第八三話 エーデルベルクの薔薇 二六 仮面の貴婦人
漆黒の魔人を前に片膝をつくレーン団の面々。どうしてこうなった……。
鎮火と救出が完了したあと、近くにいる者と抱き合い、あるいは肩を組んで、ひとしきり喜び合った彼らは、誰に言われるとでなく真綾の前へ集まり始め、先頭で並ぶフローリアンとレオンハルトを皮切りにして、波のように次々と片膝をついていったのだ。
ちなみに、彼らと一緒にコーボルトたちも片膝をついているが、こちらはちんまりしていて、なんとも微笑ましい。
そうするうち、何やらレオンハルトと頷きあったフローリアンが、真綾の顔を真っすぐ見上げて話し始めた。模擬戦の一件で皆に認められたらしく、あの日以降、フローリアンはレーン団の団長にされてしまっているのだ。
「カタストローフェ先生、このたび我らの友人とエーデルベルクをお救いいただいたこと、深く感謝いたします。我ら皆、レーン宮中伯領内の封土を継がねばならぬ身なれば、先生に忠誠を捧ぐことは叶いませんが、このご恩、生涯忘れるものではございません。この場にいるレーン団一同、先生にもしものことあらば必ずや馳せ参じること、ここに固く誓います」
「…………」
いつもとは打って変わり、凛とした雰囲気で言い終えたフローリアン。話し合っての発言ではないが、異を唱える者はひとりもいない、なぜならこれは、ここにいるレーン団全員の気持ちなのだから。
謎の臨時教師カタストローフェが、〈王級〉の魔物、もしくは人間の王(この場合、国家の長ではなく、〈王級〉の守護者を持つ者の意)なのではないかと、学生たちも薄々気づいてはいたし、巨大魔法陣出現に始まる一連の奇跡を目撃した今、もはやそれを疑う余地もない。
そんなわけで、こうしてフローリアンたちが恭しい態度で真綾に接するのは、相手を異国の王と思えばこそなのだが、いきなりの展開にナンジャコレ状態の真綾は、どう対処していいかチョッピリ困ってしまった。
真綾が沈黙していると、殺し文句を言い添えるフローリアン。
「もちろん、我らの実家が治める領地へお越しの際は、土地土地の名物料理をもって先生を歓待するよう、皆それぞれ、実家には知らせておきます」
……いや、この場にいる学生のほぼ全員が下級貴族なのだから、異国の王なんかがフラッと訪ねていったら、実家も上を下への大騒ぎになるだろうに……。そこに無頓着なあたり、天真爛漫なフローリアンらしいといえばフローリアンらしい。
とにかく、最後は可憐な顔にいたずらっぽい笑みを浮かべ、フローリアンはパチリとウィンクした。
『これは、感謝をお受けなさいという意味ですね……。異国から単身来訪したらしい真綾様の助けになればと、フローリアン様はお考えなのでしょう。真綾様、いかがなさいます?』
(是非に及ばず)
名物料理と聞いて迷うはずもなく、正月に観た大型時代劇の織田信長のセリフで熊野へ答えたあと、織田信長役の大御所俳優を思い出し、威厳タップリに頷く真綾であった。
すると、それを見たフローリアンが――。
「我らの誓いをお受けくださり、ありがとうございます!」
――と頭を垂れ、続いてレーン団の面々もザッと一斉に頭を垂れる。彼らの胸中は今、自分が物語の登場人物になったような気分で、かつてないほどに盛り上がっているのだ。
都市と人々を奇跡の御業で救ってくれた流浪の王、そして、その王から教えを受け、ともに火災と戦った若き貴族たち……。このシチュエーションで、英雄譚に憧れていた彼らが盛り上がらいでか……。
「おおー」
「なんかわからんけど、めでたいめでたい」
「学生さん方、おめでとー!」
いきなり始まった学生たちの寸劇に驚き、成り行きを静かに見守っていた住人たちも、だんだん歴史的場面に立ち会っているような気がしてきて、最後には、なんかわからんなりに拍手喝采を送るのであった。
これは実際に、後世の歌劇や演劇で何度も演じられることになる名場面なのだが、その光景を遠巻きに眺めたあと、静かに立ち去る人影がふたつ……。
