第九二話 帝都へ行こう 一 思わぬ伏兵
真っ暗な部屋の中、紺碧の光だけが、ポツリと小さく輝いている。
『ごめんなさい……』
その光を放っている勾玉から、サブちゃんのシュンとした声が聞こえてきた……あ、どうも、斎藤花です。
私が今、深夜にもかかわらず何をしているのかというと、異世界転移初日の反省会である。
実は森を抜けて早々、私たちは刺客に襲われたんだけど、この時、とんでもない伏兵の存在に気づいたんだよね。
その時のことを、ちょっと回想してみよう――。
◇ ◇ ◇
だだっ広い草原で、とうとう私たちは刺客に補足されてしまったんだよ……。
エルフの鋭い感覚で不穏な気配を察知するや否や、クッコロ……じゃなかった、クラウディアさんは背後を振り向きつつ、例のボス騎士から回収していた剣を抜いた。
私が視認した限りでは、手に手にカノーネを構えている兵士っぽいのが六人のみで、なかには首が変な角度に曲がってるやつもいるから、たぶんコイツらもナハツェーラーだと思う。私たちからの距離は一〇〇メートルほどといったところか。
「ハナ、エーリカ様を頼む!」
私にそう言うと、敵のほうへ駆け出そうとするクラウディアさん。
やつらの使う〈伯爵級〉カノーネは、プレートアーマーを貫通するほどの威力があるそうだけど、エルフは魔法抵抗力が高いから、石をぶつけられたくらいのダメージしか受けないらしい。……でもそれは、結構でかいダメージなわけで、急所に当たれば重傷を負いかねないし、急所を外したところで何発も喰らったらアウトだろう。
そして、〈伯爵級〉カノーネの有効射程距離は、彼女の精霊魔法よりはるかに長いそうだから、得意の弓を逃避行中に失ったというクラウディアさんは、遮蔽物の無いこんな場所だと一方的な攻撃を受けることになってしまう……。
だから、エーリカちゃんを置いて逃げるわけにもいかない彼女が、自分の間合いに持ち込んで戦おうとするのは、まあ、当然の判断っちゃあ当然の判断だ。
でもね……。
「待った!」
「えっ!?」
「クッコ……クラウディアさん、ちょっとコレ被ってみて。そしたら、このまま先へ進みつつ敵の出方を見ましょう。――エーリカちゃんも、はいコレ」
いきなり引き止められて戸惑うクラウディアさんに、私が大二郎の中から渡したもの、それは! ビニール雨ガッパだ……っていうかフード付きポンチョ? ほら、異世界だって雨は降るだろうからさ、百均で買ったやつを持ってきたんだよね。真綾ちゃんと合流したとき用に彼女のもいちおう持ってきたから、そっちをクラウディアさんに渡して、私のをエーリカちゃんに被ってもらうことにしたよ。
「あと、コレとコレも――」
顔丸出しだと不安だから、マスクとサングラスも渡してあげた。備えあれば憂いなしってやつだね、いや〜なんでも買っとくもんだな〜。
「……」
「……」
フード付きビニールポンチョを被り、マスクとサングラスで顔を隠した不審者二名が、異世界の地に爆誕した。――フフフ、どうやら〈モト界〉のテクノロジーに、ふたりとも言葉を失ったようだね。
「……エーリカ様、よくお似合いで……」
「……クラウディアも……」
大二郎の外にいる不審者と中で座っている不審者が、顔を見合わせ褒め合っている。……微笑ましい光景だ。
まあ、そんなこんなで、私たちは刺客を無視して先へ進み始めたんだけど……。
「クソっ! まただ!」
「確実に命中したはずなのに……」
離れたところから、焦っている男たちの声が聞こえてきた。
それに比べ――。
「最初はすごく心配だったけど、ハナが貸してくれた魔法のマントは素晴らしいね。ダメージを受けないどころか、魔弾が当たった感触すら皆無じゃないか」
「ハナ様、すごい……」
「えへへ〜」
なんか、クラウディアさんとエーリカちゃんに褒められちゃったよ。いやあ照れるなあ……あ、エーリカちゃん、褒めながら私のお腹プニプニするの、やめてくれない? 何がすごいのかわかんなくなるから。
……まあ、とにかく、魔素の塊である魔弾が〈モト界〉の物質に効力を発揮するはずもなく、やつらが必死に呪文を詠唱して次々とカノーネを撃ってくるなか、私たちは涼しい顔でお散歩してるというわけだ。……私とエーリカちゃんは大二郎に乗ってるけどね。
まあ、攻撃面だけ考えたら、ポンチョを着たクラウディアさんに突撃してもらったほうが、敵の意表を突けてよかったんだろうけど、それだとコッチで何かあったとき不安だから、あまり彼女には離れてほしくないんだよ。
さて、そろそろかな……。
「やつら、そろそろ痺れを切らして接近してくると思うので、クラウディアさんの間合いに入ったら好きなように料理してやってください。――見たところカノーネ以外の遠距離武器は持ってないようだし、カノーネが使えないと知った今、やつらは近接武器だけで襲ってくるはずだから、今度はクラウディアさんが一方的に攻撃できますよ、最初の数人だけは確実に」
「末恐ろしい子だね、きみは……。よし、心得た!」
「ハナ様、すごい……」
私の言葉にクラウディアさんが感心し、エーリカちゃんが私のお腹を揉みしだいてくるなか、ほどなく予想どおりに状況は動いた。
クラウディアさんを警戒して一定の距離を保ちつつ攻撃していたやつらが、今度はカノーネを槍や剣に持ち替え、こちらとの距離をジリジリと詰め始めたのだ。
ひー、やっぱ怖いよー……。だって、武器を手にしたオッサンたちが自分に近づいてくるんだよ、平和に首までズッポリ浸かって生きてきた女の子が、この状況で平気なわけないじゃん、真綾ちゃんじゃあるまいし。
でも、この世界に生きるクラウディアさんは、やはり真綾ちゃん側らしい……。
「グアッ!」
「ウッ!」
彼女は射程内に入った刺客たちの足を〈風の刃〉で攻撃し、瞬く間にふたりを転倒させた。
頸動脈を断ったり心臓を刺したりしたくらいだと、生ける屍ナハツェーラーを滅することはできない。かといって、〈風の刃〉に連中の首を完全に斬り落とすほどの威力は無い……。ボス騎士たちと戦った際に、そのせいでかなり苦労したらしいクラウディアさんは、今回、敵の足を優先的に奪うことにしたようだ。それなら、あとでジックリ料理してやればいいからね、クラウディアさん偉い!
