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第七九話 エーデルベルクの薔薇 二二 恋愛上級者


「あっ」


 その光景を目の当たりにして、フローリアンは小さく声を上げた。

 無理もない、あの恐ろしげな漆黒の魔人が、見覚えのある黒髪美女へと一瞬で変化したのだから。

 だがしかし、フローリアンの驚く様子などお構いなし、真綾はそのまま自分も席に着くと、マイペースに自己紹介を始める。


「真綾羅城門です」

「あ、フローリアン・フォン・ノイエンアーレです」

「……」

「…………」


 ……いや、自己紹介を始める、などと前述したが、真綾の自己紹介は名前を言っただけで終了し、しばしの沈黙が中庭を包み込んだ。

 さすがは真綾、安定の低コミュニケーション能力である……。


「……いただきます」


 唐突に手を合わせ、食事を始めようとする真綾……。


「あ、あのっ!」

「?」


 慌てた様子でフローリアンが話しかけると、真綾は無表情なままカニ足片手に小首をかしげた。真っ先に手に取ったのが学院支給のパンではないあたり、いかに彼女がカニ足を楽しみにしていたか窺えよう……。


「あの、……ラ・ジョーモン先生、あなたは――」

「何歳?」

「へ? あ、十四歳です」


 何かしゃべりかけたフローリアンを遮り、今度は反対側へ小首をかしげて年齢を尋ねた真綾は、フローリアンの答えを聞くなり自分のことを指差した。


「私も。だから名前でいいよ」

「えっ? とっても大人っぽいから年上かと思ってました。じゃあ、マーヤ先生でいいですか?」

「マーヤで。もっと砕けていいよ」

「うん、わかった。じゃあボクのことはフローリアンって呼んでね、ボクも堅苦しいの苦手だから助かるよ~」


 真綾の実年齢を聞いて驚くフローリアンだったが、彼女よりはるかに高いコミュニケーション能力を有するため、トントン拍子でお互いの呼び名も決まり、ニッコリ笑い合って(真綾は一見無表情だが)まずは一段落……と、思いきや、真綾に尋ねたいことがあったフローリアンは、少し声のトーンを下げてしゃべり始める。


「……それでね、マーヤ、きみに聞きたいことがあるんだけど……」

「?」

「……あのね、この前、マルクト広場で一緒に歩いてるところを見かけたんだけど、……きみとレオンハルトは、その……どういう関係なのかなって……」


 またもや小首をかしげた真綾に、フローリアンは、モジモジと言いづらそうな様子で聞いた。何かに怯えるような、すがるような色を、明るいグレーの瞳に浮かべて……。

 ソレを、乙女熊野が見逃すはずもなく――。


『はっ! ここ、これは、〈恋する乙女が、想い人を他人に奪われるのではと思い悩む〉という、定番のアレではっ! ……何しろ真綾様のご学友の皆様が皆様でいらっしゃいますので、恋愛漫画や小説のようなお話を聞かせていただけるのは、まだまだ先と諦めておりましたが……。ああ、わたくし、興奮のあまり重油を噴き出したらどういたしましょう。――真綾様、フローリアン様とレオンハルト様が相思相愛でいらっしゃることは、先刻のご様子からも一目瞭然でございました』

(へー)

『ええ、相思相愛でございます、現代風に言うならばラブラブでございますね。……よろしいですか真綾様、フローリアン様は今、真綾様とレオンハルト様の仲を心配なさっているのですよ、おふた方のためにも、ここは細心の注意を払って返答なさいませ……』


 ――と、思いきり盛り上がったあとで、真綾にプレッシャーをかけた。


(相思相愛……)


 腕を組んで目をつむり、珍しく眉間に皺を寄せて考え込む真綾……。


(うーん……)


