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第七四話 エーデルベルクの薔薇 一七 音無しの剣


『あらあら、レオンハルト様もこちらにいらしたのですね~。……はっ!? こ、これは、〈運命に引き裂かれた男女が心ならずも刃を交える〉という、あの展開ではございませんかっ! アリです!』


 何がアリなのか……。なぜか興奮気味な熊野の声が、真綾の脳内に響き渡った。

 そんな彼女をよそに、真綾はレオンハルトの構えに感心している最中だ。


(カニカマとカニくらい違う。…………身の詰まったカニ足おいしい。……でもカニカマはカニカマで……)


 彼女の特殊な脳内に浮かんだ言葉を常人にもわかりやすく翻訳すると、つまり、今まで戦っていた学生たちと違い彼の構えには隙がない、ということである。たぶん……。


『あらあら。それでは、質素になってしまった今日のご昼食に、茹でたカニ足でもお付けいたしましょう。そのままでもおいしく召し上がっていただけますが、タレとして、カニ味噌、ワサビ醤油、カニ酢、それから……パンにも合うように、レモンバターソースやマヨネーズソースもお出しいたしますよ』

(神……)

『それにいたしましても……。本来なら騎乗しての刺突だけに使われるランスを、剣のように構えていらっしゃるところを拝見いたしますと、レオンハルト様はリントヴルム並みのお力に物を言わせて、突く、打つ、払うの三拍子揃った武器として使うおつもりなのでしょうね。……やはり、守護者を持つ貴族という存在は、常識では計れないということですか』


 熊野の言うとおりだとして、桁外れに長く総鉄製であるがゆえ重い竜騎士用ランスを、リントヴルムの剛力で振るえば、その破壊力はどれほどになろうか……。


『――さて真綾様、レオンハルト様はあのようにおっしゃいましたが、いかがなさいます? さすがにここで手を抜くというのも、レオンハルト様のお心意気を考えますと、申しわけないような気がいたしますが、かといって、真綾様が全力をお出しになってしまいますと……』

(ちょっと本気出してみます、召喚転移や没収とかは使わず【強化】だけで)


 能力を制限した時点で本気と呼べるかどうかはともかく、レオンハルトへの対処方針を尋ねてきた熊野に、真綾はいつもよりほんの少しだけ長めに答えると、手にしていた木刀を【船内空間】へ再収納した。

 その代わりに彼女が取り出したのは――。


「なんだ、あの剣は……」


 息を殺して成り行きを見守っていたイグナーツが、刀身長だけで一九〇センチメートルを超える大太刀、〈鬼殺し青江〉を目にしたとたん、呆れ声でつぶやいた。

 レオンハルトの長大なランスに対し、真綾はこの大太刀で戦おうというのだ。しかし――。


「アニキ、大丈夫ですか?」

「……ああ、なんとか生きてる……。お前は?」

「右腕をやられました。――それよりアニキ、やつが出したあの剣、あれだけ長いうえに、なんか、やたらと斬れそうな雰囲気なんですが、ヤバくないですか?」

「いや、剣が相手なら、ランツクローンさんのほうが有利だ――」


 心配そうな顔でコッソリ近づいてきた舎弟が、長大な剣へ畏怖の視線を送りながら問いかけてくると、イグナーツは自信ありげに答え始めた。


「――たしかにあの剣は異常に長いが、それでも、ランツクローンさんのランスのほうがはるかに長い。そのうえ、剣で鉄製のランスを斬ることは不可能だし、それどころか、下手に打ち合えば剣は折れてしまうだろう。つまり、ランツクローンさんの遠間からの一方的な攻撃を、やつはひたすら避け続けるしかない」

「なるほど、重いランスを軽々扱えて動きも速いランツクローンさんなら、敵の接近を許すこともないでしょうし」


 解説キャラと化した兄貴分の言葉に、感心した様子で何度も頷く舎弟。

 ――そう、長物を相手に剣で戦うというのは、もともと圧倒的に不利なのだ。そのうえイグナーツたちの言葉どおり、六メートルもの鉄製ランスを人外の力で振るわれては、横からの衝撃に弱くリーチも短い剣に勝ち目はないだろう。

 にもかかわらず、中段に構えた真綾と対峙しているレオンハルトは、心の内で舌を巻いていた――。


(エックシュタイン先生との戦いで腹いっぱいになってたら、とんだ極上ワインが出てきたな。コイツ、……魔物のくせに、なんてきれいな構えだ。まったく隙がない……)


 レオンハルトの額に汗が浮かぶ……。いかに相手が隙のない構えをしていようと、一方的な攻撃で粉砕できるはずなのに、不思議と彼は、自分が追い詰められているような気がしてならないのだ。


(……それにこの、エックシュタイン先生より凄まじい威圧感。……へっ、グラーネが怯えてやがる、こんなの何日ぶり……そう言えばコイツ、今、何もないところから剣を出したな。……この威圧感と、何かを出現させる能力、これじゃまるで……いやいや! そんなことがあるはずがない! 集中だ集中!)


 脳裏に浮かんだ美貌を慌てて打ち消し、戦いに集中していくラインハルト。

 お互い長大な得物を構えたままの静かな攻防は、それからどれくらい続いただろう。

 やがて――。

 流れるような足捌きで動き続けていた真綾が居着き、大太刀の切っ先がピクリと動いた。


(今だ!)


 その好機を見逃さず、レオンハルトは一気に仕掛ける!

 彼が選んだのは、予備動作もなく最速で相手に届く技。足に込めた力を爆発させ、避けられることなど考えず、一撃にすべてを賭けてランスを突き出した!

