ダニのなれそめそれなのにだ
お風呂上がり、タオルで身体を拭いていたら、何かがひっかかり、痛みが走った。脇腹に、ほくろのような小さな薄茶色の丸い粒がついていて、そこから血が滲み出ている。その小さな丸は、一部分だけで私の皮膚にかろうじて接着しており、あとはぺらぺらとしてはがれそうだ。いつの間にかできていた何か出来物がとれかけているのか、と、引っ張っると激痛、その接着面はちょっとやそっとでは私から離れないことを察する。
嫌な予感がするが、脇腹だから顔を近づけることもできず、自分ではよく見えない。スマホで撮影したのち、写真を拡大してみると、やはり。脚がはえている。マダニだった。
先週末のいなかへの帰省時、草むらで私はスカートだったのがいけなかったのだろう。いつの間にかついたマダニは私をよじ登り、死角の脇腹で血を吸い大きくなりつつあった。よく食べよく遊び、日々楽しんでいた母を一週間足らずであっという間に連れて行ってしまった張本人。ただし、そのマダニがウィルスを所持していたらの話だが。私の血を吸うこいつがウィルスを持っているかはわからない、万一持っていたとしても、早期発見によるこの小ささでは炎症も軽度で済むはず、もしくはたっぷりと吸いきるまでへばりついていたとしても、私の抵抗力の方が勝つだろう、あるいは私もしぬのだろうか、母のように、病院へ運ばれてあっという間にICUに入れられて。
まるで生まれて初めて見る、かのように、感激しながら毎年写真に収めていた母はもういないのに、春の花たちは一斉に開花しその美しさを競い合う。母は去年の春が、最後の春だったのか、まさかこれが最後の春になるとは思いもせずに。否、いつお迎えが来てもおかしくないとことあるごとに言っていたから、いつだって最後かもという覚悟はしていたのかもしれない。母があれほど未来を疑わず、無邪気に今、を楽しんでいられたのは、逆にその覚悟ゆえなのかもしれなかった。そんなことは今さらわからぬ、それより私は季節が巡ってくるたびに、こうやって、母のいない事実を突きつけられては悲しみに襲われるのか、何度も何度でも。ただ、それは残酷で無情なようだが、秩序正しいこの世の理のようでもあり、私を安心させもしたのだ。
それなのにだ。母のいないこの世の中にも慣れ、ようやく回復の兆しが見えてきたかというのに、マダニの奴め、何の因果で私のところへやって来たのか。これほど小さな、脳みそを所持しているのかどうかさえ怪しい、下等な生き物、ヒトの足元にも及ばない、その命に一欠片の価値もなく、この世の何の役にも立たず、むしろいない方が有益であるかのような、愚劣な虫ケラ。親でも殺されたんかというくらいの酷い罵詈雑言はお許しいただきたい、事実ころされたのだから。
皮膚科でマダニの付着した皮膚ごと切除し、縫ってもらった。麻酔がきれてもそれほど痛みはない、来週抜糸して終わりだ。たいしたことない、メンタルにきた以外は。
実は風呂上がり気付いて翌朝すぐに近所のかかりつけの皮膚科に行ったまではいいが、そこでは処置できないと、紹介状を書いてもらった私は、大きな病院で翌週切除処置の予約をとると、遅刻して会社へ行ったのだ。そこで、(私の母の死の成り行きも知っている)同僚に、来週までなど待たずにただちに病院に向かい、処置してもらうように強く力説されて、私が電話したる! とまで言われて、やっと私は着いたばかりの会社から踵を返し、予約を取り消し外来ですぐ診てもらうべく大きな病院へ向かったのだ。相変わらず、と私は少し落ち込む。私は自分のことを大切にしてやるのが下手なのだ。いつでも最優先に、誰よりも尊重して大切に扱うべきは私自身なのに、最悪命に関わるかもしれぬことをもってしてさえ、この調子なのだ。随分とましになったはずなのに、自身をいじめぬくこのドM体質はいまだ根強く私に巣食っているようだったが、これは体質などではないのだろう。この期に及んで希死、とまではいかぬとも、現状維持なだけで積極的に生を貫こうとしない、怠惰な私が幅を利かせている。そうかと思えば外国人のじさつをとめたJKをたたく人たちの言葉に涙が止まらなくなったりもして、一体自分がどういう了見なのか、生きたいのかしにたいのか、またそんな贅沢極まりない選択肢を思い浮かべるというだけで激しい嫌悪の念を自身に抱きもし、呆れてしまうのだった。
生きよう、少なくとも、目の前にやりたいことが山のように積まれているのだ。私は、感謝の思いにむせびながら、ありがたく、ありがたく、今日も一日を生きよう。もしくはありがたみなど微塵も感じずに、ただ息を吐いて吸って食べて寝て、文章を書いて、生きよう。本当はわかっているのだ、時折かけがえのない、私を可愛がったりしながら。大切にする練習を積み重ねて、身につくまで重ねて。自分を大切にすることを学ぶためにも、まるでそれが生きる目的であるかのように、我が身を慈しみ、溢れ出た愛でこの世を満たそう。まとまらなくとも、とっ散らかった、思いをぶら下げて。この文のように。結論がわからなくとも。
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改
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