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第九七話 帝都へ行こう 六 坂道



 素人目にも立派な家具調度類の置かれた部屋の中、甘ずっぱいハーブティーをフウフウしながら飲む私を、ヤーナさんがやわらかな眼差しで見つめている。


「うふふ、ハナちゃんも熱いのが苦手なのね。イヌバラの実はたくさんあるそうだから、おかわりが欲しくなったら遠慮なく言ってね。――これ、ハナちゃんとエマちゃんにと思って急いで買ってきたんだけど、よかったらどうぞ」

「ありがとうございます!」

「お心遣い、感謝します」


 お菓子の入った器を差し出して微笑むヤーナさんに、私とエマ(エーリカちゃんの偽名だよ)ちゃんは揃って笑い返した。ちょっと姿が見えなかったと思ったら、ヤーナさん、わざわざ私たちのためにお菓子を買いに行ってくれてたんだね、なんか気を遣わせてスンマセン。

 あ、このしっとりしたクッキーっぽいやつ、蜂蜜とシナモンが入ってるのかな? 結構好きかも。


「ヤーナ、だからもっと口の利き方をだね――」

「あら? どこに人の目があるかわからないのよ、こちらがあまり仰々しく接していたら、皆さんの素性を詮索されることになりかねないわ。トーマス、せっかく世を忍んでいらっしゃる方の足を引っ張れと言う気?」

「いや、まあ、そうだが……」


 私たちを貴族だと気づいているトーマスさんが、ヤーナさんのフランクな物言いを注意して返り討ちに遭った。敏腕商人も奥さんの前では形無しだね。

 そんなふたりの様子を見て、さも愉快そうに笑い声を上げるクラウディアさん。


「ハハハ、トーマス殿、ヤーナ殿の言うとおりだよ、もっと肩の力を抜いてくれたほうが自分たちも助かる。――それはともかく、こうして厚意に甘えさせてもらったものの、本当によかったのかな?」

「ええ、もちろんでございます。このように皆様と再会が叶いましたのも、至高なる三女神様の思し召しでございましょう、どうかご遠慮なさらず。ここの支店長はわたくしの古い友人であり、聡明誠実な男でもございます。わたくしの頼みを快諾してくれたあとは、事情を察し何も聞いてきませんし、奉公人たちには、わたくしの縁者が合流したと説明しておりました。また、商館の警備も万全でございますので、どうか皆様、ご出発まではこちらで気をお休めになってください」


 トーマスさんはクラウディアさんに頷いてから、私たちの顔をひとつひとつ見ながら丁寧に説明すると、最後に丸いお顔で頼もしく笑ってくれた。


 ――そう、大通りで再会した私たちをトーマスさんが気遣い、シュナイダー商会の商館に匿うと申し出てくれたため、今はその商館にある応接室っぽい部屋で、みんな揃ってくつろいでいるところなのだ。

 なんでも、このランデスベルクという都市は、塩や木材、穀物などの取引で栄えているらしく、シュナイダー商会も商館を置いているということで、私たちより一日早く馬車でここに着いたトーマスさんたちは、商会員の宿泊施設も兼ねている商館で二泊して、その間にトーマスさんは仕事をこなしつつ、長旅で疲れたヤーナさんの体を休めてから帝都へ向かうことにしたんだって。

 もしトーマスさんが一泊しかしなかったら、こうして再会することもできなかったと考えると、ホントに至高なる三女神様の思し召しなのかも……というより、コレ、別の三女神様の冥護【縁結び】のおかげか? いやあマジ感謝するよプチガミ様、いい人たちと会わせてくれてアリガトね、なむなむ――。


「夕食をご一緒した時のことがあまりに楽しかったものだから、また皆様にお会いできたらと、あれからふたりで何度も話していたんですよ。――可愛いハナちゃんやエマちゃんとまた会えて、私、とても嬉しいわ」


 私とエーリカちゃんを優しく見つめ、ヤーナさんが明るい顔でニッコリ笑ってくれたから、今日はまた楽しい夕食になりそうだと確信して、私もニッコリと笑い返した。


      ◇      ◇      ◇


 シュナイダー商会の商館に泊めてもらい、トーマスさん夫妻と楽しいひとときを過ごした翌日――。


 人口増加に伴い市域を拡大したというランデスベルクには、マルクト広場の東端に、撤去された旧市壁の名残である門塔が立っている。その下をくぐり抜けて急な坂を上りきった高台が、お城や貴族館などの建ち並ぶエリアになっていて、そのまま市壁の最も東にあたる場所まで進むと、やたら立派な門塔がそびえているんだそうな。

 ランデスベルクから真っすぐ帝都へ向かう人たちは、みんなその門を抜けていくことになるらしい。

 と、いうことで……。


「……し、……死ぬ……」

「ハナちゃんしっかり」

「あと半分よ、ハナちゃん頑張ってね」


 となりを歩くエーリカちゃんと背後のヤーナさんに励まされながら、私は今にも死にそうな顔で坂道を上っていた。……ぬうう、やはり目立っても大二郎に乗るべきだったか……。