 彼女にとって、これは難問であった。

 真綾の育った町は超の付くド田舎であり、クラスメイトは今どき珍しいほど純朴な子供たち。しかも、そのなかで彼女と特に親しかった者といえば、ラーメン屋の手伝いと剣道で忙しい関西人、都市伝説やオカルトにしか興味のない怨霊系少女、そして、花……。そう、真綾の周囲にいたのは浮いた話など皆目無縁の連中であったため、こういった男女の機微というものに彼女はすこぶる疎いのである。


「あっしには関わりねぇことで……」


 とうとう真綾は、好きな時代劇の名ゼリフで逃げたのだった……。


「えっ?」

「…………あの日、ちょっと話しただけ……」


 驚いて聞き直したフローリアンに精一杯の補足をする真綾……。恋愛ごとに疎く口下手な彼女にしては、これでもよく頑張ったほうである。


「ホント?」

「ホント」


 真綾がコクリと頷いたとたん、フローリアンはパアッと顔を輝かせた。

 世の中には、異性を指した場合、「私の友達」という言葉が「私の恋人」という意味に取られる国もある。これで真綾が下手に「彼は私の友達です」などと言っていたら、ひょっとするとフローリアンの表情は、今と違ったものになっていたかもしれない。真綾は選択を誤らなかったのだ……まあ、この国がそうであるとは限らないし、謎の翻訳システムが上手く処理してくれるかもしれないが……。

 フローリアンの反応を見て、自分にも一般女子のような会話が可能である、などと調子に乗った真綾が、ここで――。


「好きなの?」


 ――と、初球から直球ど真ん中にぶん投げた。

 世の女子たちがやっているという、恋バナに花咲かせるってやつを、彼女は常々、やってみたいと思っていたのだ……。


「えっ!?」


 いきなりの剛速球に驚いたあと、フローリアンはミルクのように白い肌を見る見る薔薇色に染め、やがて、コクリと恥ずかしそうに一度だけ頷いた。


『ストライーク! 真綾様、ナイスピッチングでございます! ――ああ、フローリアン様、なんて初々しい……。これぞ恋する乙女のお顔でございますね』


 ……などと大はしゃぎの熊野をよそに――。


「あのね、ボクがレオンハルトと出会ったのは――」


 フローリアンは語り始めた。

 幼いころ、実家の城を脱走し近くの森をひとりで探検していた時に、たまたまレオンハルトと出会い、わずかな時を一緒に楽しく過ごしたこと。

 深い青の瞳をキラキラと輝かせ英雄譚を語る彼の姿が、一緒に心の底から笑い合った宝石のような時間が、それからずっと忘れられなかったこと。

 帰ってレオンハルトのことを話したとたん、ノイエンアーレ家当主でもある母親が顔色を変え、あの森へ行くことも彼の話をすることも、強い口調で禁じたこと。

 それから数年が経ち、学院に入学したことで再会を果たせたものの、彼はフローリアンのことを家名でしか呼ばず、ずっと冷たい態度を取っていたこと……。


「――でもね、レオンハルトが変わっていないのはボクもわかってたんだ。……孤児院の子たちと遊んだり、食べ物をあげたり……。孤児院の子たちに聞いたんだけどね、この前なんか、さらわれた子を助け出すためにリントヴルムを召喚して、人さらいの馬車を追いかけていったらしいんだよ、市内で勝手に召喚なんかしたら罰を受けるのに。……今でも彼の中身は、英雄に憧れていたころの優しい少年のままなんだ……。強くて面倒見がいいから、ヤンチャな人たちからも慕われてるしね」


 そこで一度、クスッと笑ってから、ふたたび話し始めるフローリアン。


「……今日、彼が久しぶりにボクの名前を呼んでくれたんだよ、あの時みたいに。それから、ボクのことを『親友』って言ってくれたし、笑い合えたし……ああ、今日はなんて素敵な日なんだろう。これ以上望んだら神罰が下っちゃうよ……」


