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第七三話 エーデルベルクの薔薇 一六 サラマンダーと炎の剣


 紅蓮の炎が真綾の上半身を包み込む。

 火を司る精霊による炎のブレスが――。

 ベイラの吹雪がそうであったように、サラマンダーの吐く炎のブレスは物理現象ではないし、また、単に〈炎を発生させる〉という魔法の結果でもない。この炎自体が、〈攻撃対象を焼き尽くす〉という魔法そのものなのだ。

 そのため、酸素のない水中でさえ問題なく相手を焼き殺せるという、極めて恐ろしい地獄の業火である。

 もちろん、相手が真綾でなかったならば――。


「そんな、馬鹿な……」


 サラマンダーが炎のブレスを吐き終えた時、炭化した敵の姿を想像していたイグナーツは目を見張った。

 漆黒の魔人は立っているではないか、まるで何ごともなかったかのように……。


『どこか一部でも危険温度になったら、炎を【船内空間】へ収納しようと思っておりましたけど、どうやら杞憂だったようですね、身に着けたものの表面に張ってある【強化】結界を、今の火炎魔法はどうすることもできませんでした。角のおリボンも健在でございますよ』

(モフモフが危なかった……)


 真綾の脳内に熊野が落ち着いた声を響かせる一方、モフっていたラタトスクを間一髪で収納した真綾は、内心、冷や汗をかいていた。モフるのに夢中でサラマンダーどころではなかったらしい……。

 こうして呑気に脳内会話する彼女らと違い、現状の最強攻撃魔法たるサラマンダーのブレスを完封され、ランツクローン派のほうは目に見えて動揺していた。


「サラマンダーの炎が!」

「まったく効いてないでゲス!」

「ア、アニキィ!」

「クソッ! もう一度だ! 今度はやつを焼き尽くすまでブレスを吐き続けろ!」


 イグナーツに再攻撃を命じられたサラマンダーが、ふたたび炎のブレスを吐こうと口を開き――。


 プチッ。


 突如として出現した信楽焼の大狸に押し潰された……。

 この大狸、熊野丸建造の折、当代随一と呼ばれた信楽の名工が……まあいい。とにかく、真綾が大狸を【船内空間】へ再収納したあとに、サラマンダーの姿が影も形もなくなっていたのは、もはや言うまでもない。


「……よ、よくも俺の守護者を!」

「ア、アニキィ、どど、どうしましょう?」

「うろたえるな! ――いいかみんな、一見すると炎のブレスが効いていないように見えるが、やつの硬い外殻の内部は深刻なダメージを負っているはずだ。あともうひと押しで必ず倒せる! それに、制限なく何もかも一瞬で消滅させる能力があるはずはない、サラマンダーだけ残ったところを見ると、おそらくやつの能力は、自分の体に触れた〈男爵級〉守護者を数体消すことと、せいぜいあの妙な物体を出すことだ。つまり、人間である俺たち自身が一斉にかかれば問題ない!」


 サラマンダーの呆気ない最期を目の当たりにして腰の浮き始めた舎弟を、厳しい口調で叱咤したイグナーツは、彼なりに分析した敵の能力と勝機があることを皆へ伝え、奮起を促した。


「――それに、俺にはまだ、これがある……」


 そう言ってイグナーツが静かに集中すると……驚くべきことに、彼のロングソードの刀身が炎に包まれたではないか!

 ワイバーンやリントヴルムの【毒付与】同様、守護者の多くは固有の加護を持っている。今、彼の使ったこれこそが、サラマンダー固有の加護、【炎付与】なのだ。


「……よし、これでこの剣は斬った相手を焼き尽くす〈炎の剣〉だ。――いいかみんな、正面は俺に任せてお前らは死角を狙え! これから一斉にかかるぞ!」

「オオッ!」


 イグナーツの分析を理解し炎の剣を目にしたことで、再び気勢を上げるランツクローン派。

 その一方、熊野と真綾は、相変わらず緊迫感を欠いた脳内会話中である。


『まあっ! 真綾様、炎の剣でございますよ! 小説の挿絵で見たものとソックリでございます!』

(花ちゃんが好きそう)

『そうですね~、花様はこういうのがお好きですものね~。――さて真綾様、これからいかがなさいますか? ここは手っ取り早く、皆様の武器を【船内空間】に没収いたしましょうか?』

(いいえ、普通にチャンバラしたいです)


 予想外な……いや、ある意味予想どおりの答えを、フンスと鼻息も荒く熊野に返す真綾。どうやら彼女の中で、このシチュエーションと時代劇のクライマックスシーンが重なり、すっかりスイッチが入ってしまったらしい。

 ……と、いうわけで、真綾は【船内空間】から一本の木刀を取り出すと、雪夜を思わせる静かさで中段に構えた。あえて真剣を使わず木刀(小学校の修学旅行先で購入)にしたのは、乱戦の中でうっかり殺してしまわぬようにとの、彼女なりの心遣いである。

 しかし、もともとランツクローン派は血の気が多い者の集まりだ――。


(木剣だと!? クソッ! 魔物のくせに俺たちを舐めやがって!)


