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銀歯臍ピ

作者: ヘルベチカベチベチ

『とても生活感がある人だから、そんな人に突然冷たくされてしまえばどうしようもない。こちらは朝靄を覗く高鳴りで胸がいっぱいのままに終わってしまう。』

 私はこんなことを、ある日の行きの電車で悩んで、悩むうちにすっかり寝てしまっていたのである。目が覚めたのは目的の駅に着いたころだった。座っていた席が窓際だったから、直射日光による寝汗の不快感ばかり、結局さっきの悩みなんか見事に霧散していた。

 改札を抜けてみれば田舎と言いつつ地方都市である。銀歯臍ピ。駅から少し歩いた商店街が、夏のデカい夕暮れに溶け込んで、天狗や戦艦が月へ帰ると、その途中で水彩絵具が一箱売れた。銀歯臍ピ。彼女もまた、社会にイラつき散らして捻くれ歩き乱れているのだった。

「こっちはコミュニケーションの一環として悩んでみせてんだっつーの、ちきしょ。」

 私はすかさず近くの電光看板の裏に隠れるとこれを録音し、編集も加えずにそのまま販売サイトへアップロードした。

『銀歯臍ピ。愚痴。隠し撮り音声ファイル十秒二百円。お買い求めはお早めに。』

 売る奴がいれば買うやつもいて、さらにそれを凌駕するほどの見る奴がいる。見る奴は大抵、商品ページを見ながらの独り言が止まらないものである。

「ダウンロードなのにお買い求めはお早めにってw」

 今の声は、以前仕掛けた盗聴器の一つから聞こえてきたものである。だがその独り言は、端子が再生機器のイヤホンジャックから引っこ抜けていたせいで、スピーカーから盛大にだだ漏れとなった。音に銀歯臍ピが振り替える。

 その視線が電光看板に向いたとき、そこにあるはずの私の姿はもう消えていて、ただ夏の生暖かい風が、どうしても不審がる彼女をなだめるように、商店街の通りにゆっくりと吹き抜けた。すると彼女は、声の正体よりもここの酷く暑いのを気にして、再度前を向いて歩き始めるのだった。南東から、今夜の花火大会を知らせる空砲が遠く轟いていた。

 警戒が解けたのを確認してから看板に隠れるのを止めた。

 今の一連の情緒ある風に見せかけた情景描写は、歴の長いストーカーしか知ることのない、行為中のあのなんとも言えないエモが胸中から現実に表出した、まったくの偶然の産物である。並みのストーカーには真似できるはずもない隠れ身の術、その亜種である。

 野良の三毛猫が、ガードレール相手に腰振って、切れたから鳴いて野垂れて、また起きたらガードレールに発情して腰を振って、これを延々と繰り返している。

 銀歯臍ピ。未だ後を付けつつ、三丁目歌舞伎揚屋から立ち昇る煙が積乱雲に加勢するのを見、夕立の予感責め立つ感嘆のため息が漏れた。私は好調である。ストーキングのエモも充分だし、それを壊さない程度に緊迫もしている。古着屋で金魚がジーパンを物色していた。銀歯臍ピ。彼女がホットドッグ屋を右に曲がった。私も遅れながらその道へ続くが、曲がったところで彼女の姿はどこかへ消えてしまっていた。

「あのさあ、アンタまだどう見ても中学生だよね。さっきからなんでこんなことするわけ? 自分で自分のこと、最低だと思わない?」

 そう呼び止める声に心臓を掴まれたような心地を覚えるが、恐る恐る振り返りざま、立ってこちらを呆れたように睨む彼女、その背後を抱き込んで広がる景色に、時期の長い花火のように、夏休みの朝顔が次々に花開くのが見え、ツタから吹き出た紫色の霧がだんだんと空の色に融解していくと、北極圏の娘を向こう岸まで渡すべく船頭は、みやげ話にと三角屋根の影絵を置き去りに、華やぎのある街に別れと物憂げ、目薬や夕涼み会のある海上を彷徨い晴らして漕ぎ焦らし続けるのだった。でもダメなものはダメでした。

『銀歯臍ピ。怒りの感情露わ。音声ファイル十三秒二百円。この機会にぜひ。』

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