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第八六話 エーデルベルクの薔薇 二九 カタストローフェ参上


 歴代宮中伯により増改築された何棟もの城館が、広大な中庭を囲んで林立している。

 ここは、宮中伯の居城エーデルベルク城の主郭である。

 ニクロス渓谷産の砂岩で造られた城館群は独特の赤みを帯びており、ファサードを飾る精緻な彫像や彫刻も相まって、息を呑むほどの壮麗さだ。

 そうした城館のひとつにある絢爛豪華な大広間に、今、華やかに着飾った人々と、黒いマントを身に纏った一団の姿があった。

 魔石を惜しげもなく使った魔導シャンデリア(鉛クリスタルガラスが未発明であるため、外見は真鍮製のロウソクシャンデリアそのままだが)の下、金糸銀糸で刺繍を施された正装用の黒マントに身を包み、整然と並んだまま恭しく片膝ついている若者たちは、あの火災と戦ったレーン団の面々である。


「――他領の学生たちが顔すら見せないなか、我が領の学生団だけが迅速に行動し、下々の前で都市のため尽力したことは、内政の面でも他領との外交面においても、決して小さくはない意義を持ちます。現に城下では、あなた方を称賛する声の聞こえぬ日がないとか。その声はいずれ、帝国中に広がっていくことでしょう、そして帝国臣民は思うのです、『宮中伯領の貴族こそ帝国の精華、他領の貴族とは違う』、と――」


 緊張している彼らの前で悠然と立ち、酷薄そうな美貌にゾッとする笑みを浮かべたのは、言うまでもなく宮中伯ゾフィーアである。……それにしても彼女、このような慶事の場くらい、もう少し印象の違う笑顔はできないものか……。


「――まあ、そのようなことは副次的なものね。このたびの火災で人的被害を出さず、延焼範囲も最小限に抑えられたのは、間違いなく、あなた方の迅速で懸命な働きあったればこそ、それこそをまず称えましょう。――フローリアン・フォン・ノイエンアーレ団長以下、レーン団の十七名よ、我がエーデルベルクを救ってくれたこと、レーン宮中伯の名において深く感謝します。――さあ我が同朋よ、レーン宮中伯領の若き英雄たちに、惜しみない拍手を!」


 胸に手を当てて感謝の意を表したゾフィーアが、左右に視線を送り高らかに声を上げると、大広間の両側に分かれ学生たちを見守っていた人々から、万雷の拍手が沸き起こった。

 その大半は表彰を受けた学生たちの両親であり、その他もゾフィーアによって呼び集められた貴族たち、つまり、今ここにいる貴族全員がレーン宮中伯陣営に属しているためか、概して快く拍手を送っているようだが……。


(ノイエンアーレめ、いい気になりおって!)


 宮中伯から我が子を賞されて感涙にむせぶ者すらいるなか、苦虫噛み潰したような表情をしているこの男、堂々たる体躯と金髪碧眼を見ればわかるように、レオンハルトの父でありランツクローン家当主、つまりグラーフシャフト伯だ。

 仇敵ノイエンアーレ家の子がレーン団の団長に納まったため、どうやら彼は悔しくてしょうがないらしい。

 その一方、彼の視線を追った先、学生たちを挟んだ大広間の反対側では――。


(あらあら、なんて野蛮な顔かしら、よほど悔しいと見えるわね)


 未来のフローリアンかと思わせるプラチナブロンド美女が、勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。それも、わざわざ彼へ見せつけるように……。彼女がノイエンアーレ伯であることは言うまでもない。


(断じて、レオンハルトがお前の子に劣っているわけではないぞ。どうせ、分別もつかぬ思春期の学生たちを、あの外見に物を言わせて籠絡したのであろう、そうに違いない!)

