第一章 赤い地面
誰もが一度は「戦争」を耳にしたことがあるだろう。
だが、それを自分の手で、目で、心で感じた者はどれだけいるだろうか。
この章は、まだ何も知らなかった少年が、最初に「死」に触れた瞬間の記録である。
それは、彼の正義の芽生えでもあり、苦しみの始まりでもある。
プロローグ
「第三次世界大戦でどのような兵器が使われるかは分かりませんが、第四次世界大戦はこん棒と石で戦われるでしょう。」
アルバート・アインシュタインがかつてそう言ったらしい。
笑い話に聞こえただろう、当時は。
けれど、俺たちにとってはそれが現実だった。
文明は燃え尽きた。
空を飛ぶ鉄の機械も、都市を動かしていた電力網も、知識を記録していた箱も、すべては過去の夢となった。
だが、すべてを失ったわけじゃない。
石に刻まれた記録、語り継がれた言葉。
そのかすかな灯火だけが、今を生きる俺たちの足元を照らしている。
なのに。
なのに、なぜ。
人はまた、こん棒を握っていた。
第一章 赤い地面
(語り手:レイ)
地面が赤く染まっていた。
赤いのは夕日じゃなかった。
俺の足元に倒れていたのは、さっきまで喋っていた大人だった。
こんなもの、見なきゃよかった。
でも、俺は見に行った。隠れろって言われたのに、好奇心に負けた。
「どうして…?」
口にした自分の声が、震えていた。
戦争は遠いものじゃなかった。
それは、目の前で人を殺す行為だった。
こん棒と石と火。
叫び声と怒号、血の匂いと、地面を揺らす足音。
「……俺は、何を見てるんだ?」
そのときだった。
小さな体の俺の前に、誰かの影が覆いかぶさった。
「お前、生きてるか?」
大きな手が俺の肩を掴んだ。
知らない男の顔。血まみれの頬、剣のように鋭い目。
俺は息を呑んで、ただ頷いた。
「ここは、子どもの来る場所じゃねえ」
それが、俺の知っていた「大人」の本当の姿だった。
俺の中で何かが崩れていく音がした。
戦争は「守るため」に必要だって、大人たちはそう言っていた。
けど、俺の目の前にあるのは――壊された命だ。
「なぁ、お前、名前は?」
男がしゃがみこみ、俺と目線を合わせてきた。
背中の革に、割れた石の剣が縛りつけてある。
血のにおいが、皮膚に貼りつくようにして残っていた。
「……レイ」
「レイか。おれはリョウって言う。覚えとけ。生きてたければ、こういうところにはもう来るな」
そう言って立ち上がると、彼は再び戦場の向こうへ消えていった。
無造作に倒れている死体をまたいで、まるで慣れた足取りだった。
俺は、その場から動けなかった。
足元には、さっきまで笑っていた村の人が倒れている。
目を閉じているその顔に、話しかけたくても、言葉が出てこなかった。
「これが、戦争……?」
その瞬間、身体の中で何かが音を立てて軋んだ。
もう昔みたいには戻れない。そう思った。
***
村に戻った夜。
誰にも何も言えなかった。
父も、母も、「今日の戦果は上々だった」と嬉しそうに話していた。
「レイ、お前も男なら、いつかは前線に出る日が来るぞ」
そう笑った父の顔が、なぜか知らない人のように見えた。
俺は笑えなかった。
何も言えず、うなずくことすらできなかった。
ベッドに潜り込んで、ひとりで目を閉じる。
でも、瞼の裏に浮かぶのは、赤く染まった地面と、動かなくなった人の顔だった。
そして――その戦場で、俺と同じように震えていたもうひとつの瞳が、忘れられなかった。
どこかで見ていたはずだ。
俺と同じ、子どもの瞳。
彼女の名前を、そのときの俺はまだ知らなかった。
後に出会うことになるミオだった。
……
あの夜、夢に出てきたのは戦場ではなかった。
遠くから、誰かが泣いているような声が聞こえた。
風の音かと思った。
でも、それは明らかに――誰かの心の叫びだった。
朝になっても、その声は耳から離れなかった。
「なぁ、父さん……」
「ん?」
「人が死ぬって……そんなに簡単なことなのか?」
父はしばらく黙ったあと、「守るためだ」とだけ言った。
俺はその言葉を何度も繰り返し、けど、どうしても飲み込めなかった。
胸の中に残ったのは、熱くて、苦くて、言葉にならない塊だった。
そして気づいた。
あの戦場で、俺と同じように目を見開いていた“誰か”がいた。
あの瞳は、俺と同じものを見て、同じものを感じていた。
それだけが、少しだけ、救いだった。
戦争は、勝ち負けでは語れない。
誰かが笑っているその裏で、誰かが泣いている。
少年・レイは、ただ戦争に憧れていた。
だが、目の前で命が消える光景を見てしまった今、彼はもう戻れない。
彼の瞳に映った“もう一つの瞳”――それが、次なる物語への扉となる。