カサンドラ
(やっべーよ、ジャンヌ。この姉ちゃん、とんでもない)
先程まで強気だったバレルは、すっかり怖気づいていた。突然現れた神聖銀河帝国の軍服の女は、タイマンでは負け知らずだったバレルを怯えさせる程の何かを持っていた。
(何、この女? 妙な感じがする。何?)
ジャンヌは女に怖気づいてはいないが、女が放っている奇妙な気を感じて、眉をひそめた。
「私とやるつもりか? やめておいた方がいいぞ。命を粗末にするな」
女は横柄な口調でジャンヌに告げた。ジャンヌは鼻で笑って、
「それはこっちのセリフ。この前の報復に来たのなら、そっちこそやめておいた方がいいわ」
挑発した。
(ジャンヌ!)
バレルはジャンヌが殺されると思った。
(ケントおじさん、全力で使ってみるよ。この女、全力でいかないとダメな気がする)
ジャンヌは気合を入れた。
「はあああ!」
すると白い手袋が輝き、ついでジャンヌの両腕、更には全身は白く輝き出した。
「おい、ダメだよ、そこまでやったら! そのお姉さんが大怪我するぞ」
バレルはジャンヌが全力を出すつもりなのに気づき、慌てた。
「ほお。やはりお前はBHか。それもそこそこの力があるようだな」
女は余裕の笑みを浮かべている。
「笑っていられるのも、今のうちだよ!」
ジャンヌは風を巻いて女に突進した。
「む? 何だ、この圧迫感は? まさにこれは……」
暗い部屋の中で、赤い瞳の男が呟いた。
「やはり、間違いないか。あの娘……」
赤い瞳の男はニヤリとした。
「カサンドラ、お前も全力でいけ。その娘は手強いぞ」
赤い瞳の男はジャンヌがいる方角を見た。
「はあ!」
ジャンヌは一足飛びに女に近づくと、右ストレートを放った。
「遅いよ」
女はフッと笑ってそれを交わした。
(ジャンヌの全力の一撃が簡単に交わされた!)
バレルはジャンヌが負けてしまうと思った。
「遅いのはそっちだよ!」
だがジャンヌは続けざまに左のフックを繰り出した。
「ぐはっ!」
女は予測していなかったのか、それをまともに腹に食らうと、地面をえぐりながらバウンドして止まった。
「かはっ……」
女は血を吐いた。
「おお!」
バレルは歓声を上げた。離れたところで見ていた女の子は呆然としている。
(まさか……。今の一撃で、気絶しているはずなのに!?)
ジャンヌは手応えを感じたのだが、女の意識が残っている事に衝撃を受けていた。
「フン!」
女は立ち上がって気合を入れた。
「そんな……」
ジャンヌは女が回復したのを感じた。
「え?」
バレルも、女にダメージが残っていないのがわかった。
「超回復? この瞬時で……?」
ジャンヌは女の身体が常人とは違うのを見抜いた。
「その程度で私を止められると思ったのか、ジャンヌ?」
女は乱れた髪を掻き上げた。
「気安く名前を呼ぶな!」
ジャンヌは女の身体能力と言葉に苛立ち、怒鳴った。
「たった今、許可が降りた。お前を連行するのが当初の目的であったが、これ以降はお前の生死に関わりなく、連れて来いとの事だ」
女はジャンヌの怒りを物ともせず、冷静だった。
「ふざけるな! お前を叩きのめす!」
ジャンヌは輝きを増し、再び女に突進した。
「叩きのめされるのはお前の方だ!」
女も走り出した。
(うはあ、これはどっちかが大変な事になるぞ!)