 心の底から幸福そうな笑顔だというのに、どこか儚げに見えるのは、雲の影が落ちたせいだけなのか……。

 すると、それまで黙って話を聞いていたエーリヒが、おもむろに口を開いた――。


「……これは、前皇帝ファビアン陛下の御世の話じゃが……。あるところに、農家の娘と恋仲になった青年貴族がおった。――ああ、この場合の貴族は貴族家の一員という意味ではないぞ、自身が守護者を得ておる本物の貴族、つまり、いずれは当主の座を継がねばならぬ者じゃ。……当然ながら彼の父親は身分違いの恋に猛反対したが、どれほど叱られようとも彼は頑として折れない。……ついには激高した父親によって勘当され、青年はその娘と共に、どこへともなく消えていったのじゃ……」

「そんな……。そのふたりは、その後どうなったんでしょう……」


 エーリヒの昔語りに思うところがあったのか、我が事のように沈痛な表情をしたフローリアンは、ひとりごとを言うように尋ねた。


「うむ、その後ふたりは、ずいぶんと苦労をしたようじゃな……。しかし、いかなる困難があろうとも、ふたり手を携えて乗り越え、常に互いを思いやり、やがて、慎ましくも幸福な生活を手に入れたそうじゃ……。ふたりの愛は本物であったし、妻となったその娘も、下手な貴族などよりずっと素晴らしい人物だったのじゃな。……青年の父親は後年そのことを知り、己が不明を死ぬほど恥じたらしいぞ」

「よかった……」


 ハッピーエンドを聞いて胸を撫で下ろしたフローリアンに、なおもエーリヒは語り続ける。


「代々ノイエンアーレ伯を務めるノイエンアーレ家と、となりのグラーフシャフト伯領を治めるランツクローン家が、昔から不仲なのは有名じゃが、レーン宮中伯の麾下同士でつまらん意地を張り合うなど愚の骨頂よ。そんなもののせいで若いふたりが胸を痛めるのも悲しい話じゃ……」

「エックシュタイン先生……」


 急に話を変えたエーリヒを驚いたように見つめるフローリアンの顔から、雲の影が徐々に退き始める。


「くだらぬ諍いなど、お前さんたちの代で終わらせてやればよい。どうせ人生は障害だらけじゃ、身分の違いだの家同士の仲だのは些末なことよ、要は自分たちがどうしたいかと、その気持ちが本物かどうかじゃわい。――あとは、想い合う者同士で力を合わせれば、そのうちなんとかなるやもしれぬぞ」

「はい!」


 片目をつむって締めくくったエーリヒに、元気よく返事するフローリアン。花のようなその顔を、晩秋の陽光がやわらかく浮かび上がらせていた。

 太陽は雲を抜けたらしい。


『反目し合う家の子同士の恋……。まるでシェイクスピアが書いた戯曲のようなお話ですね。さすがはエーリヒ様、修道僧ロレンスもかくやという見事な助言をなさいました、これでフローリアン様もお気持ちが晴れたことでしょう』

(やったるで)


 エーリヒを賛辞する熊野の声が脳内に響くなか、なぜか鼻息も荒く意気込む真綾……。

 恋に悩む友達へ気の利いた言葉を贈るという、世の女子たちがやっているソレを、これから彼女は実行しようというのだ。……そう、彼女は一般女子の仲間入りを果たした……いや、恋愛上級者にでもなったと、スッカリ錯覚しているらしい。脳内の大半を食べ物が占めているくせに……。


「行けばわかるさ」


 偉大なプロレスラーの名言の一部をなんの脈絡もなく言って、無表情のままビシッとサムズアップする真綾……恋愛上級者が聞いて呆れる。

 そんな彼女を見て、「え……」などと呆気に取られていたフローリアンだったが、すぐに天真爛漫な本領を発揮し――。


「うん、ありがとうマーヤ、ボク、頑張るよ!」


 ――秋薔薇よりも鮮やかに笑うと、ビシッとサムズアップして返したのであった。

 こうして、エーリヒと真綾が無責任に焚きつけたことにより、レーン宮中伯麾下の八伯と呼ばれる伯爵家のうち二家に、後年、前代未聞の大騒動が起こるのだが、それはずっと未来の話――。




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