 真綾の心遣いが彼らの自尊心に火をつけてしまった。


「うおおおお!」


 ――と、最初に踏み込んだのは誰だっただろう、彼からほんのわずかに遅れ、他の学生たちも作戦どおり、ある者はロングソード、またある者はショートスピアと、それぞれ得意の武器を陽光に閃かせて真綾に襲いかかる。

 だが……。


「ガハッ!」


 最も接近していた者に、真綾が見事な抜き胴を決め――。


「あっ!?」

「クソッ!」


 ――そのまま風のように抜けたことで、いとも簡単に包囲は崩れた。

 あとはヴァイスバーデン代官の兵と戦った時と同じだ。居着くことなく常に位置を変え精妙巧緻な剣技を使う真綾を前に、ある者は出小手を打たれ、ある者は胸突き(現代の剣道では有効打突として認められていないが……)を決められと、ランツクローン派は見る見る数を減じていった。

 たかが土産用の木刀と侮るなかれ、打ちどころによっては命取りになるほどの威力がある。相手の首から上を真綾が狙わない理由はそのためだ。


(……な、なんだこのバケモノ……魔物のくせに剣技を使うなんて、まるで守護者じゃないか……しかも、恐ろしく強い!)


 仲間が次々と打ち倒されてゆくなか、攻撃の糸口さえ見つけられぬまま、イグナーツは戦慄することしかできなかった。

 ……気がつけば、地面にうずくまり呻き声を上げる仲間ばかりで、立っているのは自分ひとりだけではないか……。

 しばし愕然としたあと、彼はギリッと音を立てて歯を食いしばった。


(クソッ、バケモノめ……。だが、俺は貴族、それも城伯だ! 男爵たちと同じだと思うなよ!)


 ついに覚悟を決め、諸手で大上段に構えるイグナーツ。


「ウラアァァァァッ!」


 一気に間合いを詰めた彼は、そのまま裂帛の気合いを込め、真綾の頭へ炎の剣を振り下ろした!

 しかし――。


「ゴフッ!」


 スッと真綾が繰り出した諸手胸突きにより、イグナーツの体は、いとも簡単に後ろへ吹き飛んだのであった。

 打つべき機会を見定めもせず、技の起こりを丸出しにして、ただ闇雲に放った素人同然の打突が、あの真綾に届くはずないのだ。

 主の手から離れ炎を失ったロングソードが、虚しい音を立てて地面に転がる……。


「カ……カハッ……」


 その横では、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたイグナーツも、胸を押さえて地面に転がっていた……のだが、やがて、涙で滲む彼の視界に信じられない光景が映った。


(……ま、まだやれって言うのかよ……)


 イグナーツが愕然とするのも無理はない、彼の傍らに転がるロングソードを、漆黒の魔人が木刀の先で指しているのだから……。まるで、「それを拾って立ち上がれ」と言わんばかりに……。


「クソッ……」


 イグナーツは一度毒づいたあと、痛む胸を左手で押さえながらもロングソードを拾い、震える膝に力を込めてフラフラと立ち上がった。

 ほどなく、右手で構えたロングソードの刀身が、ふたたび炎に包まれる。ランツクローン派の名を汚すわけにいかぬという彼の意地を、まるで具現化したように。


「ウオオオッ!」


 そのまま腹の底から咆哮を上げながら、片腕一本で炎の剣を突き出すイグナーツ!

 だが……。


「ガッ!」


 稲妻のような勢いで小手を打たれ、彼の手から、またも炎を失ったロングソードが滑り落ちるのだった。


(て、手が、右手が痺れてやがる! 骨にヒビでも入ったのか……。クソッ、このバケモノめぇ――)


 なんとか立ったまま、震える右手を左手で押さえ激痛に生汗を浮かべるイグナーツ……だったが、彼の受難はまだ終わらない。


「え……」


 彼の瞳に、落ちているロングソードを木刀の先で指す漆黒の魔人が、悪夢のように映っていた……。

 先日エーリヒに暴言を吐き、双子を泣かせたイグナーツのことを、真綾は忘れていなかったのだ。


「そんな……」


 呆然と膝から崩折れるイグナーツ……。彼の心がポッキリと折れた瞬間であった。


『あら、どうやら戦意を喪失されたようですね。なんと痛ましい……あ、そうです真綾様、【船内空間】に収納したカラドリオスさんに、こちらの学生さんの治療をお願いしてはいかがでしょう? そうしたら何回でもチャンバラごっこが楽しめますよ』

(採用)


 鬼か……。

 日本に古くから伝わる話によると、地獄の亡者は苛烈な責め苦を与えられて死んだあとも、風が吹くと生き返り、また同じ苦しみを受けなければならないという……。

 真綾の脳内で採択された熊野案により、今まさに地上で地獄が再現されようとした、その時である――。


「ようイグナーツ、俺が軽く眠っちまってた間に、ずいぶん楽しそうなことになってるじゃないか」


 いささか緊張感に欠ける……しかし、どこか危険なものを内に秘めた声が、真綾たちとそう遠くない場所から聞こえてきた。


「ランツクローンさん!」


 声の主を見上げたイグナーツの顔に、たちまち生気がよみがえった。そこに彼が見たものは、長い竜騎士用ランスを軽々と肩に担ぎ深い青の瞳をギラギラと輝かせている、レオンハルトの姿だったのだ。

 日本風に言えば「地獄で仏」といった表情のイグナーツに、ニヤッと笑ってみせたあと、真綾のほうへ顔を向けるレオンハルト。


「あんた、俺の仲間たちがずいぶんと世話んなったようだな、ついでに俺も遊んでくれると嬉しいんだが……ああ、そんな棒っきれじゃなく、せめて、そこらに転がってる剣にでもしてくれよ、本気のあんたと殺り合ってみたいんだ」


 漆黒の魔人が真綾だとも気づかず語りかけていた彼は、彼女の手にしている木刀をアゴで指してから、最後に不敵な笑みを浮かべた。




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