バレルは自分が止める事すらできないのを悔しがった。その時、ジャンヌと女の間を光束が走った。
「はっ!」
「ぬっ!」
ジャンヌと女は光束に気づき、立ち止まった。
「そこまでよ。退きなさい」
その光束を放ったのは、ジャンヌの母だった。彼女が構えているのは、旧帝国の公式銃でもあったピティレスと呼ばれた銃だ。
「おばさん!」
バレルが叫んだ。ジャンヌの母はバレルを見て、
「その呼び方、やめなさいって言ったよね、バレル?」
微笑んで告げたが、目は笑っていなかった。
「す、すみません、カタリーナさん」
バレルはビクッとして謝った。
「カタリーナ? そうか、お前があのジョー・ウルフの妻だったカタリーナ・パンサーか?」
女はカタリーナと呼ばれたジャンヌの母を睨みつけた。
「だったは聞き捨てならないわね。今も妻よ」
カタリーナは女を睨み返した。
「母さん、どうして邪魔をしたの!?」
ジャンヌは激昂していた。カタリーナはジャンヌを睨めつけて、
「どうしてじゃないわよ! やり合っていたら、確実に貴女は死んでいたわ」
「え?」
ジャンヌはギクッとして女を見た。
「さすが、カタリーナ・パンサーだな。ジャンヌを産み、自分もBHの力を身に付けたという情報は本当のようだな」
女は右手に隠し持っていた二十センチ程はある針を見せた。
「分が悪いようだな。ここは一旦退く。また会う事になろう、ジャンヌ」
女は捨てゼリフを吐くと、フッと消えるように去ってしまった。
「退いてくれたのか?」
バレルが呟くと、
「不利と悟って逃げたのよ」
ジャンヌは憤然とした。するとカタリーナがジャンヌに歩み寄り、いきなりその顔を平手打ちした。
「わわ!」
バレルは自分が叩かれたかのように顔をしかめた。
「何するのよ、母さん!」
ジャンヌはよろけはしたが踏み留まり、カタリーナを睨んだ。
「相手の実力を見誤って、無謀な戦いをするのは、愚か者よ」
カタリーナは目を潤ませてジャンヌを叱責した。
「あの女性が着ていたのは、特殊な繊維でできたバトルスーツ。かつて、フレンチ侯国と名乗った反乱軍が組織していた軽身隊が使っていたものと同じ。ニューロボテクターは光束を反射するリフレクトスーツを装着しているだけなので、スーツの防御力以上の力を加えれば、破壊は可能。しかし、彼女が着ていた軍服は衝撃を吸収する繊維で作られており、いくら貴女が全力で殴ってもそれを突き破る事はできない」
カタリーナの言葉にジャンヌは目を見開いた。
「しかも、彼女は通常の人間ではない。超回復をした事から、ビリオンスヒューマンだと思われる」
「ビリオンスヒューマン?」
ジャンヌとバレルは異口同音に呟いた。
「遺伝子レベルで常人とは違う人間の事よ。あなた達もその片鱗がある」
カタリーナの説明にジャンヌとバレルは顔を見合わせた。
「でも、私達が普通の人より戦えるのは、ケントおじさんが作ってくれた、このグローヴのお陰なだけで、そんな特殊な人間じゃないわよ」
ジャンヌは白い手袋している拳をカタリーナに見せた。
「ケントは何も教えていないのね。そのグローヴはビリオンスヒューマンの能力を確実に表現できるアイテムなのよ」
カタリーナの更なる説明を聞いた二人はまた顔を見合わせた。
「そんな、私、ビリオンスヒューマンなの? 怖い」
ジャンヌは震え出した。
「だって、母さんもサンドの父さんも、普通の人間なのに、どうして私だけそんな変な人間なのよ?」
ジャンヌは涙ぐんでカタリーナの詰め寄った。バレルはカタリーナの話が受け入れ難いようで、呆然としていた。
「前にも言ったでしょ? サンドの父さんは貴女の本当の父さんじゃないのよ。貴女の本当の父さんは、さっき、あの女性が言っていた、ジョー・ウルフよ」
カタリーナはジャンヌの両肩を掴んだ。
「ええ!? あの、天の川銀河を二度救ったって言われている、伝説の人が?」
ジャンヌは目を見開いた。バレルもギョッとしてカタリーナを見た。カタリーナはバレルを見て、
「貴方のお父さんは、そのジョー・ウルフと互角に戦ったルイ・ド・ジャーマンよ」
「ええ!?」
バレルも目を見開いた。カタリーナはジャンヌを見て、
「それに、ビリオンスヒューマンは変な人間ではないわ。究極の進化を遂げた人類の事よ。何も恐れる事はないし、恥じる事もない」
「そんな……」
ジャンヌとバレルは混乱していた。
「そして、あの女性がここを知ってしまった以上、私達は出ていかなければならないわ。ここにいる人達に迷惑をかけないためにもね」
カタリーナは静かに告げた。ジャンヌとバレルはハッとしてカタリーナを見た。
「戻りました」
軍服の女は赤い瞳の男のいる暗い部屋に現れた。赤い瞳の男は背を向けたままで、
「早かったな、カサンドラ。あの少女はどうした?」
カサンドラと呼ばれた女は跪き、
「ジャンヌという女、間違いなくジョー・ウルフの娘です。あのカタリーナ・パンサーが母親でした」
赤い瞳の男はカサンドラを見て、
「そうか。それでお前はおめおめと逃げて来たというのか?」
カサンドラはハッとして赤い瞳の男を見上げ、
「逃げたのではありません。何の準備もせずに出向いたのは、私のミスでした。次は必ず捕らえて来ます」
赤い瞳の男は背を向けると、
「まあ、よい。状況を詳しく話せ。恐らくだが、そいつらはもうそこにはいないだろうからな」
歩き出した。
「はい、父上」
カサンドラは立ち上がると、赤い瞳の男について行った。