 主要交易路の一部であるこの坂道は、当然ながら交通量も多く、上り下りの馬車同士がぶつからないよう、左側通行の規則があるほどなんだけど、何しろ勾配がハンパないうえ距離も長いもんだから、馬の負担を少しでも減らすため、ヤーナさんも商会の馬車から降りて私たちと一緒に歩いているんだよ。

 ちなみに、私たちの後ろからついてきているのは、辛抱強く馬車を引っ張っている二頭の馬と、その横を歩きながら御者さんと話しているトーマスさん、そして最後尾に、商会で雇っているという護衛の男性二名だ。


「いいかいハナ、何度も言うけど、上から馬車が暴走してきたときは、どこでもいいから近くの扉を開けて中に飛び込むんだよ」


 坂が大きくカーブを描き始めたところで、エーリカちゃんのすぐ後ろから、五分前と二分前にも聞いたアドバイスが聞こえてきた。……うーむ、クラウディアさんには、私ってそんなに頼りなく見えるのだろうか。

 彼女の言うように、この坂道の両側に建ち並んでいるお店や民家は、いざというとき通行人が屋内へ逃げ込めるよう、日中は鍵をかけられない規則になっているんだって。


「クラウディアさんも心配性だなあ、初めてのお使いに幼児を送り出すママみたいですよ。だいたい、上から馬車が暴走して来るなんて、そうそう起きるはず――」


 クラウディアさんのほうを振り向き、ヤレヤレと肩をすくめて余裕かましていた私だったけど――。


「危ない!」

「え?」


 ――男性の悲鳴じみた叫び声に前を向くと、我が目を疑った。

 重い荷馬車に押されながら坂を下ることに耐えられなくなったのか、はたまた、ブリーチングストラップが切れでもしたのかは知らないけど、大きく目を剥き泡のようなヨダレを振りまきながら、一頭の馬がコッチを目がけ走って来てたんだよ、うずたかく荷物を積んだ荷馬車ごと……。

 たしかタイヤキ……いやいや、〈タキサイキア現象〉だっけ? 危機的状況に陥ると周りがスローモーションみたいに見えるってのは、どうやらホントだったみたいで、やけにゆっくり馬が近づいてくるように見える。――あんなにヨダレ撒き散らして、よっぽどしんどかったんだね、踏ん張って荷馬車を支えながら歩かなきゃなんないから、下りは下りで馬はたいへんだもんね。


「ハナ!」


 近くの扉を開けエーリカちゃんごと屋内へ飛び込んだクラウディアさんが、慌てて私に手を差し伸べようとする姿も、ゆっくりと、そしてなぜか現実感に欠けて見える……って言ってる場合じゃない! どどど、どうしよう? 私に真綾ちゃんみたいな運動能力は無いし、葦舟さんを召喚して瞬間移動する時間も無い。じゃあ馬と荷馬車を【船内空間】へ……いやダメだ、馬だけで確実に重量オーバーだ。〈オキシジェンですトリャー!〉は使っても意味ないし、かといってアレもダメだし…………コレ、詰んだ?

 あとは【強化】の防御力に懸けるしかないか……。私が死んじゃったらゴメンね真綾ちゃん、ゴメンねみんな、ゴメンね、お母さん……。

 運を天に任せ、大切な人たちの顔を次々と思い浮かべ始めた私は――。


 ドンッ!


 ――いきなり誰かに突き飛ばされて建物内へ飛び込むと、中にいるクラウディアさんに抱き止められた。


「ヤーナァァァ!」


 トーマスさんの悲痛な叫び声と大きな音が響いたのは、その直後のことだ。


「……エーリカ様とハナはここにいるんだよ」


 それから数秒後、私たちに優しく声をかけ戸外へ出ていくクラウディアさんの、少し震えて見える背中を、私はフラフラと夢遊病のように追っていった。

 彼女に言われたことは守らない。だって、私を突き飛ばしたのは……私の命を救ってくれたのは……。


「ああ、こんな……ヤーナ、ヤーナ……」


 私がそこに見たのは、横倒しになっている馬と荷馬車、散乱した荷物、それから、壊れた人形のように横たわるヤーナさんと、血に塗れた彼女の頬を優しく撫でながら何度も名を呼ぶ、トーマスさんの姿だった……。


