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第七二話 エーデルベルクの薔薇 一五 漆黒の魔人と吊るし大根


 ノイエンアーレ派が対岸の森に入ってから、半時間ほど経ったころだろうか。


 ぎゃあぁぁぁぁぁ…………。

 うわあぁぁぁ…………。

 ブヒィィィィ…………。


 次に通りかかった川船を接収しようと、ランツクローン派の面々が川辺で待ち構えていると、突然、対岸の森から悲鳴のようなものが聞こえてきた。


「アニキ、聞きましたか!? に、人間の悲鳴みたいでしたが……」

「ああ、一度に複数の悲鳴が聞こえたってことは、どうせノイエンアーレ派の連中が返り討ちに遭ったんだろうよ。エックシュタイン先生が地上に手を出さないって言った以上、敵は大将ひとりだけのはずだからな」

「あーなるほど、たしかにアニキの言うとおりですね。情けないやつらだなあ」


 舎弟とイグナーツの会話からもわかるように、この時点におけるランツクローン派は、皆、余裕ブッこいていた。

 なぜか? それでは、他の学生たちの声にも耳を傾けてみよう――。


「ケッ、抜け駆けした結果がこれかよ、無様にもほどがあるぜ」

「まったくそうでヤンス、城伯ひとり相手に六人がかりで返り討ちに遭うって、ノイエンアーレ派はホントに口ばっかりでゲス。……悲鳴の中に豚の声も交じっていたから、あいつもやられたんでゲスなあ、憐れな豚でゲス」


 ――お気づきだろうか? 今の会話の中に、城伯という言葉があったことを。

 つまり彼らは、エーリヒ・フォン・エックシュタインの名が大きすぎるあまり、エーリヒから大将役を任せられた人物について深く考えようともせず――。


(さすがに男爵ということはなかろうが、伯爵に言われてこの程度の用事を引き受けるのだから、どうせ敵大将は城伯に違いない)


 ――と、勝手に思い込んでしまっていたのだ。しかし……。


 ぐえぇぇぇ…………。

 イダイイダイイダイ…………。

 ギィェェェェ…………。

 ごっ、ごろぢで……ヒィッ、ブヒィィィ…………。


「…………」


 断続的に響き続ける悲鳴を聞いているうちに、顔色が青ざめてゆくランツクローン派の面々。

 それでも、間に川を挟み対岸の森と距離のあった彼らはまだマシだ。森のすぐそばで待たされていた商人たちの恐怖ときたら、それはもう生半可なものではなかった。


「だだ、旦那、申しわけねえが、もう船を出させてもらいますぜ」

「そ、そうでさあ、あれは相当邪悪な魔物に襲われた悲鳴に違いねえ。旦那、命あっての物種ですぜ」

「まっ、待て! 坊っちゃんの家には贔屓にしてもらっているんだ、もう少し、もう少しだけ待ってくれないか?」


 悲鳴を聞いて顔を青くした船頭や水夫たちが、一刻も早くこの場を立ち去ろうと騒ぎ始めるのを、商人は必死に押し留めようとしていたのだが、そんな彼の耳に、ナイスタイミングで――。


「待たせたブヒ……」


 ――件の坊っちゃんの特徴的な声が聞こえてきた。……すぐ近くから。

 

「ああ、坊っちゃん、よかっ――」


 ホッとした様子で後ろを振り返り、商人はギョッとした。

 自分のすぐ目と鼻の先に、死人のごとく蒼白なぽっちゃり顔があったのだ、しかも不思議なことに、縦ではなく水平の状態で……。

 さらには――。


 ヌウゥゥ……。


「ぎ、ぎゃあああああ!」


 そのぽっちゃり顔が目の前で上昇を始めるに至り、商人の理性は限界を迎えたのであった……。


      ◇      ◇      ◇


 対岸で起きていることを声もなく見守る、ランツクローン派の面々。

 最初のうち、自分たちが何を見ているのか理解できなかった彼らは、川船の商人や水夫たちが悲鳴を上げるのと同時に理解した。

 どうやら、何かを先端から吊るし水平に突き出されていた長い棒が、柱のごとく垂直に起こされたようなのだが、そうやって高く掲げられる形になったことで、吊るされているモノが何なのか明らかになったのだ


