取った。
それが、彼女が仲間になった瞬間だった。
***
それから数日後、俺たちはある集落にたどり着いた。
そこには戦争を否定し、武器を放棄した人々が暮らしていた。最初こそよそ者を警戒されたが、俺たちの話を聞いた長老は、静かに頷いてくれた。
「……君たちは、信じる道を歩むがいい。だが、注意しなさい。信じるということは、裏切られる痛みを抱えるということでもある」
その言葉の意味を、俺たちはすぐに知ることになる。
共に旅をしてきた“新しい仲間”のひとりが、夜中に姿を消した。そして、集落に火が放たれた。貴重な水や食糧も奪われていた。
誰かが裏切った――。
「なぜ……」
ユウが声を震わせた。ミオは俯いたまま何も言わなかった。カナだけが、静かに怒りをこらえるように唇を噛んでいた。
「戦争を止めようとしてる俺たちが、また人に裏切られるなんて……どうしてだよ」
俺は拳を握った。心が引き裂かれるような痛みを感じていた。
でも、ここで疑い合ったら、全部が終わる。信じることを諦めたら、戦争を止めるなんて、ただの夢物語になる。
「……それでも、俺は信じる」
俺の言葉に、ミオもユウもカナも、静かに頷いた。
その夜、俺たちは灰の中に座り、灯りもないまま空を見上げた。星は変わらず、そこにあった。
「裏切りに怯えるなら、信じることなんてできない。でも……裏切られても、信じる選択は、俺たちができる唯一の"戦わない"意志だ」
そう思えた瞬間、自分の中に新しい覚悟が生まれていた。
誰かに裏切られたとき、人は簡単に「信じることは無駄だった」と思ってしまう。
でも、裏切られたからといって、信じたこと自体が間違いだったとは限らない。
レイたちは痛みと共に、それを学んだ。
裏切りの中でもなお手を取り合う勇気こそ、戦争を止める一歩になると信じて。
そして今、彼らの中には“もう引き返さない”という覚悟が根付き始めている。
次の章では、彼らが失うもの、向き合わざるを得ない“死”が描かれる。
それでもなお、彼らは信じ続けられるのか。
──物語は、深い闇の中へと進んでいく。