第七一話 エーデルベルクの薔薇 一四 廃城に何かいる
徐々に地上へ降下するレオンハルトを、学生たちの歓声が迎えた。
「おい見たか! 俺たちのランツクローンさんはハンパないぞ!」
「はいアニキ! あのエックシュタイン先生と互角なんて、とんでもないことですよ!」
イグナーツと舎弟のように、興奮した様子で感想を語り合う者。
「ランツクローン!」
「ランツクローン!」
拳を突き上げ、レオンハルトの家名を連呼する者。
皆、伝説の竜騎士相手に敢闘したレオンハルトを称えこそすれ、力及ばなかったことを揶揄する者はひとりもいない。彼らが目にした空の戦いは、それほどまでに心打つものだったのだ。
やがて、レオンハルトが地上に降り立つと、学生たちは派閥の区別なく彼のもとに駆け寄っていった。
「ランツクローンさ――」
「イグナーツ! 何が起こった!?」
「えっ!?」
「あの人は最後に何をやったんだ!? お前は何を見た!?」
真っ先に駆け寄ってきたイグナーツの両肩を掴むなり、激しく揺すって問いただすレオンハルト。ついぞ理解できなかったエーリヒの技を、彼は是が非でも知りたくて仕方ないのだろう。
「……ああはい、えーと、エックシュタイン先生のリントヴルムは、まず――」
こうして、レオンハルトの質問を理解したイグナーツが、自分の見たままを語り始めると、聞いているうちにレオンハルトの目は大きく見開かれていった。
「……なるほど、そういうことか……。ははっ、……すげぇ、あの人はやっぱりバケモンだ! ――イグナーツ! すげぇぞ、エーリヒ・フォン・エックシュタインは!」
彼はすべてを理解したのだ。そして、自身も竜騎士であるがゆえに戦慄した。一時的に失速状態を作り出し相手の死角を取る、ということが、いかに危険で不可能な技術であるか知るゆえに。
――そのデタラメな技をやってのけた人物と、自分は今まで飛んでいたのだ――。
ガクガクと揺すられて戸惑うイグナーツをよそに、晴れやかな笑い声を上げるレオンハルトであった。
◇ ◇ ◇
川べりの平地が若い熱気に包まれていたのは、いったいどれほどの時間だっただろう。エーリヒとの空中戦で精根尽き果てていたレオンハルトは、興奮状態が収まったとたん、清々しい表情のまま地面に大の字で寝転んだ。
「……わりぃ、俺はもう腹いっぱいだ。あとはお前らでやってくれ」
「はい! ランツクローンさん、お疲れ様でした、地上は俺たちに任せて、あんたはここでゆっくり休んでてください。――いいかみんな、ランツクローンさんの奮戦に泥を塗るな! 敵の大将は俺たちが討ち取るぞ!」
「はいアニキ!」
「オオッ!」
レオンハルトの言葉に力強く頷いたイグナーツが鼓舞すると、一斉に気勢を上げるランツクローン派の面々。
あとは、幅一〇〇メートルほどはあろう川をいかにして渡るかだが、その時……。
「あっ! アイツら、いつの間に!」
「汚いでゲス!」
川船を使い渡河し始めたノイエンアーレ派に気づき、何人かが声を上げた。
……そう、いつの間にか川船に乗っていたのだ、ノイエンアーレ派は……。
そうやってランツクローン派が色めき始めた一方、ゆったりと川面をゆく大型川船の上で、色白ぽっちゃり系学生がご満悦な様子で傍らの中年男性に話しかける。
「いやあ、このタイミングでお前の船が通りかかるなんて、まさに渡りに船、今日の僕は持ってるブヒ。ありがとう、このことはお父様に報告しておくから、期待するといいブヒ」
「それは嬉しゅうございますが……ぼ、坊っちゃん、本当にお乗せしなくてもよろしかったんですか? あちらにおいでの皆様、何やら、えらい剣幕で怒鳴っていらっしゃいますが……」
「あれはただの野良犬だから気にしなくていいブヒ。そんなことより、この間お前から買ったフローリアンたま似の小型彫像、あれはいい物ブヒ。ちゃんと枕元に置いて大切にしてるブヒよ」
小柄な体に上等そうな服を着た中年男性は、遠ざかる岸をチラチラと横目で窺いつつ、顔色を青くして尋ねたのだが、聞かれたほうは肉厚な手のひらをヒラヒラさせながら、こともなげに答えるのだった。
実は、色白ぽっちゃり系学生の実家で贔屓にしている商人の船が、幸運にも近くを通りかかったため、興奮冷めやらぬランツクローン派の隙を突き、こうしてノイエンアーレ派がチャーターしたというわけだ。
ついさっきまで一緒にレオンハルトを応援していたのは夢だったのか……まあ、普段の不仲がそう簡単に解消されるわけもないか……。
「それじゃあ、僕たちが用事を済ませて帰ってくるまで、ここで待っていてほしいブヒ」