 リントヴルムの剛力で射出されたレオンハルトにとって、ランス先端から真綾までの距離など無きに等しい。銀色の尾を真っすぐに引いたランスが一瞬で真綾の喉を貫く! ……はずであった、が――。


 トン。


 ――延髄に当てられた冷たい鋼の感触に、レオンハルトは己の敗北を悟った。

 残像を置いてゆくほどの速度で斜め前方へ踏み込み、突きを躱して彼の背後を取った真綾が、勝負あったと言わんばかりに、刀の棟を彼の首の後ろへ置いたのだ……。

 そう理解できたのはレオンハルトぐらいで、イグナーツたちは目の前で何が起きたか全然わからず、ただただ呆けたように目を丸くしている。


「ア、アニキ、いったい何が……」

「……わからない。……速すぎて、まったく見えなかった……いや、それどころか、打ち合う音すら聞こえなかった……」


 江戸時代末期の剣客、高柳又四郎は、相手の竹刀を己の竹刀に一度も触れさせることなく勝利したという。ゆえに人々は、打ち合う音が聞こえない彼の剣を、〈音無しの剣〉と呼んだ。

 ――総鉄製ランスと強く打ち合えば、刀は折れてしまうかもしれない。ならば、打ち合わなければいいだけだ。わざと隙を見せて攻撃を誘い、相手の技の起こりを察し、打ち合うことなく瞬時にこれを制する――。

 この時、真綾が使った剣は、まさに、〈音無しの剣〉と呼ばれるものであった。


「……俺の完敗だ、好きにしろ……」


 足を止めて猿臂を伸ばした姿勢のまま、レオンハルトは潔く敗北を認めた。

 見せ場は? などと言うなかれ、強者同士の本当の戦いとは、かくも呆気なく、エンターテイメント性に欠けるものなのだ。


「そんな……」

「あのランツクローンさんが、負けたでゲス……」

「こんなアッサリ……」

「僕たちはもう、終わりブヒ……」


 イグナーツたちだけでなく、他のランツクローン派や吊るし大根たちまでが、ひとり残らず絶望的な表情を浮かべて、このあとに起こるであろう惨劇を想像し始めた――その時!


「!?」


 レオンハルトの斜め後ろに立っていた真綾が、急に飛びすさった!

 それと入れ替わるように、今まで彼女の立っていた地面にダガー(諸刃の短剣)が突き刺さる!

 ダガーの角度から、投擲された位置は真綾の上方、つまり空中であると特定した熊野だったが、それを彼女が伝えるより早く真綾は交戦状態に入っていた……いや、入らざるをえなかった。

 ダガーを避けて飛びすさった先の地面に足が着いた瞬間、なぜかとっさに身を捻り大太刀を構え、そこに真綾は見たのだ……。

 常人には入ることのできないスローモーションのような世界で、自分の顔面目掛けて横殴りに急接近してくる物体と、それを振るう者の、明るいグレーの瞳に危険な光を宿した可憐な顔を。


 ガキンッ!


 その刹那、真綾の顔を襲う物体と〈鬼殺し青江〉が、硬質な音を響かせ火花を散らしてぶつかり合った!

 そのまま後ろへ八メートル近くも吹き飛ばされ、すかさず〈鬼殺し青江〉を構え直した真綾の脳内に、いつになく真剣な熊野の声が……。


『危ないところでした……。わたくしは武器を強化するすべを持ち合わせておりませんので、相手の武器強化などの魔法を無効化したあとは、ただの武器同士の物理的な勝負になってしまいます。……真綾様でなかったら、あの武器と打ち合った〈鬼殺し青江〉は折られていたかもしれません』


 ……そう、真綾が正確に刃筋を立てて受け、わざと後ろへ飛ばされることで衝撃を逃していなかったら、熊野の言うとおりになっていたかもしれない。

 無論、〈鬼殺し青江〉を折られ攻撃を喰らっていたとしても、戦艦並みの防御力を誇る真綾はノーダメージだったであろうが、彼女の剣士としての矜持というものを熊野は慮ったのだ。


『……それにいたしましても、総鉄製のメイス、それもあんなに大きいものとは……。これもギャップ萌えというものでしょうか、まさに撲殺天使……』


 最後のあたりは意味不明ではあるが、熊野の言葉どおり、襲撃者の手にあるのはメイスと呼ばれる殴打用武器、それも、長さ一メートル強はある柄の先端にスパイク付きの異常に太い円柱を備えた、総鉄製の飛びきり凶悪なやつであった。

 そして、その凶悪なシロモノで真綾を襲ったのは、アッシュブロンドの髪に赤い鉢巻きが映える――。


『……本当に驚きました。あの時のお嬢様もいらしたのですね』

(アッと驚く為五郎……)


 ――為五郎ではない、フローリアン・フォン・ノイエンアーレである。

 そうやって熊野と真綾が驚いている一方、真綾に一撃を加えノックバックさせたたフローリアンは、追撃するよりも先に、レオンハルトを庇うような位置へスッと入ると、真正面から真綾を見据えたまま、背後の彼へ心配そうな声をかけていた。


「レオンハルト、大丈夫?」

「フロー……、ノイエンアーレ。……ああ、俺は無事だ」

「よかった……。きみは少し休んでね、アレはボクたちが相手するから」


 苦いものでも飲んだような声でレオンハルトが答えると、小さく安堵の息を漏らしたフローリアンは、メイスを握る両手に力を込めた。

 すると、あの怪物が吹き飛ばされたことに目を丸くしていた吊るし大根たちが、ここへ来てようやく、一斉に声を上げ始める。


「フローリアン様!」

「フローリアンたま!」


 その声援を華奢な背中に浴びながら――。


「本気でいかせてもらうよ」


 ――フローリアンは前に出た。




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