◇ ◇ ◇
宮中伯の御膝下たるエーデルベルクには街灯がある。文化先進国でもある隣国セファロニアの王都に倣ったものだ。……とはいえ、主要な通りを挟む建物間にロープを張り、その真ん中にロウソクランタンを吊るしただけ、という貧弱なシロモノであったし、街灯の間隔も地球の単位で四十メートルほどはあるという、至って寂しいものであったが……。
つまり、夜の都市は、未だに闇が支配する世界ということだ。
火災現場から足早に離れた男たちは、まばらな街灯と月明かりに照らされた通りを抜け、いくつかの角を曲がり、火災現場からほど遠い街区の裏路地に入ったところで、ようやく堰を切ったようにしゃべり始めた。
「なんなんだ、あの黒いバケモノは! 炎ごと孤児院を一瞬で消したうえ、周りに燃え移ってた火も残らず鎮火しやがった! それになんだ!? あの馬鹿デケェ守護者は! あんなの聞いたこともねぇ!」
「もちろんそれも驚いたが、ここの学生って、あのリントヴルム使い以外、クソみてぇなボンボンばかりじゃなかったか? それがどうよ、たかが孤児院の火事にあんだけ早く駆けつけて、まるで歴戦の精鋭部隊みたいに動きやがった。――クソッ! 連中さえいなかったら、もっと被害を拡大できたってのに!」
実は、悪態をつくこの二人組こそ、孤児院に放火した張本人であった。放火犯は現場に戻るとは、よく言ったものである。
「目撃者はいねぇはずだから大丈夫だろうが、とにかく残りの代金を貰ったら、朝になって市門が開き次第ずらかるぞ」
「ああ、宮中伯親子や学院の連中だけでもヤバいってのに、あんなぶっ飛んだバケモノがうろついているなんて、俺はもう堪えられねぇ、こんな魔物の巣窟、一秒だっていられるか。……やっぱり、エーデルベルクなんかに手を出すんじゃなかったぜ……」
貴族家の次期当主と先代当主が学生あるいは教師として帝国中から集まり、宮中伯親子が睨みを利かせるエーデルベルクは、庶民から見れば人外の跳梁跋扈する魔都でもある。ならば、どんなバケモノが存在していても不思議ではない……。
漆黒の魔人と巨大極まりない守護者の姿が脳裏をよぎり、思わず総毛立ってしまった放火犯たちに、暗闇から人影がひとつ近づいてくる。
「誰だ!? …………ああ旦那か、びっくりさせねぇでくださいよ」
「まったくだ、寿命が縮みましたぜ」
その気配に気づき一瞬身構えたふたりだったが、マントのフードを目深に被った人物の姿を認めると、知り合いだったのか、ホッと肩の力を抜いた。
「お前たち、しくじったな……」
「いやいや、俺たちゃ言われたとおりやってきましたぜ。憎ったらしいリントヴルム使いの寮まで延焼しなかったのは、……まあ、たしかに俺たちとしても残念だが、そりゃあ俺たちのせいじゃねえ」
「そうでさ、燃え広がらなかったのは、学生どもとあの黒いバケモノのせいでしょうが。俺たちは見事に依頼を果たしたんだから、旦那もちゃんと払うモン払ってくれねぇと困りますぜ」
フードの下から亡者のごとき陰鬱な声で責められ、タダ働きになっては困るとばかりに弁明するふたり。だが、フードの男はそれを嘲笑するかのように答える。
「満足な仕事もできぬくせして、報酬だけは人並みに取ろうとするか……。学生に潰された人さらい一味の生き残りならば、腹いせのため喜んで引き受けると思い声をかけたが……フン、しょせんクズは何をさせてもクズであったわ」
「何ぃ!」
「テメェ、報酬を踏み倒す気だな! ……こうなったら仕方ねぇ、代金は死体から頂戴してやらぁ!」
フード男の言葉に激高した放火犯たちは、わずかな躊躇すら見せることなく短剣を抜き放った。裏の世界で生き抜いてきた彼らは腕に覚えがあるし、無論、人の命を奪うことへの抵抗など皆無なのだ。
逃げられてはマズいとでも思ったか、たちまち、放火犯のひとりが手慣れた手つきで元依頼主へと襲いかかる。
「死ね!」
安いセリフを叫んで突き出された白刃は闇を走り、避ける間も与えずフード男の胸に突き刺さった!