「は、はい……」
やがて対岸へ着き、贔屓にしてもらっている貴族の跡取り息子に頼まれると、否とも言えぬ商人は、もとの岸を可能な限り見ないようにして答えた。
こうしてまんまとランツクローン派を出し抜き、敵城そびえる森へ意気揚々と入っていくノイエンアーレ派。
その先に何が待ち受けているかも知らぬまま……。
◇ ◇ ◇
さて、ここで、教員食堂を楽しみにしていた真綾を裏切った張本人が、どう弁明したかについても、少々語っておこう――。
時間は少し巻き戻り、真綾が廃城に降ろされてすぐのことだ。
幽玄な空気漂う廃城の中庭に、質素な昼食をポンと渡されて固まった真綾と、何やら言っているエーリヒの姿があった。
「……」
「すまんのう、本来ならばマーヤには、学院の訓練を少し手伝ってもらってから、教員食堂の昼食を食べさせる心づもりであったのじゃ……」
ゴルトが生温かい視線を向けてくるなか、無言の圧力をかけてくる真綾の前で、さも申しわけなさそうに謝罪するエーリヒ。しかも、ちょっとシュンとすることで弱々しい老人を演出しながら……。
「……それが、昨日少し様子を見に行ってみれば、あのこわっぱども、粗野に振る舞うことが強さと心得違いしとる者や、表面上の礼儀や見目だけにこだわる痴れ者ばかり、しかも、本来ならば手を取り合わねばならん者同士が、人目も気にせず醜き争いをする始末じゃ! そのくせやつらの剣技ときたら、わしの想像をはるかに超える粗末さよ! それでの、『これは一度地獄を見せてやらねば目は覚めぬ!』と思うての、急きょ模擬戦で叩き潰す次第になってしもうたのじゃ……。あのこわっぱどもさえマトモであったなら、うまい料理をマーヤに腹いっぱい食わせてやれたものを……。わしは口惜しいぞ、あのこわっぱどもさえ……」
「…………」
ことさら「こわっぱ」のところでクワッと目を見開き、憎々しげに責任転嫁するエーリヒ。理由はどうあれ、真綾を欺き連れてきたのは彼なのだが……。
その一方、真綾はといえば、表情筋を一ミクロンすら動かさず、彼の弁明を無言で聞いている。……かなり恐いぞ、真綾。
「……まあ、そのようなわけでの、マーヤから教員食堂を奪ったやつらの心を、ぐうの音も出ぬほどにへし折ってやってほしいのじゃ。幸いにもカラドリオス使い、つまり治癒魔法使いもおるそうじゃから、よほどの大怪我でもさせぬ限り問題ない。そうさのう……たとえば、あやつらの骨を折ったり腱を断ったりする程度なら、むしろ大歓迎なのじゃ。マーヤ、教員食堂の仇討ちだと思うて、存分に暴れてよいぞ」
騙された感は未だ拭えぬものの、この、見事なまでの思考誘導により……。
「食堂の仇……」
怒りの矛先を学生たちへ向ける真綾、そして――。
『なるほど~、学生さんたちの心をぐうの音も出ぬほどにへし折って、地獄をお見せしてあげればよろしいのですね。……わかりました! この熊野、頑張って知恵を絞らせていただきますよ~!』
彼女の脳内でノリノリになる熊野……。
学生たちのたどる運命は、ここに決したのだった。
◇ ◇ ◇
今回の模擬戦に参加しているノイエンアーレ派八名のうち、フローリアンとライナーを除く六名が川を渡り、敵の大将を討つべく廃城に向かっていたのだが、森の斜面を登りきった彼らを迎えたのは、おどろおどろしい雰囲気を纏った廃城の姿……。
「よし、到着した。それにしても……廃城というのは、さすがに薄気味の悪いものだね」
「……ええ、もしかしたら、幽霊がいるかもしれませんよ」
「ぜえ、ぜえ、……もう、一歩も……歩けない……ブヒ……」
来訪者を拒んでいるような廃城の姿に息を呑む一行。約一名、それどころではない状態らしいが……。
「……と、とりあえず、うちのガンモーに、偵察させてみるブヒ」
しばらくして、ひと息ついたらしい色白ぽっちゃり系学生がそう言うと、彼の頭上を飛び回っていた白い鳥が上昇を始めた。
この鳥こそ、彼の守護者であるカラドリオスだ――。契約者は【治癒】という素晴らしい加護を貰え、守護者自身も治癒魔法を使えるうえ長距離飛行が可能なため、〈男爵級〉のなかでは最も重宝がられる守護者であり、男爵の間では当たり守護者とも呼ばれている……が、しかし、シュゼットのそれに比べ、いささか……いや、かなり丸々としているのは、ペットは飼い主に似るというアレだろうか……。
ともかく、皆が見守るなか、空へと上昇していくカラドリオス。
パタパタ……。
上昇速度は遅いようだ……。
パタパタ……ザシュッ!
