せめぎ合う野望
銀河共和国総統領府の執務室で、スーツのサイズが合っていない男が、雄叫びにも近い声を発した。
「それは確実なのか?」
男は秘書に尋ねた。秘書は俯いて、
「真相はわかりませんが、可能性はあります。補佐官に権限を与え過ぎたのですよ、総統領閣下」
男を見た。その男の名はラグルーノ・バッハ。現共和国総統領である。
「ザギマめ、やはりそういう人間だったのか。よし、すぐに奴から全ての権限を剥奪し、マティスから追放しろ!」
ラグルーノは秘書に命じた。すると秘書は、
「それは無理です。今の法制では、補佐官を罷免する事はできますが、追放はできません。しかも、閣下は補佐官に総統領の権限の多くも委任しています。しかも正式な文書によってです。補佐官を罷免すれば、議会を動かして、閣下の不信任決議を提出されるでしょう。そうなれば、閣下は不信任決議を可決され、辞任に追い込まれます」
ラグルーノは自分のしてしまった事を後悔したが、後の祭りである。
「しかし、これは好機とも言えます。神聖銀河帝国のクラーク・ガイルが根も葉もない事を伝えて来るはずがありません。何か掴んでいるのです。補佐官を問い質すべきです」
秘書は落胆しているラグルーノに進言した。ラグルーノは秘書を見て、
「わかった。ザギマを呼べ。真偽を確かめる」
「承知しました」
秘書はすぐにインターフォンを使い、補佐官室に連絡をした。
(アトモスの将来のためと思って、従って来たが、もう用済みだ)
ギャザリーは若い頃、メケトレスの愛人だった。妊娠した時は、中絶しようと思ったが、性別が男なのがわかり、メケトレスを利用しようと思った。メケトレスの妻のマーシャは、すでに四十代であるが、子はいない。そのせいで、メケトレスはギャザリーをずっと大事にしてくれた。マーシャと離婚して、ギャザリーを正妻として迎え入れる素振りも見せたが、嫉妬深いマーシャがギャザリーの産んだ男の子のアトモスをプロの殺し屋を使って殺そうとして来たので、ギャザリーの方から愛人関係を清算し、ビジネスパートナーとして協力していく事を申し出たのだ。
(アトモスはこの宇宙で一番の私の命よりも大事な子。メケトレスのイカれた正妻に殺されるくらいなら、引いた方がマシ)
マーシャの性格を知ったギャザリーは争う事をしなかった。無駄だと思ったのだ。マーシャの尻に敷かれているメケトレスは、ギャザリーが引いてくれたのを歓迎した。
(あの時、全部縁切りにすればよかった)
今更ながら、ギャザリーは読み違えた事を後悔した。
(今は反共和国同盟軍に近づいて、組織の存続を図るのが先決だ)
ギャザリーは銀河共和国とメケトレスを完全に見限った。
(ジャンヌを洗脳して、反共和国同盟軍に高く売りつければ、いつ天の川銀河をおさらばしてもいい)
ギャザリーは新天地をアンドロメダ銀河に見定めている。
(奴の言う通り、ジャンヌの拉致が全部神聖銀河帝国に筒抜けなのであれば、ジャンヌをいつまでも連れているのは得策ではないという事か)
ギャザリーは、ずっと喚き散らしているので、ジャンヌをまた睡眠薬で眠らせた。
「マインドコントロールをして、反共和国同盟軍に売る。それがうまくいったら、おさらばして、アンドロメダに行くよ」
ギャザリーは廊下を歩きながら、大男に告げた。
「はい、姐さん」
大男はギャザリーが安全策を講じてくれたので、ホッとしていた。
時はやや遡る。
パトリシアとカサンドラの激闘は長時間に及んでいた。しかし、どちらも疲弊する事なく、戦いは膠着状態に陥っており、二人の目的であるバレルは、廊下の壁に寄りかかって、ぐったりしていた。
(化け物だな、この二人は。美人でおっぱいが大きいけど、怖過ぎる)
バレルは、二人が知れば、八つ裂きにされそうなくらい失礼な事を考えていた。
(やっぱり、ジャンヌがいいな)
更にバカな事を考えているバレルであるが、
(そう言えば、ジャンヌの気配が全く感じられないのはどうしてだ? いくら離れても、わかるはずなのに)
