新たなる死神
アテナ・ルビルの言葉にマーカム・キシドムは茫然自失となっていた。
「まあ、反共和国同盟軍も、共和国同様、神聖銀河帝国の属国でしたね。属国同士の潰し合いであれば、あるいは神聖銀河帝国は傍観するかも知れませんね」
アテナは不敵な笑みを浮かべ、マーカムを見た。
「我が同盟を侮辱するなら、お前とは取引しないぞ」
マーカムは虚勢を張った。しかし、アテナは、
「どうぞ、ご自由に。そうなれば、私は共和国にアンドロメダ銀河の最新兵器を供与するだけです。何も痛手はありません」
狡猾な顔になって、マーカムを睨みつけた。
「く……」
マーカムは自分が持っているカードが全く役に立たないのを思い知った。
「あの死神の娘とも取引をしているのですよね? そちらにすがればいいのではないですか? 私は別にそれでもいいですから」
アテナは会釈をすると、最高司令官室を出て行った。側近がマーカムに目配せをして動こうとしたが、
「やめておけ。あの女が連れている連中は、屈強な元軍人だ。迂闊な事をすれば、こちらが痛い目を見る」
マーカムは深い溜息を吐くと、椅子に沈み込んだ。
ジャンヌは誘導通信に従って、司令長官棟の近くのドックに小型艇を着陸させた。
「待っていたよ、ジャンヌ。ゲルマン星へようこそ」
出迎えたのは、満面の笑みを浮かべたクラークと、無表情なカサンドラ、その他多くの兵士達だった。ニューロボテクター隊は一人もいない。ジャンヌの闘争心を刺激すると考えたようだ。
「傷がまだ癒えないようね、クラーク・ガイル。どういうつもりかしら?」
ジャンヌは今にも飛びかかって来そうなカサンドラを一瞥してから、クラークの顔を見上げた。
「君と事を構えても、何の利もないとわかったのでね。和解しようと考えている」
クラークは笑みを崩さずに告げた。ジャンヌは肩をすくめて、
「どの口が言っているのよ。母さんを酷い目に遭わせて、よくそんなふざけた事が言えたものね」
クラークを睨みつけた。クラークは苦笑いをして、
「君の言う通りだ。確かに虫のいい話だな。だが、和解条件は君にもいいものだぞ」
「和解条件?」
ジャンヌは眉をひそめた。クラークはカサンドラを見て、
「残念な事に、我が娘であるカサンドラは、バレル皇太子殿下のお眼鏡に適わなかった。カサンドラは悲しみに打ちひしがれているが、これ以上我が娘を傷つけるのはよくないので、皇太子殿下のお眼鏡に適う者を殿下の妃に迎えようと思ったのだ」
カサンドラは怒りで両手を震わせているのがわかった。
(カサンドラ、本当にバレルの事が好きなの?)
ジャンヌはカサンドラの凄まじい嫉妬の炎を感じ、息を呑んだ。
「皇太子殿下には、君を妃として迎えてもらおうと結論した」
クラークはまた微笑んでジャンヌを見た。
「はあ?」
ジャンヌはバカにされているのだと思った。
「ふざけないで! そもそも、コウタイシデンカって何よ? それはバレルが望んだものなの?」
ジャンヌはクラークに詰め寄った。兵士は動こうとしたが、クラークはそれを右手で制して、
「皇太子殿下には、お世継ぎを作っていただかねばならない。それを君に手伝って欲しいのだ」
「え?」
ジャンヌの顔が真っ赤になった。
「それって……?」
ジャンヌは火照る顔を撫でながら、クラークを見上げた。クラークは頷いて、
「皇太子殿下の御子を君に産んで欲しいという事だ」
「えええ!?」
ジャンヌの顔が爆発しそうなくらい赤くなった。いろいろと想像してしまい、彼女は混乱していた。
「君も皇太子殿下の事が好きなのだろう? 殿下の子を産みたいと思った事はないのかね?」
「バ、バレルの子を……!?」
ジャンヌの頭は限界を超えてしまっていた。
(バレルの子って、つまりその、そうなるためにはそういう事よね?)