刃は肋骨の間を抜け、見事に心臓まで達したようだ……。
短剣を握る放火犯は、刀身から伝わってくる感覚から、すでに相手が事切れていると確信し――。
「へっ、馬鹿な野郎だぜ、黙って金を払ってりゃ死なずに――!」
――死者を嘲っている途中で固まると、なぜかゆっくり下を向いた。
「……な……なんじゃ、こりゃ……」
相手の胸に短剣を刺している自分の腕の下に、なんと、自分の腹部を刺している剣が見えるではないか……。その凶器を握る手が……今も自分の腹部へ剣を押し込み続けている手が、目の前にある死体のものだと知って、放火犯は信じられないと言いたげに顔を上げた。
「バ、……バケ……モノ……」
ようやくそれだけ言った放火犯は、黄ばんだ歯を剥き出して近づいてくる土気色の顔を為すすべもなく見守り、憐れにも激痛と恐怖のうちに事切れた……。
「フン、思ったとおり肉もマズい……」
噛みちぎった首の肉を数回咀嚼し呑み込んだフード男は、顔をしかめて毒づいたあと、動かなくなった放火犯から剣を引き抜いた。
放火犯だった物が音を立てて血溜まりに崩折れると、その相棒は腰を抜かして悲鳴を上げる。
「ヒッ、ヒィィィ! バ、バケモノ!」
「バケモノとは無礼な、城伯閣下と呼べよ下郎。――それよりもこの剣、なんと素晴らしい斬れ味……。大の男を背骨ごと貫いたというのに、ほとんど手応えを感じなかったぞ。さすがは〈伯爵級〉の魔剣よ……」
放火犯の片割れに一瞥をくれると、口から下を他人の血で真っ赤に染めたまま、フード男はウットリとした表情で剣を眺めた。
柄頭に埋め込まれた魔石が妖しげに輝く、その魔剣を……。
(……さて、当初の計画は失敗したが、代わりに興味深い情報を得たぞ。……用心のため現場へ行かなかったせいで、直に本人を見ることはできなかったが、あの巨大な守護者を召喚した者、果たして何者か――)
都市上空に出現した巨大な姿に思いを巡らせつつ、血に塗れた刀身をフード男がペロリとひと舐めした、その時――。
「……わたくし、三人でお酒が飲めると思って、本当に楽しみにしていたのに……」
「誰だ!」
背後から突然聞こえてきた女性の声に、フード男は振り向きながら誰何した。
最初に見えたのは、暗闇に浮かぶ真っ白な顔と、その中で妖しい輝きを放つ紫色の瞳……。それから、その人物が月明かりの及ぶ場所へ出てくるにつれ、全身像が明らかになってくる。
声の主は、明らかに貴族家の者とわかる衣装を身に纏い、頭巾で髪を、白い仮面で素顔を隠した、ひとりの女性であった。
こんな夜中の裏路地には娼婦ですら近づこうとしないのに、貴族家の女性が護衛も連れず歩くことなど、決してありえないはずだが……。
「……それが、晩餐が終わったとたん、お父様がエーリヒ様を独り占めするものだから、わたくし、おもしろくなくて、ひとり町に出て夜の散歩をしていたの……」
(……この女、気が触れているのか?)