「ああっ! 僕のガンモーが!」
憐れにも光の粒子と化して消えゆく守護者の名を、虚空に向かって叫ぶ色白ぽっちゃり系学生。そして、そんな彼を上空から睥睨する竜騎士……そう、空は今、エーリヒの縄張りであり、呑気に上昇してきたカラドリオスを発見するや否や、彼は情け容赦なく排除したのであった。
「エゲツない……」
「むごい……」
「エックシュタイン先生、容赦ないな……」
「無惨な……」
「やはり空はダメか……」
「ガンモーおぉぉぉぉ!」
空を見上げてドン引きする面々と、鼻水垂らして泣き叫ぶ者一名……。
とりあえず空中偵察を断念した彼らは、怖いものでも見るように視線を移す、目の前にポッカリ口を開けている城門へ……。
「……しょうがない、どうせ僕ら男爵の守護者では戦闘の役に立たないし、ここはみんなの守護者をあそこから侵入させて、敵の様子を探らせるとしよう」
最上級生が提案すると、皆、真剣な表情で頷き合い、自分の守護者に偵察を命じた。
とうに扉は朽ち果て開いたままになっている城門へ、次々と呑み込まれてゆくラタトスク、ヴォルパーティンガー、コーボルトたち。その様は、さながら地獄へ向かう小さな亡者のパーティにも見えた。
そうやって守護者たちが城内へ潜入してから二分と経たぬうち、にわかに騒ぎ始めるノイエンアーレ派の面々。なぜか一様に信じられないという表情をして……。
「なっ! 消えた……だって!?」
「僕のもです!」
「そんなバカな!」
「こんな感覚……」
召喚した守護者の本体と視覚や聴覚などをリンクしていた彼らは、その五感が突如として途絶したことに驚いたのだ。しかも、そうなる瞬間に彼らが感じたのは、それまで味わったことのない奇妙な感覚だ、守護者の本体が殺されたのではなく、まるで一瞬にして世界から消え去ったような……。
「僕の内にある守護者の精神が言うには、本体が死んでしまったのではないようだ。……とても怯えている」
「僕の守護者もです……」
「……ブ、ブヒィ……」
最上級生の言葉に揃って同意する学生たちと、その様子を見て異変を察した色白ぽっちゃり系学生。
――あの廃城には、何か不吉なモノがいる――。
彼らの中に、得体の知れない恐怖が沁み込んでゆく。
そんな仲間たちをよそに、先ほどから歯をガチガチと鳴らせて震えている者がひとり――。
「ア……アレはなんだ、アレは……。あ、あんなの無理だ、絶対に……」
「おいきみ、どうしたんだ!?」
ブツブツと要領を得ない言葉をつぶやき始めた彼の両肩を掴み、最上級生が問いかけると、焦点の定まらなかった彼の瞳が、真剣な表情をした最上級生の顔を捉える。
「……み、見えたんです。しゅ、守護者が消える寸前、見えてしまったんです、一瞬だけ……。角、黒い、バケモノ……。し、城の中に、何かいる……。アレは、僕らなんかの手に負える相手じゃ――ヒ、ヒイィィィ!」
正気に戻り必死になって何か訴えかけていた学生だったが、その途中で最上級生の顔から視線を外したとたん、あられもない悲鳴を上げた。
彼の恐怖に凍りついた視線の先を、学生たちは恐る恐る追ってゆき……。
「な、なんだ、アレは……」
……城門の内側から現れたソレを目にした瞬間、己が人生の終焉を悟った。




