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第八五話 エーデルベルクの薔薇 二八 城門にて


 黄金色に染まる空の下、石畳に馬蹄と車輪の音を響かせて、二頭立ての紋章付き馬車がエーデルベルクの大通りを走ってゆく。

 家路を急いでいた下町のおかみさんが足を止め、その様子をマジマジと眺めたあと、となりで同じようにしている友人へ話しかけた。


「今度はどちらのお貴族様かねぇ? ここんとこ、やたらとお貴族様の馬車を見かけるけど、今日はまた一段と多いじゃないか。お城で何かあるのかい?」

「あらアンタ、知らないのかい? なんでも今夜、お城のほうで……えーと、表彰式典? ってのがあるらしくてね、それでお貴族様たちがアッチコッチから集まってるらしいんだよ。たぶん今のお貴族様も、お屋敷か宿でおめかしして、これからお城へ向かうところなんだろうね」

「表彰?」


 友人は噂話に疎い彼女に呆れつつも説明するが、尋ねたほうは聞き慣れない言葉に首をかしげた。


「そうさ、ほら、例の火事で学生さんたちが大活躍しただろう? それでその学生さんたちを、親御さんたちの前で宮中伯様が直々にお褒めなさるんだって」

「へー凄いじゃないか! たしかあん時は、子供を助けに炎の中へ飛び込んだ学生さんもいたって聞くからねぇ、いっぱい褒めてもらったらいいんだよ。そうかいそうかい、めでたいことだねぇ」

「そうそう、ホントにめでたいねぇ」


 危険を冒してまで孤児と都市を救ったレーン団は、今やエーデルベルクにおいて時の人である。表彰してもらっている学生たちの姿を想像し、我が事のように明るい気分になったふたりは、ちょっとだけ軽やかな足取りで、ふたたび家路を急ぎ始めるのであった。

 今宵、彼女たちそれぞれの家では、いつもの雑穀粥に豚の塩漬け肉が少しだけ入った、豪華バージョンの夕食になるかもしれない。


      ◇      ◇      ◇


 山麓からエーデルベルク城の主郭へと至る馬車用の登城路には、当然ながらいくつかの門がある。しかし、この日ばかりは来賓を迎えるため、それらの門がすべて開かれていた。

 不用心と言うなかれ、単独で数千もの騎士を滅殺し得る宮中伯が在城であり、そのうえ大勢の貴族たちまで集う日に、この場所を襲撃しようなどという愚者は存在しないのだから。

 そうした門のうち城の主郭を守るのは、空堀の外側に建つ橋楼という建物と、そこから跳ね橋を渡った内側にそびえる城門塔、この二か所に設けられた門だ。

 その城門塔のほうで、この夜、前代未聞の不手際が起こった。


「ウィ~、ヒック。諸君、ご苦労~」

「ペルケオ、また酔ってやがるな。今日は来賓を迎える大事な日なんだから、こんな場所に来てないで、さっさとワイン倉庫に戻ってろよ」

「そうだぞ、お貴族様の前で粗相なんかしてみろ、いくらアンタが宮廷道化師でも首が飛んじまうぞ」


 千鳥足で城門塔へやってくるなり門衛ふたりに追い払われる、この赤ら顔した小男、ペルケオという呼び名の宮廷道化師である。

 道化師とはいえ、まだら模様の服に風変わりな帽子、というお決まりの姿ではなく、やや派手めな宮廷使用人の服を着ている彼は、道化師としてはもちろん、ワイン倉庫の番をするのも仕事なのだが、何しろこれが呆れた大酒飲みで、日に十数本ものワインを飲んでは酔っ払っているという、エーデルベルク城きっての困り者だ。

 自由に振る舞うことを許された宮廷道化師という身分と、どこか憎めない性格がなければ、とっくの昔に解雇されていたことだろう。


「失敬ら! じぇんっじぇん酔っ払ってませんろ~。幼きころよりワインしか飲んらことのらい……ヒック、この私が……ウィィ、酔っ払うはず……あれ?」


 自分を酔っ払いだと認める酔っ払いは少ない……。案の定、門衛たちに絡んでゆこうとしたペルケオであったが、その途中で何かに気づきショボショボと目をしばたかせた。


「なんら?」


 跳ね橋を渡った向こう側に建つ橋楼の下、暗くてハッキリとは見えないものの、何者かが立っている……いや違う、こちらへ歩いて来るではないか……。


 ガシャン、ガシャン……。


 橋楼を抜けて跳ね橋を渡り始めたことで、月光と篝火に照らし出されたその姿は、頭部両側から巨大な角が天に向かって屹立し、全身を黒光りする甲殻で覆われた、漆黒の魔人……真綾だ。


「ぎ、ぎいぃゃああぁぁぁぁ!」


 尋常ではない威圧感を放つその姿を、ようやく焦点の定まった目で捉えたとたん、ペルケオは半狂乱になり叫び声を上げた。


「は、早く門を!」

「え!?」

「そういうわけに――」

「早く!」


 一発で酔いの醒めたペルケオが防衛本能のままに閉門を指示すると、当然ながら門衛たちは一瞬戸惑ったが、跳ね橋の上をガシャガシャと近づいてくる真綾の迫力と、ペルケオの切羽詰まった様子に危機感を煽られ、ついには慌てふためいて城門を閉じた。

 その一方――。


「……」

『あら、招いておきながら門を閉じるなんて、どういう……あ、真綾様、あそこにドアノッカーがありますよ。とりあえず、あれを叩いてみませんか?』

(はい)


 目の前で固く閉じられた門を前に困惑した真綾たちであったが、門扉に付いている太い鉄輪を見つけた熊野の提案により、真綾はドアノッカーと思わしきそれを握った。

 その時……。


「や、やいバケモノ! どうせ宴席料理の匂いを嗅ぎつけてきたのでしょうが、この宮廷道化師ペルケオがいる限り、この門から先へは一歩も通しませんぞ! 大人しく諦めてとっととお帰りなさい! この、でっかい図体をした、大食らいのバケモノめ!」


 バキン!