「……ア、アニキ、あれって……」

「……ああ、ノイエンアーレ派の連中だ……」


 ……そう、ようやく声を出した舎弟とイグナーツの言葉どおり、四メートルはあろう長い棒の先から、すだれ状に横向きの姿勢で吊るされているのは、間違いなく、ノイエンアーレ派の変わり果てた姿である。

 ツッコミ職人の火野照子がこの場にいたならば、迷わず言ったであろう、「吊るし大根か」、と……。


「アニキ、あれはむごい……」

「さすがに憐れだな……」

「エゲツねぇ……」

「人間のすることじゃないでゲス……」


 ――などと、六本の吊るし大根を見てドン引きするランツクローン派だったが、それを吊り下げている棒を持つモノが川船に乗り込み、その全貌をようやく現したことで、にわかに騒然となった。


「アニキ! アレ、魔物じゃないですか!? で、でも、この辺りに強い魔物はいないはずなんじゃ……」

「たぶん、どこかの魔境から流れてきたんだろう。……ノイエンアーレ派の連中、敵の城へ着く前に、流れの魔物と遭遇しちまったのか……」

「チッ、運の悪い連中だぜ……。あの魔物、〈伯爵級〉の巨人にしちゃずいぶんと小さいが、遠目にもヤベェ感じがプンプンしやがる……。〈城伯級〉だったとしても上位だろうぜ」

「見るからに強そうなやつでゲス……」


 彼らの対岸に浮かぶ川船の上、人間六人の吊り下がる棒を片手で軽々と持つソレは、腰を抜かしている商人との対比だと小型の巨人にも見え、頭の両側から巨大な角が生えた漆黒の魔物……もちろん真綾である。


 ……そう、自分の姿を見るなり算を乱して逃げ始めたノイエンアーレ派を、彼女は一瞬で叩きのめしたあと、彼らの両肩を外して回ったうえ素早く縛り上げ、デコピン、しっぺ、梅干し(グリグリ攻撃)、モミアゲを引っ張り上げる、果てはミカンの皮を眼球の前で潰しての汁攻撃など、残虐の限りを尽くした挙げ句、近所のおばあちゃんたちを手伝った時の要領で、最後は吊るし大根にしたのであった……。

 それら悪魔のごとき所業が、相手の心をへし折ることに知恵を絞った熊野の指示であることは、もはや言うまでもない。


 その悪魔の片腕がゆっくりと上がり、対岸にいるランツクローン派のほうを指差すと、人形のようにカクカクと頷いた商人と船頭は、立木につないであったもやい綱を水夫に解かせ、さらには帆を張らせる。

 すると、なんということだろう……。


「ヒィィッ! こっちに来るみたいでゲス!」


 悲鳴を上げた出っ歯学生の言葉どおり、ほどなく帆いっぱいに北西の風をはらんだ川船は、仁王立ちした真綾を乗せたまま、川を遡上する形で彼らランツクローン派のいる岸へと接近し始めたではないか。


「ア、アニキッ! ど、どうしますか!?」

「うろたえるな! ちょうどいいじゃないか、ここで俺たちがあの魔物を倒したら、ノイエンアーレ派より俺たちのほうが上って証明になる。――おいみんな、ランツクローンさんの戦いを思い出せ! 俺たちがあの黒いやつを倒すぞ!」

「オオッ!」


 最初は腰の引けていた学生たちも、イグナーツが鼓舞すると、レオンハルトの奮戦を脳裏に浮かべ、得物を握る手に力を込め気勢を上げるのだった。

 このように意気盛んなランツクローン派が待ち構えるなか、やがて川船は岸に到着し、真綾を降ろすや否や逃げるように川を下ってゆく。

 そんな、九死に一生を得た思いであろう商人たちを背に、真綾は川べりの平地を数歩進んだあと、吊るし大根のぶら下がる棒をザクリと地面に突き刺した。

 すると、対岸にいた時よりもはるかに距離が近くなったことで、吊るし大根たちの呻き声がランツクローン派まで聞こえてくるではないか――。


「……タ……ス……ケテ……」

「……ウウ……」

「ア、ア、ア、ア、ア……」

「……ごろぢで……ブヒ……」


 憐れ……。

 さんざん真綾にいたぶられ心を折られた挙げ句、今こうしている間も、ロープで縛られた部分に全体重がかかり、吊るし大根たちを苛み続けているのだ。彼らの呻き声はモノホンであった。