「グッ!」
「エルフめ!」
「エルフ肉!」
いくら〈風の刃〉が連射性能に優れているといっても、有効射程距離は二〇メートルほどらしいから、ふたり倒されたとたん全力疾走し始めた敵すべてを、〈風の刃〉だけで倒すことは不可能だ。
三人目を〈風の刃〉で転倒させた直後、クラウディアさんはナハツェーラーふたりとの白兵戦に入った!
つまり……。
「ぎゃー! こっち来たー!」
仲間たちがクラウディアさんを抑えている隙を狙い、土気色した顔のオッサンがひとり、私のすぐ目の前まで迫ってきたんだよ!
「浄化ビーム!」
恐怖におののきながらも、私はとっさに叫んだ!
これでサブちゃんたちの神力がナハツェーラーを浄化してくれ……あれ?
「出ないじゃん!」
……そう、必殺の浄化ビームはチョロッとも出なかったんだよ、よりにもよって一番大事な時に……。
◇ ◇ ◇
あのあと、私が必死の思いで敵の槍を【船内空間】へ没収したところに、自分の相手を片付けたクラウディアさんが来てくれたおかげで、まあ、なんとか事無きを得て、やがてたどり着いた小さな町の小さな宿に、こうして三人で泊まっているわけなんだけど……。
『しょうがなかろう! 眠いものは眠いのじゃ! タゴリは悪うないわ!』
真っ暗な部屋の中、サブちゃんに続いて、今度はタゴリちゃんの逆ギレ気味な声が鳴り響いた……まあ、この声、私にしか聞こえないから別にいいんだけどね、エーリカちゃんもスヤスヤと寝息を立てているし……。クラウディアさん、歯ぎしりヤバいね……。
『すまぬ花、時差と我らの睡眠のことを忘れておった……』
次にタギツちゃんが、すごく申しわけなさそうに謝ってくれた。
……そう、この時差と睡眠こそが、思わぬ伏兵の正体だったんだよ。
私の今いるところと日本では結構な時差がある。で、サブちゃんやプチガミ様たちは夜になると眠くなる……。私を心配してか興奮のためかは知らないけど、日本時間の夜一〇時ごろになっても、みんな頑張って起きてくれてたらしいんだけど、私が無事に森を抜けたことで、のじゃっ子軍団は安心してしまったのか、とうとう活動限界を迎えたんだそうな……。
『……花、怒った?』
「怒ってないよ、イッちゃん、眠くなるのはしょうがないからね。――みんなも、私のために頑張ってくれてありがとね」
イッちゃんが小さな声で聞いてくるもんだから、私はできるだけ優しく答えた。
だってホントにしょうがないじゃん、私は幼児の睡眠時間を奪うほど鬼じゃないからね。大事なのは、頑張ってくれてるみんなを責めることじゃなくて、これからどうやっていくかだよ。
「よし、それじゃあ――」
――と、いうわけで、みんなと話し合った結果、日本時間の朝六時から夜一〇時までは、のじゃっ子軍団の誰かが必ず私をフォローしてくれることに決まった。
ちなみに、業務開始からの二時間はサブちゃんだけが、終業前の二時間はプチガミ様たちが、その時間帯専属で入ってくれるんだけど、この時間のズレは、早寝早起きなサブちゃんに比べ、プチガミ様たちが堕落した生活を送っているためだ。
「日本時間で夜の一〇時、ということは――」
そう言いながら、私は自分の腕時計に視線を落とした。この時計は仁志おじさんから貰ったもので、パッと見は革製リストバンドみたいに見えるけど、タッチすると液晶画面がオンになる、耐衝撃性能、耐水性能、どちらもバツグンなスグレモノだ。
東京以外にも海外各都市の標準時間(サマータイムじゃないほうね)が入っているから、こちらの時を知らせる鐘が聞こえてくるたび、あれは何時の鐘かとクラウディアさんに尋ね、地球各都市の標準時間と照らし合わせていたら、この国はドイツと同じタイムゾーンであることと、一日は二四時間で一時間の長さも同じであることが判明した。……まあ、クラリッサさんの本を読んで知ってたんだけどね。
「――つまり、コッチの午後二時ごろまでしか浄化ビームは使えないのか……」
うーん、そこからサブちゃんがシフトに入るまでの八時間ほど、私はどうやってナハツェーラーと戦えばいいんだろう……。