ジャンヌの心配をし始めた。その頃、ジャンヌは意識もなくなる程深く眠らされていたのだ。
(パットには申し訳ないけど、ここは逃げよう)
バレルは二人の女の戦いを放置して、廊下を走り出した。カサンドラもパトリシアも、バレルの動きに気づかず、掴み合いを続けていた。
(何をしているのだ、カサンドラ! バレルが逃走したぞ)
バレルの動きを感知したクラークは、カサンドラがいる場所へと走り出した。
「長官、どうされたのですか?」
報告をしていた部下が驚いたが、クラークはそれを完全に無視して廊下へ出た。
(ジャンヌを拉致され、バレルにまで逃げられたら、何のためにカサンドラを使ったのか、意味がなくなる。そもそもの失策は、カサンドラが感情を持ち過ぎた事だ。あれは改良しなければならん)
クラークは精神波をカサンドラに放った。
『カサンドラ、その女はどうでもいい。皇太子殿下を連れ戻すのだ』
クラークは先程よりも強めにカサンドラに命じた。
「む?」
しかし、精神波はカサンドラに届いていなかった。
(どういう事だ? 何が起こっている?)
クラークは立ち止まって周囲を見た。
(カサンドラを強くし過ぎたというのか? すでに私の支配を受けなくなってしまったのか?)
クラークは歯軋りした。
(カサンドラの怒りの感情が度を超えている。私の精神波が跳ね返された。直接カサンドラに命じなければならないのか?)
クラークはまた走り出した。
(ギャザリーめ、お前のせいで俺が疑われている)
メケトレス・ザギマはイライラしながら、総統領執務室へ向かっていた。
(いっその事、ラグルーノを誅殺して、共和国を乗っ取るか?)
メケトレスはラグルーノの支持率を知っている。対抗馬が出れば、確実に落選する程度のものだ。だから、裏から手を回して、他の立候補をやめさせている。
(いや、今はそれはダメだ。神聖銀河帝国がここぞとばかりに攻め込んで来る。クラーク・ガイルと親密にならなければ、ラグルーノ打倒は成せない)
メケトレスは考えるのをやめた。総統領執務室の前に着いたのだ。ドアをノックすると、
「入れ!」
感情が昂った声でラグルーノが応じた。
「失礼します」
メケトレスは声を低くして告げると、ドアを開いた。
「ザギマ、お前が謀反を画策しているという情報が入った。それについて、釈明してみろ!」
ラグルーノは回転椅子を軋ませて立ち上がると、机を両手で叩いた。秘書がビクッとしたのを見てから、メケトレスはラグルーノに歩み寄ると、
「滅相もありません。私は閣下に忠誠を誓っております。謀反など、断じて考えておりません」
片膝を突いて頭を下げた。ラグルーノはそれでも怒りを募らせ、
「信用できぬ! お前は総統領の権限のほとんどを委任され、今では私以上に権力を持っている。私を追い落とせば、お前が成り変われると考えておるのだろう!?」
机を回り込んでメケトレスの前まで来ると、彼の右肩を右足で蹴った。
「うっ」
メケトレスは小さく呻くと、尻餅を突いた。
「どうした? その通りなので、何も弁明できないのか!?」
ラグルーノはメケトレスの襟首を捻じ上げた。メケトレスはラグルーノを見上げて、
「今、そのような事をすれば、神聖銀河帝国につけ込まれます。私が謀反を画策していると誰にお聞きになったのかはわかりませんが、仮に私が謀反を考えたとしても、今ではないと判断します」
メケトレスの目の鋭さにラグルーノは一瞬にして気圧され、後退ってしまった。
(そういう事か? クラーク・ガイルめ、そういう事か?)
メケトレスの指摘にラグルーノはハッとした。メケトレスは襟を正して立ち上がると、
「その様子ですと、情報の出どころはクラーク・ガイルですか? 奴の戯言に惑わされてはいけません。奴は他人の意思を支配する事ができる化け物です。お気をつけください」
踵を返して、執務室を出て行ってしまった。ラグルーノはそれを唖然として見送っていた。