「ヤーナさん!」


 ようやく我に返った私は彼女の名を呼びながら駆け寄り、その横にヘナヘナと両膝をついた。


「ヤーナさん、ごめんなさい、トロくてごめんだざい、わだじ、ドンぐざぐで、ごべんだざいぃぃぃ」


 私が涙をボロボロこぼしながら何度も何度も謝っているうちに、ヤーナさんの目が薄く開いた。

 ――ああ、生きている、ヤーナさんはまだ――。

 ほどなく、涙でグシャグシャになっている私の顔を見つけると、彼女は目を丸くしたあと、血に塗れた顔で心底嬉しそうに微笑んだ。


「……ハナ……ああ、私の可愛い娘、……生きていたのね……よかった。……ママね、とても悲しい夢を……見ていたのよ……。でも、夢でよかったわ……。なんで泣いてるの? あなたの大好きな……レープクーヘン……買ってあげるから……泣き止んでね。……ああ、ハナ、……お願い……あなたの声を聞かせて……」


 弱々しく上げた片手で私の頬を愛おしそうに撫でながら、途切れ途切れにそう言うヤーナさん。意識障害が起きているんだろうか、誰かと私を間違えているみたいだけど、私、どうしたら――。

 困惑した私が顔を上げ、視線で問いかけると、目に涙をいっぱい浮かべているトーマスさんは、すがるように頷いた。……よし、なんか嘘をつくみたいで、ヤーナさんに申しわけない気もするけど、わかったよ。

 私は自分の頬にあるヤーナさんの手を握り――。


「……ママ……ママ、大好き」


 ――一世一代の大芝居を打つと、最後に、可能な限り明るく見えるようニッコリ笑った。


「……ママもよ……」


 すると、世界一幸福そうな顔で私に笑い返し、満足げにまぶたを閉じるヤーナさん……。スッと力の抜けてしまったその手を握ったまま、私は彼女の脈を確かめる。


「よし、かなり弱いけどまだある。――クラウディアさん! ヤーナさんを治せる貴族に心当たりは!?」

「ひとり知っている」


 私のしようとしていることを察したのか、クラウディアさんは即座に答えてくれた。


「ハナ様、あなた様のおかげでヤーナは安らかに逝けるでしょう。もうそれだけで充分でございますよ。……カラドリオスでも治せない状態であることは、わたくしの目にも明らかでございますし、治せるほどのお貴族様がどこかにいらっしゃったとして、もはや――」


 トーマスさん、そんなつらそうな顔をしていても、愛する人の死を受け入れたフリをしなきゃなんないんだから、大人ってたいへんだね。――でも、まだ諦めないで。

 丸い顔を涙で濡らし悟りきったことを言い始めたトーマスさんを、私は片手で制止すると、私の言葉を待っているふうなクラウディアさんに尋ねた。


「クラウディアさん、その人に頼めそう?」

「彼女は基本的に皇族の治療だけをすることになっている……が、慈悲深い人間だ」


 クラウディアさんの言うとおりの人なら、皇族の頼みを断ってまで平民を見殺しにするようなこと、絶対にしないよね。


「よし、じゃあ護衛の報酬は決まった! エーリカちゃん、帝都に帰ったら、その人にお願いしてくれる?」

「はい!」


 いつの間にかクラウディアさんのとなりへ来ていたエーリカちゃんは、私の頼みに全力で頷いてくれた。

 そうと決まれば、まずは【船内空間】から大二郎を出して、次は――。


「なっ! ヤーナは、ヤーナはどこに!?」


 突然うろたえ始めるトーマスさん……当たり前だよね、いきなり手押し車が出現したかと思ったら、今度はヤーナさんの姿が忽然と消えちゃったんだから。


「トーマスさん、私の言うことをよく聞いてください。――ヤーナさんは今、私の能力で、時間の止まっている安全な場所に預かっています」

「時間の止まっている……」

「はい。そこにいる限り、これ以上容態が悪化することは絶対にありません。私たちが帝都へ着いたら、必ずヤーナさんを治してもらいますから……私がどんな手を使ってでも命を救いますから、トーマスさんは安心してください」

「ハナ様、あなたはいったい…………いや、――ありがとうございます!」


 私が一生懸命に説明するとようやく理解してくれたのか、トーマスさんはしばらく呆然と私の顔を見つめたあと、滝のように涙を流して頭を垂れた。

 うん、私はヤーナさんを、命の恩人を、絶対に死なせたりしないよ! こうなったら、何がなんでも帝都へ無事に着かないとだね!


「ハナちゃん、素敵です!」

「ハナ、きみって子は……」


 感謝の涙を流すトーマスさんを前に私が強く心に誓っていると、なぜかキラキラした瞳で私を見てくるエーリカちゃんと、爽やかに笑うクラウディアさんはともかく……。


「ランデスベルクの奇跡だ!」

「慈悲深きお嬢様に感謝を!」

「すごいぜ、ちっさいお貴族様!」

「ありがとうよ、お嬢ちゃん!」


 いつの間にか集まっていたギャラリーたちが、一斉に歓声を上げ始めた……。

 あれ? そういえば、私たちって目立っちゃいけなかったような……それに私、エーリカちゃんとクラウディアさんの実名を口にしてた気もするし…………ひょっとして私、やらかした?



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