ジャンヌの心臓はこれ以上ないくらい速く動いていた。呼吸も激しくなり、汗が身体中から噴き出した。
(バレルの事は好き。将来はそうなりたいとは思う。でも、そこにおかしな思惑が絡むのは嫌)
ジャンヌはクラークの野望のためにバレルの子を産むのは絶対にできないと考えた。
「さあ、殿下がお待ちだ。行こうか」
クラークに促され、ジャンヌは建物の中へ入った。
(バレルに会えるのであれば、それはそれでチャンス。二人で脱出しよう)
ジャンヌはこの状況を利用しようと思った。
(バレル殿下は完全に我が支配下。後は殿下がジャンヌをどこまで従順にできるかだ)
クラークはジャンヌに見えないようにほくそ笑んだ。
「アテナ・ルビルが同盟軍に?」
タミル・エレスは部下からの報告に右の眉を吊り上げた。
「はい。我が商会の邪魔をしようとしているのではないかと」
部下が告げると、タミルはフッと笑って、
「そうかも知れないけど、それに乗ってこちらが動けば、あのガキの思う壺だよ。同盟軍は先細りだ。マーカム・キシドムがもう少しお利口さんなら、こちらもやり甲斐があるのだけど、そこまでするような取引相手ではないからね。アテナ・ルビルの好きにさせておけばいい。こちらとしては、泥舟に乗るつもりはないから」
死神と呼ばれたヤコイム・エレスの遺伝子を受け継ぐ者の矜持を示した。
(マーカムは母親の言いなりらしいし、共和国のラグルーノ・バッハ総統領は何よりも癒着が好きな下衆だ。どちらに付くかなんて考えずに、うまく立ち回るのが商人てもんさ)
タミルもまた、天の川銀河を制するのは、神聖銀河帝国だと予想していた。
「それから、ジョー・ウルフの娘と言われているジャンヌという少女が、またゲルマン星へ行ったらしいです」
部下は携帯端末を見ながら言った。タミルは眉間に皺を寄せて、
「ギャザリー・ワケマクの周辺から流れている情報だね。あの女は信用ならない。商人でもなく、軍人でもない人間が、ちょこまかと動くのは気に入らない。そのうち、痛い目を見るさ」
ジャンヌの事には興味を示さず、ギャザリーを嫌悪した。
「只、神聖銀河帝国には擦り寄って損はない。そのためには何でも利用するのが商人。そして、それが我がエレス商会の流儀」
タミルはニヤリとした。
(そして、あのアテナ・ルビルに一泡吹かせない事には気が済まない)
タミルはアテナにされた屈辱的な行為を根に持っていた。
「こちらに皇太子殿下がいらっしゃる。失礼のないように」
クラークはバレルがいる部屋の扉をゆっくりを開いた。
「バレル!」
ジャンヌは豪華な椅子に座っている煌びやかな服を着たバレルを見ると、大声で呼びかけた。
「ジャンヌ!」
バレルは、カサンドラを通じてジャンヌが来る事を聞かされていたが、罠なのは明白なので、来て欲しくないと思っていた。しかし、実際にジャンヌが目の前に現れると、そんな心配はどこかへ行ってしまった。
(ああ、またジャンヌに会えるなんて、こんなに嬉しい事はない)
バレルは涙ぐんでしまった。
「バレル!」
ジャンヌも目を潤ませて、バレルに向かって走り出した。カサンドラがハッとして止めようとしたが、クラークが彼女の腕を掴み、止めた。
「父上!」
カサンドラは目を釣り上げてクラークを睨みつけたが、
「ダメだ。今は好きにさせろ。皇太子殿下には世継ぎを作ってもらわねばならぬ」
クラークは無表情にジャンヌとバレルを見ていた。
「くっ……」
カサンドラは歯痒い思いをしつつ、立ち止まった。
「バレル!」
ジャンヌはバレルに抱きついた。
「わわっ、ジャンヌ!」
バレルは椅子から立ち上がり、ジャンヌを受け止めた。
(ジャンヌと久しぶりに抱き合えた。ジャンヌ、いい匂いだ。柔らかい……)
バレルは今どんな状況なのかを忘れ、鼻の下を伸ばした。
「おのれ……」
ジャンヌにデレデレするバレルを見て、カサンドラは歯軋りをした。