 ちなみに、あの色白ぽっちゃり系学生などは、なまじ【治癒】などという能力があるために、肩を外されては涙ながらに自分で治し、また肩を外されては……ということを幾度も繰り返した末、とうとう治すことを放棄していた。……まさに生き地獄。

 その一方、亡者のごとき声を耳にするなり、青ざめてゆくランツクローン派の面々。


「ア、アニキィ、あいつら、まだ生きて……いや、生かされてますよ……」

「……ああ、ひと息に殺すんじゃなく、わざわざこうやって手の込んだことをしてるんだ、あの黒い魔物、相当に知能が高い、しかも、人間の苦痛や恐怖を糧にするタイプに違いない。まったく邪悪なバケモノもいたもんだ……」

「マジでエゲツねぇバケモンだぜ……。それに、巨人族じゃないにしてもデケェ図体してやがる、なんてデケェ……」

「……き、きっと、ああやって心ゆくまで苦痛と恐怖を搾り取ったあとで、頭からバリバリ食うつもりに違いないでゲス……。極めつき邪悪な魔物でゲスよ、あの、でっかい図体をした大食らいのバケモノは……」


 それ以上言うな……。

 相手の中身が十四歳の乙女と知らぬとはいえ、口々に禁句を吐き続けるランツクローン派。その一方、真綾の脳内では――。


『……真綾様、わたくし、全ボイラーの蒸気圧が……』

(…………)


 彼らの有罪が、静かに確定した。

 そんなこととは露知らず、派閥内でレオンハルトに次ぐ爵位のイグナーツが仲間たちを手招きして呼び集め、小声で作戦を伝え始める。


「いいか、しょせん相手は一体だ、全方位から一斉にかかれば必ず誰かの攻撃が届く。まずはやつを包囲して守護者に一斉攻撃させる、そうしたら必ず隙ができるはずだ、そこに俺たち全員で突撃すれば間違いなく仕留められる。戦いは数だってことを思い知らせてやれ」


 自信満々のイグナーツに無言で頷くと、仲間たちは各々の守護者を伴って散開し、やがて真綾を取り囲んだ。その数、イグナーツを含め八名。

 そして――。


「行け!」


 イグナーツの合図とともに、作戦どおり守護者たちが一斉に飛び出した!

 静かにたたずむ真綾へ全方位から襲いかかる、カラドリオス、ヴォルパーティンガー、ラタトスク、身長六〇センチほどの老人と幼児たち……。いささか迫力に欠ける絵づらではあるが……ともかく、守護者たちの爪や角、小さな前歯や短剣の先が、今、真綾に!


「え……」


 ――届いたかに思えた瞬間、守護者たちが忽然と姿を消すのを目の当たりにして、ランツクローン派は絶句した。

 ……そう、可愛いもの好きな真綾が〈ふれあい小動物園〉的集団を殺すはずもなく、ノイエンアーレ派の守護者をそうしたように、彼女は甲冑表面に触れた守護者たちを、片っ端から【船内空間】へ没収したのだ。しかも……。


「守護者が全部、消えた……だと!?」

「……いや、アニキ、よく見てください、やつの腕の中に俺のチューターが!」


 舎弟の言葉どおり、なんと、ラタトスクが一匹だけ真綾の腕の中でモフられているではないか! この状況でもカワイイ成分の補給を怠らない真綾の、なんと貪欲なことよ!


「くそう、なんて残忍なやつだ! ああやってチューターの恐怖を吸い取っ……あれ? 結構気持ちいいだって?」


 守護者の意識から知らされた事実に驚愕する舎弟……そう、プロモフリストのスペシャルテクニックにより、彼の守護者は今や夢心地なのであった。

 だがしかし、彼女は爬虫類愛好家ではない、つまり――。


「よし、貰った!」


 消されることなく敵への接近に成功したサラマンダーを見て、イグナーツが勝利を確信したのと、火を司る精霊の口から紅蓮の炎が吐き出されるのは、まったく同時であった。




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