脱出
ジャンヌは襲いかかって来るカサンドラを直前でかわすと、振り返ったカサンドラの顎にアッパーカットを叩き込んだ。
「げはっ!」
カサンドラは涎と血が混じったものを口から吐き散らして、もんどり打って仰向けに倒れた。
「決まったか!?」
それを見ていたバレルが叫んだ。
(もう立ち上がらないで、カサンドラ)
ジャンヌの拳も悲鳴をあげていた。グローヴの力を借りているから大丈夫と思うジャンヌだったが、カサンドラを殴るたびに拳が軋んでいくのがわかった。
「バレル、お願いがあるの」
ジャンヌは右の拳を撫でながら愛しい人を見た。
「何だ?」
バレルはキスして欲しいと言われると思い、にやついたのだが、
「カサンドラを抱きしめてあげて。もういいんだよって」
ジャンヌの意外な言葉に目を見開いた。
「えええ!?」
バレルはジャンヌとカサンドラを交互に見た。
「お願い」
ジャンヌは目を潤ませていた。
(ジャンヌ、もう拳が限界なのか? 超回復でも追いつかないのか?)
先程、ジャンヌが肋骨を一瞬で治したのを理解したバレルは、ジャンヌの右拳がそれより重症なのを悟った。
「わかった」
バレルはゆっくりとカサンドラに近づくと、彼女を抱きしめた。
「お姉さん、もういいんだよ。もう終わりにしよう。俺達と一緒に行こう」
バレルはカサンドラをギュッと抱きしめた。
「ちょっと、バレル、やり過ぎ!」
ジャンヌはバレルがカサンドラの背中を撫でるのを見て、嫉妬してしまった。
「殿下……」
カサンドラはバレルを見上げた。
「殿下じゃないよ。バレルだ。カサンドラ、一緒にこの星を出よう。君の親父さんはイカれてる。このままじゃ、君は親父さんの道具のままだ。そんなの、やめにしよう」
バレルはカサンドラの左の頬を右手で撫でた。
「バレル!」
ジャンヌがまた叫んだ。
「ああ、ごめん、ジャンヌ!」
バレルはカサンドラを立たせて、肩を貸した。
「さあ、脱出するわよ」
ジャンヌもカサンドラに肩を貸して、廊下へ出ると、出口へ向かって走り出した。
「何故だ?」
走りながら、カサンドラが問いかけた。
「何故、私を助ける?」
カサンドラはジャンヌを見た。ジャンヌは前を向いたままで、
「貴女はあのお父さんに支配されている。それを打ち破るには、アメアさんに会うのがいいと思うの」
「アメア? どうしてだ?」
カサンドラは眉をひそめた。
「アメアさんも、貴女と境遇が似ているからよ」
ジャンヌはチラッとカサンドラを見た。
「境遇が?」
カサンドラは首を傾げた。
「まあ、とにかく、ゲルマン星を出るぜ。それは一番だ」
バレルが告げた。
「はい、殿下」
カサンドラは微笑んでバレルを見た。
(可愛い。このお姉さんが笑ったの、初めて見た)
デレるバレルを見て、ジャンヌはムッとしたが、今は喧嘩をしている場合ではないので、黙っていた。
「カサンドラ、何をしているのだ!?」
クラークはカサンドラが支配を離れ、逃げたのを知り、激怒していた。しかし、
「マーカム・キシドムとエレクトラ・キシドムがまもなく到着します」
携帯端末に連絡が入った。
「わかった。すぐ行く」
クラークは考えを切り替え、
(あのカサンドラはもはや使い古しだ。エレクトラに新しいカサンドラを産んでもらえば、それでいい)
ニヤリとした。
(バレルに本気で恋してしまった時点で、あのカサンドラは終わってしまったのだ。始末するまでもない)
クラークは完全に今存在しているカサンドラを見限っていた。
ジャンヌ達は何の妨害も受けず、小型艇で脱出できた。それと入れ違うように降下して来たのは、マーカム・キシドムとエレクトラが乗る反共和国同盟軍の巡洋艦であった。
「あの紋章、反共和国同盟軍だな?」
キャノピーから見える巡洋艦を見て、バレルが呟いた。カサンドラは疲れからなのか、眠ってしまっている。