 門扉の向こうから、強気になったペルケオによる禁句が聞こえてきたとたん、真綾の握る太い鉄輪にヒビが入った。熊野が出力制御を誤ったのか、はたまた真綾の激情ゆえか……。


「ヒッ! い、今の音はなんでしょう?」

「バカ! ペルケオが煽るから怒らせちまったじゃないか!」

「す、すぐに報告を――」


 門扉越しに聞こえた金属的な破壊音に、ペルケオと門衛たちがオロオロとしていると、そこへ――。


「おい! お前たち何をやっている!」


 背後から突然、厳しい口調で声がかけられた。

 ペルケオたちが振り向くと、なんとそこには、数名の騎士を従えた家宰ゼバスティアンが、双眸から炎を吹き出さんばかりの形相で睨んでいるではないか……。

 三百近い領邦国家と多くの帝国自由都市が乱立していたドイツと違い、このグリューシュヴァンツ帝国では、皇帝に五大諸侯を加えた六人が、各々の領内の貴族と都市を完全に従えているため、富も権力も集約されている諸侯の威光たるや絶大なものがあった。

 つまり、その諸侯であるレーン宮中伯の家宰ともなれば、事実上、押しも押されもせぬ一国の宰相である。

 すぐに門衛二名は直立不動の姿勢を取り、ペルケオは恭しくお辞儀をしてから疑問を口にした。


「こ、これは家宰、あなた様ほどのお方が、なぜこのような場所に――」

「黙れペルケオ! 我が質問に答えよ!」


 道化師の疑問など無視し、ゼバスティアンが厳しい口調で問いただすと、ペルケオはビクリと身をすくませたあと呼吸を整え……しかし、今度はなぜか胸を張り、鼻高々に語り始める。


「はい、冥界の門を守るケルベロスのごとくワイン番をしておりました私は、尋常ならざる気配を察知いたしまして、この門へ疾風のごとく駆けつけたのでございますが、なんと! 今まさに城内へ押し入らんとする魔物がいるではありませんか! 魔物といってもただの魔物ではございませんぞ、頭の両側からは巨大な角が天を突くようにそそり立ち、見るからに硬そうな甲殻で総身を覆われた、漆黒の魔人でございます。ペルケオの見立てでは間違いなく……〈伯爵級〉以上! これを城内へ入れたとあっては大恩ある主君に申しわけが立たぬと、私が門衛らとともに命を賭して城門を閉じ、見事、魔物の侵入を阻止した次第でございます」


 脚色に満ちた己の武勇伝を得意満面に語ったペルケオは、聞いているゼバスティアンの顔色が見る見る赤に、赤から青へと変わっていたことに気づくこともなく、さらに信じられないことを言い始めるのだった。


「家宰、それだけではございませんぞ、宮中伯閣下の忠実な臣たるペルケオは、門の向こうで悔し涙を流しているであろう魔物に、毅然とした態度でこう言ってやったのでございます、『やいバケモノ! どうせ宴席料理の匂いを嗅ぎつけてきたのであろうが、この宮廷道化師ペルケオがいる限り、この門から先へは一歩も通さぬぞ! 慶事に水を差すのは無粋ゆえ命ばかりは許してやる、大人しく諦めてとっとと帰れ! この、でっかい図体をした大食らいのバケモノめ!』と――おや? いかがなさいました?」


 真綾に吐いた己の暴言をゼバスティアンに聞かせることで、強大な魔物に対しても臆さぬ勇敢さをアピールするペルケオだったが、身振り手振りも交えノリノリで語っている最中に首をかしげた。

 いつの間にか死人のごとき顔色になっていたゼバスティアンが、まるで息を引き取るように目をつむり、こめかみを押さえたのだ。ワナワナと震える指で……。


「……主賓のことが気になって来てみれば、なんという……」

「主賓?」

「この大たわけ! そのお方こそが今日の主賓だ!」

「え……」

「開門しろ! 今すぐ!」


 無邪気に小首をかしげて聞き返す赤ら顔の小男を、悪鬼の如き形相で怒鳴りつけ、こめかみに青スジ浮かべて開門を厳命するゼバスティアン。

 真っ青になったペルケオと門衛たちが呼吸も忘れて開門すると、そこに立っていたのは、話に聞いたとおりの漆黒の魔人、しかも、ペルケオの暴言により殺気立っている状態の……。


「…………」


 真綾、無言。


(あ、死ぬ……)


 宮中伯をも凌ぐ真綾の迫力と殺気に気圧され、己の死を予感したゼバスティアンだったが、さすがは宮中伯の家宰だけあって、こういうときの対処方法をよく心得ている。


「申しわけございませんでした!」


 真綾の前で潔く片膝をつくなり、それはもう目を背けたくなるほど必死に謝罪するゼバスティアンであった……。


 こうして真綾はなんとか入城を果たし、帝国五大諸侯の一角たる宮中伯家の家宰直々に、それも腫れ物を触るかのごとく、極めて丁重に案内されていったのだが、この一件で真綾が門扉の鉄輪に入れたヒビは、それを見た宮廷道化師により『カタストローフェの噛み跡』と名付けられ、エーデルベルク城七不思議のひとつとして後世まで伝わることになる。

 もちろん真綾は、そのことを知らない。





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