(嫌ねぇ、あの血走った目、なんだか負け惜しみが聞こえてきそうだわ……。でも残念、うちのフローリアンは正真正銘の天才よ、そのうえ私に似て華があるわ、図体だけ立派なあなたの子とは雲泥の差なの)


 ……などと大広間の両側からバチバチ火花を散らせているふたりをよそに、儀典長の口から褒賞について述べられ、そのまま粛々と式典は進み、片膝ついていた学生たちも立ち上がったころであった。

 大広間へ静かに入ってきたゼバスティアンが、いそいそとゾフィーアの傍らに歩み寄り、何やらヒソヒソと耳打ちを始めると、彼女の表情がわずかに曇った。


(……ペルケオにも困ったものね、どんなお仕置きをしてあげようかしら。――でも、ようやく会えるのね、マーヤ・ラ・ジョーモン)


 宮廷道化師の失態を聞いて一瞬だけ気分を害したものの、すぐに冷たい笑みを浮かべるゾフィーア。待望の大物を釣り上げた釣り師のごとき心境で……。

 エーリヒの読みどおり、正体が真綾であることなど承知のうえで、ゾフィーアはカタストローフェを呼び出したのだ。

 彼女がひとつ頷いたのを合図にゼバスティアンが目配せすると、今度はそれを受けた儀典長が、ゴクリとつばを飲み込んでから朗々と声を張り上げる。


「続きまして、このたびの火災鎮火における最大の功労者、奇跡の御業をもってエーデルベルクを守られた英雄の中の英雄を、今、ここにお迎えいたしましょう。――エーデルベルクの偉大なる護り手にして、ヘッケンローゼ帝立学院教授、カタストローフェ様!」


 いつの間にかエーデルベルクの護り手にされ、臨時教師から教授に昇格しているのは不思議だが……ともかく、真綾の偽名を儀典長が一段と高らかに呼び上げると、従騎士になる前の未だあどけない小姓たちが、まるで何かの儀式でもあるかのように、大広間下手の重厚な扉を恭しく左右に開いた。

 儀典長の口上によってカタストローフェという人物への関心は高まっており、その場にいる全員の視線は当然ながら一点へと集中し――そして見た!


(降、臨)


 両手をバッと上に掲げて仁王立ちしている漆黒の魔人を……。どうにも真綾は、日本で親友とやっていたノリが抜けないようである。

 水を打ったような静けさが大広間に訪れた。


「……」

「……」


 ガシャン……。


 あのタイミングで扉が開くとは思っていなかったのか、人々の沈黙に数秒間の沈黙で返したあと、何ごともなかったかのように歩き始める真綾……。

 まあそんな感じで、ガシャンガシャンと甲冑の音を響かせながら、真綾が大広間上手へ向かって歩を進めていると――。


「整列!」


 何を思ったか、突然、フローリアンが凛とした声を上げた。

 するとどうだろう、レーン団全員がザッと音を立てて左右に分かれ、大広間中央にできた道へ向かって整列したではないか。


「気をつけ!」


 またもや響いたフローリアンの号令一下、一斉に直立不動の姿勢を取るレーン団。背すじはピンと伸ばして胸を張り、靴音を響かせながら両足の踵をピタリとつけ、開いたつま先の角度は六十度……そう、地獄の五日間により、彼らは完璧に仕上がっていたのだ。

 この直立不動の姿勢、現代の地球では無帽時の敬礼にもあたる姿勢だが、その姿勢を取り続けるレーン団の前……というか間の道を、真綾は堂々と抜けてゆく。


(なぜ学生たちは、あんなことを? 練度の高い近衛が君主にするように……)

(なっ、なんなんだ、あの禍々しい姿は! 入ってきた瞬間から私の守護者が怯えているではないか! どう見てもアレは危険な魔物だろうに、こんな場所へ招き入れて大丈夫なのか? と、とにかく、目立たぬようにしておこう……)

(なんて威風堂々としているのでしょう、あの威厳から察すると〈伯爵級〉……いえ、それ以上の大物かもしれませんわ)


 漆黒の魔人へ視線を釘付けにしたまま、疑問、恐怖、感嘆、様々な思いを抱く人々であったが、ひとことすら声に出す者はいない……いや、声を出せる者はいなかったのだ、漆黒の魔人が放つ圧倒的な迫力と、王者の風格を前にして。


大災害(カタストローフェ)とはよく言ったものだ、なんと凄まじい……。見かけぬ様式の甲冑を着込んでいるということは、帝国貴族ではないのか? では、いったいどこの何者だ、リントヴルムをここまで怯えさせる人間など、諸侯……いや、これではまるで……。失敗した、社交など後回しにして、登城前にレオンハルトから情報を聞いておくべきだった……)

