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第九〇話 エーデルベルクの薔薇 三三 一撃



 かつて、エーデルベルクの紫薔薇と呼ばれる美しい少女がいた。

 華やかな笑顔が印象的なその少女の、たくさんの友人たちに囲まれた幸福な日々は、ある時を境に一変した。

 彼女が守護者と契約を結んだ、その時を境に。

 召喚契約により与えられた加護のひとつ、【エギルの兜】は、顔を見た者に恐怖を与えるというものであり、また、制御も難しい力であったため、習熟するまでの数年間というもの、彼女は人前で仮面を被って生活せざるをえなかったのだ。

 親しい友人たちと語らい合った楽しき日常を失い、ようやく制御できるようになったあとも、わずかに滲み出る力のせいか人々に恐れられ、彼女が心から向けた笑顔にさえ怯えられるという始末。

 とうの昔に大人になり、我が身の不幸を受け入れてから久しい今も、召喚契約直後に会った友人たちの恐怖に歪んだ表情と、魂を握り潰されたような悲鳴が、彼女の頭から離れることはない……。


(あの子たちが発狂しなかったのは不幸中の幸いね……。試しにこの力を全解放してみたら、北部低地公も真っ青になったし、皇帝陛下でさえ少し顔色を変えてしまったもの……。王の守護者には上限がないと聞くけれど、皇帝陛下よりも強い人なら……わたくしの守護者を一瞬で倒せるような人だったら、この呪われた力もまったく効かないのかしら? ……もし、恐怖というガラス越しではなく、わたくしの本当の笑顔を見てくれる人がいて、そんな人とお友達になれたら、どんなに素敵なことでしょう……)


 それが、彼女の淡い夢になった。


      ◇      ◇      ◇


「アレが、〈ファーヴニル〉……」


 大広間の窓から成り行きを見守っていたレオンハルトが、噂に聞いていたその姿を見るなりゴクリと喉を鳴らせた。

 エーデルベルク家が代々契約している守護者、それは、マイクロバスほどはあろう胴体から長い尻尾が伸びた全身を、紫色に輝く鱗でビッシリと覆われ、大きく裂けた口には鋭利な歯が鋸のように並んだ、トカゲのような巨大生物。……そう、わかりやすく説明するならば、翼のないドラゴン、〈地竜〉そのものだったのだ。


「ゾフィーア様ったら、相変わらず無茶をするわね。――さあ、皆様は別の館へお移りなさい、巻き込まれるわよ!」

「正気かよ、こんな場所であんなヤバいやつ出しやがって。――〈残虐公女〉は本気だ! 発狂したいやつと毒殺されたいやつ以外は今すぐ逃げろ!」

「み、皆様、落ち着いてこちらへ!」


 ゾフィーアの数少ない友人でもあるノイエンアーレ伯と、すっかり地の出てしまっているグラーフシャフト伯が、このふたりにしては珍しいことに声を揃えて避難を勧め、すかさずゼバスティアンも避難誘導を始めたことで、事態の重さを悟った人々は慌ただしく大広間を出ていった。

 残ったのは伯爵位にある二組の親子計四人のみ。今や、夜風に揺れる魔導シャンデリアのキィキィという小さな音だけが、ガランとした大広間の中に寂しく反響している。


「おや、ノイエンアーレ伯、ここに残ってよろしかったのかな? ノイエンアーレ家ご自慢の大男は、我らのリントヴルムに比べ魔法抵抗力が低いのであろう?」

「あら、心配してくれるなんてお優しいこと。でも大丈夫よ、魔法抵抗力なら武具で補っていますから。それよりも、ランツクローン家が飼っている飛びトカゲのほうこそ、私たちのアインヘアよりもうんと脆いのだから、さっさと飛んで逃げればよろしいのに、惨めったらしく」


 さっそく醜き言い争いを始める困った大人たち……。


「ぐぬう……。まあいい、あのカタストローフェ……いや、マーヤ・ラ・ジョーモンなる人物、たしかに底知れぬ凄味を感じるが、思えば王などそう滅多にいるはずはないから、おそらく彼女は力ある諸侯なのであろう。ならば宮中伯を破ることはできぬ、我々が己の身を案じるまでもなく早々にカタはつこう。もちろん我々も、宮中伯とファーヴニルの顔だけは見ぬよう気をつけねばならんが……」

「ふん、したり顔でわかりきったことを言うわね……。あちらのマーヤ様とおっしゃる方、尋常ではない手練れみたいだから、私と同じく物理攻撃を主体になさるのでしょうけど、武術の腕を頼りにする者にとって宮中伯は最悪の相手だわ。あらゆる武器を弾き、恐怖で敵を縛り、呪いじみた猛毒と強大な力で殺す……。宮中伯がファーヴニルと契約している以上、物理攻撃系の相手に負けることなんてないもの。そのうえ魔法抵抗力まで高いのだから、たとえ相手が同格の諸侯だったとしても、まず宮中伯が後れを取ることはないでしょう」