「ああ、あの女性の横顔が描かれているの、そうだね」
ジャンヌは艦体の横前方にある旗章を見た。だが、それがかつて自分の父親を落とそうと画策していたエレン・ラトキアの物だとは知らない。
「何だろう? たった一隻で来たって事は、降伏したのかな?」
バレルは鋭かったのだが、
「そんな事ないでしょ? 降伏に来るなら、もっと大きな船で来るんじゃない?」
政治には疎いジャンヌはバレルの説を一蹴した。
「そうかなあ……」
バレルは納得し難かったが、ジャンヌと揉めるつもりはないので、それ以上何も言わなかった。
「カサンドラって、黙っているとやっぱり綺麗だよね」
ジャンヌは眠っているカサンドラを見た。
「そうだな」
バレルはカサンドラを目を細めて見つめた。
「バレル、変な気、起こさないでよね」
ジャンヌはバレルを半目で見た。
「あはは、何言ってるの、俺が好きなのは、ジャンヌだけだよ」
バレルは冷や汗を掻いた。
(ジャンヌ、俺よりずっと強くなってるから、怒らせるとやばい)
バレルはジャンヌに近づいて、
「カサンドラは気の毒だと思うんだ。あの親父、異常だよ。自分の娘を嗾けて、戦わせていたんだからさ」
ジャンヌの肩を抱いた。
「そうね」
ジャンヌは自分の嫉妬深さを反省した。
(あの時、アメアさんに会うのがいいと思うって、咄嗟に言ってしまったけど、今更ながら、それは当たりな気がする。アメアさんなら、カサンドラを救ってくれる。間違いなく)
ジャンヌはアメアとカサンドラに同じ何かを感じている。只、一つだけ心配な事があるとすれば、アメアの気まぐれだった。
(アメアさんがカサンドラに力を貸してくれるかどうかは、実際に合わせてみないとわからないなあ)
ジャンヌは思わず溜息を吐いた。
「どうしたの、ジャンヌ? 何か不安なのか?」
バレルが調子に乗ってジャンヌにキスしようとして来た。
「ちょっと、まだ敵の勢力圏なんだから、そんな事してないで!」
ジャンヌはバレルの顔を押し抜け、操縦桿を握った。
「わかったよ。今の溜息、何だったのさ?」
バレルは口を尖らせた。ジャンヌは前を向いたままで、
「何でもない」
ジャンピング航法に入った。
「うわ!」
バレルは慌てて副操縦席に着き、ベルトを締めた。
「ようこそ、ゲルマン星へ」
クラークは五人のニューロボテクター隊と共にマーカムとエレクトラを出迎えた。
「お出迎え、感謝します、クラーク長官」
マーカムは微笑んで応じた。クラークはマーカムに会釈すると、エレクトラに近づき、
「お会いできて光栄です、エレクトラ様」
跪いて挨拶をした。
「それはどうも、クラーク様」
エレクトラはすでにクラークの精神波で支配されていた。
(何だ、こいつ? 俺を無視したのか?)
マーカムはクラークの態度に苛立ったが、ここで揉めたら、それを理由に殺されるかも知れないと思い、我慢した。
(マーカム・キシドム、そこまで愚かではないか)
クラークはマーカムを挑発したのだが、マーカムが乗らなかったので、フッと笑った。
「では、参りましょう」
クラークはエレクトラの腰に腕を回すと、歩き出した。
(くそ、そこまで俺をコケにするのか、クラーク・ガイル!)
マーカムは歯軋りして、その後に続いた。しかし、自分の母親が利用されようとしている事には全く気づいていなかった。
(エレクトラは思った以上にいい女だ。カサンドラを産む資格は十分にある)
マーカムはクラークが女好きなのを知っていたが、
(まさか、母上に手を出す事はないだろう)
クラークはどう見ても自分と同世代。親子程も歳が違うエレクトラを手に入れようとしているとは思えなかった。
(そのまさかだよ、マーカム。お前の母親は、カサンドラを産むために呼んだのだ)
クラークはマーカムの心を読み、ほくそ笑んだ。