(あの異様な外見と強烈な迫力に呑まれた人の目には、アレが魔物として映っているかもしれないわね。……でも私にはわかる、アレは間違いなく甲冑姿の人間、そして、とてつもない手練れ。そこに守護者の加護まで加わったら、どれほど恐ろしいこと……そういえば、気位の高い学生たちがあそこまで敬意を払っているなんて異常ね、もしかして、あの子たち……火災現場でアレの能力を見たのね! これは社交よりも先にフローリアンと会っておくべきだったかしら……)


 さすがに経験を積んだ伯爵だけあって、グラーフシャフト伯とノイエンアーレ伯はカタストローフェを人間だと見抜いたが、相手の実力さえもある程度は察することができるだけに、その底知れなさに戦慄していた。

 実は、ここにいる学生の大半が、カタストローフェという流浪の王について、火災の翌日には実家へ手紙を送っていたのだが、郵便馬車や川船などを使い何日もかけて届けられる手紙が、家臣の守護者まで駆使した宮中伯の招待状を追い越せるはずもなく、急な招待に大慌てで出立した両親と行き違いになっていたうえ、エーデルベルクに到着した両親も、子供との再会より社交を優先してしまったため、招かれた貴族のなかにカタストローフェの情報を持つ者は皆無なのだ。


(カタストローフェとは、いったい何者だ!?)


 ――と、揃って同じ疑問を浮かべた貴族たちが、畏怖過多な好奇の眼差しを向けているうちに、カタストローフェ(大災害)と呼ばれる謎の教授はレーン団の間を抜け、とうとうゾフィーアの前で立ち止まった。


「よくぞ我が招きに応じました、カタストローフェ教授。初めまして、わたくしがレーン宮中伯、ゾフィーア・フォン・エーデルベルクです。――あなたとようやく会うことができて、とてもうれしいわ」


 軽く頷くような会釈だけで挨拶し、凄絶な笑みを浮かべるゾフィーア……。そんな彼女を見て、ここにいる貴族たちのほとんどは安堵し、ごく一部の者はゴクリと喉を鳴らせた。

 女性の場合、相手の地位が自分より高ければ、片足を後ろに引き、もう片方の足の膝を曲げる、というお辞儀をするのが礼儀なのに、ゾフィーアはカタストローフェに対しそれをせず、もし相手が対等だとしても、初対面にしてはいささか礼を失する口調で声をかけたのだ、つまり――。


(ホッ……。宮中伯閣下の対応を見るからに、アレはせいぜい〈伯爵級〉であったか、それならば安心だ、ここには宮中伯閣下や伯爵方がおいでなのだからな)


 ほとんどの貴族がそう思ったように、宮中伯のほうが上位者であることを示していたし、そうであるからにはアレが魔物だったとしても問題ないだろう。

 ただ、彼らと違う反応を示した者たちは、安心などとは真逆の心境である。


(カタストローフェとやらを表まで出迎えにも行かれぬうえ、このような対応をするとは……。宮中伯はあくまでも自分のほうが上位者であると言うつもりか、なんと強気な……)

(宮中伯は正気なの? アレが本当に伯爵程度ならいいけれど、もし王侯なら、今すぐ私闘(フェーデ)になりかねないわよ)


 私闘(フェーデ)とは、自力救済を謳った一種の決闘である。

 決闘といっても一対一の戦いだけでなく、お互い軍勢を率いた戦争にまで発展することもあり、地球では、強盗騎士がこれを悪用して手勢を引き連れ、商人などに言いがかりをつけては掠奪や誘拐を行なったため、中世のうちに禁止されてしまった制度だが、こちらの世界では、近世にあたるであろうこの時代でも貴族間に限定して残っているのだ。

 大都市を独力で滅ぼせるという諸侯同士の私闘が、こんな場所で始まってしまったら……。

 固唾を呑んで見守るグラーフシャフト伯とノイエンアーレ伯の前で、カタストローフェは――。


 コクリ。


 ――と、ただ軽く頷いたのであった、無言で……。




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