抜き身の剣を構えた者と血溜まりに転がる死体すら気に留めず、ひとりしゃべり続ける様子から、精神を病んだ貴族女性が屋敷を抜け出してきたのかと、この時、フード男は思った。
しかし――。
「……でも、おかげで今夜はとても素晴らしいものが見られたわ。……ええ、本当に素晴らしいものよ、とても大きい守護者と、その契約者。……そのうえ、こんなものまで見つけられたもの。――死臭のするドブネズミ」
「貴様、何者だ!」
辛辣な言葉とともに紫色の瞳で見据えられ、女性が正気であると確信したフード男は、ふたたび誰何の声を上げつつ魔剣を構え直した。
「バーデンベルク家の子もナハツェーラーになっていたらしいけれど、こんなものが頻繁に発生するなんて不思議ね。……ドブネズミ、お前と何か関係が――」
「死ね!」
女の言葉が核心を突くまでも待たず、フード男は魔剣を振り上げ大上段から斬り下ろす。叫んだセリフが放火犯と同じだったことに彼自身が気づいたかはともかく、〈伯爵級〉の武器強化魔法によりプレートアーマーすら難なく切り裂ける凶刃が、無慈悲に女性の頭を断ち割った。
……いや、違う。
「グアッ!」
女性の頭巾に当たった瞬間、どうしたことか、刀身は金属音とともに弾き返されたではないか……。
鉄塊でも斬りつけてしまったような衝撃を両手に受け、思わず後ろへよろめいたフード男は、信じられないとでも言うように、見る見る表情を変えてゆく。
「そんな馬鹿な……。〈伯爵級〉の魔物さえ屠る魔剣を弾いた、だと……。いったいお前は……」
その問いへ応じるかのように、女性が仮面に手をかけ静かに外すと、そこに現れたのは、二十代前半ほどに見える酷薄そうな美貌……そう、仮面の貴婦人の正体は、レーン宮中伯ゾフィーアだったのだ。
「ま、まさか、宮中伯……」
その美貌を目にしたとたん込み上げてきた彼の恐怖を、どう表現すべきだろう。すでに止まっている心臓を掴まれたような、精神を根本から冷やされるような……。ともかく、恐慌状態に陥りそうになりながらも、ようやくひとことだけ声に出せたフード男。
だが、〈城伯級〉である彼はまだいい、これが常人であったなら……。
「ヒ、ヒイィィィ!」
それまで黙って成り行きを見守っていた放火犯が、ゾフィーアの美貌を目にしたことで恐慌状態に陥り、とうとう悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
月明かりに照らされた裏路地を駆ける放火犯、無我夢中に、人外たちのいる場所から少しでも遠ざかろうと……。
だが、生存本能に突き動かされたその逃走は、唐突に終わりを迎える。
「ヒ……」
裏路地から抜けた先で、大通りを塞いでいる巨大なナニカに気づき、建物間にぶら下がる街灯より高く輝く一対の紫光を、恐る恐る仰ぎ見た直後、放火犯の汚れきった人生は幕を閉じた。
それを巨大な瞳であると理解できぬまま彼が絶命した一方、生ける屍のほうも、ある意味、終わりを迎えつつあった。
「グアアッ! わ、私の体に何をした!」
地虫のように地面をのたうち、恐怖と苦痛に歪んだ顔でゾフィーアを見上げるフード男……。彼は今しがた、突然の激痛とともに四肢の自由を失ったのだ。
憐れな魔物を紫色の瞳で冷たく見下ろすと、ゾフィーアは禍々しい雰囲気を漂わせつつ答え始める。
「毒よ。相手が生者であろうと死者であろうと関係なく効く、呪われた毒……。でも安心なさい、今のわたくしはとても気分がいいから、簡単に滅ぼすのはやめてあげるわ。たぶん手足は腐り落ちてしまうけれど、お話を聞くぶんには何も問題ないでしょう? お前には色々と聞かせてもらうわね……そう、タップリと、生ける屍が死を乞い願うほどの時間をかけて」
その言葉を聞いて脳髄から凍りつくフード男をよそに――。
「……本当にいい気分、お前たちのおかげで、アレを引っ張り出せる口実がようやく見つかったわ。〈ファーヴニル〉も夜食にありつけてご機嫌のようだし、なんて素敵な夜なのかしら」
ゾフィーアは、背すじの凍るような笑みを浮かべた。