 普段は何かといがみ合う伯爵ふたりだが、ゾフィーアの勝利を確信している点においては一致していた。

 無理もない、ゾフィーアの守護者〈ファーヴニル〉は、ノイエンアーレ伯の言葉どおり、物理攻撃を通さず高い魔法抵抗力を誇る鱗、見る者に恐怖を与え戦意を喪失させる顔、生ける屍さえ殺す呪毒のブレス、巨体に見合った剛力、プレートアーマーすら紙のように切り裂く爪と牙、それらをすべて兼ね備えた邪竜なのだから。

 ――レーン宮中伯単独で、数千の騎士を含む数万の軍勢をも滅殺する――。

 それは決して誇張などではない事実。

 それでも――。


「お母様、それでもマーヤは負けませんよ」

「そうだぜ親父、俺たちは身に沁みて知ってるんだ、カタストローフェ……いや、マーヤさんのヤバさを。……古今無双の武人が至大至剛の守護者と契約しちまったら、どうなると思う? たとえファーヴニルが何体がかりで挑もうと、あの人には勝てない、絶対に」


 フローリアンとレオンハルトは確信しているのだ、真綾の完全なる勝利を。

 青とグレー、二対の瞳を輝かせ、若き伯爵ふたりが見逃すまいと期待する光景は、奇しくもゾフィーアが切望するものと一致していた。


「みんな避難してくれたようね、物好きが四人ほど残ったようだけど……」


 大広間を見上げ、窓から覗く伯爵四人の姿だけを認めたゾフィーアは、少し呆れたように苦笑したあと、影のようにたたずむ真綾へ視線を戻した。


「マーヤ様、ひとつ、ゲームをいたしましょう。あなたが勝てばこのまま帰ってもらっていいわ。……でも、負けた場合は、わたくしのお友達になってもらいます。――コンストニッツは本当に素敵なところよ、それに、昔の領主も大鴉を紋章にしていたそうだし、ちょうどあなたの背中にあるのと同じようにね……。運命を感じません?」

「『せっかくのお誘いではございますが、カタストローフェとして式典に出席したことで本日の業務は終了いたしました。真綾羅城門としては、これ以上のお申し出をお受けする理由も見当たりませんので、許可を得るまでもなく勝手に退散させていただきます』」


 いきなりゾフィーアが持ちかけてきたゲームとやらを、熊野は真綾の口を借りて拒絶した。エーリヒの話では、真綾が正体を現せば宮中伯もそれ以上は踏み込まないはず、だが……。


「あら、よろしいのかしら? カタストローフェだとかマーヤ・ラ・ジョーモンだとか、言葉遊びはもう終わりましてよ。受けていただけなければ、この先、カール様が肩身の狭い思いをすることに……」

「『せっかく陣営に戻ってくれたエックシュタイン家を、わざわざ敵にお回しになると? エックシュタイン家が他の諸侯に庇護を求めでもすれば、宮中伯家としても、いささか困ったことになるのではございませんか?』」

「それはたしかに痛いけれど、あなたを得られる機会とは比べようもないわ。だってわたくし、どうしてもあなたが欲しいのですもの」


 熊野の出したエックシュタイン家というカードにも怯まず、平然と言ってのけた最後には血も凍りそうな笑顔を浮かべるゾフィーア。真綾に対する彼女の執着は、貴族としての常識やエーリヒの予想さえも超えているらしい。


「まずはルールだけでも聞いてくださらない? 〈毒と恐怖の強度を最大にした手加減なしのファーヴニルを、あなた自身が一撃で倒してみせる〉、ただそれだけよ、とても単純でいいでしょう? ……ああそうそう、あなたは建物でさえ一瞬で消してしまう能力をお持ちだと聞いたけれど、それだと、本当に倒したのか一時的に隠しているだけなのか、判別できないわね。……だからその能力は使わず、わたくしの目の前で、一瞬のうちに、ただの一撃だけで、ファーヴニルを倒していただきたいの。それを見て満足すれば、わたくしも今回だけは諦めましょう。もちろん使用する武器はご自由にどうぞ」


 理不尽なルールであった……。


「相手の能力だけを一方的に制限したうえ、一撃必殺という縛りまでかけるとは、さすが〈残虐公女〉、またエゲツないルールを……。レオンハルト、お前たちはあの女性に心酔しているようだが、これで彼女の勝ちは完全になくなったぞ、それどころか、下手をすれば彼女は命を落とすことになりかねん……。お前たちが世話になったようだし、いざとなれば私が宮中伯をお止めせねばな。……このような戦い、無益にもほどがある」

「あのファーヴニルを一瞬で倒すなんて、〈王級〉の加護を持つ皇帝陛下でも難しいんじゃないかしら? ――いい? フローリアン、決してファーヴニルの顔を見ては駄目よ、あの力が完全解放されたら私たちでも危ないから。あと、毒のブレスにも気をつけなさい。……マーヤ様が危なくなったときは私がなんとかするわ」


 ゾフィーアの提示した理不尽極まりないルールを耳にすると、レーン団に慕われているらしい女性の憐れな末路を憂い、伯爵ふたりは子の受けただろう恩を返すべく心を決めた。

 そうやって親たちが覚悟する一方、それぞれの子供たちはといえば、真綾の美しい立ち姿から一向に視線を外さない。これから彼女が起こすであろう奇跡を、伝説となるに違いないその一撃を、心に焼きつけるために。


(それでも、マーヤさんなら……)

(マーヤだったら、絶対……)


 自然災害や飢饉、戦争や疫病などに加え、魔物にまで人類が脅かされてきたこの世界において、人々が強者に惹かれがちなのは当然のことかもしれない。

 その強者個人への思い入れや、強者を求める個人的な理由があれば、なおさらのことだ――。


「マーヤ様、意地悪なルールだけど許してくださいね。わたくしはこの目で見たいの、ファーヴニルすら瞬殺する強力無比な力を。そして確かめたいの、王をも超える王がいることを。……いかが? 受けてくださいます?」

「是非に及ばず……」


 いかがも何も、カールの名を出された時点で真綾に選択肢はなく、時代劇の織田信長ばりの重々しさで渋々了承する彼女を見て、ゾフィーアは見る者の正気度が一瞬で吹っ飛ぶような笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。――さあ始めましょう!」


 心からの礼を述べるや否や、もはや一秒だって待っていられるものかと、ゾフィーアが高らかにゲームの開始を宣言した。

 その声を合図にファーヴニルは石畳を震わせつつ近づいてくると、能力を全解放して真綾に顔を向け――紫色の燐光を放つブレスを吐いた!

 伯爵でさえ発狂しかねない恐怖で固まった真綾を、諸侯すらも悶死させる呪いの毒が襲う!

 だがしかし――。


「なんと!」

「無事なの!?」


 今にも守護者を召喚しようと身構えていた伯爵ふたりは、揃って我が目を疑った。

 ゾフィーアの言葉に感じるところでもあったのか、あえてプロレスラーばりに相手の攻撃を受けた真綾は、なんと、それでもなお平然と立っているのだ。……いや、それだけではない、大広間にいる誰も気づいていないようだが、よく見れば、何やら口元がモゴモゴと動いているではないか。

 散歩がてら山麓からここまで歩いて来た真綾は、この段になってとうとう空腹に耐えかね、【船内空間】から口腔内へダイレクトに取り出した飴ちゃんを、モゴモゴモゴモゴと転がしているのだ……。

 その余裕しゃくしゃくな姿を前にして、はやる気持ちを抑えるゾフィーア。


(素晴らしいわ! ……でも、喜ぶのはまだ早いわね、痩せ我慢をしているだけかもしれないから……)


 あとは、疑いようのない実力を示してもらうのみ――。


(さあ見せてちょうだい、あなたの力を!)

(殺っちまえ! マーヤさん!)

(マーヤ、いっけぇー!)


 ゾフィーア、レオンハルト、フローリアン、同じ光景を待ち望む三人が、それぞれの心の中で同時に叫び、それを合図にしたかのように、真綾が腰を少しだけ沈めた――次の瞬間!


 ドン!


 真綾の姿は忽然と消え、それとほぼ同時にファーヴニルの頭部が爆散した!

 まさに一撃必殺。諸侯による物理攻撃すら無効化するはずの頭部を、視認不可能な攻撃で失ったファーヴニルが、膨大な量の光の粒子に変わっていく……。


「信じられん、あのファーヴニルが……」

「……マ、マーヤ様はどこに……」


 ある者は、昼間のように明るくなったテラスを呆然と見つめ、またある者は、それを為した乙女の姿を探し視線を巡らせるなか、迷わず空を見上げていたフローリアンだけは、それを見つけた――。


「……そっか、もう行くんだね、マーヤ」


 ――煌々と月輝き燦然と星煌めく夜空、そこに大きく翼を広げてホバリングする一頭の飛竜と、その背に跨がるふたつの人影を。

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